第196話 琵琶湖の水は命をつなぐ

 当然のことだけど、水入りを要求したのは、水を飲みたかったからじゃない。間を取りたかったのだ。野球ならタイムを取った格好だ。


 三連敗か。


 俺は空を仰いで「はぁあああ」という声をついた。単なる吐息ではなく、水で潤ったのどを震わせて声に出した。体の中に沈殿している悪い流れを吐き出したいという無意識の想いがあったのかもしれない。


 南北に走る湖底の道、その両脇は水の壁。天から降り注ぐ日差しの明るさだけで湖底は照らされている。空に走る雲の白さが妙によそよそしい。これも異世界だからだろうか。


 落ち着け。いや、なんというか、戦闘モードのアドレナリンが引っ込んだらダメなんだけど、気持ちの落ち着きは必要だ。でないと、今後も心理戦で手玉に取られてしまう。


 次からは立ち合いの変化も警戒しなければならない。いや、本来ならば最初から変化の可能性も考慮しておくべきだったのだ。だけど、それを今、反省してもしょうがない。問題は今までがダメだった理由を断罪することではなく、次からどう対策するか、だ。


 だけど、変化を警戒しつつも、当たりが弱くなったら本末転倒だ。まあ、テレビで見ていた大相撲だって、変化への警戒と立ち合いの当たりの強さとの葛藤はどの力士にもあったことだけどな。対戦相手によって対応を考えていただろう。横綱相手だと、変化を警戒する必要は無いだろう。だけど、舞の海のような技を中心にする小兵力士は変化があること自体が売りだった。


 今回のケース。卑弥呼には変化があることが分かった。じゃあやっぱり警戒は必要だ。そのために立ち合いの強さが何割か減じたとしても仕方ないだろう。立ち合いの強さでけではない方法で勝つことを模索しなくては。


 それはそうとして。


 作戦タイムは別として、やはり身体にも疲れが無いではない。水を摂取して癒したい。


 既に一口飲んだ水は、ある程度冷たく感じた。どちらかというと、自分が相撲を取って体が火照っているからだろうか。冷蔵庫で冷やしたようなキンキンの冷水ではなく、気温同等の自然の水としての冷たさだ。最低限、変な味はしなかった。


 改めて、掌に残る水を見る。無色透明、無臭。目を凝らして見てみたが、変な虫が入っているとか、そういうのも無い。


 呼吸も落ち着いてきた。


 おっかなびっくり、口をつける。もう既に一口飲んでしまっているのに、今更生水にビビったってしょうがない。覚悟を決めてごっくんと飲み込む。


 今度はある程度味わって飲む。仕事帰りに立ち寄った居酒屋で冷えたビールを飲む時のあの旨さ。のどごし。それを思い出す。今呑んだ水はそこまで冷たくはないが、冷たすぎないことで喉に不要な刺激を与えず、優しかった。


「旨い」


 俺は再度水の壁に手を突っ込み、水を引きだして飲む。掌の水が無くなると、また次。


 息をするのも忘れて呑んでいたので、胃の腑に水が溜まるのを自覚したところで大きく息をついて一旦落ち着いた。火照っていた体も少し冷えて、備蓄していた疲労が岩に染み入る蝉の声のようにすうぅっと少なくなっていった。サンキュー琵琶湖。幸いなことに腹が痛くなるような兆候は無い。


 そういえば以前インターネットのニュースで見たけど、近年は環境問題がうるさく取りざたされている影響で、琵琶湖や瀬戸内海といった閉鎖水域の水質改善が著しいらしい。へえ、やればできるんじゃん。交通事故の減少もそうだけど、自然環境の保全も、人間一人一人の努力が積み重ねれば大きな成果になるのだ。


 ところが今度は水が逆にきれいになり過ぎて、富栄養化の逆の現象が起きてしまっているらしい。貧栄養化により、適度な量のプランクトンが育ちにくくなって生態系に影響が出始めているんだとか。


 なんでも、過ぎたるはなお及ばざるがごとしと言うか、やり過ぎはかえってアカンのよな。


 今の状況を考えれば、目の前の卑弥呼と相撲で勝負しているのは、単に俺と卑弥呼の個人の問題だ。だけど、ここで勝つか負けるかで、こちらの異世界日本における魔族からの人間の本土奪還作戦の正否がかかっていると言ってもいい。多少大げさに誇張している部分が無いとは言えないが、交通事故も環境保全問題も、一人一人が当事者として問題意識を持つことから始めなくては成果も出なかったはず。


 だから負けるわけには行かない。


 でも、焦れば焦るほど、奴の術中にハマって相手の技を決められる。


 一つ。一つでいいのだ。一回勝てば、この連敗の悪い流れを断ち切って良い方向に転換することができる。


 でもその一つが、いつ勝てるのか。


 いや、待てよ。俺はもしかして若干考え違いをしていたかもしれない。


 8勝すれば勝ち越しで、この勝負の勝者となる。ということは、見方を変えれば、7回までなら負けることができるということでもある。俺はここまで何回負けたか。3回だ。まだ3敗だけしかしていないんだ。あと4回までなら負けも許容される。


 だったら、一回くらい勝負を捨てる覚悟の賭に出た技を繰り出してみる価値もあるんじゃないかな。


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ウインターアゲイン旭川 ~異世界魔法学園の女子相撲部監督に就任しました~ kanegon @1234aiueo

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