そして、夏休みが終わる

 8月20日を過ぎると徐々に長野県内の学校は2学期に入っていく。


 浅川高校も明日から学校が始まる。


「今年の夏休みはあっという間だった気がします」

「私もそう。クラスの友達とほとんど会わなかったのに、こんなに早く感じるなんて……」


 先輩がぼくを見た。


「やっぱり、景国くんのおかげかな。毎日すごく楽しかった」


 ぼくはちょっとこそばゆい気分になった。


 夏休み最終日。

 夕方、ぼくと月海先輩は街中をのんびりと歩いていた。

 広い通りが横を走っていた。車が休みなく通るのでたまに声がかき消される。


「景国くんはどう? 結局毎日、朝ごはんを作りに行ったわけだけど……」

「すごく楽しかったです。月海先輩に毎日会って話までできるなんて、去年じゃとても考えられなかったので」

「それは景国くんにとってプラスの変化だったのね」

「じゃなかったら、告白なんてしませんよ」

「……そうね」


 この夏休みはかつてなくあちこちに出かけた。プールもお参りも火祭りも。


 誕生日プレゼントを渡すこともできた。シルバーのネックレスは、今日も月海先輩の首にかけられている。


「私、告白されたことを誰にも話してないの。そのうち気づかれるだろうけど、まだ黙っておいた方がいいかな」


 ギクッ。


 ぼくは山浦君と黒田君に話してしまった。夏目先輩にも見破られている……。


「仲のいい人になら言ってもいいと思います。ぼく、実はもう打ち明けちゃった友達が二人いて……」


 ここは正直にならないと。


「信頼できる相手だからこそ打ち明けたんでしょ? だったら大丈夫よ。私もあかりにだけは伝えておこうかな」


 夏目先輩、うまくごまかしてください……。


「あの、先輩。お願いがあります」

「何かしら」

「学校では、見せつけるようなことはあんまりしたくないんです」

「もちろんよ」


 即答だった。


「私だってそういうことはやりたくない。変に興味を持たれるのは嫌だから」

「よかった。じゃあ安心ですね」

「今までと同じように、お弁当を食べて一緒に帰る仲でいましょ」

「はい。あらためてよろしくお願いします」


 月海先輩が、いつものように「ふふっ」と控えめに笑った。


「かしこまらなくていいの。――それに」

「それに?」

「学校での時間が物足りなければ、今は遠慮なく会いに行けるんだから」

「……そうですね」


 ぼくらはそういう関係になったんだ。


「なんだか、こうして普通に話せるのが夢のようだわ。私はこんな時間をずっと待っていたの」

「同じ気持ちだったんですね」

「去年の今頃なんて、土蔵の二階から景国くんの部屋をうかがうことしかできなかった……」

「…………」


 えーと。

 どこから突っ込めばいいですか?


「せ、先輩、何かやばいところは見てないですよね?」

「うん。本を読んだり、ウォークマンをマイク代わりにして歌手のパフォーマンスを真似していたところくらいしか見てないわ」

「うわあああああ!!」


 後ろのやつ見られてたのかああああああ!!!


「大丈夫よ景国くん。とってもかわいかったから」

「フォローになってないです! こ、今後は覗き見禁止ですからね!」

「じゃあ私の前でやって?」

「やりませんよ!」

「逆手持ちで歌うところ、見たいな」

「いやああああ、傷口をえぐらないでえええぇぇ!!!」


 穏やかな散歩はどこへ……。


「でも、安心して」

「先輩……」

「もう誘惑に負けて覗き見したりはしない。そんなことをする理由はなくなったもの」

「負けてたんですね……。盗撮はしてないですよね?」

「我慢した」

「ギリギリ!」

「撮りたくなったらちゃんと許可をもらいます。約束するわ。だから撮らせて」

「流れるようにスマホ構えるのやめてください!」

「今は嫌?」

「今日は自信がないです……」

「いつもと何が違うのかわからないんだけど……」


 まあいいわ、と先輩が携帯をポケットにしまう。


「2学期は文化祭があるし、その時には撮らせてもらうからね」

「わかりました。覚悟を決めておきます」

「景国くん、もしかしてカメラ苦手?」

「この顔を撮られるの、けっこう抵抗あって」

「かわいいのに」

「中学生混じってるー、とか言われるのが嫌なんです」

「……そっか」

「わっ」


 先輩が左腕をぼくの肩に回してきた。一瞬で距離がなくなって体が熱くなった。


「無神経なこと言っちゃった。ごめんなさいね」

「い、いえ……」

「無理に『自信を持って』と言うつもりはないわ。でも、貴方の顔が大好きで、愛おしく思っている人間もいることだけはわかってほしいかな」


 あっ、と先輩は慌てたように、


「もちろん、顔だけで好きになったわけじゃないのよ。私は景国くんそのものが好きなんだから」


 と続けた。目が真剣だった。


 じん、と胸が温かくなる。


「ありがとうございます、先輩……」

「励ましになったかわからないけどね」

「そんな、すごく勇気をもらえました」

「だったらよかった」


 月海先輩が腕を離してぼくの前に回り込んだ。


 顔が近づく。


 ――額に唇が触れた。


 先輩はすぐに、くるっと前を向いた。


「勇気も元気も出して、明日から頑張ろうね」


 こちらを見ないまま、月海先輩が言う。

 先輩がどんな顔をしているのかはわからなかったけれど、勇気を出してやってくれたということは確かに伝わってきた。


「はい。よろしくお願いします、月海先輩」

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