第16話 未来②

 夏休み丸々一カ月使って、産まれて間もない私が生きていた時代を見に行きたい。


 これは、父と母を納得させるためについた嘘である。


 いくら若い頃とはいえ、祖父を殺した犯人に会いに行くと言って旅行を許可してくれるような親ではない。

 何故一カ月も行く必要があるのかとか、費用はどうするのかとか、色々聞かれたが、何とか誤魔化して申請書に保護者のサインを貰う事に成功した。


 親に見せた時は「十五年前」と書いておいた書類を「七十五年前」に上手く書き替える。両親に見つからないよう、封をしてすぐに郵送した。


 八年間、全く使わなかったお年玉とお小遣いをかき集めて旅行代金を支払った。思っていたより安く済んだので、余った分は銀行で七十五年前の通貨に両替してもらった。


 旅行許可はあっさり下りた。

 両親に本当の理由を隠し続けるのは胸が痛んだが、ここまで来たらやるしかない。



 旅行当日、母に見送られ、私は会場に到着した。

 三十人ほどが集められた広い会議室の中で、十代の私はとても浮いていた。やはり、昔を懐かしんでトラベルする人が圧倒的に多い為、この日も半数以上を推定五十歳以上のおじ様おば様方が占めていたのだった。


 そこからは何も問題なく、説明を受け、マシンを装着してもらった。

 ボタンが押され、ゆがむ景色。係員の「良い旅を!」という明るい声が遠のいていく。


 そして瞬きをすると、私は一九九三年一月に降り立っていた。




 私の計画はこうだ。


 一、毎日出入りしているという図書館で中三受験生の男と知り合う。

 二、受験勉強を見てあげる。

 三、一カ月の猛勉強で二月の試験に受からせる。


 本当は一カ月と言わず一年くらい付きっきりで勉強を見たかったが仕方ない。


 タイムトラベルは肉体ごと移動する。

 つまり、タイムトラベル中の今、二〇六八年に私は存在していない。そして、過去に滞在している時間分、現実世界でも同じ時間が流れる。二〇六八年八月一日から旅行を始めた私は一九九三年の一月五日から二十八泊二十九日滞在し、最終日の二月二日に旅行から戻ると、二〇六八年は八月二十九日になっている。


 夏休みは三十一日まで。学生の私が怪しまれないで旅行できるギリギリのスケジュールだ。



 タイムトラベルは時間の移動しか行えない為、後に会場となる、一九九三年当時建っていたビルの前に私は降り立った。

 歩きたばこに驚きつつ、駅で少し買い物をしてから慣れない手つきで切符を買って電車に乗る。


 二駅ほど乗って降りると、少し歩いて、私は市立図書館へと続く丘を登った。


 大丈夫。

 一九九三年の明英の試験問題なら、ある程度暗唱できる位は解いて覚えてきた。


 自分に言い聞かせながら図書館に入り、怪しまれないように男を探す。


 中三の男はあっけないほど簡単に見つかった。

 微かな面影、学生鞄に付けられた名札、そして学ラン姿で見るからに必死な表情で問題用紙を解いている様子。何かの問題に躓いたのか、くしゃくしゃと頭を掻きむしって悩んでいる所に声をかけた。


「勉強、教えようか?」


 驚き、怪しむ受験生の横に座り、解けなかったらしい問題を覗き込むと、私は駅で買ったノートを広げてすらすらと解答した。


 そこからは打ち解けるのに時間はかからなかった。

 藁にもすがりたい思いだったんだろう。十八時からは塾へ行っているとの事だったので、私は放課後から塾までの一時間、毎日勉強を見てあげる事になった。



 あ、そうそう。

 タイムトラベル中のホテル代や飲食代はもちろん旅行代金には含まれていない。


 旅行前に事前にホテルや旅館の予約をしてもらう事は可能だが、学生の私は流石に二十八泊分のホテル代を支払えるほどの貯金を持ち合わせてはいなかった。


 私のように最低料金で旅行がしたい客は、出発時に会場で配られた小型ロボ「パラレル」を使う。


 パラレルは世界を分岐させてしまった際、そこから元のルートである本線へ戻る為に使用する機械だ。が、おまけ機能として旅行者が素泊まりするテントに変形できる作りになっている。


