第13話 託された明日

*****



 翌朝、あたしは気持ち良く目を覚ました。嘘みたいに悪夢から解放されたのである。


 あ、もちろん自分の部屋で目が覚めたんだからねっ。アベルの部屋につれこまれてたまるもんか。


「――目が腫れてしまいましたね」


 朝食の食卓にてアベルがあたしに声を掛ける。彼がやや眠そうにしているのは夜遅くまであたしに付き合ってくれたからだ。


「明日の式典までにはおさまるわよ。心配いらないわ」

「よく眠れました?」

「お陰様で」


 あたしはにっこりと微笑む。アベルはほっとした様子で笑んだ。


「なんとかあなたの悩みは解決したようですね」

「あれだけ騒いで解消されなかったら、ここにはいられないわよ」


 おどけて答える。

 わだかまりがまだ残っているとしたら、あたしには思い当たるところがない。キースの件についてはかなりショックだったけども、くよくよしているのは彼に悪いような気がしてなんとか立ち直った。あとは明日の式典に備えるだけだ。


「ところでカイルさんはどうしたの?」


 アベルの頭の上を指定席にしていたカイルの姿が見えない。昨晩見掛けてから一度も会っていなかった。


「兄さんは……その……」

「?」

「このあと、時間ありますか? 付き合ってほしいのですが」

「えぇ。構わないけど?」


 改まってどうしたのだろう。


「良かった」


 アベルはそれきり食事の間ずっと黙っていた。どこか思い詰めた表情があたしの心に引っかかった。



*****



 アベルに連れられてやってきたのはエーテロイド協会にある会長室だった。そこに続く廊下から装飾ががらりと変わるのだから大したものである。扉も細かな装飾が施されており、それだけでも他の扉と比べて金額が一桁、いや二桁ほど違うだろうと感じられた。


「失礼します」


 アベルが扉を叩いて中に入る。


 そういえば、アベルの服装はいつもの真っ白なローブではなく、エーテロイド協会の制服を着ているのよね……。これから何が行われるの?


 部屋の中はとても広く、手前に応接セット、奥には立派な机が鎮座していた。


 これ、絶対あたしが使う機会の来ないやつ……。


 アベルに続いて部屋に足を踏み入れた。

 どうやら先客がいたようだ。よく見ると、ソファーには肩にカイルを載せたテンが座っている。彼はこちらを見るなり微笑んだ。


「忙しい中、悪いね」

「いえ、あなたにお聞きしたいこともありましたから」


 アベルはテンと向かい合わせになる席に腰を下ろす。立っていても仕方がないのであたしはアベルの隣に腰を下ろした。


「お父様は?」

「すぐにいらっしゃるかと」


 そのタイミングで扉が開く。


「そろっているようだね」


 部屋に入ってきたクリストファーにあたしは頭を下げて挨拶をした。


 この肩書きが華やかな顔ぶれの中にあたしがいる意味がわからないんだけど……。この場に呼ばれた理由ってなんなのよ?


 クリストファーがテンの横に腰を下ろすと、いよいよテンが切り出した。


「カイル君の件ですが、約束どおり今日をもって契約を破棄するつもりです」

「……そうか」


 寂しげにクリストファーは頷く。二度息子を失うようなものだろう、つらくて当然だ。


「約束ってなんのことです?」


 その問いはアベル。


「次期当主が確定するまでという約束で私はカイル君と契約したのです。明日は式典。その役目は終わりました」

「……身体は大丈夫なんですか? エーテル乖離症を良く知っているでしょうに」

「カイル君が言っていたことを気にしていたんですか?」


 アベルはすんなりと頷く。


「しばらく休息が必要だと思いますがね。長期休暇の申請は通っていますから問題ないですよ」


 確認の意味を込めてテンはクリストファーの顔を見る。


「ならばよいのですが……。あともう一点。お父様たちはカイル兄さんがエーテル乖離症を発症させていたことを知っていたんですか?」


 クリストファーはそのアベルの問いに重々しく頷いた。


「遺体の様子から不審に思ってな。テンに呼んでもらったのだ。訊ねてみれば、カイルは認めたよ。コーネリアもそれについては知っている」


 あ、だからあたしが『エーテラーナ』『アストララーナ』を借りに行ったとき、あんな悲しげな表情をしていたのか。急に冷たさをまとったのはあたしが訪ねるのが遅かったからかしら。もっと早く訪ねていれば、結末が変わっていたかもしれないから……。


