ぼくだってたまには積極的になる。

 日曜日。

 センター試験二日目ということで、月海先輩は今日も家にいない。


 昨日は終わったあと、夏目先輩と合流して反省会をするとかで帰りが遅かった。


 ぼくは、先輩が疲れているかもしれないと思って会わなかった。


 が、今になってそれを後悔している。


 もう一日あるとはいえ、せめてねぎらいの言葉をかけるべきではなかったのか。

 メッセージで「お疲れさまでした」とは言ったけれど、彼氏としてそれでいいのかという疑問があった。


 ぼくはどうにも消極的だ。

 先輩がグイグイきてくれるからそれに甘えているところがある。だけど、たまにはぼくの方からグッと迫っていくことも重要じゃないだろうか。先輩も、それを期待していると言っていたことがある。


 そういうわけで、ぼくは今日の夕方のイメージトレーニングを行っていた。


 月海先輩にかける言葉を何度も頭の中で繰り返す。


 ……いける!


 ちょっと恥ずかしいセリフかもしれないけれど、案外そのくらいでちょうどいいのかもしれないし。


 昼間は黒田君と長時間電話をしていた。

 昨日の打ち合わせの話を聞かせてもらっていたのだ。


 直さなきゃいけない部分がたくさんあるらしくて、これからが大変だとぼやいていた。でも、そう語る黒田君は嬉しさを隠しきれていなかった。


 自分の本を出す。

 その夢がもう少しで叶うんだ。わくわくしないはずがないよね。


 あらためて、黒田君がすごい人になるんだという実感が湧いた。


 しかも彼の作品を激推しした北祥ほうしょう吹雪ふぶき先生といえば、現在25歳ながら多種多様な文体を書き分けることで有名な実力派若手女性作家。作者名を隠したら誰の作品かわからないと言われるほどジャンルも内容も様々な作品を書いている。


 そんな人に気に入られたというのはすごいことだ。「後輩の少年の描き方がとってもよかったって言われた」らしいのは気になるところだが……。


 時計を見る。夕方5時。そろそろ帰ってくるだろう。


 ぼくはメッセージを送ってみた。


〈もう終わりましたか?〉


 すぐに返信。


〈あかりとコーヒーを飲んだから、これから帰るところ〉

〈どこにいますか?〉

〈クラリッサ〉


 出たなクラリッサ。

 ホットケーキあーん合戦(?)でおなじみの喫茶店。

 あそこからならあと15分もあれば来るだろう。


 ぼくは分厚いパーカーを着て部屋を出た。念のため口をゆすいでみたりして……。


     †     †


 辺りはもう真っ暗だ。

 じっと道路に目をやっていると、街灯に月海先輩の姿が浮かび上がった。

 疲れているはずだが、姿勢よく歩いてくる。そんなところが、またかっこいいのだ。


「先輩」

「景国くん? もしかして私が帰ってくるの、待っていてくれたの?」

「はい。お疲れさまでした」

「ありがとね」

「手ごたえはどうですか?」


 月海先輩は口元に小さく笑みを浮かべた。


「いけると思う。引っかかる場所はほとんどなかったから」

「おお! じゃあほぼ決まりですね?」

「まずは新聞で問題を確認してからよ。それでも大丈夫な気はするけど」


 かなり自信があるようだ。


「ぼくを抱き枕にしたの、効果ありましたか?」

「…………」


 月海先輩はなぜか黙った。じっとぼくを見つめて――いきなり抱きついてくる。


「大ありよ。おかげで寝覚めがすごくよかったの。朝から頭がクリアになってて、いつもと全然違ったわ」

「それなら、よかったです」

「本当は昨日もお願いしようかと思ったけど、あんまり景国くんに迷惑かけるわけにもいかないからね」

「そんな。ぼくは楽しかったくらいですよ」

「そうなの? だったらもう一日甘えちゃえばよかったな」


 先輩が離れた。


「それじゃあ、今日は早めに休むね。わざわざ出迎えてくれて嬉しかったよ」

「あの、先輩」

「なに?」


 い、いくぞ。あの言葉を先輩にぶつける――!


「センター試験を頑張ったご褒美に、き、キスしてあげます」


 くっ、恥ずかしい!

 やっぱりこのセリフじゃまずかったかも!


 ……月海先輩の表情が固まっていた。


 す、滑った。気持ち悪かったか……?


 焦っていると、先輩が近づいてきて膝を曲げた。ぼくの顔と同じ高さに下げてくる。


「景国くん、そういうこと言えるようになったのね。ふふっ、じゃあお願いします」


 先輩が目を閉じた。


 よかった……嬉しそうな表情だ。


 ぼくは顔を近づける。先輩の頬にキスを――


「でも、まだまだね」


 いきなり、そんなことを言われた。

 先輩は目を閉じたまま、人差し指で自分の唇をとんとん叩く。


「今の私たちなら、もうこっちでしょ?」

「…………」


 足りないものが多すぎる。そう思わずにはいられなかった。


 ぼくはそっと顔を寄せ、先輩の唇に自分の唇を重ねた。先輩の背中に腕を回して、少し引き寄せる。そして、ぐっと押しつけるようにした。


「んっ……」と、先輩が吐息を漏らす。


 数秒の間。

 それでも充分すぎる時間だった。


 ぼくは腕を解き、顔を離した。


「お疲れさまでした、光先輩」

「ありがとう、景国くん」


 頭を撫でてくれた。


「これからもそういうこと、期待してるから」

「が、頑張ります」

「ふふ、じゃあまたね。おやすみ」

「おやすみなさい」


 先輩が家に入っていくのを見届けてから、自分の部屋に戻った。


「ぼくも反省会しよう……」


 思わずつぶやいた。

 もっと勇気を持っていかないと。

 積極的になったつもりだったけど、まだ消極的なところが強いみたいだ。

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