9-2 第六の封印

 町が滅ぼされる日が、近い日にはならないように。

 シェルファークに目をつけられた町の人々は彼を祀り、供え物をする。

 辿り着いた神殿はしっかりと整備されており、中に入ったらだぼだぼの服を着た人がいた。

「天空神の神殿へようこそ。旅人さんですか? 何の御用でしょうか」

「天空神さまにお祈りをしに来たんだよ」

 自然な態度でイルキスが答える。すると、神殿の左の道を進んでくださいと案内があった。そちらの方にある部屋に、神への祈りを捧げる場所があるらしい。

 たどり着いた先には、人外の雰囲気を身に纏った一人の男がいた。

 燦然と輝く太陽の如き金髪、炎を宿した深紅の瞳。身に纏うはひらひらとした、赤を基調として金のアクセントの入っている軽装。挑発的な笑みを浮かべ、背から黄金の翼を生やし、男は宙に浮いていた。

 一目でわかる。これが、この男が。

「無邪気なる天空神、シェルファーク……!」

「無邪気……なんて、あだ名は俺には似合わないがね」

 笑みを浮かべて神は言う。

「お前が封神のフィラ・フィアか? お前は俺を倒しに来たのか」

「封じに来たのよ」

 フィラ・フィアが錫杖を地に突くと、しゃん、と涼やかな音が鳴る。

「あなたはわたしたち人間の社会に、深く干渉しすぎてはならなかった。社会が腐ってしまったのなら、それはわたしたち人間の手で取り除く。あなたの助けなんて必要ないのよ」

「ったく、馬鹿だよねぇ人間はこれだから。あー、もしかして俺が人間のためにこんなことをしているとでも思っていたのか? そんなわけねぇだろう」

 笑みの中に愉悦が宿る。

 フィレルはキャンバスと絵筆を構えた。

「来るぞ!」

 ロアの声。そして。

「――俺は、足掻く人間たちを見るのが大好きだ。それが俺の行動理念だッ!」

 轟いた雷鳴。ばりばりと音をたてて天が裂け、神殿の高い天井から天の裁きの如く、無数の雷条が降ってくる。

「させないよ?」

 笑うイルキス。彼の周囲で水が渦巻き、稲妻を集めて外へ逃がした。それを戦いの合図として、動き出す。

 シェルファークは強い相手だ。これまでの神々と同様、一筋縄ではいかないだろう。

 フィラ・フィアは勢いよくステップを踏む。しゃん、しゃんと清浄な鈴の音。銀の錫杖が神聖な光を帯び、足元から形成されていく虹の鎖。

 相手は宙に浮かんでいる。近接攻撃専門のロアには難しい相手だ。

 だから、だからこそ。

 フィレルはその距離差という不利をなくすためのアイテムを、真っ白なキャンバスに描きだす。

「ロア!」

 叫んで放り投げたそれは、銀色の。

「弓、ねぇ……っておっと」

 感心する暇もあらばこそ。シェルファークはイルキスの飛ばした水の槍を悠々と回避する。

「何を見ているんだい? きみの相手はこのぼくじゃないのかい?」

 水と光をより合わせ、生み出されたのは無数の幻影。そこにシェルファークが稲妻を当てても、幻影は消えることがない。だが、稲妻と水は反応し、幻影はほんの僅かだけ揺らぐ。揺らがなかった本体目がけて飛んでくる稲妻。イルキスは小さく舌打ちをした。

「ありゃりゃあ。稲妻に水の幻影は相性最悪かい? ならばこれはどうだい!」

 見破られないように。イルキスは自身に水を纏う。これで稲妻を当てられても、条件は同じになった。蝶王が死神蝶を呼び寄せて、少しでも相手を撹乱できるように神殿の中を飛ばす。

 そうやって二人が敵を引きつけている間にも、フィラ・フィアは舞う。ただひたすらに。

 昔、使命を負って旅に出た。あの日抱いた熱い思いはいまだ、衰えることを知らない。

 その横で、ロアがフィレルの弓を引き絞る。全力で引き絞られた弓は、白銀の輝きを放つ矢をシェルファークに向けて撃ち放つ。

 閃光。放たれた矢は、イルキスと戦うので精いっぱいだったシェルファークに迫る。

 だがその瞬間、シェルファークが獰猛な笑みを見せた。嫌な予感がフィレルの背筋を走る。

「ロアッ!」

 思わず上げた悲鳴。ロアの放った矢は、見えない壁によって、空中ではじき返された。フィレルとロアの魔力を載せて放たれた、渾身の一撃は。

 ちらり、垣間見えたのはいつかの幻影。シェルファークに巨大魔法をぶつけた人たちが、全て跳ね返されて吹っ飛んでいった場面。それはかつて、実際にこの神殿で起こった事実。

