エピローグ 日曜A

 音村さんが無事にA世界に戻ってきてから四日経った日曜。

 お馴染みになったファミレスの駐輪場で、俺は音村さん達を待っていた。


 あれから、拍子抜けするほど平凡な日常を過ごしている。

 あのドタバタな一週間はもしかして夢だったんじゃないかと錯覚するほど、騒動前と変わらない毎日が戻ってきた。


「ごめん! お待たせ」


 五分ほど待つと、自転車に乗った飯倉君が現れた。


「俺も今来たとこ。まだ約束の十分前だし」


 音村さんと神田さんの姿はまだない。店の外で雑談しながら待っていたら、飯倉君がふと何か思い出して、財布から小さな紙を取り出した。


「雨野君、ボウリングって行く? 気づいたら財布に割引券が入ってたんだけど、よかったらあげる」


 思わず息をのんだ。

 それはきっと、B倉君がボウリング場で貰ったものだ。


「……ありがとう。貰っておく」


 飯倉君はそれ以上何も言わなかったが、恐らくB倉君の仕業だとわかっているのだろう。俺が素直に受け取ると「それがいいよ」と微笑んだ。


 これは、確かにB倉君がここに居たという証だ。


 貰った割引券をなくさないように財布に仕舞ったら「いやいや、大事に取っとかないで、遊びに行けよ!」とB倉君に笑われた気がした。


「あ、来た来た。あれ、そうだよね」


 飯倉君の声に顔を上げると、ファミレス前の交差点で信号待ちしている音村さんらしき人が、大きく手を振ってきた。その横に神田さんもいる。

 信号が青に変わって、音村さんと神田さんは仲良く並んで駐輪場へ自転車をとめた。


「ごめーん、私が呼びだしたのに」

「まだ十一時前だから遅れてないよ。二人、一緒に来たの?」

「あ、すぐそこで会ったから」


 雑談もそこそこにファミレスに入る。

 日曜だというのにそれほど混んでいない店内で、案内されてすぐ簡単に注文を済ませると、音村さんは開口一番に神田さんに謝った。


「ごめんなさい、あの不思議な現象は全部私のせいなんです。迷惑かけて、怖い思いさせて本当にごめんなさい」

「え、あ、えっと」


 テーブルに手をついて深々と頭を下げる音村さんに、神田さんは「だ、大丈夫だよ」と優しい声で言った。

 こちらの世界の神田さんに会うのは初めてだったが、見た目の通り謙虚で静かなお嬢さん、といった佇まいだ。


「正直、何が起きたのかは今でもさっぱりわからないんだけど、でも、この通り元に戻ってこれたし。それに」

 ちらりと俺の横に座る飯倉君に目をやる。


「同じ境遇の人がすぐ近くに居たから、そこまで怖くなかったというか、ね」

 控えめに同意を求められて、飯倉君は「あ、うん」と大きく頷いた。


「向こうの世界に居る間、よく二人で話してたんだ。何が起きてるんだろうねって」

「そうそう、実際の生活と違う点をあげたりして。高校が違うとか、髪型が違うとか、家庭環境が違う、とか」

「向こうの俺達はカップルだったから、二人きりで話してても不審に思われなかったし」


 俺が思っていたより、飯倉君はB世界で神田さんと仲良く過ごしていたらしい。まぁ、気持ちはわかる。

 俺がB世界に飛んだ時、真っ先に向こうの神田さんとB倉君に会いに行ったのは、安心したかったからだ。同じ経験をした事がある人間が近くに居るのは心強い。


「二人ともいい人すぎるよー……もっと罵ってくれていいんだよ!?」

「いやー、でも無事戻ってこられたし、ねぇ」

「まぁ、しいて困った事を上げるなら、入れ替わってた金曜と月曜の小テストが絶望的だった事くらいかなぁ」


 それはB倉君が悪いな。


 にこにこと優しくなだめる二人に、音村さんは「ごめんねぇ」と瞳をウルウルさせながら頭を下げた。


「今日は私のおごりだから! せめて好きなだけ食べて!」

「じゃあ遠慮なく。追加でポテトフライ大盛とー……飯倉君はどれ頼む? 神田さんも」