 自分の行動が、彼らの運命を決定づけてしまったようで、あたしは居心地が悪い。


「教えてくれたって良かったではありませんか?」


 アベルが不満そうに言う。


 そりゃそうだろう。知らなかったために遠回りをしてしまったのだから。


 クリストファーは小さくため息をついた。


「お前がすぐに戻ってきていたなら伝えたさ。次期当主の権利を持つということは、陣魔術の隠された特性を知ることと同義であるのだから」

「あれ? では、レイナさんはこのことを知らないのですか?」


 クリストファーの答えに対し、あたしは疑問を述べる。


「あぁ、そうだ。娘はエーテル乖離症のことも、カイルがそれによって命を落としたことも知らない」


 そっか。そうなんだ。


「…………」


 あたしが黙るとアベルが続ける。


「その件ですが、私は明日の式典にてエーテル乖離症についてを公表するつもりです。兄さんもそれを望んでいますから」

「そうか。資料も集まったことだ。充分説得できるだろう。好きにしなさい」


 もしや、クリストファー=クリサンセマムという人は始めから憎まれ役を演じようとしていたのではなかろうか。すべては国の発展と継続のために。


「……お父様?」

「なんだ?」


 アベルは言いにくそうに切り出す。


「どうしてこんな方法を取ったのですか?」

「こんな方法とはなんだね?」

「このまま私が公表したら、それはあなたを批判することになる。お父様の立場が危うくなるのではありませんか?」

「何を今さら」


 にこにこしながらクリストファーは答えたが、笑顔を浮かべて告げられる言葉ではない。

 だからこそ、その言動で彼の真意を確信できる。


「――やはり覚悟をしていたんですね」


 迷うようにアベルは言葉にした。


「当然だろう? ――できれば、ジュン=アンジャベルの予言が当たらなければ良いと思っていたよ。しかし結果は昨日渡した資料の通りだ。いつか、誰かがしなければこの国はやがて滅びる。それが今だというだけの話。それくらいわかっていた」


 クリストファー=クリサンセマム、この人物は確かにただ者ではない。今の地位を利用してやれるだけのことを行い、次の代のことまでしっかり考えている。自分のことだけではなく、回りや将来のことさえ考えられる人物なのだ。

 そしてそれは今のあたしにはできない。だけど、これからのあたしはしなくてはならないことだ。あたしが始めなければ、陣魔術に未来はないし、ひいてはこの国の未来さえ左右する。

 憧れているだけではいけないところにあたしは来ている。


「私が退いたあともテンはお前についていってくれるそうだ。全て任せてある」

「ローズさんが?」


 アベルは驚いた顔をしてテンを見つめる。


「私の特技にはまだまだ出番がありそうですからね。協力しますよ」

「それは心強いです。助かります」


 その場ですぐにアベルは頭を下げた。テンは穏やかに笑う。


「大変なのはこれからだ。一人でやるには難しいだろうからね」

「そうだ」


 顔を上げるとアベルはあたしを見た。


 はて、何かしら?


「アンジェリカさんも協力してくれることになりました。プログラムの件、通っていますよね?」


 視線をテンに向けて訊ねる。彼は嬉しそうに頷いた。


「もちろん伺っています。式典で発言する機会は用意してありますよ」


 テンは視線をあたしに向けた。

 あたしは答えて頷く。


「ありがとうございます。――ですがあたし、何をどう話したら良いのかわからなくて……」


 言わなきゃいけないことは整理できたが、どうもうまく文章にならない。これまでの経験から論文の読み書きは慣れていても、伝わるように話す文章は作り慣れていないのだ。

 正直に告白すると、クリストファーは優しげにあたしを見つめた。


「思う通りのことを言えばいい。――なんなら、その場を借りて婚約宣言でもしてみたらどうかね?」

「お父様っ!」


 アベルが顔を真っ赤にして立ち上がる。あたしの頬も熱くなっていた。恥ずかしくなって思わず視線をテーブルに移す。


 アベルの両親はどうしてあたしに好意的なのかしら? あたしがアンジャベル家の人間だから気に入られているのかな? それにしても何故アベルをからかうの? ――いやまて、あたしは試されているのか?


