第四章

第15話 未来①

 二〇六〇年。

 タイムマシンの開発成功から五年経って、民間人も気軽にタイムトラベルを体験できる時代になった。


 申し込み方は簡単。まずタイムトラベルサービスを提供している日本時間旅行タイムトラベル社に「誰が、何年前に、何月何日から、どこに、何日滞在するのか」を申請する。


 十六歳以上(未成年は保護者の同意が必要)である事と、逮捕歴がない事や大きな病気を患っている可能性がない事等が確認されれば基本的に許可が下り、滞在日数から割り出された金額を支払うシステムになっている。


 手続きが済むと、旅行予定日のおよそ一週間前に旅行上の注意や当日集合場所の案内が送られてくる。旅行当日は、その指定された会場からタイムトラベルをするのだ。


 会場には、同じ日から旅行を申請している人達が集められる。会場は全国に数十か所あり、自分の旅行したい地域に一番近い会場が案内される。


 会場に着くと、案内状を確認された後、持ち物検査を行われ、それを無事通過するとタイムトラベルキットを渡される。

 キットには取り扱い説明書と旅行内容の確認、PPSカプセル、そして、見た目はまるで腕時計のようなタイムマシン本体と、小型ロボのパラレルが入っている。


 長机とパイプ椅子が並べられた、いわゆる会議室のような会場で決められた席に座り、改めて注意事項の説明を受けたら、いよいよタイムマシンの出番である。


 係員が一人一人回って、旅行者トラベラーの腕にマシンを装着していく。

 既に申請してある「行きたい時代の年号と日付」が、ちゃんと画面に表示されているかを確認し、正しければ腕につけてくれるのだ。


 この際、痛みがないほどの細い針がマシン裏面から腕に突き刺さり、マシンと旅行者を繋ぐ。一度つけると旅行終了まで外してはいけないそうだ。

 これが、旅行先でのマシン紛失を防止すると同時に、旅行者以外がマシンを使う事を禁じる役目を果たす。もし旅行中にこれが外れると、旅行会社に通知が入って一発強制帰宅になるらしい。


 全員の腕にマシンを着け終わると、いよいよタイムトラベルの開始だ。


 マシン右上のボタンを押すだけで旅行が始まる。

 帰りは申請した日に自動で戻るようになっている為、旅行者は難しい操作をせずに旅行を楽しむことが出来るのだ。



 この、シンプルな操作性と、ちゃんと帰ってこられる安全性、外国旅行するのとほとんど変わらない料金から利用できる手の届きやすさで、タイムトラベルは爆発的に普及し、人々の生活に浸透していった。


 小学生時代の実家周辺へ懐かしい空気を吸いに行く人、江戸時代の人々の暮らしを実際見に行く人、もっと大胆に旧石器時代まで行ってマンモスを見に行ったり、はたまた恐竜時代まで飛んだりする人も現れた。


 まぁそれでも、一般庶民が無理のない金銭で年に一度ほど旅行感覚で利用する、となると、せいぜい二〇〇年前へ行くのが限度なのが現実だ。


 因みに、現在より未来へ行く事は出来ない。タイムマシンを開発した偉いチームによれば、近い将来に未来への旅行も可能になるらしいけど、現時点ではまだ実装に至っていない。


 とにかく、そんな感じでタイムトラベルはあっという間に珍しいものではなくなった。

 本格的な実装から八年が経った今では、お隣の奥さんが「先月、中学時代に行って、当時よく寄り道してた駄菓子屋さんでかき氷食べてきたのよー」なんて話を母にする位には日常になっていた。






 ここからは、私の話をしよう。


 私の父方の祖父は、今から丁度十年前に亡くなった。

 車両通り抜け禁止の商店街を歩いていたら、突如現れた暴走車に轢かれて重傷を負い、その後、病院に運ばれたのだが息を引き取ったのだ。祖父の他にも七人が轢かれ、四人死亡、三人重軽傷の大事件は全国ニュースにもなった。


