本命チョコに彫られた文字
2月14日は日曜日だった。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
その日の朝も、月海先輩に朝ごはんを作ってもらった。
今日は野菜炒めがメインだ。
先輩もぼくの正面に座って、一緒にご飯を食べている。
うちの冷蔵庫にある食材を使うのは母さんに申し訳ないということで、最近は自前の食材を持ってくる。そこはあまり気にしなくてもいいのでは、とも思うが、先輩には譲れないラインがあるようだ。
「景国くん、今日の夕方は空いてる?」
「空いてますよ。特にやることもないですし」
「じゃあ、もう一度きてもいいかな」
「もちろんです」
「よかった」
先輩がホッとした顔になる。
……やはりアレか。
今日はバレンタインデー。
実はけっこう期待しちゃっているのだ。
最後にチョコをもらったのは小学6年の時。あれは確か、先輩ではなくてクラスメイトの女の子だった覚えがある。それ以降は母さんが市販の高いチョコをくれたことがあっただけだ。
しかし今年は違う。月海先輩がいるのだ。何もないということは……ない、よね。
二人でご飯を食べ終えると、すぐに先輩が食器を洗ってくれる。ぼくはその背中を見ているだけだ。
――戸森君がヒモになるのも時間の問題だね――
黒田君の言葉が蘇った。
……そうはならないぞ。これは先輩がやりたいというからお任せしているだけで……。
って、この言い訳がすでに怪しい気もするんだよな。自分にできることは率先してやるつもりだし、買い物の時、月海先輩にばかり負担してもらうのも避けたいところだ。新学期になったら、アルバイトを本気で考えてみようかな。
「これでよし。私はいったん帰るわね。鍛練が終わったらまた来るから」
「わかりました。頑張ってくださいね」
「ありがと。5時頃に来るつもりだから、お願いね」
「了解です」
月海先輩はパタパタと早足で帰っていった。
ぼくは読書でもしていよう。
でも、落ち着かなくて内容が頭に入ってこないかも……。
† †
昼間は、黒田君とメッセージのやりとりをしつつ本を読んでいた。
月海先輩の好きな海外文学に挑戦してみたが、なかなか理解が追いつかなくて1ページ進むのにも時間がかかる。
何度も何度も休憩を挟み、1冊読み終わる頃には空が薄暗くなってきていた。ぼくはヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を閉じて机に置いた。
……こういうのを何冊も読める先輩ってすごいよな。
ぼくにはかなりきつい。
イスに座ったまま、しばらく目を閉じる。さすがに疲れた。
インターホンが鳴った。
「景国くーん」
月海先輩の声だ。もうそんな時間だったか。ぼくは返事をして、慌てて玄関へ行った。
先輩は両手をうしろにやって立っていた。
「お疲れさまです」
「……なんだか疲れてる?」
「いえ、大丈夫ですよ」
なんでも見抜かれてしまう。
「それで、何か用事が?」
月海先輩は両手を前に出した。ピンクの小さな袋がそこにあった。
「これ、バレンタインのチョコ」
「あ、ありがとうございます!」
やはり来た……!
期待していた分、喜びが一気に膨らんだ。
「ここで開けてもいいですか?」
「もちろん。むしろそうしてほしいわ」
「で、では……」
包装を解くと、まん丸なチョコがたくさん入っていた。一つ手に取ってみると、HAPPYの文字が彫られている。手作り感があってとってもいい。
「すごい。時間かかったんじゃないですか?」
「時間かけるのが楽しかったのよ。全部違う文字を入れてみたから、色々探してみて」
「どれどれ……」
ぼくは一つずつ取り出してみる。2/14と彫られたチョコが出てきた。半月の絵が入った物もある。それを、月海先輩も真剣に覗き込んでくる。
「ん?」
四つ目のチョコには――HIKARIと彫られている。
「引いてしまったようね」
顔を上げると、なぜか先輩は緊張したような顔をしていた。
「景国くん、それ、なんだと思う?」
「先輩の名前ですよね?」
「その通り。だから、その、今ここで……」
先輩の顔が赤くなってきた。
「わ、私を食べて?」
ごふっ……!
思わず吐血しかけた。
なんだそれ。それは一体なんですか!?
強すぎる殺し文句に、ぼくの顔も一瞬で熱くなってしまった。
「じゃ、じゃあ……いただいちゃいますよ?」
「う、うん。どうぞ」
ぼくは、HIKARIと入ったチョコを口に運んだ。
甘い……。
酸味を抑えて甘さに振り切った感じのチョコだった。口の中に幸せの甘みが広がっていく。
「よかった」
「何がです?」
「ここで景国くんがそれを引いてくれて」
「引かなかったらそのまま帰るつもりだったんですか……」
「だ、だって時間かけてまで探してなんて言えないじゃない」
ぼくらは互いの顔を見つめ合った。そして、同時に噴き出した。
「今日はいつになく直球でしたね」
「い、一回しかできないもの。思いついちゃったんだから仕方ないでしょ」
「最高でしたね。私を――」
「蒸し返すのは禁止! 駄目!」
必死で止めてくる先輩。その姿もかわいい。
「と、とにかく目的は果たしたからこれで帰るわ。ゆっくり食べてね」
「ありがとうございます。ホワイトデーにはちゃんとお返ししますからね!」
「ふふっ、期待してるわ」
先輩が帰っていき、家は再び静かになった。
ぼくは部屋に戻って、チョコの文字を一つ一つ確かめる。
その中に、
〈KAGEKUNI & HIKARI〉
と彫られたチョコを見つけた。
最初に食べるならこれしかないだろう。
ぼくはそのチョコを口に入れる。自然と笑顔になれた。やっぱり、とっても甘かった。
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