 俺は率先してメニューを開き、飯倉君と神田さんも頼むよう促す。


「あ、じゃあピザ食べたい」

「え、悪いよー。お金出すよ」

「いいの、美由ちゃん! 今日は私に出させて!」

「えー、じゃあそうだな、食後にアイス食べたいかな」

「すいませーん! 注文お願いしまーす」


 神田さんが一番安いデザートを指差したところで、近くに居た店員に声をかける。



 不思議な縁で繋がった俺達は、そこから三時間くらいどうでもいい話をして仲良くなった。

 神田さんと飯倉君、AとBで違いすぎ! とか、逆に俺はどっちも変わらなすぎ! とか。この騒動がなければ絶対に話す機会なんてなかっただろう四人組が、ファミレスで駄弁っている不思議。


 こんな日常も悪くない。けど。


「あずさちゃん、よかったら連絡先教えて」

「あれ、交換してなかったっけ? もちろん!」

「音村さん、ドリンクバー行ってくるけど何か飲む? コップ空っぽだよね」

「あ、ありがとう、飯倉君! じゃあオレンジジュース」

「音村さん、追加でから揚げ頼んでいい?」

「いいよもう、何でも頼みなよ!」


 終始、頭が低い音村さんを軽くいじりつつ楽しい会話が続く中で、ふと、ここにはいないもう一人の友人の事を思わずにはいられなかった。





 ファミレスで解散後、俺は音村さんに引き留められた。


「ちょっと話したいんだけど、いいかな」


 他の用事もなかったので「いいよ」と頷いて場所を変える。

 もはや定番となった丘の上の公園まで自転車を走らせると、湿気た空気が頬を撫でた。もうすぐ梅雨に入る。一年間で最も憂鬱なひと月が始まるのだ。


 自転車をとめて広場に出る。日曜なだけあって、小さな子供を連れた母親が数組、遊具で子供を遊ばせていた。

 邪魔にならないよう誰も使っていないベンチへ向かうと、たどり着く前から音村さんは話し始めた。


「雨野君には、個別でお礼が言いたかったから」

「お礼?」

「うん。B倉君と神田さんに、私の気持ち、黙っててくれてありがとう」


 青い空に大きな雲がゆっくりと流れている。ベンチに座ると、音村さんも隣に座った。


「あと、さりげなくいつもフォローしてくれてありがとう」

「フォローしたっけ?」

「したよ。B倉君にパラレルの説明した時も、さっきも、二人が奢ってもらいやすいように誘導してくれたじゃん」

「そんなに考えてないよ。ただポテトが食べたかっただけ」


「それでも、助かったから」と音村さんは自嘲気味に笑った。なんとなく吹っ切れたような音村さんを横目に話題を探す。


「……B倉君ほどじゃないけど、B村さんも音村さんとだいぶ性格違ったよ」

「ほんと? あーでも、そう言われてみれば一緒に居る友達違ったね」


 ほらな、B村さん。やっぱり音村さんは、その辺あんまり気にしないで臨機応変にこなすタイプだったよ。と心の中でB村さんに報告する。


 ベンチを支える木は、腐りかけているのか少し動くだけでギシッときしむ音がした。


「B村さんは、なんていうか、もっと大人しかったよ」

「ん? 私が騒がしいって事?」

「騒がしいっていうか……突然のA世界で混乱してるのもあったと思うけど、それを差し引いてもB村さんは控えめだった。俺がB世界に行った時、入れ替わる前のB村さんを見たけど、教室の隅で静かに過ごしてたよ」


「そうなんだ」とやや驚いた音村さんは、少し考えてすぐに「ああ、そっか」と憂えた表情になった。


「あっちの私は、小六の時にB倉君に会えなかったからかな。私と入れ替わってたから」


 転校したばかりで自信がない小六の音村さんは、B倉君に勇気づけてもらってクラスでの居場所を確立した。B倉君に出会えなかったB村さんは控えめな思考のまま成長し、今現在も大人しい性格のままという事か。