 当時六歳だった私は、大好きな祖父が居なくなった現実を全く受け止められなかった。でもそれ以上に、祖父の死から、優しくていつもにこにこしていた祖母はみるみるやせ細ってしまった。


 祖父達を轢いた犯人は八十を超えた老人だった。

 逮捕時、警官に寄り掛からなければ歩けないほど泥酔しており、事故の事は「覚えていない」とほざいたらしい。


 ニュースでは、連日、犯人男の詳細を報道した。

 高校を中退し、工場勤務するも長く続かず、その後いろんな職を転々としていたが、どれも一、二年経たずに辞める。唯一、五年以上働き続けた職場の同僚によると「高校受験に失敗したあの日から、人生の全てが狂った」と酒を飲むたびに話していたらしい。


 事件現場の商店街の先には、この辺りでは有名な名門、明英めいえい学園がある。

 噂によれば、かつて男が受験に失敗した高校というのは、まさにこの明英学園の事だったそうだ。


 事件当日、商店街の脇で酒を飲んでいた男は、通りかかった明英の生徒に何か言われたらしい。それに逆上した男は、すぐそばでエンジンをかけたまま停まっていた運転者不在の宅配車に乗り込み、高校へ向かってアクセルを踏んだという。

 酒に酔っておぼつかないハンドルさばきの結果、高校へたどり着く前に七人を轢き、商店へ激突。駆け付けた警察によって現行犯逮捕された。


 悔しかった。

 なぜ、優しい祖父の命は奪われたのか、納得できなくて泣いた。


 九十三歳になる今も、男は牢屋で生きているという。







 祖父の死から二年後。

 世間はタイムトラベルの話題一色になった。手ごろな値段で安全に過去へ行ける。サービス開始から一年間くらいは、マシンの数に対して申請数が多すぎて、抽選方式が取られる程、タイムトラベルは大人気だった。


「みんな、過去に行って、何がしたいんだろう」


 当時、私は過去にしか行けないタイムマシンにそれほど興味が湧かなかった。

 毎日テレビで取り上げられるタイムマシンのニュースを見ながら呟くと、父は笑った。


「恐竜とかマンモスが見に行けるってわくわくするじゃん」

「でも、それってすごいお金持ちしか行けないんでしょ? 普通の人は自分の小さい頃とかに行くって言ってたよ」


 同じお金払うなら、実際生きていた事のある時代に行くよりも、行った事のない外国旅行に行く方が絶対楽しいよ。と私は豪語した。


和菜かずなはまだ八歳だからなぁ。歳取ると、今の和菜くらいの頃の風景とか、空気とか懐かしくなるんだよ。何十年も経つと、街並みは少しずつ変わるからね。和菜も大人になったら今の自分に会いたくなるかもよ」

「……お父さんも昔の自分に会いに行きたい?」


 私が聞くと、父は「うーん」と腕を組んで考えた。


「そうだなぁ。それよりもお父さんは、昔の偉い科学者とかに会いに行きたいな。実際に天才のお話とか聞いてみたい」


 父は高校で化学を教えている理科教師だ。お陰で私の理科関係の成績は小学生当時から現在までトップを維持している。


 なんだか納得できない私は「ふーん」と相槌を打ってテレビに目をやった。

 ワイドショーでは、既にタイムトラベルを体験したというお兄さんに街頭インタビューを行っている。


『高校生の時に、すっごく好きだったクラスメイトの女の子がいて、その子の事がずっと忘れられなかったんですよ! 仲良かったのに告白しなかった事を未だにめっちゃ後悔してて。だからタイムトラベルして当時の俺に「告れ!」って喝入れてきました!』


『おー! それで結果は?』

『見事、付き合う事になりましたー! 今頃、あっちの世界で仲良くやってると思います』


『それは良かったですね! ちなみに、こちらの世界の彼女は現在……?』

『あー、結婚して、別の家庭を築いているそうです』


『あー……』

『でもいいんです! 当時の無念は晴らせたというか。これで後悔はない! って感じです。たとえ別の世界線でも、結ばれるルートがあったんだなって知る事が出来ただけ大満足っす!』


