月光は、ぼくにはちょっと甘すぎる。

雨地草太郎

1学期

高二の春、カツアゲに遭う

「ねえ君、俺達さあ、金なくて困ってんだよね」

「そ、そうですか……」

「だからさ、わかるっしょ?」

「いえ、まったく……」

「財布を出せってことだよ!」


 二年生になったばかりの、四月上旬。

 ぼくは四人組のチンピラに絡まれていた。


 ……失敗した。近道しようとしてこんな路地にさえ入らなければ……。


 ぼくは壁際に追い詰められていた。

 チンピラどもがぼくを取り囲んでいる。ゴツゴツしたジャケットやダメージジーンズといった格好の奴らで、やり口のうまさからしてカツアゲ慣れしているのは間違いなかった。


「あの、ぼく高校生なんですけど……」

「だったらなんだよ」

「お小遣い、あんまりもらってなくて、財布もかなりさびしいので……」

「うるせえな、まずは見せてみろや!」

「うわっ!」


 強引にブレザーを引っ張られた。内ポケットに入れていた財布を奪い取られる。抵抗しようとしたが、ぼくの細い腕ではどうにもならない。


「チッ、千五百円か……ま、今日はこれで勘弁してやる」

「待ってください、それ今月の大切な……」

「黙れや!」

「ひいっ」


 リーダーらしき男が財布の中身をあさっている。


「お、これ学生証か。なになに……戸森ともり景国かげくに? え、これ君の名前?」

「そ、そうですけど……」


 四人組が一斉に笑った。


「ウケるわー」

「景国って」

「戦国武将かよ」

「すげーなお前。その童顔で景国はやばいって」

「くっ……」


 ――人が一番気にしていることを!


 そうなのだ。

 ぼくのフルネームは戸森ともり景国かげくに

 こんな仰々しい名前なのに、高校二年生なのに、いまだ中学生と間違われることもある童顔なのだ。

 人の前でフルネームを名乗ることは極力避けてきた。

 クラスでも「童顔の戸森くん」として、ぎりぎりネタ扱いされないラインを維持している。


 なのにこいつらは人のコンプレックスを平然とえぐってきやがる!


「じゃあ景国君、この千五百円は確かにいただいたからな」

「だ、ダメですよ! 返してください!」

「うるっせえなあ」


「――そこの四人組、ちょっといい?」


 不意にアルトボイスが割り込んできた。

 四人組の背後に、ぼくと同じ高校のブレザーを着た女子生徒が立っていた。鋭い細目がきつくチンピラどもを睨みつけている。


「年下相手に四人がかりでカツアゲなんてね。恥ずかしいと思わないの?」

「はあ? なんだお前。あ、こいつの彼女?」

「違う」


 即答だった。ぼくは少しだけ傷ついた。

 なぜならそこにいるのは、憧れの先輩――月海つきがいひかりだったからだ。


「とにかく、彼から奪った物を返しなさい。カツアゲをした以上、私の攻撃はすべて正当防衛になるのよ」

「ならんわ。……んだよ、俺らとケンカするってか?」

「いいわよ。ウォーミングアップなしで充分」

「言うじゃねえか。後悔しやがれごふっ!?」


 月海先輩の先制エルボーが男の腹に入った。リーダーらしき男が崩れ落ちる間に、先輩は別のチンピラに対し仕掛けていた。ローファーで二人目のスネを打ち抜き、三人目のあごに、ねじ込むように掌底を叩きつける。

 一気に三人が戦闘不能になって、四人目の男が「えっ」と素で不思議そうな声を上げた。


「ケンカってなに?」


 不明瞭なことを口走っているが、とにかくびっくりしたらしい。倒れた奴らをむりやり立たせ、全員で逃げていってしまった。


 助かった……。

 どうやらぼくは救われたようだ。


「景国くん、大丈夫?」


 月海先輩が近づいてくる。

 この人になら、下の名前で呼ばれることもむしろ嬉しい。

 先輩はぼくの財布を拾って、散らばったカード類を入れ直してくれた。


「はい」

「あ、ありがとうございました」

「怪我は?」

「ない、です」


 どうしても、月海先輩の前では緊張してしまう。

 単純に腕っぷしが強いということもあるし、艶のある黒髪とか、知的かつ凄味のある細目とか、妙に色っぽさのある長いまつげとか、シャープな顔の輪郭とか、スラッとした体型とか、引き締まった長い足とか――ってああもうキリがねえな!


 とにかく月海先輩はあまりにも隙がない美人なのだ。学校一の美女という噂は、早くも新入生達にまで広がっていると聞く。

 ぼくのような小心者が、萎縮せずに話せる相手ではないのである。


「というか先輩、なんでここに?」

「帰り道が同じ方向だから」

「でも、いつも広い道から帰るんじゃないんですか?」

「近道したい気分だったのよ」

「そ、そうですか」

「じゃあ、帰りましょうか」

「……はい」


 思わず頷いてしまった。


     †     †


 しばらく、ぼくと月海先輩は並んで歩いた。

 夕暮れ時の長野市は、もうすぐ帰宅ラッシュに入る。今はまだ静かだ。


 ……こうして一緒に帰るなんて、小学校以来じゃないか?


 ぼくはさりげなく隣を見た。


 月海先輩はいつも、セミロングの黒髪をポニーテールにしている。今日も同じだ。ブレザーをきっちり着こなし、チェックのリボンに緩みもない。お堅そうに見えるが、スカート丈は大多数の女子と同じく短い方だ。結果として美脚が強調される。素晴ら……いやなんでもない。


 ぼくらの通う浅川高校は、ブレザー、ズボン、スカート、すべて黒で統一されている。そして月海先輩は黒が圧倒的に似合う。……うん、やっぱり正直になるよ。素晴らしい。


「景国くん」

「あ、はい?」

「あいつら、別の場所に移るかわからないから今後も注意しなさいね」

「……そうします」


 素直に返事をした。


 月海先輩は基本的にクールで、男子を振った回数も数え切れないくらいで、高嶺の花と言われることも多い。

 中学生だった頃のぼくはダメ元で告白しようとしたが、勇気が出せないうちに先輩が卒業してしまった。その後悔が残ったままだったから、先輩を追いかけて浅川高校に入った。


 けれど去年は近づくことすらできなかった。避けられている気配すらあった。


 なのになぜ、今日は……?


「景国くん、夕飯はどうするの?」

「母さんが作り置きしてくれてるので大丈夫です。あっためるだけですから」

「なら、火事を起こさないように気をつけてね。寝る前にガスの元栓はちゃんと閉めること」

「しっかり確認します」

「よろしい」


 月海先輩は軽く手を振ると、家に入っていった。

 立派な塀に囲われたお屋敷。

 門の右側には、〈月心館げっしんかん道場〉と書かれた板が打ちつけられている。

 月海先輩のお父さんは家で武術を教えている。もちろん、先輩も習っている。だから強い。


 そしてぼくは……

「ただいま」

 ――その隣に住んでいる。


 ぼくらは同じ高校の先輩後輩であり、幼なじみなのだ。

 親同士の交流はあるが、ぼくと先輩は、小学校高学年以来ほぼ話した記憶がない。そのくらい接点がなかった。


 だからこそ、余計に今日の先輩の行動が不可解なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る