義理堅い二人
「あれ、消しゴム落としたか?」
8月最終日。
2時間目が終わって教室に戻ってきたところで気づいた。
化学教室で授業をやっていたのだが、あそこで消しゴムを落としてきたらしい。
2時間目と3時間目の間には15分の休み時間があるから間に合うはずだ。
ぼくは階段を駆け下りた。
3階から2階、1階……。
――ん?
踊り場で足を止めた。
廊下の隅で誰かが話している。壁から背中が覗いているが、あのポニーテールは月海先輩だろうか?
「あかり、私ね、景国くんとつきあうことになったの」
静かすぎて、そんな声が耳に届いた。
あの向こうにいるのは夏目先輩か。そして月海先輩は、友人に重要な告白をしている。
……やばいな。
夏目先輩はその事実をもう知っているのだ。話したわけじゃないけど、態度で察してしまった。あれはぼくが打ち明けたも同然……。
「へー! どっちから? 向こうからしてくれたの?」
ビクビクしていると、夏目先輩が嬉しそうに言った。
「うん、景国くんがしてくれた」
「よかったじゃーん! 待ってたのが報われたねえ」
「……そうね」
夏目先輩……。
ぼくは思わず敬礼したくなった。
本当に、夏目先輩は何も知らなかったことにして通してくれるつもりなのだ。
「で、どこまでいった? もうディープくらいした?」
「そ、そんなことするわけないじゃない。お互いに臆病なところがあるから、ちょっとずつ……」
「光ちゃん、普段はグイグイいくのにそーいうところは受け身になっちゃうよね」
「だって、気軽にできるものじゃないし……」
「あの子も奥手そうだしねー」
はい、その通りです……。
「後輩くんはさ、年下だから絶対遠慮があると思うんだよ。そこは光ちゃんがリードした方がいいんじゃないかな。光ちゃんになら何されてもいいって思ってるはずだぜ」
……うん、そう思ってるけど他に言い方なかったのかな?
「わかった。私も、できるだけ頑張ってみる」
「おう、それがいいよ。手伝ってほしいことがあったら言ってね。協力させてもらうぜー」
「いつもありがとね、あかり」
「いえいえ。――ところでさ、最近、嫌がらせ受けてない?」
――なんだって? 月海先輩が?
「なん……のこと?」
「ほーら、超わかりやすい。私の観察眼をなめてもらっちゃ困るよ。光ちゃん、最近机を見るたびにきつい顔してるから」
「……ばれてたのね」
「何されてん?」
「……机の中に、ハート型のチョコが置いてあるの」
「うわ、気持ち悪っ。犯人は?」
「わからない。他の教室で授業してる隙にやってるんだと思う」
「それ毎日?」
「うん。週明けからだから……もう三日連続。しかも、教室に誰もいなくなるたびに入ってきてるみたいなの」
「先生に言おう」
「でも、チョコが置いてあるだけだから……」
「いやいや、ハートマークってのが嫌な感じだよ。好きって言ってるようなもんじゃん。光ちゃんがずっと後輩くんと仲良くしてるの知らない奴かな?」
「わからない……」
胸が痛かった。
月海先輩はちっともそんなそぶりを見せなかった。
昨日もおとといも変わった様子はなかった。けれどその裏で悩みを抱えていたんだ。
「あれ? 二人とも教室入らないの?」
右側から歩いてきた人がいた。
ショートの髪をツンツンさせた男子だった。
「おー、川崎君。そろそろ入るよー」
あ、川崎先輩か!
野球部を引退したからもう坊主頭にしなくてよくなったんだ。
しかしまずいな。
化学教室は3年1組が使うのか。入りにくい雰囲気だけど……行くか。
「す、すみません」
「あら景国くん」
「おっ、後輩くん久しぶり」
「さっきここに消しゴム落としちゃったみたいで」
「待ってろ、俺が見てきてやる」
川崎先輩がすばやく化学教室へ入っていった。
「私が行こうと思ったのに取られちゃった」
月海先輩が軽く笑った。悩みを抱えているようにはとても見えない。ぼくには気づけなかった……。
川崎先輩がすぐに出てくる。
「これか?」
「あ、ありがとうございます!」
「気をつけろよ」
「はい。じゃあこれで」
「景国くん、またお昼にね」
ぼくは返事をして階段を上がる。
「待ってくれ」
川崎先輩が追いかけてきた。
「後輩君……えっと、戸森君だっけ?」
「はい、戸森です」
「実はお願いしたいことがあったんだ。ちょうどよかった」
「なんですか?」
「月海さんが嫌がらせを受けている」
「その話、川崎先輩も知ってたんですか?」
「ということは、君も?」
「今、月海先輩と夏目先輩の話が聞こえて……」
「そうか。俺の見立てでは、月海さんと君はそろそろつきあい始めるんじゃないかと思っているんだが」
鋭い!
ほとんど絡みがないのにかなり近いところを突いてきた。
「それを認めたくない奴がいるんだ。隣のクラスの男子で
門竹……。
休み明け、月海先輩に告白してきた男子だ。
あの時にぼくが睨まれたのは、先輩と仲良くしているのが気に入らなかったからなのか。
「門竹はほいほい彼女を変える男だが、気に入った相手にはとにかく粘着質になる。束縛がきつすぎて振られたこともあるくらいだから、この調子だと月海さんもさらに面倒なことに巻き込まれるかもしれん」
「ぼくは、どうすれば……」
「そこでお願いというわけさ。君は今日、ホームルームが終わったら速攻でうちのクラスに来てくれ。で、何か理由をつけて月海さんを呼び出すんだ。帰るんじゃなくて、いったん教室を離れてもらうのがポイントだ」
「つまり、荷物が置いてあれば月海先輩は戻ってくる。それまでの間にもう一回チョコが置ける。門竹先輩がそう考えると」
「正解だ。誘い出して証拠を押さえ、二度と同じ真似をさせないようにする。月海さんを呼び出して長時間釘付けにできるのは君だけだ。手伝ってくれるか?」
「もちろんやります。でも、作戦は月海先輩に伝えてもいいんじゃないですか」
「いや。……こういうとアレだが、月海さんは演技があまり上手くないんだ。事前に話しておくと態度に出る。門竹はそういう変化に敏感だから自然な感じで移動してもらいたい」
「わかりました、ぼくに任せてください」
「よかった」
川崎先輩が携帯を出した。
「連絡先を教えてくれ。片づいたら教える」
「了解です」
ぼくらはすぐにアプリの連絡先を交換した。
「でも、月海先輩のためにどうしてそこまで?」
「月海さんからトレーニング方法を教わらなかったら、今年の俺のピッチングはありえなかった。新聞やニュースでも取り上げてもらったし、最高の夏が過ごせたんだ。その恩返しを、できるなら絶対にしたいと思っていた」
「そうだったんですか……」
ぼくとの秘密を黙っていてくれた夏目先輩。
月海先輩を助けようとしてくれている川崎先輩。
本当に義理堅い二人だ。
月海先輩が積み上げてきたものが、今こうして力になってくれる。
ぼくもその力の一部になりたい。
ぼくは川崎先輩と別れ、放課後に向けて気合いを入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます