第14話 水曜④B、A、B、A
*B世界
今度は飯倉君が入れ替わってしまった。
それとほぼ同時に警察が到着。
A倉君にさっき田辺Bさんが来た事を簡単に説明しながら階段を下る。と言っても、A倉君は田辺BさんがA世界から強制的にこちらへ戻される一部始終を実際に見ていた一人なので、状況の理解にそれほど時間はかからなかった。
全員一緒に居間へ向かう途中、ずっと飯倉母に付き添っていた神田さんに飯倉君が入れ替わった事をこっそり伝えた。
「えっ! じゃあ今は裕君じゃなくてA倉君なの?!」
「そう。だから状況説明は俺達でフォローしよう」
「B倉君の見た目で大人しいのってすごく変な感じ」
「制服違うの違和感あるよね」
事情聴取は思ったよりテキパキと進んだ。
飯倉母が怪しい男が突然訪ねてきて、訳の分からない事を言いながら飯倉母に言い寄った一部始終を説明すると、几帳面そうな男刑事は手帳に素早く書き込んだ。
「そこで息子さんが割って入って、無理やり連れだそうとする男を引きはがした、と」
「は、はい。そうです」
緊張気味に受け答えするA倉君を、色んな意味でハラハラしながら見守る。
「奥さんは毎日この時間にパートから帰宅するんです?」
「あ、はい。いつも十七時から十七時半頃には家に着きます」
「なるほど。その田辺、という男に心当たりは?」
「いえ、それが全くないんです。向こうは知り合いのように話しかけてきましたけど……」
「パート先のスーパーのお客さんとか、どこかで見覚えはないです?」
「レジなので、もしかしたら接客してる可能性はありますけど……頻繁に来るお客さんではないと思います」
「そうですか。ストーカー、ですかね。最近、身に着けているものが無くなったとか、誰かにつけられているような気がしたとか、そういうのはなかったです?」
「はい、何もなかったと思います。それこそ、昨日、息子に気を付けろって言われて初めて意識したというか」
「ほう? 息子さんは昨日の時点で何か心当たりがあったんです?」
刑事が顔を上げてA倉君に問う。
待った、この質問はマズい。どう説明したらいいものか。
田辺Bさんは平行世界で飯倉母と不倫関係だったので、急にこっちの世界に戻された今、飯倉母の事が諦められず奪いに来たんですよ。なんて言えるか。
その時、刑事の携帯電話が鳴った。胸ポケットから取り出し「ちょっと失礼」と電話に出る。
「何です? 今、事情調査ちゅ……え、あ、はい。
刑事の顔色がサッと変わった。電話を切り、手帳を見返す。
「今、すぐそこの大通りで事故があったそうです。四、五十代のスーツの男性と乗用車の接触事故です」
「それって……!」
その場に居た全員が息をのんだ。
静かになった室内に、雨の音と、遠くで鳴り響くパトカーと救急車の音が微かに聞こえた。
事情聴取は一旦終わり、刑事はその足で事故現場へ向かった。
気づけば時刻は十九時近くなり「もう遅いから」と飯倉母が俺達三人を家に送ると言った。
今や田辺さんの件よりも、再び入れ替わったA倉君の方が心配で離れたくなかったのだが、これ以上一緒に居て不審に思われても困る。
せめてもの時間稼ぎの為に送迎を断り、それぞれの親に迎えを頼んでそれを待つ事にした。
「やっぱり事故って、田辺さん、なのかな」
飯倉君の部屋に戻り、四人で迎えの車を待っていると、音村さんがぼんやりと呟いた。
「どうだろうね」
実際、この時間に会社から帰宅するスーツの男性なんて珍しくないし。
誰もしゃべらなくなると、サーッと細かい雨の音が際立って聞こえた。
「あっち、大丈夫かな」
A倉君が窓ガラスに滴る雨を眺めながら言った。
「A世界も、今日は雨?」
「うん。同じように降ってる。まだ雨野君達、公園に居るのかな」
「A倉君が入れ替わってこっちに来たって事は、また二十四時間経たないと次の移動は出来ないのかな?」
俺が言うと、音村さんは「あぁ、なるほど。そうかもね」と納得した。
「じゃあA倉君はまた一日こっちか……」
不憫すぎる。A倉君は「そっかぁ」と苦笑いした。
