先輩のマッサージは上手すぎる。
水曜日の朝、カーテンを開けたら思わず「うわ……」とつぶやいてしまった。
豪雪である。
一晩で相当降ったらしく、街が完全に雪の中だった。まだ止んでいないので、この調子だとさらに積み重なるだろう。
玄関の雪をかいておかないと。ぼくは制服に着替えて一階に下りた。
「おはよう景国くん。雪かきは軽くしておいたわ」
リビングには厚いパーカーを着た月海先輩がいた。そして当たり前のように報告してくる。
「すみません先輩。ぼくの家なのに……」
「気にしないの。さあ、今日は歩くのが大変そうだから早めに出た方がいいわ」
「そうですね。いただきます」
用意してもらったスクランブルエッグと味噌汁でご飯をかきこむと、すぐに家を出た。
「先輩、雪かきは帰ってきたらやるのでこのままにしておいてください。これはぼくがやらなきゃいけないことなので」
「まあ、景国くんがそう言うならやらないでおくわ」
つまりやる気だったのだ。
「気をつけて行ってらっしゃい」
「はい、先輩も足元に気をつけてください」
ぼくは学校へ向かって歩き出した。
雪かきをしていないところはスネまで埋まる。ここまで積もったのは何年ぶりだろう。
久々の大雪で、街は混乱していた。
通勤ラッシュの車が雪を変に踏み固めてしまったせいで、道路がガタガタになっているのだ。どの車もすごい縦揺れを起こしながら走っていた。
歩道も中途半端な雪かきの影響でボコボコだった。何度も足を取られそうになった。
長野市は雪国に分類されているが、大雪が降るのは山あいの方で、市街地の人たちは案外こういう雪に慣れていなかったりする。
それでもぼくは、なんとか学校にたどり着いた。さすがに今日の駐輪場はガラガラだ。
正門から昇降口までの通路を2年生が雪かきしていた。コートを着た柴坂さんの姿もある。
「あら、おはようございます戸森さん」
「おはよう。生徒会のメンバーでやってるの?」
「ええ。連絡を取り合って早めに来たのです」
みんな「重たい」とか「暑い」とか文句を言いながら雪を運んでいる。柴坂さんは駐輪場周りを担当しているようだが、ここだけすでに真っ平らになっている。
「柴坂さんのやったところ、綺麗だね」
「思ったより苦労せずにできました。わたくしはそこまで重たく感じないのですが……」
「きっと鍛練のおかげだよ」
ぼくが言うと、柴坂さんがこくこくとうなずいた。
「確かにそれはあるかもしれません。こういう形でも活きるのですね。なんだか嬉しいです」
「でも、まだ片づけるところあるよね? ぼくも手伝うよ」
「そうですか? これから西門へ移動しようと思っていたのです」
「じゃあ任せて」
「ちゃんと運べますか?」
「バカにしてもらっちゃ困るな。そこまで貧弱じゃないよ」
† †
「ぜぇ……ぜぇ……」
「戸森さん、大丈夫ですか?」
「へ、へい……き……」
まったく大丈夫じゃなかった。
スコップを持ち、勇んで西門へ向かったぼくだったが、すぐに気力を奪われていった。
何せ積もり方が半端じゃない。運んでも運んでも全然減っている様子がなくて、たちまち腕が疲れてしまった。
周りの生徒会メンバーに心配されつつ運び続けたが、スピードは落ちる一方だった。
「ここで倒れられても困るよー」
副会長の男子にまで言われてしまう始末。負けるものか!
意地だけで体を動かして、西門から渡り廊下への入り口までの道を開通させることができた。
だが、支払った代償は大きかった。
† †
「うぐぐ……」
「戸森、動けるか?」
「きついです」
「ったく、無理に手伝うとか言わなきゃよかったのに」
「だって、柴坂さんがやってるのに素通りするのは……」
朝のホームルーム前。ぼくは机に突っ伏してダウンしていた。山浦君が心配そうに覗き込んでくる。
「ま、今日は体育もないしあんまり動かないことだな。家まで歩けなくなったら大変だぜ」
「そ、そうだね……」
早くも筋肉痛が起きている。運動しないツケがここで来た。
「戸森さん、無理しなくても大丈夫だと言いましたのに」
柴坂さんも来てくれた。
「なんか、ここで退いたら負けかなと思って」
「退かなかったがゆえの敗北だと思いますが?」
手厳しい……。
「でも、手伝ってくださったことは嬉しかったです。帰り、お送りしましょうか?」
「えっ? それは申し訳ないというか」
「別に貴方のためではありませんけどね。月海先輩と少しお話だけしていきたいので、そのついでです」
「そういうことなら、今日だけお願いします」
「今の柴坂さん、ちょっとツンデレっぽかった……」
前の席でぼそっと黒田君がつぶやいたが、聞こえなかったふりをした。
† †
放課後。
柴坂家の専属運転手さんがいつもの黒い車でやってきた。
そこに同乗させてもらい、帰りは楽に家に着くことができた。
「た、助かった……」
柴坂さんと別れると、ぼくはすぐ家に入った。が、二階に上がる元気が出ず、座敷に入ってこたつの前で横になった。
全身が痛い上にガチガチになっていた。家の雪かきどころじゃない……。
しばらく横になったままでいると、座敷の戸が動いた。
「景国くん、おかえり」
「あ、先輩……」
どこかに出かけたのか、赤いセーターに黒のスカート姿になっていた。めずらしくストッキングを穿いている。
ロングスカートじゃないので角度が――と思った瞬間、月海先輩が正座した。べ、別に惜しかったとか思ってないよ?
「
「変に張り切ってしまいました……」
「自分の限界はちゃんと考えてやらなきゃ」
「すみません……」
「で、痛みはどう?」
「全身にきてます」
「マッサージしてあげようか?」
「えっ」
「お父さんから教わってるから、軽くならできるの」
「頼清さんってマッサージできるんですか」
「資格を持ってるわ。月心流の師範は門下生の体を調整するのも仕事のうちだから」
「知らなかった……じゃあ、先輩もやってもらうことがあるんですか?」
「たまにね」
「…………」
「何かいやらしい妄想してない?」
「し、してないですよ」
「ふうん?」
「ほ、ホントです」
「まあ、そういうことにしといてあげるわ」
信じてない! いやまあ、ちょっとは想像しちゃったけれども!
「じゃあ、仰向けになりましょうか。ブレザーは脱がせちゃうね」
さっとブレザーを持っていかれた。
恐ろしく自然な流れでマッサージが始まろうとしている……。
「強くはやらないから安心して。あくまで血流をよくするためのものだから」
「は、はい――うっ」
「本当ね、足がガチガチ」
さ、触られるだけでジーンとくる!
「まずは体の方へ曲げるわよ」
「ひっ」
「変な声ださないで」
「い、痛くて……」
「むりやりはしないから、心配しないで」
「うぐっ……」
先輩は右手でぼくの右膝を、左手で足を持って体の方へゆっくり曲げた。し、しびれる……。
「今度は反対の足」
「ああっ」
「ねえ景国くん?」
「わ、わざとじゃないんです。信じてください……」
「そうね。本当に疲れてるみたいだからね」
左足も曲げて伸ばしてを繰り返してもらう。
「ふくらはぎ、軽く揉むからね」
「ひいいっ」
「あらら、ここもカチカチ」
「はうあっ」
ふくらはぎに下から手を入れて揉んでくる月海先輩の手。力加減が絶妙で痛くはない。だがこれはよくない……ゾクゾクしてしまう!
「このくらいかな。肩や首筋も少しやっておこうか」
先輩がぼくの頭側に回り込んだ。そこに座って、ぼくの肩や首筋に親指を当ててくる。そこがツボなのだろうか、突かれた場所がやたらと気持ちいい。
「う、あぁ……」
「痛い?」
「ちょっとだけ……」
「ここは?」
「ひあっ」
「うーん、肩も酷使したみたいね」
「うぬぬぬ」
頭がクラクラする。
痛みと気持ちよさが混じって、それが月海先輩の手でもたらされているのかと思うと本当にどうかしてしまいそうだ。
「どうかな」
「き、効きました……」
「背中もやっておく?」
「じゃ、じゃあ……」
ぼくはうつぶせになった。実際、少し楽になったのは確かだ。頼清さんの技術を先輩もしっかり自分のものにしたようだ。
「強くやると逆に血管を傷つけちゃうこともあるから、撫でるような感じでやるわよ」
「はい――あふぅ」
いきなりゾクッとした感覚が襲ってくる。
先輩が指と手のひらを使って、ぼくの背中に円を描くようにマッサージしてくれる。
「お、おぁ……」
「こうしておけば、何もしないよりはマシのはずよ」
「ひぃ」
「まんべんなくやっておくから」
「ううっ」
「効いてる?」
「あっ……だ、駄目になりそうです……」
「え、痛いの?」
「い、いえ……人として駄目になるというか……」
ふふっ、と頭の上から笑う声が聞こえた。
「とろけちゃう?」
「は、はい……」
「じゃあもう起き上がれないくらいにやっちゃう」
「うっ!? あ、わわわ……駄目ですってぇ……」
「景国くん、女の子みたいな声になってる」
「だ、だって……」
先輩のマッサージが上手すぎるから……。
「かげくにー、なに変な声だしてんの?」
ガタッと戸の開く音がした。母さんだった。
「あ……光ちゃん」
「こ、こんばんは」
「は、ははは。いや、これはお楽しみのところを失礼しました……。あたしは出勤しますのでこれにて」
ピシャッと戸が閉まる。月海先輩がすかさず追いかけていった。
「待って、そうじゃないんです! 話を、話を聞いてください!」
「いやいやいいのよ。お互いにオッケーならあたしは全然口出ししないから!」
「お願いですから誤解しないでー!」
そんな声を遠くに聞いていると、だんだん眠くなってきた。
マッサージがよっぽど効いたらしい。
それにしても、月海先輩がこんなにマッサージ上手いなんて知らなかった。本当になんでもできる人だ。
これはこれで貴重すぎる体験だった。
そう考えると、雪かきに全力を出してよかったのかもしれない……なんてちょっと思うのだった。
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