私のために、抱き枕になって

 黒田君が新人賞の佳作を受賞したことは、翌日すぐにクラス中のニュースになった。


 そんな本人は編集者さんにお願いをして、初めての打ち合わせを明日――土曜日に入れてもらったそうだ。なので今日は普通に登校してきた。


 黒田君の席には人だかりができていた。かつてない光景である。


 学校にも説明を入れたらしくて、朝のホームルームでは担任の先生も言及した。佳作といっても受賞は受賞。やっぱり影響力は圧倒的なのだ。


「疲れた……」


 放課後、黒田君はぐったりしていた。


「大丈夫?」

「あんまり……。大勢と話すとかほとんどなかったからな……」

「でも、これから出版社のパーティーとかでそういうこともあるんじゃないの?」

「おお、確かに。それは考えてなかった――」


 言いかけて、黒田君が固まる。


「俺、授賞式でスピーチしなきゃいけないのかな」

「さあ……」

「戸森君と違って人前で話すの苦手なんだよな」

「ぼくだって得意なわけじゃないよ」

「でも柴坂さんの応援演説、しっかり決めたじゃん」


 そういえばそんなこともあった。


「し、心配ないって。ドラマで見たことあるけど、ああいう式の壇上って体育館のステージよりは低いから奥まで見えないと思う!」

「それフォローなの?」

「一応……」


 気まずい沈黙。


「ま、まあ編集さんの話を聞いてみないとわからないよ! 今から緊張しても仕方ない!」

「それもそうか。まずは会ってみなきゃね」


 ぼくはぶんぶん首を縦に振った。


「よし、帰るか」

「そうだね。打ち合わせ、頑張って!」

「ありがとう」


 黒田君と拳をぶつけて、ぼくらは教室で別れる。

 彼はまっすぐ昇降口へ、ぼくは月海先輩のいる3年1組の教室へと向かった。


      †     †


 教室に近づくと、ちょうど月海先輩が出てきた。


「あ、景国くんお疲れさま」


 ぼくは返事をして、そのまま横に並ぶ。


 二人で学校を出て、いつもの帰り道を歩いた。しかし、会話は始まらなかった。


 理由はわかっている。

 明日は大学のセンター試験。

 月海先輩もまた、緊張しているのだ。


 先輩は、月心館を継ぐ決意を固めている。人にものを教えるということを学ぶために信濃しなの大学の教育学部を選んだと聞いた。小耳に挟んだだけだが、推薦ではなく一般入試での合格を目指しているとか……。


「ねえ景国くん」

「あ、はい」


 月海先輩が足を止めた。先輩がまっすぐに、ぼくの目を見つめてくる。どこか不安を感じさせる視線。


「今夜、私のために抱き枕になってくれないかな……」


「……んん?」


 予想とはだいぶ違う言葉が出てきたぞ。


 だ、抱き枕?

 先輩に抱きしめられて眠る?


 それは……断る理由が見当たらないですね。


「じゃ、邪魔にならないですか?」

「逆よ。貴方を抱きしめていると、不思議と安心するの。だからお願い。今夜、私の部屋に来て」

「は、はい」


 返事をしてしまった。


 ぼくを部屋に招き入れるのは、心を決めた時――。


 前に、先輩は言っていた。しかし、センター試験を前にしては事情も変わってくるわけか。

 ぼくを抱き枕にすることで安眠できるのなら、喜んで協力する。まあ、ぼくはただの役得なんだけどね。


「最後のチェックをしたら寝る用意をするから、11時くらいに来てもらえるかな」

「わかりました」

「寒いからあったかい格好で来てね」


 ぼくはうなずいた。

 今夜は寝不足を覚悟しよう。


     †     †


 気合いを入れて待つというのも変な話だけど、帰ってからのぼくはずっとそんな気分だった。


 月海先輩が明日に備えている間、ぼくは部屋を真っ暗にしてロックを聴いていた。特に意味はない。でもいいんだ。これは先輩の家に向かう前の儀式みたいなもの。自分が納得するためだけにやっている。


