10-2 決戦前夜の物想い

 フィレル、ファレル、ロア、フィラ・フィア、蝶王、リフィア、そしてレイド。エイルはもういない。そして新しいメンバーが増え、見覚えのある食卓とは少し変わってしまった食卓。しかしそこに流れる穏やかな時間は、変わらない。

 リフィアはフィレル帰還の知らせを聞き、きらきらと目を輝かせていた。

「おっかえりぃ、フィレル! なぁんだ、帰ってくるならもっと早く教えてくれれば良かったのに! ありあわせの材料でしか歓迎の料理作れないじゃないの! まったくもうったら!」

 怒っているような口調ではあるが、心底嬉しそうでもあった。

「話は聞いた。本番はこれからだそうだな」

「ああ。この先、何が起こってもおかしくはない。この晩餐会が最後の晩餐になるかも知れない……」

 その隣で、ロアとレイドが言葉を交わしあっていた。聞こえる内容は不穏ではあったが、そうなるのも仕方のないことなのかもしれない。

 リフィアが即席で作ったそこそこ豪華な料理を食べながら、フィレルは旅の中であった様々な出来事を報告していた。

「でね……ツウェルの町では死者皇ライヴと戦ったの。ウァルファル魔道学院っていうすごい学校の生徒たちと一緒に、ライヴを倒したんだよ! そこで……一緒に来てくれた学院の生徒が死んじゃって。僕は初めて死ぬっていうことを知ったんだけどさ」

 楽しいことも悲しいことも。神々を封じる旅の中、本当に様々なことがあった。話が最悪の記憶の遊戯者フラックのこと、封じられた記憶の話になると、ファレルはその顔を固く強張らせた。

「……そうだよ、フィレル。君の最悪の記憶を封じていたのは僕だ。でもそれが仇となったのだね。フィレル、僕を恨むかい? 恨んでもいいんだよ?」

 ううん、とフィレルは首を振った。

「僕さ、それは兄さんの優しさから来ているんだって知ってるんだもん。だから怒ってないよぅ」

 あの日、思い出させられた記憶。遠い日に両親を失ったあの痛みは、いまだ胸の内でくすぶり続けてはいるけれど。でも、乗り越えられないほどじゃない。もうフィレルは弱くない。この長い旅でした様々な経験が、心の強さをくれたから。

 フィラ・フィアを絵から取り出して始まった、神封じの旅。新生風神の旅団。なし崩し的に始まった旅だったけれど、歩んできたその旅路は決して無駄なんかじゃない。

 フィレルは同じ食卓についている仲間を見た。ロア、フィラ・フィア、イルキス。それぞれ、様々な場所で自分たちの過去と相対した。くじけそうになることもあったけれど、結果的に乗り越えられた。互いを思うその心が、それぞれの強さに繋がった。

 それを改めて、思って。

 フィレルはにっこりと笑った。緑の瞳が輝きを帯びる。

「あのね、僕ね、この旅に出て良かったって思ってるの!」

 強くなったんだ、色々変わったんだと兄に言うその姿は、確かに旅の最初の頃のフィレルとは違うもの。

「だからさ、兄さんが色々気に病む必要なんて、ないんだよー?」

「……それは良かった」

 ファレルもまた、穏やかな笑みを浮かべる。

 この穏やかな時間が、永遠に続けばいいのに。

 けれどいずれ、晩餐は終わる。

 気がつけば、食卓の食べ物は皆、なくなっていた。宴はお開きだ。

 ファレルが言った。

「ふふ、今日はよく帰ってきてくれたね。新しいお客さんも楽しめたかな? 僕は三階の部屋に戻るけれど……何かあったら気軽に声を掛けてね。フィレルたちはいつもの部屋だけど……客人たちの部屋はっと。リフィア、適当に案内してくれるかい?」