「そっかー。あっちの私はB倉君の存在すら知らないんだね。せっかく、同じ世界に居るのに」


 音村さんの髪が風にさらさらと揺れた。


「……まだやっぱり、B倉君の事が好きなんだね」

「……まぁね。でも、諦めるよ。神田さん、いい子だったし。付け入る隙もないくらいラブラブだったし」


 あはは、と投げやりに笑う。確かに、引くほどラブラブではあった。


「もしかして、戻りたくなかった?」

「ばか。感謝してるよ」


 冗談で言ったら怒られた。


「っていうか、最後に戻る直前、B倉君から唐突に「色々あったけど楽しかったよ、ありがとう」みたいな話されたんだけど、あれ、雨野君の仕業でしょ」

「なんの事だか」

「とぼけちゃってさ。でも、ありがと。ちゃんと別れの挨拶が出来たよ」


 よかった。俺のお節介も無駄ではなかったらしい。


「でも、昨日の生B倉君はやばかった……また好きになるところだった……! だって、優しいんだもん、B倉君……!」


 顔を覆って大げさに悶える音村さんを見ていたら、可笑しくて笑ってしまった。生B倉君って。


「……なによぅ」

「なんか、音村さんが戻ってきたんだなーって実感して」

「騒がしくて悪かったですね」


 わかりやすく不貞腐れる。

 そうそう、やっぱり音村さんはこうでなくちゃ。


「ボウリングの日、来たらよかったのに」

「行ける訳ないよ。土曜に神田さんまでこっちに来てるの知って、物凄い焦ったんだから……でも、そうだね。行けたらよかったな」


 うん。きっと楽しかったよ。

 今ならわかる、音村さんがB倉君を呼んだ理由。


「……飯倉君もB倉君も、どっちも同じ両親から産まれた十六歳の「飯倉裕也君」なのに、全く違って不思議だよねぇ。自分でもよくわかんない」

「うん。俺だって、飯倉君は大事な友達だけど、B倉君ともまた逢えたらいいなって思う」


 雲が静かに流れている。きゃいきゃいと、子供の遊ぶ声が後ろで聞こえた。


「飯倉君とはキャラが違いすぎて、新しい友達が出来た感覚だった。あいつ、ぶっ飛んでて面白かったし」

「確かに」


 音村さんが笑う。


「でも、何となくまた逢える気がするんだよ。B倉君とも、神田さんとも、B村さんとも」


 何の根拠もないけど。でも、違う世界線だろうが、生きてさえいるなら。


「……うん」

「それで、こっちの飯倉君とB倉君と三人で話したりしたい」

「カオスだね」


 音村さんが笑ったので、想像したら確かに変だった。話がかみ合わないながらも場を盛り上げるB倉君の様子が容易に想像できる。


「雨野君は向こうもこっちも全く一緒だったけどねー」

「そうなんだ」


 ケラケラと音村さんが笑い飛ばす。

 確かに、鏡で見た感じは今の俺と違いが見当たらなかった。


「うん。飯倉君の事知らない以外は全くそのまま雨野君だったよ。その飯倉君とも一日一緒に居たら仲良くなってたし」

「そうか」


 じゃあ、今頃Bの俺も、こっちの飯倉君にまた会いたいとか考えてるんだろうか。考えてるんだろうな、だってきっと俺と思考回路同じだし。


「……向こうの事件、無事に解決したかなぁ」


 音村さんが心配そうなトーンで呟いた。

 田辺Bさん訪問事件の情報は、B世界から音村さんが帰ってきたところまでしかわからない。


「結局、事故にあった人が田辺さんだったのかな?」

「どうだろう。それなら、もうすでに警察が身柄を確保してるだろうし、逆に安心なんだけどね」


 もう俺達にB世界の状況を知るすべはない。


 音村さんが戻ってきてすぐ、B倉君とB村さんに宣言したとおり、片割れの破壊を飯倉君と音村さんにも提案した。二人共、何か思うところはありそうだったが「そうだね」と納得してくれた。