 気がついた時は、もう遅い。“魔力を込めて”放たれた矢はそのまま返されて、自分たちを害する武器となって目の前に迫っていた。

「俺に魔力は効かないぜ、人間ッ!」

 シェルファークの高笑いが響き渡る。

 イルキスが相手を攪乱している間に、フィレルとロアで渾身の一撃を放つ作戦だった。だがその一撃は破られた。

「フィレルッ!」

 魔力を込めた矢が二人を貫こうとした刹那、フィレルは何者かに突き飛ばされるのを感じた。

 呻き声。振り返ったそこにいたのは、いつも自分を守ってくれた広い背中。

 どしゃり。全ての攻撃を一身に受けて倒れたのは。

「ロア!? ロア、ロアッ!」

 抱き上げた身体は、血まみれだった。大丈夫だ、死にはしない、とロアが掠れた声で返事をするが、溢れ出る血は止まらなくて。その唇が動き、言葉を繋ぐ。

「ファレル様と約束……したんだ。生きて……帰る、と」

 必死で身を起こし、それでもまだ動こうとしたロア。フィレルはその動きを止めて、ちらり、イルキスが戦っていた方を見る。そこにはイルキスが倒れていた。その身体は、動かない。魔力は効かない、とシェルファークは言った。イルキスもフィレルらと同じように、手痛い反撃を受けてしまったのだろうか。

 忘れてはならない。シェルファークはとても高い攻撃力を持つ存在。防いではならない、回避しない限りその死の攻撃に対処することは不可能だ。

 直接攻撃専門のロアが倒れ、魔法攻撃に特化したイルキスが倒れ。今、残っているのは戦闘向きではないフィレル、フィラ・フィア、蝶王だけ。そっか、とフィレルは呟き、覚悟を決めた瞳で相手を見据えた。

 心の内には喪失への恐怖。ロアもイルキスも大切な仲間だ。失いたくない、その想いがフィレルの心を強くして。

 心が、壊れそうなくらい大きな想いに揺れた、時。

 弱かったフィレルの中で、スイッチが入った。

 明るく無邪気な表情が、急激に冷めていく。

 これまで自分を守ってくれていた人が傷つき、倒れているのならば。

「……そう」

 呟いた声は、普段の無邪気な彼とは打って変わった、冷たく無機質な声。

 急速に冷えていく頭の中、初めて心から本気になったフィレルは、動き出す。

「なら、僕が」

 守るしかないんだ。

 言って、フィレルは倒れているロアを守るように、両腕を広げて神の前に立ちふさがった。その姿を見た蝶王が驚きの声を上げる。

「絵心師! そなた、何をする気――」

「黙ってて」

 冷めた声で相手の言葉を切り捨てると、フィレルはいつも身につけていた、絵描きの証たる白いエプロンを外した。その下にあったものがあらわになる。そこにあったのは、

「……武器の絵、だと?」

「絵心師ならではの切り札さ」

 浮かべたのは獰猛な笑み。

 フィレルは緑に輝く手で、所狭しと武器の絵の描かれた服に触れた。

 そう、これこそがフィレルの切り札。描かれた絵を自在に取り出せるフィレルならば、絵の中に武器を隠して持つことも容易い。フィレルがいつもちぐはぐなエプロンを身に纏っていたのは、これを隠すためだったのだ。

 フィレルは服の中に描かれた数多ある武器の中から、一本の剣を選び取る。実体化したそれを握り、宣言した。

「創作系特殊魔導士、絵心師フィレル・イグニシィン! 神だか何だか知らないけどさ、大切な人を酷い目に遭わされたんだ、相応の罰を受けてもらうんだよぅ?」

 しかし剣は苦手だったはずでは、と言おうとしたロアに、力強く笑い掛ける。

「だってあのロアが教えてくれたんだ、上達しないわけがないでしょ? のーある鷹は爪を隠す、ってね!」

 その言葉は、これまでのあれはただの演技だったのだということを示していた。

 明るく無邪気な問題児、フィレル・イグニシィン。勉強もしないで武術も碌に練習しないで。けれどフィレルは陰でこっそりと練習していた。フィレルなりに考えて、己を磨いていたのだ。

 その成果が、今ここにある。

 フィレルは戦力外なんかじゃなかった。しっかりとした戦力として数えられる程には、十分に強かったのだ。

 シェルファークは呵呵大笑した。豪快な笑みが口元に浮かぶ。

「は、はは! そうか、そうなのか! それでこそ……人間だッ!」

 すたっ。音を立てて地上に降りる。雷を集めより合わせ、一本の太い綱のようにしたそれを硬化させて雷の剣とする。それを構え、天空神は言う。

「いいだろう、いいだろう! 絶望から這い上がるその姿! 挫けそうになっても諦めぬその姿こそ、俺の愛した『人間』の姿だ! 絵心師フィレル・イグニシィンと言ったか? 人間の意地、見せてみろッ!」

