第17話 未来③

 丸一日経って、私は本線に強制送還された。


 旅行者は、出発の際に説明を受けながら会場で飲まされたPPSカプセルという超小型機械によって時間旅行社に管理されている。


 私のようにパラレルをなくした者をはじめ、旅行先でパラレル又はタイムマシンが壊れてしまった者、分岐先から戻りたくなくなってしまった者、事故等でパラレルの操作が出来なくなってしまった者、そして死亡してしまった者。

 PPSカプセルによる強制送還は、あらゆる理由で旅行最終日にちゃんと本線に戻ってこれなかった旅行者を本線に戻す最終手段だ。


 なぜ、このように強制送還できるカプセルを飲ませるのに、パラレルとマシンを使って自力で帰路に着かせるかというと、それはカプセルの副作用にある。


 飲まされたPPSは体内に付着し、旅行終了後に配布されるはがし液を飲むまで取ることは出来ない。

 旅行社がそれぞれのPPSに送還命令を送ると、付着した内臓に負荷がかかる。基本的に胃に付着する人が多く、その副作用というのは簡単に言えば嘔吐、下痢である。例にもれず私もトイレにこもる羽目になった。


 因みに、旅行先でタイムマシンを腕から放した場合もこの方法で戻される。


 下痢に悩まされる中、両親には七十五年前に旅行していたことがバレて怒られた。

 心配をかけてしまった事を反省したかったが、腹痛には耐えられず、何も話せないままトイレに駆け込む日が三日続いた。


 本来なら旅行会社にキットを返す際、パラレルも一緒に返還する。


 世界を分岐させてしまった時点でパラレルには分岐世界のログが残る。一つのパラレルが覚えられる分岐は一つだけ。私のパラレルには、私が分岐させた「男が私に出会って勉強を教わった世界」が記録されていたはずだ。


 旅行会社に返還されたパラレルは保管され、旅行者が無限に生み出し続ける分岐ルートはそこで管理される。その、それぞれのパラレルを使えば、記録されている分岐ルートへ行く事が可能らしい。逆に言えば、そのパラレルがなければ、作られた分岐ルートには二度と行けないという事だ。


 分岐先でパラレルをなくしてしまった私の場合、そこに行くすべがなくなってしまった為、旅行会社もパラレルを回収できなくなってしまった。

 私の作った「男が私に勉強を教わって合格し、事故を起こさず祖父が生き延びた世界」は、誰も行く事が出来ない、管理が出来ない世界になってしまったのだ。


 旅行会社にそれを聞いて、私は申し訳なさと寂しさでいっぱいになった。

 生きながらえた現在の祖父は私の記憶にしか残らない存在になってしまったんだ。と悲しくなった。




 強制送還から四日後の九月三日。

 ようやく下痢も治まり、みんなより三日遅れで私の二学期が始まった。


 久しぶりの教室で「旅行先でパラレルなくしたってホント?!」と友達たちが興味津々に聞いてきたので、その度に私は、異世界に取り残された恐怖感と長引く下痢の辛さを語った。


 その放課後、父に付き添ってもらって最寄りの支店に行きパラレルの賠償金を支払った。


「あの、もし、九三年の人がパラレルを拾って起動してしまった場合、本線や分岐世界に影響が出たり、するんでしょうか……?」


 カウンターでお金を支払いながら、社員の人に一番不安な点を恐る恐る聞いた。


「それは心配ないでしょう。外でパラレルを起動することが出来るのは契約者であるあなたのみなので、誰かに拾われたところでその人が本線に移動する事は出来ません。それに、パラレルには人感センサーが付いており、弊社の人間か契約者以外の人間が近づいたら、自動で移動して身を隠すよう設定されています。まず人目に付くような所にはとどまらないので安心してください」