 タイムマシンで過去へ行くと、旅行者が、実際の過去では起きなかった事を引き起こしてしまうケースが多発する。


 過去の自分に会ってアドバイスをする、自殺する友人を救う、通常なら知り合わない人と友達になる、将来自分のライバルになる人の人生を変える、歴史上の人物を殺してしまう等、些細な事から世界を揺るがす大問題にまで発展するような事まで、どんな未来になるかは旅行者次第だ。


 旅行者が実際と違う過去に塗り替えた瞬間、世界は分岐する。


 インタビューのお兄さんを例に説明すると、旅行者である現在のお兄さんが、高校生の自分に出会った時点で、世界は分岐する。未来の自分に会った世界と、何も起こらず好きな人に告白しないまま過ごす本来の世界の二つに分かれ、その世界は平行に進行し、現在に至る。


 お兄さんが旅行したことで生み出された「未来の自分に渇を入れられて、好きな女の子と付き合う事になった世界」は今現在もパラレルワールドとして存在している。けど、お兄さんの告白が成功しても、今ここにいるお兄さんの人生が描き替えられた訳ではないのだ。


 これが、タイムトラベルをここまで普及できた一番のポイントだ。


 数万人の人がタイムトラベルを経験し、歴史を塗り替えてしまっても、その都度世界は分岐するから、今、私たちが生きている本来の世界、通称「本線」が塗り替えられる事はない。

 本線の安全が保証されているから、旅行者は安心して過去へ行き、そして帰ってくる事が出来るのだ。


 にこにことインタビューを受けるお兄さんを眺めながら、私はぼんやりと考えた。


 結局、過去を変えても、今の人生は変わらないんだから意味がないんじゃないの? 


 過去に遡って、事故で死んでしまう運命の恋人を救ったとしても、旅行から帰ってきたこの世界で恋人が生き返る訳ではない。

「死を免れた恋人と幸せに暮らす世界」を新たに生み出しただけで、こちらの世界で恋人が死んでしまった事実は、塗り替えることが出来ないのだから。



 過去に戻ってやり直したい事、と言われて真っ先に思い出すのは、いつも祖父の事だった。


 もしも、事故の前に「商店街に行かないで」と伝えることが出来たら。

 もしも、犯人の男に声をかけた明英生に「あの変なおじいさんには声かけちゃだめだよ」と言えたなら。

 もしも、宅配のおじさんに「エンジン切って、鍵抜いて、ちゃんと持っててください」と注意出来たら。あの痛ましい事故は起きなかったかもしれない。


 けれど、タイムトラベルでそれを伝えたとして、祖父が生き返る訳じゃない。なら意味はないんじゃないか。そう思っていた。が。


 たとえ別の世界線でも、祖父を救えるルートがあったと知る事で、心の中に残ったもやもやを消化する事が出来るのなら。


 事件当時、報道されていた一言が、私の中でずっと引っかかっていた。


「高校受験に失敗したあの日から、人生の全てが狂った」


 もし、明英学園の受験に男が成功していたなら、本当に、男の人生は狂わず、安定し、理想の未来を描けたのだろうか。


 八十を過ぎてもなお、引きずる程の人生の挫折。八歳の私にはまだ到底理解できなかったが、その時初めて、タイムトラベルに興味が湧いた。


 十六歳になったら、男の受験前にタイムトラベルして、男を明英学園に合格させる過去を作る。その結果、事件は起きず、祖父は生き続ける事が出来るのか、確認したい。


 この密かな決意は、時間が経てば経つ程大きくなった。

 父の書斎から事件当時の記事を捜して読んだり、男の詳細を調べたり、タイムトラベルにかかる費用を計算してお小遣いを貯めたりしているうちに、あっという間に八年が過ぎ、私は十六歳になった。

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