「了解しましたっ!」

 ぴしっとリフィアが礼をする。

 こうして一同は、三々五々散っていった。


  ◇


「……ファレル様」

 自分の部屋へ去りゆくファレルを、呼び止める声があった。

 ファレルは振り向かずにその名を呼んだ。

「どうしたんだい、ロア」

「……オレは」

 混乱したような声でロアが言う。

「何者なのだと、ファレル様は思いますか」

「わからないけれど……知らない方が、いいよ」

 振り向いたファレルは、碧い瞳でロアを見た。

「何度も言うけれど、君はイグニシィンのロアであって他の何者でもない。もしも自分の正体を知る機会があったとしても、それを聞いてはいけないよ。話を聞く限り……君は普通の存在ではないようだから。記憶が消えたということは、何かがあったということ。そして余計なことは知らない方がいい」

「オレは……怖いんです」

『ロア』

 ファレルは言霊使いの力を、束の間だけ解放した。

『おまえはおまえの記憶に怯えない。これは現実となる』

 大切な家族を、安心させるために。

 強張っていたロアの身体から、力が抜けた。ロアは深く礼をした。

「ありがとうございます……ファレル様」

「大切な家族なんだ、当然だろう?」

 ファレルは優しく笑う。

 決戦前夜。それぞれに不安はある。

 ならばそれを払拭してやるのが戦わない者の役目だと、ファレルは思う。


  ◇


 城の正面階段の向こう、階段が左右に分かれる位置にある回廊には、封神の七雄たちを描いた絵画が飾ってある。それらをひとつひとついとおしむ様に撫でながら、フィラ・フィアは呟いた。

「エルステッド……シルーク……ヴィンセント……レ・ラウィ……ユーリオにユレイオ……」

 もうすぐだ、もうすぐで。三千年前にやり残した封印を、完遂させることができる。戦神ゼウデラ、自分の死ぬ原因となった神を封じれば、残る神は一体だけ。

 かつては果たせなかった使命が。

 三千年の時を経て、完遂されようとしている。

 そんな彼女の隣に、そっと寄り添う影がいた。どこまでも白いその姿は、

「シルーク……じゃなくって蝶王ね。驚かせないでよ」

「そなたが見間違いをしただけであろうが」

 呆れた声で蝶王が言った。

 フィラ・ファイアはそんな蝶王に、言葉を投げる。

「それにしても、あんたは変わらないわね。世界も人々も、色々変わってしまったのに……」

「これでも何百回と生まれ変わっておるぞ。蝶の一族は長生きしない。ただ……我は記憶をそのまま引き継いでいるだけの別人だ。あの時代、シルークと共にいた蝶王は……ネーヴェは、もういないのだ」

「そうね、そうよね。結局わたしはこの時代に、一人きりなのよね」

 寂しげにつぶやく。

 蝶王は誕生から十年くらいで死んでしまう儚い存在だ。ただその記憶だけは、次の代へ、その次の代へと受け継がれていく。蝶王に個々の名前などないが、ごく稀に名前を与えられる個体がいる。それが三千年前の蝶王――ネーヴェだった。その名前の意味は雪。蝶王によって望まぬ修羅の道を歩まされたシルークだったが、それでも彼は蝶王を愛していた。だからこそ、死神蝶の中では最大の栄誉である名前を、与えたのだ。

 いくら記憶と「魔性の声」、姿を受け継いでいても、今の蝶王は蝶王ではない。あの時代の蝶王は、シルークの死と同時に死んだのだ。そして死神蝶の一体が全てを受け継ぎ、次の世代の蝶王になった。

「落ち込むことはない」

 蝶王は慰めるように声を掛ける。

「もうすぐで使命を完遂出来るのだろう? それにな、新しい時代も悪くはないではないか」

「わかってるけど……」

 懐かしの仲間たちの姿を写し取ったその絵画を見ていると、知らず、伝い落ちる涙。

 絵の中にしかいない大切な人々。改めて、悲しみが胸を穿つ。

 絵心師であるフィレルならば、自分と同じように、彼らを絵から取り出すことが出来るのだろう。しかしそれはあってはならないことだから。そうしたい、という強い望みを胸の内に押し込めて、フィラ・フィアは前を向く。