「そう、ですか」


「更に、ボディはおよそ五十年で土に還る仕様になっているので、分岐世界の九三年に紛失したのが確かであれば、七十五年経った現時点では既に消滅しています」


 淡々と社員さんが答えたので、少しだけ安心する。


 結局、やり取りに一時間ほどかかって、私と父は支店を後にした。

 夕方になっても変わらないうだるような暑さの中、日陰を探しながら父と歩く。


「七十五年前で何してきたの?」


 父に聞かれ、私は観念して話し始めた。


「どうしても、おじいちゃんが生きている世界を見てみたかったの。だから、あの人が明英学園に合格できたらどうなるんだろうって思って……」


 言葉に詰まる。

 絶対怒られる。いくら事件を起こす遥か前の中学三年生だった頃とはいえ、祖父を殺害した殺人犯に会いに行っていたなんて、真面目な父が良く思う訳がない。


 何も言わない父を恐る恐る見上げると、父は意外にもキョトンとした顔で首を傾げていた。


「どういう事?」

「えっ、だから、おじいちゃんを轢いた犯人の、高校受験を」

「おじいちゃんを轢いたって、なに?」

「え?! 十年前の事故だよ! おじいちゃん、商店街で」

「何言ってるの、和菜。おじいちゃんなら今もピンピンしてるじゃないか」


 父の言葉に私は耳を疑った。


「何言ってるの、はこっちのセリフだよ、お父さん。おじいちゃんだよ? お父さんのお父さん、十年前に」

「おじいちゃんも心配してたんだぞ。和菜がタイムトラベルから帰ってこないって聞いてからオロオロしちゃって。丁度いいから今から寄って顔見せに行くか」

「お、おじいちゃん、本当にいるの? 生きてるの?」

「当たり前だろ。どうしたんだよ、和菜」


「タイムトラベルで腹壊すだけじゃなく頭も打ったか?」と笑い飛ばす父。

 私は訳が分からないまま、父と共に祖父の家に向かった。


 父が呼び鈴を押すと「はーい」と祖母の返事があってから玄関の戸が開いた。


「あら、どうしたの。あ、ずなちゃん! 無事帰ってこられてよかったねぇ! おとーさん! ずなちゃんが来てくれたよ」


 ずなちゃん、というのは私の愛称だ。

 私の顔を見るなり、祖母は家の中に居るらしい祖父に声をかけた。


 いや、そんなはずない。だって、おじいちゃんは十年前に。


「おー、和菜。よかったよかった。大変だったなぁ」


 それは紛れもなく私の祖父だった。

 分岐した世界で話した現在の祖父。本来ならここに存在しないはずの、六十六歳の祖父。


 困惑する私をよそに、靴を脱いで玄関に上がろうとする父が「あ」と声を上げた。


「ごめん。お客さん来てる?」


 言われて見てみれば、玄関にはお客さんのものらしい男物と女物の靴がそれぞれ一足ずつ並んでいる。


「うん。おとーさんの友達。だけどいいよ、ご飯食べるとこで待ってて」

「雨野、お客さん来たなら俺達そろそろ帰ろうか?」


 祖母が言い切る前に、リビングからひょっこりと見知らぬおじさんが顔を出した。

 祖父が「いや、いいよ。和人かずとだから」と言うと、おじさんは「和人君!!」と父を見て喜んでリビングから出てきた。


「お久しぶりです」

「大きくなったなぁー! 最後に会ったの高校生の時だもんなぁ。って、もしかしてその子、和人君の子!? 孫!?」


 軽く頭を下げた父に話しかけながら、やたらとテンションの高いおじさんは、私を見て更に興奮気味に騒いだ。


「そうだよ。和人の子、和菜かずな。高校一年」


 祖父に紹介されぺこりと頭を下げると、おじさんは「まじかー!」と笑った。


「はじめまして、高校生の頃からのおじいちゃんの友達です」

「と言っても、中学も高校も大学も全部違うんだけどな」

「ってか、和菜ちゃん、高校生の頃のおばあちゃんにそっくりだな! 和人君もお母さん似だし、雨野あめのの遺伝子どこ行ったよ」

「知らないよ」

「あ、でも目元はなんとなく雨野に似てるか? 美由みゆ、美由も来いよ。雨野の孫、めっちゃ可愛いぞ」


 おじさんに呼ばれて、もう一人のお客さんらしいおば様が玄関に現れる。私と目が合うと「ホントだ、あずさちゃんにそっくり」と上品に笑った。


「はいはい、じゃあそれくらいにして中で話して」


 祖母が、まだまだ話したそうなお客さん二人と祖父をリビングへ押しやって、私と父に「騒がしくてごめんねぇ」と笑った。


 楽しげな空気で充満する祖父母の家。

 祖父の事故が、なかった事になってる……?


 もしかして、ここはまだ分岐世界? 

