9-3 大切なもの


 目が覚めた場所は、宿のひと部屋だった。前に、作戦会議をした宿だった。

「フィレル! 目が覚めたのね?」

 むくっと身体を起こすと、フィラ・フィアが心配そうにやってきた。

 そして思い出す。天空神との戦いのこと、倒れていたロアのこと。

「ロアは? ロアは、どうしたの? 生きてる!?」

「案ずるな絵心師よ」

 はたはたと小さな音を立て、フィレルの前に小さな影が現れる。背には蝶の翼。蝶王である。

「あそこは神殿だ、あれほど大きな騒ぎを起こせば他の人がやってくる。我々は事情を説明し、手当てをしてもらったのだ。町の人も、我らのことを無碍にはできまい。我らのお陰で、この町は滅びの運命から逃れられたのだからな」

 身を起こしたフィレルが横を見ると、そこにもうひとつベッドがあった。その上ではロアが眠っていた。その顔は安らかだった。フィレルは安堵の息をつく。

「幸い、反射的に急所を避けたようだから見た目ほど酷い怪我ではない。数日もすれば戦えるようになるとのことだ。イルキスの負った傷もそこまでではなかった。シェルファークは派手好みの神だ、そこまで酷い傷を負わせる気はなかったのだろう」

「そっか……良かった……」

 フィレルは妙に疲れているのを感じていた。当然だろう、初めて本気を出して戦ったのだ。慣れない力、慣れない戦い方。そんなので戦い続けていたら過剰に疲れるのは当たり前だ。

「次の目的地は決めているわ。でも次はそう、戦神ゼウデラ……かつてわたしたちが敗北を喫し、わたしが死んだ原因の神様だから。万全な状態で行かなくてはならないの。だからしばらくはこの町に滞在することにする。フィレルも、疲れが取れたらこの町を観光してみるのはどうかしら?」

 そうだね、うん、とフィレルは頷いた。

 ひとまずは、再び押し寄せた眠気に身を任せることにして、フィレルは眠る。


  ◇


 その翌日に、ロアとイルキスが目を覚ました。ロアを看た町の医者の話によると、ロアは普通の人間であは有り得ないくらいに自然回復能力が高いという。大した御仁だ、と医者は笑っていた。

「……フィレル」

 目を覚ましたロアが、フィレルの名を呼んだ。

 言葉なんて必要なかった。目覚めたロアを、フィレルは大声で泣きながら抱き締めた。

「死んじゃうかと……本当に、死んじゃうかと思ったんだよぅ! 怖かった……。ロア、ロアぁ!」

「……生きているからちょっと離れろ」

 苦しそうにロアが言うと、ごめん、と謝って後ろへ下がる。

 ロアの身体には包帯が巻かれていた。いつも強かったロアのそんな姿を見ていると、胸が苦しくなるのをフィレルは感じた。

「なぁ、フィレル」

 静かな声でロアが言う。

「お前……強かったんだな」

「もう二度とあんなことやりたくないけどねっ!」

 涙を拭ってフィレルは言う。

「だってさ……ロアが死んじゃうかもって、思ったんだもん。手段を選んでなんからんないよ! 戦うのとか嫌だし武器を使うのって怖いの。でも……失いたく、なかったんだもん」

 うつむくフィレルの手を、そっとロアが握った。

「心配かけて、悪かった」

「ううん、大丈夫。生きててくれて、ありがとねぇ!」

 ロアの手を握り返して、フィレルは笑った。

 と、不意に部屋の扉が開いた。現れたのはイルキスだった。その顔は少しやつれているものの、比較的元気そうである。

 イルキスが負ったのは魔法による傷だった。魔法による傷は魔導士ならば治りが早い。ロアに比べるとスムーズに回復できたように見えるのもそのためだろう。

「やぁ、皆様方。元気かな?」

 すたすたと歩いていき、手近な椅子に座る。

「ぼくは……まぁ、まだ万全とは言えないけれど大体はもう大丈夫さ。ロアの怪我は……まだみたいだね。フィレル、疲れは取れたかい?」

 イルキスの問いに、うん、と大きくフィレルは頷いた。

 揃った一同を見て、感慨深げにフィラ・フィアが呟く。

「フィレル、ロア、イルキス、蝶王、そしてわたし。今回はこの五人でゼウデラに挑むのね……。今度こそわたしはやり遂げられるかしら? シルーク、エルステッド……見ていてね」

 次の戦いが正念場だ。重い空気が辺りに流れた。


  ◇


 花の都、ウィナフ。そこでフィレルたちは英雄、と町の人々から慕われた。いつか訪れる破滅の運命を回避したのだ。フィレルたちは待ちの人々の不安を取り去った。

 大きな図書館があった。そこにはツウェルのウァルファル魔道学院にあった本の迷路を遥かに超えそうなくらいの書物が収まっていた。劇場があった。そこでは古の英雄譚が演じられていた。商店街に行けば様々な食べ物や珍しいものが置いてあり、町の繁栄をうかがわせる。フィレルらはウィナフの都に、五日間留まった。とても五日では観光し切れないほどの町だったが、目的を果たしてからまた来ればよいと割り切った。

 傷の治った一同は、宿のひと部屋に集まる。あれだけ大きな怪我を負ったのに、ロアの傷はもう治っていた。人間とは思えないほどの回復力だった。

「次に封じるのは戦神ゼウデラ」

 地図を広げながらフィラ・フィアが言う。

「そして、ね。ゼウデラが封じられているのは……ここよ」

 彼女が指し示した町の名は、


 イグニシィン。


 フィレルは知った。

 究極の敵は、最も身近なところにいたのだと。


  ◇

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