「大丈夫、わたしは大丈夫よ……」

 言い聞かせるように何度も口にした。

 はじまりの地。並ぶ七つの絵画。その中でたったひとつだけ、一部が異様に白くなっている絵がある。そこから自分は出てきたのだ。そして長い旅は始まったのだ。

「わたし……終わらせるから」

 呟き、決意を新たにして。

 フィラ・フィアはリフィアに言われた部屋へ向かう。

 その後ろを、ネーヴェではない蝶王が無言でついていった。


  ◇


 久しぶりに戻ってきた自分の部屋、懐かしい、いつもの部屋。フィレルは窓から差し込む月の光を、膝の上に愛用のキャンバスを載せながらぼんやりと眺めていた。

 月明かりの中、照らされたキャンバス。開けっぱなしの窓から吹き込む風が、紙をぱらぱらとめくっていく。

 描かれているのは旅の景色。リノヴェルカの白亜の神殿や初めて見た海、災厄の島のおどろおどろしい雰囲気、そして花の都ウィナフの反映した景色。様々な場所を旅してきた。キャンバスにはそういった思い出が詰まっている。

「封印が終わったら……旅も終わっちゃうのかぁ」

 呟いた。それは少し、寂しい気がした。初めて見た様々な景色。旅は心から楽しいものだったから。

 旅ばかりしているイルキスを思う。彼は何度もこのような光景を見て、感動してきたのだろうか。

「封神の旅が終わったら……もっと色々なところに行ってみたいよ」

 今度こそ、何にも追われることなく。

 外へ出ることに対して恐怖を抱く兄を誘って、ロアと一緒に三人で。いや、リフィアやイルキス、レイド、フィラ・フィアも誘ってみんなで。ただ当てもなく、様々なところを冒険してみたい。

 そんな日が来ればいい。心からそう思う。

 だから。その夢を叶える為に、誰も失ってはならない。

「僕……強くなったんだ。だから、頑張るよ!」

 ぐっと拳を握ったフィレルを、淡い月明かりが照らしていた。


  ◇


「思えば随分遠いところまで来たねぇ」

 城の中庭をぼんやりと散歩しながらも、イルキスは呟いた。

「ったく、ぼくってばとんだお人好しだよ。結局、最終決戦までついてきてしまったじゃあないか。昔のぼくならば考えられないことだったよね」

 気紛れにフィレルたちを助けた。以来、なし崩し的にずっと一緒にいる。

 イルキスに神々を封じる義務なんてない。いなくなろうと思えばいなくなったっていいのに、フィレルたちと時を過ごせば過ごすほどそんな気持ちは薄れていって、思考の端に上ることすらもなくなっていた。

「全て終わったら……兄さんになんて話そうかな」

 呟く。

 イルキスには双子の兄がいる。自分にも他人にも厳しいくせに、唯一、イルキスにだけは甘い兄が。彼は昔、イルキスを守って大怪我を負ってしまったがために、外へ出ることが出来なくなった。外へ出ることが出来なくなった、という点、弟に甘いという点に於いてはファレルと同じだが、彼はファレルのように温厚な性格ではない。

「土産話、たくさんあるんだ。また会える日が楽しみだ」

 月を見上げた。今、遠いロルヴァの町でも、兄が同じ月を眺めているのだろうか。

 遠く離れた場所にいても、空に月があることは変わらないから。

運命神ファーテよ……ぼくに加護をくれるかな?」

 呟き、小さく祈る。

 全てが終わったら、再会できますようにと。


  ◇


 こうしてそれぞれの夜は過ぎる。祈り、願い、決意を新たにして。フィレルたちは究極の敵に臨むのだ。

 穏やかな時間はあっという間に過ぎていく。苦しい時間ほど長く感じる。

 けれど、戦いの果てに、幸福な時間があると知っているから。また大切な人々に会えると、知っているから。

 だからこそ、それを得るために戦うのだ。それがあるから頑張れる。


 決戦前夜。穏やかだがどこか張り詰めた空気が、イグニシィン城の中を流れていた。


  ◇

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