「あ! 私、出来る限りフォローするね! クラス一緒だし、部活もマネだし!」
神田さんがどんと胸を張ると、A倉君は「ありがとう」と頭を下げた。
「こっちの神田さんはずいぶん印象が違うんだねぇ。元気な感じ」
しみじみとA倉君が言ったので、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
「君が一番違うけどな」
「ほんとだよ」
「穏やかな裕君、違和感しかない」
三人で容赦なく笑うと、A倉君もつられて笑い出した。
「じゃあ、また明日の放課後会おう」
「そうだね」
そろそろ迎えも到着するはずだ。
また明日、事故の詳細や田辺さんの行方なんかを聞いて、完全に飯倉家の危機が去ったのか確認せねば。そして、A倉君に今日一日のA世界での成果を聞いて、音村さんとA倉君が無事戻れそうなのか検証する。やる事は目白押しだ。
「その必要はないぜ」
話をぶった切る唐突な口調の変化に、思わず目を見開いた。
「よう、事情聴取は何とかなったか?」
立ち上がろうとした中腰のまま、飯倉君に目をやる。予期せぬ突然の入れ替わりに神田さんと音村さんも驚きを隠せない。
「飯倉君? 戻ってきたのか?」
「ゆ、裕君なの?」
「ただいま、美由、雨野。んで、よかったな、音村さん! もう戻れるぞ」
「えっ、え!」
「片割れを捕まえた。あとはあっちの音村さんが触れば元に戻る」
飯倉君がにかっと笑った。
*A世界
「雨野君、飯倉君、どうしたらいい?」
再会したB倉君と共にB村さんの元へ向かうと、公園一大きな木の下で片割れがじっとしていた。
発見してからずっと跳ねまわっていたのに、どうして急に止まったんだろう。
「むやみに触らない方が良いんだよね?」
「うん。止まってる事だし、ちょっと様子を見よう」
飯倉君をチェンジした事によって体力を消耗した?
俺が一歩近づこうと踏み出すと、片割れはぴょん、と逃げるように数センチ跳ねて移動した。
「もしかして、音村さん以外が近づこうとすると逃げるのか?」
俺から片割れまで距離にして半径二メートル程度か。それ以上近づこうとすると、片割れは近づいた分ジャンプして離れ、その距離を保とうとする。
振り返れば、さっき滑り台の下でB村さんが片割れを見つけた時も、俺が呼ばれて見に行ったら動き出した。
月曜にB倉君と神田さんを元に戻す為にパラレルを初めて見た時も、音村さんに捕まった瞬間大人しくなって、その後も逃げだすような事はしなかった。
通常、パラレルは触るだけでAとBの意識を入れ替える。二十五年前の田辺さんと小学生の時の音村さん、そして今の飯倉君がそれを体験している。
それなのに、月曜にパラレルを捕まえた音村さんは素手で触っても入れ替わらず、それどころか他人の入れ替わりを操作することが出来た。
そもそも、事の発端は、先週音村さんが飯倉君を入れ替えた事から始まる。
「音村さんは、パラレルにとって何か特別なつながりがあるのかも」
今回突然入れ替わってしまったのも、それと関係しているのかもしれない。
じゃあなぜ、小学生の時は起動できずに入れ替わってしまったんだろう。うーん、わからん。
「なぁ雨野、俺が入れ替わった事によって、今から二十四時間待たないと次の入れ替わりは出来ないのかな?」
B倉君が顎に手を当てて考えながら言った。
「あっちの雨野がさっきそんなような事言ってたから」
そう言えば飯倉君も言ってたな。二十四時間使用できなくなったとかなんとか。
「どうだろう、それはパラレル本体が壊れる前の機能だろうからわからないな。けど、もしかしたらそうかも」
「だったら今、俺か音村さんがあいつを捕まえても何の問題もないんじゃね? 明日まで入れ替わりが起きないなら全力で捕まえられるし、もし入れ替わった所で元に戻るだけだし」
言われてみればその通りだ。B倉君の提案に「確かに」と頷く。
「そうだね、うん。先にどちらかに捕まえてもらって、入れ替わりが起きたらもう一人が後に続く感じで片割れに触る。入れ替わりが起きなかったら捕獲して持ち帰り、明日のこの時間また試してみよう」
