第28話 とある貴族と白塗りお化け
エドゥ・ワ-カン子爵はガー皇国のごく一般的な貴族だ。つまり、帝都内にある程度の邸宅を持ち、自らの所領にはさらに大きな邸があって、三十人程度の使用人を雇いながら、そこそこの領主経営を行っている。家族構成は母、妻、子ども三人、出戻りの姉一人と独立した弟二人。時々ハメを外して高級娼婦などを買ってみるが、妻の存在に気が咎めて、のめり込むまでは至らない。ひどく良心的ではないが、悪人とまで言えないと自分で思っているし、実際に周囲の評価ともさして隔たりはなかった。世の中の痛ましい事故や事件に対して「気の毒だなあ」と思うぐらいには普通だ。ただ一点を除いては。
その日、子爵は朝食の席についた妻が見慣れぬ装飾品をつけていたのに気が付いた。
「また新しい指輪を買ったのか。無駄遣いはよしなさい」
「いいじゃないの。帝都の流行に乗り遅れたら恥だわ。あなた、妻が笑われても構わないと?」
夫人はつんと顎を上げて不快感をあらわにする。彼女は皇宮にも出入りしており、皇后陛下に近づこうと奮闘している毎日だ。夫のためだと彼女自身は主張するが、実際のところは女としての虚栄心が働いているのだろうと思っている。
「多少ならいいが、最近は特にひどいだろう? 支払いの催促があまりに頻繁だし、新しいものを買ってもすぐに使わなくなって、使用人に与えているじゃないか」
「おかげで下の者から慕われていますよ」
「良い金づるだと思われているんだよ。そのうち、何も言わなくても君の宝石箱から何かが消えているだろうね」
「わたくしの侍女たちは優秀だからそんなことしません。ねえ?」
奥方は侍女たちに微笑みかけると、何人かが気まずそうに視線を逸らしている。エドゥは「それみたことか」と鼻で笑った。
「はじめは優秀だったとしても、ずっと優秀なままかは君の裁量次第だ」
彼女はむっとしたようだが、「あらそう」と短く返事を述べるのみで済ませた。夫と言い争うのは得策ではないし、奥方自身も伴侶の言わんとすることをまるっきり理解できないわけではない。それなりの年数を過ごしてきた夫婦だからこそ互いの取り扱いも十分に心得ていた。
「でもね、あなた。わたくし、この指輪は大事にしようと思います。見て、この美しい琥珀。中には気が遠くなるほど昔に生きていた虫が入っているの。エキゾチックな出来栄えだわ」
へえ、と話半分に聞き流したエドゥは朝食のソーセージを切り刻みながら、
「今日は一緒に皇宮へ行く日だったな」
「そうでしたか?」
「前から言ってあったではないか。今日は第二皇女カミラ様の婚約式がある関係から立て続けで行事がある」
「ああ、カミラ様の……。めでたいことですね。わたくしはあなたについていけばよろしいの?」
「その方がありがたい」
「時々は離れてもよろしいのでしょう? 今日もお約束がありますから」
「皇后陛下のサロンの方々か」
「もちろん。すでにしたお約束を破るのはよくないでしょう?」
妻は自分が正論であるかのように言うが、自分の意見を通したいなら前もって言っておくべきだろう。約束の話は初耳だ。
やっぱり自分は不幸の星の元に生まれている。妻は自分を見下しているのだ。
「……勝手にしろ」
「ええ。勝手にさせていただきます」
澄ました顔の妻は、朝食を終えると支度があるからと自室に引き上げる。エドゥは妻からようやく解放されてほっと息をついた。
妻は皇后陛下に心酔している。しすぎるぐらいだ。エドゥは、それが危うく感じていた。ただの勘であるけれど。
エドゥは自分の身の上が、ガー皇国の貴族社会で吹けば飛ぶほど軽いものだとわかっている。妻は地位の上昇を目論んでいるが、皇后陛下の側近たちの結束は強く、妻が付け入る隙はない。
そもそも妻は自分と結婚したことをこころよく思っていなかった。白馬の王子様の求婚を夢に見ていたら、年下の青瓢箪(あおびょうたん)との縁談を強制させられたのだから。しかし、それを何年も引きずられても困る。子どもまで産んでおいて。
エドゥの面目が潰れない程度に痛い目を見ればいい。そこまで思いかけては、忘れかけていた理性が蘇り、気持ちを押し込めるようにため息。これがいつもの日常だった。
件のワ-カン子爵夫妻は揃って皇宮に赴いた。妻はさっそく約束があるからと皇宮内のサロンへ行ってしまう。昼過ぎの皇女の婚約式までに戻ってこいと言っておいたのだが、耳に入っていただろうか。
エドゥは独り寂しく皇女の婚約者に挨拶に向かい、無事に終えた。そのまま先方の国からやってきた使者と意見交換を行う。