 機械、と一口に言ってもパラレルのボディはお餅のように伸び縮みするので、一見ロボットには見えない。

 普段は筒状のケースに収まっているが、テントとして使用する場合はケースから出して「テントを張って」と指示する。すると、パラレルの半透明なボディが最大限に伸びて、簡易テントとなるのだ。


 毎日、男に勉強を教えた後、私は図書館のすぐ裏にパラレルテントを張ってそこに寝泊まりした。

 人一人が身をかがめて何とか入る程度の広さなので、実際この機能を使う旅行者はあまりいないと聞いたが、寝るだけなら充分だったので私は重宝した。


 食事はスーパーのお惣菜や駅前のハンバーガー店で出来るだけ安く済ませた。

 まだ普及し始めたばかりで店舗は限られていたけど、ファストフード店がある時代でよかった。




 そんな感じで一カ月、私は男に勉強を教えた。学校と塾のテストや問題文を元に、躓いた公式や文法を徹底的に復習させた。


 毎日たった一時間だけだったけど、男も段々と自信をつけていったように見えた。

 誰かが少し背を押してあげれば、合格出来る力をすでに持っていたんだろう。本当に、あと一歩のところで合格を逃したんだろうな、と胸が痛んだ。





 そしてあっという間に旅行最終日の二月二日がやってきた。


 試験は明日。本当なら合格発表までここに居たかったが仕方ない。男に全力でエールを送り、最後の復習を終えた。


「あの、毎日、ありがとうございました。俺、頑張ります」


 自信に満ち溢れた表情で男に感謝されたこの時の気持ちは、一体どう表したらいいのかわからない。


「頑張って。応援してる」


 それだけ言って、私は図書館を後にした。

 丘を下り、雨降る田舎道でその時を待つ。


 ぐらっとゆがむ視界。タイムトラベルの合図。

 無事、男は明英に合格できたのか。そして、その結果、未来はどうなっただろう。




 色々な事を考えているうちに、見慣れた二〇六八年の駅前に降り立っていた。

 駅のトイレで、かつて祖父がかわいいと褒めてくれた髪型に結い直し、駆け足で祖父の家へ向かう。


 庭で本を読む老人の姿が見えた。立ち止まると、声をかけるより先に老人が私に気づいた。


「和菜?」


 久しぶりの優しい声に、思わず涙腺が緩んだ。


「おじいちゃん」


 祖父は生きていた。という事は、私が勉強を見てあげた事で、無事に男は明英学園に合格できたのだろう。


「どうした? 一人で来たのか?」

「……うん」 


 十年ぶりに話す祖父は想像していたほど老けておらず、六十八歳にしては若く見えた。私が産まれる前から愛用していたらしい黒縁メガネは未だに現役のようだ。庭のベンチから立ち上がり、私の元へ歩いてくる。


 その時、祖父の手元から何かがひらりと地面に落ちた。劣化しないように丁寧にラミネート加工までしてあるそれを拾って祖父に渡す。


「ありがとう。ありゃ、どこまで読んだかわかんなくなっちゃったな」

「割引券?」


 それはずいぶん昔に期限の切れた何かの割引券だった。祖父はしおり代わりに使っていたらしいそれを受け取ると、懐かしそうに眺めた。


「うん。大事なものなんだ」


 そして、手に持っていた本をぱらぱらとめくり「あ、この辺りだな」とさっきまで読んでいた個所にそれを挟んだ。


「……おばあちゃん、元気?」

 私が聞くと、祖父はきょとんとした顔になった。 


「え? 昨日会ったばっかりじゃないか。元気ピンピンだよ。和菜どうした? なにかあった?」


 そっか。

 この世界では祖父は死なず、祖母も元気なままで、私は今でも小学生の時のように自由にこの家に遊びに来てるのか。事故がなければこんな未来が待っていたんだ。


 なんだかスッキリして、私は踵を返した。


「あれ、和菜、上がっていかないのか?」

「うん。近くまで来ただけだから。おじいちゃんの顔見たくなっただけ」

「なんじゃそりゃ」


 ずれた眼鏡を掛け直しながら祖父が笑う。

 これ以上話していたら泣いてしまいそうだったので、私は「じゃあね」と明るく手を振って歩き出した。



 さて、男は高校に合格できて人生を変えられた。


 その結果、祖父が巻き込まれた事故は起きず、今現在も生きている未来を創ることが出来た。上出来だ。私のタイムトラベルは非常に有意義なものになった。

 大大大満足だ。



 後は、パラレルを使って本線へと戻るだけだ。


 タイムマシンは現在から過去、と縦の移動しかできない。

 分岐先で帰りのトラベルが発動すると、私が本来いた本線(男が中三の時、私と出会わず高校に合格できなかったルート)の二〇六八年には戻らず、私が変えてしまった分岐ルート(男が私に勉強を教わったルート)の二〇六八年に移動してしまう。


 最初に言った通り、タイムトラベルは肉体ごと移動する。

 その為、今現在、私が居るこの分岐ルートには、元からこの分岐ルートで生まれ育った私と、タイムトラベルしてきた私、同じ人間が二人存在している事になる。旅行は、本線に戻ったところで終了になる。


 タイムマシンが縦の移動専用機械なら、パラレルは横の移動専用の機械だ。二〇六八年の分岐ルートにいる私がパラレルを使えば、同じ時代の同じ日付、同じ時間の二〇六八年の本線に戻る事が出来る。


 パラレルを使用するにあたって注意する点は一つだけ。

 それは「必ずタイムマシンとパラレルをコードで繋いで使う」という事だ。というのも、パラレル本体だけで肉体ごと分岐を移動させるプログラムは現時点の技術ではまだ開発されていないらしい。


 コードを繋がずパラレルを起動してしまうと、魂だけが本線に戻る。

 が、タイムトラベル中の私は、何度も言っている通り肉体ごと分岐世界に来てしまっているので、魂が戻る器が本線にない。するとエラーの表示が出て移動は中止される。


 また、パラレルは旅行中、事前に登録された顔認証を基準に起動するので、私以外の人間が使用する事は出来ない。




 ひと気のない公園に入って木陰で準備に取り掛かる。

 腕に装着されているタイムマシンの左端にある小さな突起を引っ張ると、針金のように細いコードが伸びて現れた。前にテレビで、昔の掃除機のコード収納に使われていた技術を利用したとか何とか言っていた気がする。


 そのコードをパラレルに差し込んでマシンを繋ぎ、パラレルを起動して元から記録されている本線へ戻る。のだが。


「あれ、嘘、えっ?」


 ずっと腰につけていた筒状のケースの中に、パラレルはいなかった。


「うそ、どうして」


 もしかして、落とした? 

 いつ? 

 昨日の夜、テントとして使って、その後、ちゃんとケースに入れた。よね? 


 もし落としたとして、この、二〇六八年にあるなら良い。けど、もし、落としたのが一九九三年の二月二日だとしたら……


 私は相当なパニックに襲われていた。


 本線に戻れなかったら、私は一生、この分岐した世界で生きていかなければいけないんだろうか。もう一人の私が生きるこの世界に私の家はない。

 見た目は同じようだけど、やっぱり少し違う世界。強烈な不安に襲われたら、それまで意識していなかった違和感がどっと押し寄せてきて胸がざわざわした。


 とりあえず、今来た道を戻って、この世界にパラレルを落としていないか確認しよう。それならまだ取り返しがつく。


 だけど、どこを探してもパラレルは見つからなかった。

 違和感だけが大きくなる中で、私は一人知らない世界に取り残されたのだった。

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