「よっしゃ、やるぜぇ」
意気込むB倉君とは対照的に、不安そうなB村さんが片割れと俺を交互に見ては目を伏せる。
「B倉君、触る前に、一つだけ言っておきたい事がある」
「ん?」
「もしこれで二人が元に戻れたら、俺はこの片割れを壊すつもりだ」
雨で落ちてきた木の葉が、するりとビニール傘を滑っていった。
ここで放置したら、また誰かが入れ替わってしまうかもしれない。
それは俺達かもしれないし、全く知らない誰かかもしれない。
「本来、A世界とB世界は繋がっちゃダメなはずなんだ。田辺さんみたいな事もまた起こりかねない。だからこいつは、二度と使えないようにすべきだと思う」
でもそれは、B倉君達、B世界との永遠の別れを意味する。
「そっか……そうだな。そうだよな」
少し寂しそうにB倉君が呟いた。
こんな出来事が起きなければ、絶対に出会うはずなかった平行世界の彼ら。たった一週間の騒動。そう、一週間前の平凡な生活に戻るだけだ。
だけど、俺達は出会ってしまった。
平行世界が実在していることを知ってしまった。
助け合い、協力し合ううちに仲良くなった。
「壊す方法は、まぁ何とか考えてみるよ。叩くと分裂するなら、火あぶりとか、電気ショックとか? パラレルと片割れがA世界にある以上、俺達が何とかする」
「おう。頼むぜ」
今までに体験した事のないほどの哀愁が胸に募る。
木の下でじっと動かない片割れに目をやった。枝から大きな雨の雫が地面に落ちるたび、片割れの表面に泥が跳ねたが、汚れは留まる事なくするりと地面に落ちていく。
「よし、じゃあやるか。先に音村さんに捕まえてもらった方が確実だよな」
B倉君に言われて、少し名残惜しそうにB村さんは頷いた。が、ちょっと待った。
「あ! やっぱりB倉君に先に戻って貰ってもいいかな」
俺が慌てて頼むと、B倉君とB村さんは「え?」と声を上げてこちらを見た。
「向こうで、音村さんと別れの挨拶をちゃんとしてあげてほしい。これで最後になるから」
後で、戻った音村さんにお節介と怒られるかもしれないけど。
B倉君は特に不審がらず頷いてくれた。恩に着る。
「わかった。雨野、色々ありがとうな。ほんとに」
「こっちのセリフだよ。ありがとう。B倉君の事、飯倉君とは別で、新しく出来た友達だと思ってる」
本心だった。
一週間、不思議な事が起き続けたけど、振り返ればなんだか楽しかったと思えるのは間違いなくB倉君のおかげだ。
「はっは、俺もだよ。こっちの俺によろしくな」
「勿論。こちらこそ、あっちの俺によろしく。なんだかクラスでも友達いなそうだったから仲良くしてやってくれ」
「まじか! りょーかい」
B倉君がケラケラと笑う。よかったな、Bの俺。これで友達0人は免れたぞ。同じ高校ではないけど。
雨の勢いが少し弱まった。
「こんだけ別れの言葉言っておいて明日まで帰れなかったら恥ずかしいな」
言われてみれば、二十四時間ルールの事忘れてた。確かに、と苦笑する。
「けど、いつが最後になるかわからないから」
「そーだな。さて、どう捕まえるかな」
B倉君が片割れに狙いを定める。と何か思い立ったのか「あ」と声を上げた。
「雨野、捕まえなくても、触れたらいいのか?」
「うん、多分大丈夫。さっき飯倉君が入れ替わったのは肩にぶつかったからだから」
「おっけー。じゃあ雨野、俺の方に片割れを飛ばす為に向こう側から近づいてくれ」
「わかった」
俺は片割れから二メートル以上の距離を保ちながら、B倉君の正面へ片割れを飛ばすよう移動した。
「行くよー」
宣言して、俺は助走をつけると片割れにダッシュで近づいた。
泥が飛び、驚いたように跳ね上がる片割れ。その先に、B倉君が「よっしゃ、任せろ」と待ち構えている。
片割れは進行方向にB倉君がいる事に気づくと、地面にバウンドするタイミングで方向転換を図った。
B倉君の斜め左脇を抜けようと跳ね上がる。
「貰ったぁ!」
B倉君は片割れの動きを読み、ポーン、と空高く蹴り上げた。
ちょ、サッカー部! それで見失ったら俺達また探し出すところからやり直しなんですけど!