 目を開いて、携帯で時間を確認する。

 もうすぐ11時。

 ぼくは部屋着の上にジャンパーを羽織って、家を出た。冬の夜の空気が容赦なく突き刺さる。ぼくは早足で月心館の門を抜けた。


     †     †


「いらっしゃい」

「お邪魔します」


 黒いパジャマ姿の先輩に出迎えてもらった。ポニーテールは解いて髪を下ろしている。久しぶりにストレートな髪型を見た気がした。

 案内されて部屋に向かう。差し向かいにある先輩の部屋以外、すべて真っ暗だ。頼清さんはもう寝たのだろうか。


 月海先輩が部屋の障子を滑らせた。

 勉強机の上にはバッグが置いてある。明日出かける用意はすでに終わっているようだ。


 部屋の真ん中には布団が一つ。畳の匂いの中に、かすかに甘い香りが混じっている。なんだかドキドキしてきたぞ。


「景国くん、すぐ寝られるの?」

「はい。歯磨きもしてきたので」

「さすがね。じゃあ、お先にどうぞ」

「で、では……失礼します」


 ぼくはジャンパーを部屋の隅に置く。恐る恐る掛け布団をまくって、布団に入った。温かい。電気毛布の温度がちょうどいい。

 心音がどんどん高まっていくのがわかった。ぼくは自分を保てるのだろうか?


「消すね」


 部屋が真っ暗になった。

 ごそごそと音がして、先輩がすぐ横に入ってくる。


 うう、すでに顔が熱い……!


「いいかな、景国くん」

「い、いつでもどうぞ」


 先輩の腕がぼくの背中に回った。グッと引き寄せられる。ぼくの頭は先輩のあごに触れるくらいの位置にある。

 肩のあたり、厚い生地越しでも柔らかな感触が伝わってくる。それがさらに、ぼくの鼓動を激しくする。


 ふう……という先輩の吐息すらも、心臓をわしづかみにしてくるかのようだ。


「景国くん、柔らかいよね」

「そ、そうですか?」

「うん。腕とか、もちもちしてる感じ」

「先輩的には、鍛えない方がいいんですよね」

「できれば」


 やっぱりねー。


「ああ、すごく安心するなぁ」

「眠れそうですか?」

「もう眠くなってきたかも」


 先輩があくびをする。ぼくもつられてあくびが出た。


「明日はきっと、上手くいくよ」

「ぼくも、祈ってます」

「……お願い」


 今になって、お守りを贈ればよかったと後悔する。

 毎日を楽しくとか、黒田君の選考会が近いとか、色んなことが気になって頭が回らなかった。彼氏として、まだまだ足りないものが多いなぁ……。


 ちょっと落ち込んでいるうちに、先輩の吐息が変わっていた。すー、すー、と静かな音に。眠ったようだ。


 呼吸に合わせて上下する胸の動きが伝わってくる。先輩の腕が絡んでいるので、ぼくもこのまま横向きで寝るのだ。


 月海先輩は本番に強い人だ。一発で合格すると、ぼくは確信している。


 そのためなら、ぼくが一日くらい寝不足になったってなんの問題もない。そう、何も問題は……。


 思考がぼやけてくる。

 結局、眠気はいつも通りやってきたらしい。

 ぼくもまた、月海先輩に抱きしめられていると安心するみたいだ。


 ああ、もう目を開けていられない……。


「……わたしは、だいじょうぶ……」


 闇の中で、そんな声が小さく聞こえた。


     †     †


 翌朝。

 起きてみると、月海先輩はもういなかった。


 ぼくは熟睡していたらしく、起こさないよう先輩が気をつかってくれたようだった。


 ひとまず居間に向かうと、頼清さんがこたつに入ってお茶を飲んでいた。


「やあ、起きたかい」

「おはようございます」

「ああ、おはよう。光はもう出かけたよ。そろそろ始まる頃だろう」

「先輩の様子はどうでしたか?」


 ぼくが変に動いて先輩が起きなかったか。それが心配だった。


「安心しろ」


 頼清さんはさらっと言って、お茶をすすった。


「絶好調の時の顔つきだった。ずっと一緒にやってきたからな、見りゃわかる。景国君のおかげだよ」


「そうですか……」


 頼清さんの断言に、ぼくは心の底からホッとした。


 なんとなく空を見る。


 うっすら雲がかかっているけれど、少しずつ明るくなってきた。ぼくの正面にあるあの雲が動いたら、きっと、今年一番のまぶしい太陽が顔を出すだろう。

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