 強制送還されたと思っていたけど、本当はまだ本線に帰ってきていないんじゃないか。


 そうでなければ、まさか、本線が上書きされた……?


 全く訳が分からないまま、祖母に出されたお茶をすすった。隣のリビングからはおじさんと祖父の笑い声が聞こえる。


「じゃあ、田辺泰介はどうなったの……」

「タナベタイスケ?」


 無意識に呟いていたらしい。隣に座る父が首を傾げる。


「誰それ」


 祖父を殺した憎き犯人の名前を、父が忘れるなんてあり得ない。

 一体どうなってるの。やっぱりここはまだ本線じゃなくて。


「なんで、ずなちゃんがその人の事知ってるの」


 ハッとして顔を上げると、祖母が驚いた顔でこちらを見ていた。


「おばあちゃん、おばあちゃんは知ってるよね! 田辺泰介の事」

「知ってるっていうか、その人、五十年前に亡くなった人だよね」

「えっ」


 驚きのあまり、声が出なかった。


 亡くなった? 五十年前?


「そ、そんな訳ないよ。だってその人は十年前におじいちゃんを」

「田辺さん、について詳しく知りたいなら、私じゃなくて、今、リビング行って聞いた方が早いよ。間違いなく」

「田辺はおじいちゃんの知り合いだったの?!」

「さぁ、私はよく知らないけど。おじいちゃんより、どっちかって言うとお客さんの方が一番よく知ってるんじゃないかな?」

「誰だよ、その田辺さんって。タイムトラベル中にお世話になったとか?」


 的外れな事を言っている父は無視してリビングに続くドアを開ける。


「おじいちゃん! 田辺泰介って知ってる?!」


 開口一番に切り出すと、リビングに居た三人が息をのんだ。ニュース番組が流れるテレビの音量を少し下げて、祖父が驚いた顔のまま聞いた。


「和菜、なんでその人を知ってるんだ」

「また懐かしい名前が出てきたなぁ」

「いいから、五十年前に自殺したって本当? おじいちゃんの知り合いだったの?」


 けたたましく畳みかけると、おじいちゃんは「うーん」と腕を組んだ。


「詳しく話すのは難しいんだけど。知り合いと言えるほど知らないし、そうだなぁ」

「簡単に言えば、田辺さんは俺の母親が好きだったんだけど、フラれたから自殺したんだよ」


 おじさんがあっけらと言って、私は大きく驚いた。


「俺が高校生の時に田辺さんが突然家に来て、母に求婚したんだ。当然、母は断ったんだけど、そのショックで田辺さんは家を飛び出してって、少し先の歩道橋から飛び降りた」


 田辺泰介の行動は意味が分からなかったけど、それ以前に、本当に彼が自殺してこの世に居ない事の方が衝撃だった。


「まぁ、田辺さんが来る前に「やべえ奴が今日か明日に来る」って警告を受けてたから、こっちにほとんど被害はなかったんだけどね」

「ケガがなくてよかったよ、ほんと」


 祖父とおじさんは懐かしんで話し続けていたけど、ショックが大きすぎて私の耳にはそれ以上何も入ってこなかった。


 受験勉強を教えた中学三年生の田辺と、祖父を殺して連行される八十一歳の田辺が脳内でぐるぐると回る。

 何が起きてしまったんだろう。


『タイムトラベルに欠かせないお供である『パラレル』が誤作動を起こしたと、先ほど時間旅行タイムトラベル社が会見を開きました』


 思考を遮るようにテレビからそんな声が聞こえて、思わず耳を傾ける。


『時間旅行社によりますと、先月から旅行後に回収した一部のパラレルに「契約者以外が触れると自動で登録された分岐に移動してしまう」という誤作動が発生しているとの事で、現在、原因の究明を急いでいます……』


 誤作動? 一部のパラレル? 


『この誤作動による怪我人はおらず、巻き込まれた職員もすでに復帰済みだそうです。また、誤作動を起こしたパラレルは共通して「旅行契約者が雨天時にテント機能を使った」記録があるという報告もあり、これからタイムトラベルを控える旅行者トラベラーにはテントの使用を控えるよう呼び掛けているとの事です……』


 謎は深まり、結局何もわからないまま、楽しげに話す元気な祖父を見て、私は一人頭を抱えるのだった。

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