「こちらの国には皇女がお三方いらっしゃるとか。並べられたらさぞや壮観な光景でありましょう」
「いえ。出席されるのはお二方のみですよ。第三皇女殿下はあいにくお加減が優れないので」
エドゥは淀みなく答えてみせるが、内心はひやひやしていた。第三皇女殿下は「東塔の化け物姫」だからそうそう外には出られない。それどころか、今は侍女殺しとして幽閉中の身だ。慶事に出てくるのはあり得ない。
「ほう。それは残念ですね」
「代わりに、我が国の武芸大会をお楽しみください。帝国自慢の猛者たちが勢ぞろいしております」
「ふむ。楽しみですね」
使者との面談を終えると、エドゥは妻との待ち合わせ場所に行ったが、案の定いない。エドゥは皇后のサロンに自由に出入りすることを許されていないので、式典での妻の同席を諦めた。
そこへ自分と似たような貴族たちと出くわした。彼らは武芸大会で誰が優勝するかで賭け事をしていた。お前もやってみないかと言われたので一口買っておいた。
「やっぱり優勝候補は第一皇女の宝玉騎士かな」
「いや、ビルレット卿はすでに大会の殿堂入りだから出ていない。第二皇女の騎士は顔だけだし、順当にいけば、近衛隊か警備隊の誰かだろう」
するとある者が声を潜めて、こんなことを言った。
「……第三皇女の宝玉騎士が出場するらしいぞ」
「まさか。今、表には出てこられないのではないか」
「上の方が止めなかったようだ。我々には上層部の考えなどまるで読めない」
「どんな男なのだろう? たしか、小国の出身だった気もするが。 なんという名前だったか……」
エドゥが口を挟んだ。
「ハッセル王国だ。遠方ゆえに滅多にガー皇国まで来ない。あそこの王家の庶子だと聞く」
「さすがワ-カン子爵、お詳しい」
「だが、私も姿までは見たことがない」
「ならば行って、どんな男か見極めようではありませんか」
それはいい、と男たちは口々に言いただした。エドゥもそれに乗っかることにした。
第二皇女カミラの婚約式は取り立てて何もいうことなく終わった。エドゥは皇宮の大広間の最後列に立っていたので、第二皇女や未来の花婿の顔もよく見えなかったが。
次に行われるのが武芸大会だ。式典中にも行われていた予選で勝ち抜いてきた猛者たちが、皇室の面々の前で天覧試合を行う。一同は闘技場へ移動した。
参加者たちはいずれも軍で名を馳せる勇猛な武人ばかりである。軍人でないエドゥも一度ならず名前は聞いたことがあった。
しかし、その中で「第三皇女、宝玉騎士、クローヴィス・ラトキン!」と耳慣れない名があった。そして前に進み出た男をオペラグラスで覗き込む。
なんだあれは。
エドゥはぎょっとした。
そこにいたモノ。
顔を真っ白に塗りたくった白塗りお化けだ。目元は真っ黒に塗っていて、口元も真っ赤になっている。
そして不釣り合いなのは、武器だ。いかにも重そうな斧を肩に担いでいる。騎士なのに。
闘技場の客席は騒然としている。当然だろう。こんな仮装をして出てくる出場者がいるとは思わない。
「一体、どういうつもりなんだ……?」
「ありえない。天覧試合にケチをつけようという気か。属国の分際で」
「第三皇女がおかしいのだ。あんな変な男を選ぶから」
闘技場の端から近衛隊の男たちが出てきて、お化け男を引きずり出そうとした。が。明らかに力が足りていない。
男は実に軽々と、斧を振り回した。その軽やかで鋭い軌跡は、素人目にも美しく見える。風圧だけで男たちがばたばたと倒れた。
斧の柄がドンッ、と地面に叩きつけられた。エドゥの足元まで揺れたほどの振動。
「上辺に騙されるな! 俺は、この場にいる誰よりも強い! 今からそれを証明してみせよう!」
男は闘技場中に響き渡る声で叫ぶ。ざっと肌に鳥肌が立つ。なんと清々しく、堂々とした声だろう。
それはエドゥにとって久方ぶりの新鮮な驚きだった。
へんてこな騎士。騎士というにはあまりにも不釣り合いなほどに荒っぽい。
だがしかし。
彼は何かしらやってくれる。そんな期待をしてしまった。それはあまりに不可解な感情で、本人にももてあまし気味だったけれど。
エドゥは席から乗り出した。
いつまで経っても来ない妻など、欠片ほども覚えていなかった。
クローヴィス・ラトキンは皇女殿下のイヌ 川上桃園 @Issiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。クローヴィス・ラトキンは皇女殿下のイヌの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます