購買ルーレット

 お昼休みに入ったが、先生の話は終わらなかった。


 一分、二分……。


 ぼくの焦りは増していく。


 ――やばい、購買のパンが売り切れる!


 この四月から、母が夜勤になった。

 我が家は母子家庭、二人暮らしなので、弁当を自分で作る必要が出てきたのである。

 しかし登校時間ぎりぎりに起きるぼくには難易度の高い話だ。

 母と相談し、購買でパンを買ってお昼にする話がまとまった。


 だが、今日は厳しそうだ……。


「よし、少し長くなったがこれで終わりにする」


 世界史の先生に一礼する。

 ぼくはすぐ教室を飛び出した。一階へ駆け下りて購買へ走ったが、無意味だった。

 購買のカウンターには「完売」の立て札が立っていた。もう周辺は閑散としている。


「世界は残酷だ……」


 こうなったら仕方がない。

 距離はあるが、一番近いコンビニまで出よう。


景国かげくにくん」


 背後から声がした。

 振り返ると、今日もポニーテールの月海先輩が立っていた。


「今日は間に合わなかったのね」

「残念ながら……」

「お昼、どうするの?」

「コンビニまでひとっ走り行ってきます」

「そう」


 スッと、先輩が右手を掲げた。弁当箱が二つ。


「作りすぎちゃったんだけど、よかったら片づけるのを手伝ってもらえない?」

「えっ……?」


 それは先輩と、向かい合うとか並んで座ったりとかして一緒にランチタイムということ?

 唐突かつ最高の申し出じゃないか。

 世界は残酷じゃなく、むしろ優しかったというのか。


「いいんですか?」

「もちろん」


 月海先輩はかすかに笑った。


「じゃあ、屋上に行きましょう」


     †     †     †


 春先の屋上は、まだ少し肌寒い。

 そのせいか誰の姿もなかった。

 ぼくと月海先輩は、フェンスの前に置かれているベンチに並んで座る。


「……なんでそんなに離れるの?」

「あ、あいだに弁当箱を置いた方がいいかと思いまして」

「膝の上に乗せればいいじゃない」

「…………」


 早くも反論に困った。

 月海先輩の隣にピタッと並ぶなんて、さすがにちょっと恥ずかしい。……とは言いづらい。

 小学生の頃ならともかく、今こうして圧倒的美人になった先輩と、中学からの伸び率が悪すぎるぼくではやっぱり釣り合わない気がする。貴族と平民の差、みたいな。


「まあいいわ」


 先輩の方から寄ってきた。甘い香りがする……。


「あ、あのっ、近くないですか!?」

「そう? 離れすぎてる方が不自然だと思うけど」


 ぼくの膝の上に青色の弁当箱が置かれた。

 ま、まあとりあえず、今は食べることに集中して感情を落ち着けよう。

 ふたを開ける。

 ミニオムレツ、ベーコンのアスパラ巻き、春巻き、ホウレンソウのゴマ和え、きんぴらごぼう……。


「先輩……」

「なに?」

「本当に、作りすぎた……んですね?」

「そうだけど?」


 不思議そうに小首をかしげる。


 ……おかしい。違和感しかないぞ。


 なぜならここに詰まっているのは、全部ぼくの好きな具材だからだ。

 それに、野菜類はともかくオムレツや春巻きを作りすぎることがありえるか?

 三年生になった先輩が、いまさら弁当の量を間違えるなんて……。


「食べないの?」

「あっ、いえ、いただきます!」


 両手を合わせてから弁当に手をつける。


 うまい……!


 春巻きからしみ出す肉の味が口の中に広がっていく。ベーコンはほどよく焦がしてあるのでカリカリ感がたまらない。


 チラッ。


 ――ん?


 チラッ。チラッ。チラッ。


 ……うっ、先輩がめちゃくちゃこっち見てる……。


 隠しているつもりらしいが、盗み見ているのはバレバレだ。

 もしかして味を気にしているのだろうか。だったら安心させてあげないと。


「先輩、どれもすごくおいしいです」


 月海先輩はピクッと反応してから目を閉じた。口元がゆるんだのを、ぼくは見逃さなかった。


「……ありがとう、景国くん」


 しみじみとしたつぶやきだった。


「……長かったわね」

「ん、なにか言いました?」

「別に言ってないけど? 鈴虫の鳴き声でも聞き間違えたんじゃないの?」

「季節はずれにも程があります! ていうかなんでキレ気味なんですか!?」

「キレてなんかいないわ。いつも通りよ」


 ふいっとそっぽを向いてしまう。

 急に気まずくなった。

 ぼくも残りを食べきってしまおう……。


 しかし、今回もまた、月海先輩の方から近づいてきてくれた。

 どういう心境の変化があったのだろう……?


     †     †     †


「ただいま」

「あ、おかえり景国」

「母さんはこれから出るところ?」

「うん。はあ、まだ寝たりないわ~」


 帰宅後。

 ぼくは玄関で母さんと遭遇した。


「そういえばあんた、月海さんの光ちゃんとは学校でも話すの?」

「まあ……たまに」


 去年はまったく近づくことができなかったし、向こうが近づいてくることもなかった。

 しかしだ。

 先週のカツアゲ未遂事件と今日のお昼。

 ぼくは短期間で二回も月海先輩と二人きりの時間を作れた。


「なんかね、最近の光ちゃんって食欲がすごいんだって」

「……はい?」

「お弁当箱一つじゃ物足りないって言って、二人前のお弁当作ってくらしいわ」

「それは、いつから?」

「春休み明けてからずっとだって」


 ……ある推測が立ち上がる。


「母さん、夜勤に変わったって月海さんちの誰かに話した?」

「うん。先月の終わりくらいかな~、光ちゃんに説明してあんたのことよろしく言っといた」


 まさか……。


 月海先輩は、ぼくがお昼を購買のパンに切り替えたことを知っていた。

 ぼくが好きな具材を並べていた。


 ここから導き出される結論は――


「月海先輩は、ぼくがパンを買い逃す日を待っていた……?」

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