「望むところさ」

 言うなり。

 一閃。

 いつの間にか抜かれていた剣が、神速の動きでシェルファークへと迫る。跳躍。天空神は地を蹴り大きく後方に退避。その顔に浮かぶ表情は愉悦。

 絶望から立ち上がる人間の姿を見るのが好きだった神、天空神シェルファーク。その赤い瞳は久々の強い相手との戦いにきらきらと輝き、少年のように純粋な輝きを宿している。無邪気なる天空神、と呼ばれる所以だった。彼はただ純粋に、絶望から立ち上がった人間と戦うのが好きだったのだ。

 そんな相手と戦いながら、フィレルは油断なく剣を構えつつ獰猛に笑った。それは図らずも、いつも戦闘時にロアが浮かべている笑みとそっくりなものになっていた。

 フィレルは背後で固まっていたフィラ・フィアに声を掛けた。

「ロアが動けないんだ、ならば僕がロアを守るよ。だからお願い、フィラ・フィア。僕がこうしている間に――」

「え、ええ!」

 返事をし、フィラ・フィアが舞いながら術式の続きを紡いでいく。それを見てひとつ頷き、フィレルは、

 跳躍。引き下がった天空神の前、たった一歩で距離を詰める。それは訓練された武人の如き動き。一閃。絵の中から生み出され実体化させられた煌く刃が、神の身体を切り裂こうと迫る。追撃。フィレルの手から逃れようとした天空神に、逃がさんとばかりに追いすがる煌めき。そして連撃。服の中からいつの間にか取り出されていたもう一本の剣が、天空神の退路を阻む。相手を切り裂くその顔には、力強い笑みと、守るべきものを後ろに庇った、一人の戦士の不退転の覚悟があった。両の手に握った双つの刃は、神すらも殺せそうな勢いで、本気の殺意を込めて唸りを上げる。

 フィレルはただの泣き虫な問題児ではなかった。内なる強さをずっと、その身の内に秘めて隠していたのだ。

 一閃、二閃、三閃。力強い連撃に、押されていく天空神。雷の刃が悲鳴を上げるかのように火花を散らす。先程まで余裕のあった天空神のその顔には余裕がない。ただ、愉悦があった。無邪気な感情と愉悦によって、その顔は心から嬉しそうに笑っていた。

 そしてその瞬間、舞が終わる。しゃん、と涼やかな鈴の音が神殿内に響き渡り、虹色の鎖が彼女の周囲を取り巻くように、ぐるぐると幾重にも回り出す。

 澄み渡った声が、神殿内を打った。

「封じられなさい! 無邪気なる天空神――シェルファーク!」

「人間……ああ、やっぱり面白い存在だッ!」

 ただひたすらに愉悦をその声に含ませて、神の姿は光へと変わる。虹色の鎖が幾重にも巻き付き、神殿の中を眩しすぎる光が通り抜けた、後。

 そこにあったのは、天空神の姿をした巨大な空色石ターコイズだった。

 もう大丈夫だ。それを見て、安堵がフィレルの中を駆け巡る。その瞳からは、先程の苛烈な輝きは消えていて。いつもの、無邪気で明るいフィレルに戻っていることが分かる。

 がらーん。大きく音を立てて、その両の手から剣が落ちた。

 フィレルは泣きそうな顔で、倒れているロアに笑い掛けた。

「やったよ、ロア。僕ね……守れたっ!」

「お前……」

 驚きの目でフィレルを見るロアの手を、フィレルは握り締める。

「僕だって、戦えるんだよぅ?」

 泣きそうな顔、壊れそうな顔でフィレルは笑う、無理して笑う。

「戦うなんて、武器を使って振り回すなんて、嫌だよぅ。たとえ誰かを守るためであってもさ、武器を振るたびに僕の心は傷ついているんだ」

 でも、仕方ないじゃあないかと笑う。

「僕しか、僕だけしか、戦える人はいなかったんだからさっ! いくら戦うのが嫌でも辛くても、僕しかいないなら……僕が、僕が、やるしか、戦うしか、ないじゃあないか……」

 フィレルの身体がぐらり、よろける。「フィレル!?」心配そうな顔をしたフィラ・フィアたちの前、フィレルはがくりと、地に膝をついた。その辺りまで広がっていたロアの血が、撥ねた。フィレルはがくがくと震えていた。その顔は蒼白だった。

「嫌だってば、怖いってば。だってさ僕は戦うのが嫌いな平和主義者なんだよなのにどうしてこんな」

 フィレルはちらり、ロアの方を見た。大きな怪我を負っていたロアの顔は蒼白になっていた。ロアが、大切な人が危ないと悟ったフィレルは怯える身体を叱咤してロアの方へ急ごうとするが、その身体を猛烈な疲労感が襲う。身体を動かすこともままならないほどの疲労感。フィラ・フィアの心配そうな声がフィレルの耳を叩くが、意識を失いそうになっているフィレルには届かない。

 倒れつつも、ロアの方へ手を伸ばした。

 意識を手放す寸前、思う。

――ロア。

――僕は大切なものを、守れた……かなぁ?


  ◇

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