 さて、どうやって壊そうかと考えようと音村さんの手に乗った片割れを覗き込むと、パラレルの時と同じく弱弱しい光で点滅し、やがて動かなくなった。


 音村さんと飯倉君を短時間で移動させた力の反動なのか、もともと壊れかけていたのか、その真相は誰にもわからなかったが、その後、誰が触っても入れ替わりは起きなかった。


「生き物かもしれないから土に葬ってあげたい」と言ったのは音村さんだった。


 翌日の放課後、お馴染みの公園にスコップを持参して三人で集まり、草むらの隅に故パラレルを葬った。

 もしかしたら万が一にも土の中で合体して復活する、なんて事があるかもしれないので、片割れは土に埋めず、近くの川に流した。今頃どの辺りを流れているんだろう。


「結局パラレルって何だったんだろうね。生き物? 宇宙人?」

「さぁねぇ。やっぱりロボだったんじゃないか? 近未来ロボット」


 今思えば、壊れる前に偉い学者の元にでも持って行くべきだったのかもしれない。冷静に考えれば、俺達の独断でどうこうしていい問題の話ではなかった。


 だがパラレルはもう動かない。入れ替わりは起きない。終わった事は仕方ない。

そんな事をぼんやりと考えていたら、会話が途切れた。

 遊具の方から、子供が「まだ帰りたくない!」と駄々をこねている声が聞こえる。


「音村さん、もう髪型はいじらないの?」

「え?」


 ふと思って聞くと、音村さんは驚いたように自分の髪を触った。

 B倉君が入れ替わった先週は毎日のように違う髪型で登校していた音村さんだったが、最近は体育の時間に縛る程度でずっとおろしっぱなしだ。


「気がついてたんだ! 毎回変えてたの」

「気づくよ。最近縛らないなーって思ってた」

「まぁ、楽だし。あの時は、その、B倉君に少しでも可愛く思われたくて……」


 ああ、そういう事だったのか。納得。


「……音村さんって、恋するとすごいアグレッシブになるんだね」

「そ、そんな事ないし!」


 恥ずかしがりながら音村さんは消極的に否定した。


「あれ、似合ってたから、いつもやったらいいのに。あの、後ろで少しだけ結ぶやつ」

「ん? なんだろ、ハーフアップかな?」

「髪型の名前はわかんないけど」


 音村さんが後ろ髪の上の方を手で束ねて「これ?」と聞いた。


「そう、それ。それが一番似合ってる」


 正直に褒めたら、音村さんは素直に喜んだ。


「ありがと。じゃあ、次に好きな人が出来たらこの髪形で攻めてみる」

「それがいいよ」


 指で髪をといて笑う。


「でも意外っ! 雨野君って結構そういう細かい事気づく人なんだね」

「そうかな? みんな気がつくんじゃない?」

「いやいや、なかなか男子は女子の髪形とか些細な変化に疎いものだよ。その感性、超大事。その心を忘れずに、将来彼女が出来たら積極的にほめてあげて」

「はぁ、わかった」


 と言っても、現時点で俺の彼女になってくれそうな人なんて、近くに誰もいないんだけど。


「てかさ、話変わるけど、こっちの飯倉君と美由ちゃんもそのうち付き合いそうじゃない?」

「あ、それ、俺も思った。さっきも二人で話弾んでたし」


 俺が頷くと、音村さんは「だよね!」と勢いよく同意した。結局、歩む人生が違っても、運命の人は同じだったりするって事なんだろうか。


 音村さんはベンチから立ち上がると、空に向かって「ああー!」と叫んだ。


「いいもん、私だってかっこいい彼氏見つけるんだからー!」

「うん、見つかるといーね」


 夏みたいに青い空。B世界にも今、同じように晴れた空が広がっている事だろう。


 いつかまた会える。だって一度会えたんだから。


 よく晴れた空に心の中で再会を誓って、俺は勢いよく伸びをした。

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雨音パラレル 東村かんな @kanna

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