雨は片割れの輪郭を映し続け、片割れは俺の頭上を飛び越えて街灯下のベンチの上に落ちた。
「あ、お? 戻ってきた?」
片割れを蹴ったポーズのまま、キョトンとした顔で飯倉君が言った。
「飯倉君! よかった、明日まで待たなくても戻れたか」
「はは、戻りました。向こうも色々解決しそうだったよ」
「それはよかった」
飯倉君と二度目の再会を果たして、俺はB村さんを見た。
「B村さん、よかった、この調子ならB村さんも戻れそうだ。あれを触れば戻れるはず」
片割れはベンチの上から動かない。B村さんだけが近づけば飛んで逃げる事もないだろう。
「なんだけど、あと三分だけ待ってもらってもいい?」
「? うん」
音村さんは、B倉君と最後の挨拶が出来ただろうか。本当にこれが最後になるだろうから、悔いが無いように、と言っても無理なのかもしれないけど。
そんな事を考えていたら「あの」とB村さんが小さく手を上げた。
「雨野君、飯倉君、ありがとう。昨日の夜こうなって今日一日すごく不安だったけど、二人が私を戻す為にこんな雨の中探し回ってくれて嬉しかった」
そう言ってB村さんはぺこりと頭を下げた。
「帰ったら、向こうの俺とも仲良くしてやってくれ。せっかく同じクラスなんだし。今まで話した事ないかもしれないけど、中身も見た目もこの俺と変わらないらしいから」
「そうだね、うん。わかった」
B村さんがおかしそうに笑って頷いた。
もしかしたら、こっちに来てから初めてちゃんと笑ったかも。やっぱり不自然な世界でずっと緊張していたんだな、と改めて同情した。
「でも、助けてくれたのはAの雨野君だって事、忘れないよ」
そんな風に言ってくれるなんて嬉しいじゃないか。
なんだか照れくさくなって誤魔化すように頭を掻いた。
「……そろそろいいかな。B村さん、片割れに触って。これで全部元通りだ」
「……うん。二人とも、ありがとう」
B村さんがそっとベンチに近づいた。雨に打たれる片割れに手を伸ばす。
*B世界
「えっと、私……」
飯倉君が元に戻った数分後、今度は音村さんが突然眉間を押さえた。そして、再び目を開けた音村さんは、ゆっくりと飯倉君の部屋の中を見回した。
「もしかして、こっちの世界の音村さん?」
俺が言うと、音村さんは「そうみたい」と首を傾げながら苦笑した。
「そうだよ。今まで一緒に居たもん。なぁ、音村さん!」
気さくに笑いかける飯倉君を見て、音村さんは一瞬「誰?」という顔をしたが、すぐにハッと驚いた。
「え、え? え、飯倉君!?」
あぁ、今までAの姿の飯倉君と一緒に居たのか。俺も昨日同じように驚いたっけ。
戸惑いを隠せない音村さんに共感しかない。
「そう、これがこっちの飯倉君だ。違いすぎて笑えるよね」
「なんだよー、二人してあっちの俺の方が良いって言うのかよー」
「私は今の裕君が好きだよ」
「美由ー!」
堂々といちゃつくカップルに呆れ顔でため息をつくと、音村さんがクスッと笑った。
その時、階段の下から「お迎えがきたよー」と飯倉母の呼ぶ声がした。
「じゃーな、雨野、音村さん。次はいつ集まる?」
当然のようにそう言った飯倉君に「え?」と思わず聞き返す。
「別にもう誰も入れ替わってないし、元に戻ったんだから集まる必要ないじゃん」
「そんな寂しい事言うなよー。俺、あっちの雨野に頼まれたもん。これからも雨野と仲良くしてやってくれって。友達いないの心配してたぞ」
「あ、それ私も言われたよ」
「ちゃんと友達いるから!」
なんという余計なお世話だ。
なんでそんなにAの俺は上から目線なんだ。昨日は入れ替わったお前が勝手に一人行動してただけだから!!
「いいじゃーん。これも何かの縁だしさ、これからも仲良くしようぜ! またメールする! もちろん音村さんもな」
嘘偽りのない笑顔で爽やかなウインクを飛ばす飯倉君に「はいはい、またね」と雑に手を振って部屋を出る。
「……こっちの飯倉君は、なんて言うか明るくて面白い人だね」
俺に続いて二段遅れで階段を下る音村さんが可笑しそうに言う。
「俺も昨日会ったばかりだから、まだあのテンションについていけない。でも、いい奴であることは確か」
「うん、そうだね」
元に戻った音村さんは、俺が知るように大人しくて謙虚な雰囲気をまとっていた。
やっぱり見た目は同じでもAの音村さんとは全然違う。
「あー、帰ったら宿題やらなきゃ。音村さん、古典のワーク終わってる?」
「終わってない。確か明日提出だよね」
順番に靴を履き、玄関の戸を開けると我が母の車が停まっていた。その横にもう一台停まっている車は恐らく音村さんの親だろう。
「……なんだか、雨野君に音村さんって呼ばれるの変な感じ」
「え?」
「今日一日、B村さんって呼ばれてたから」
思い出したように笑う音村さんの発言に同情する。
「……成程。あっちの奴らすぐにB付けるよなぁ。B倉とか田辺Bとか」
雨はいつの間にか上がっていた。傘を持って母の車へ向かう。
「じゃあ音村さん、また明日」
「うん。また明日、雨野君」
音村さんと手を振って分かれ、母の車に乗り込んだ。
こうして、俺のよくわからない激動の二日間は幕を閉じたのだった。
*A世界
雨が滴る片割れを右手ですくい上げ、振り返った音村さんと目が合った。
「……ただいま」
「おかえり、音村さん」
これですべて元通り。
すべてを見届けて満足したかのように、今になってようやく雨が止んだ。
雲の切れ間には少しだけど星も見えて、明日はきっといい天気になるな。と傘を閉じた。
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