「私は本当にそれで構わないと思っている。互いを必要だと、人生の上で欠かせぬ存在だと認め合っているのなら反対しないよ。

 ここだけの話だが、コーネリアと婚約したのは図書館を手に入れるための政治的意味合いが強かった。だが今となっては大切なパートナーだ。彼女なしでは現在はなかっただろう。それも彼女が協力し、支えてくれたからだ。パートナーがいるのといないのとでは全く違うものだよ、アベル、そしてアンジェリカさん」


 頬を赤くしたままだろうあたしはクリストファーを見て、それからアベルを見た。彼もこちらを見ていて、偶然目が合う。


「あたしなら、構わないわよ?」

「えっ! 式典で発表するつもりなんですかっ!」


 明らかにアベルは動揺している。思考がおかしい。あたしに初めてキスをしたあのときの様子が脳裏を過ぎた。


「いやいや、そうじゃなくって」


 あたしは真面目な顔を意識的に作って、手を横に振りつつ否定した。正式な場で個人的な意味合いを含む話はしたくない。


「正式にパートナーとなっても構わないって言っているの。あたしじゃ足りないかしら?」


 もう迷わない。気持ちは固まっているから。


「アンジェ……」

「今さら断らないでよね? こっちだって結構悩んだんだから」


 どれだけ悪夢にうなされたと思っているのよ? 全部アベルのせいなんだから。責任取ってもらうわよ?


「ああ……まるで夢みたいだ。起きてますよね、私?」


 クリストファーとテンに向かってアベルは訊ねる。二人は微笑みで答えた。


「こりゃ忙しくなりそうだな。ローズさん、もう少しこっちにいたらいけませんか?」


 ずっと観賞目的の人形エーテロイドみたいになっていたカイルだったが、あたしたちのやり取りに感化されたのだろう。テンの耳元で問いかける。


「君は私を道連れにしたいのですか?」


 さわやかにテンは返すが、表情がひきつっている。あからさまに冗談じゃないと言いたげだ。

 きっとそろそろ身体の限界なのだろう。ひょっとすると、カイルがあまり動かなくなったのはテンの疲労が限界に近付いているからかもしれなかった。


「いえいえ。言ってみただけですよ」


 カイルは翼を上下させて肩を竦めるような仕草をした。


「へえ……そうは思えませんでしたが」

「…………」


 カイルは再びもの言わぬ置物に戻る。何事もなかったような澄ました顔をしていた。


「……寂しくなるよ」


 テンは表情をふっとゆるめてカイルの頭をなでた。かなり長い間、起動させっぱなしだったのだ。疲れはたまっているだろうが、その分心の結びつきは強くなっているはずだ。


 ましてや生前からの付き合いだものね。容易に忘れられるわけがないか……。


 しんみりとした空気を変えたのはクリストファーだった。


「――まずは式典を無事に終えるところからだな」


 言ってクリストファーは立ち上がる。この話は終わりだという合図。


「は、はい!」


 アベルは背筋を正して頷く。


 そうだ。まずはアベルの次期当主を引き継ぐ式典が終わってからだわ。そこからが勝負なんだから。


「午後は明日の予行練習を行うとしよう。そのあとにカイルを送り出そうか」


 その言葉のあとでカイルはふわりと飛び立ち、クリストファーの肩に載る。


「――お父様。今までお世話になりました。親不孝者ですみません」

「なに。これが私の選んだ道だ。エーテル乖離症を隠してきた罪がお前のところに行ってしまったのだろう。こちらこそすまない」


 結果として、キースが望んでいたようにクリサンセマム家にも犠牲者が出ることになった。クリストファーにとっては覚悟してきたことだろう。あたしは彼らの悲しみを背負って立たねばならない。

 あたしにできるのだろうか。


「アンジェ」


 不意にアベルはあたしに声を掛けて手を握る。優しい感触にいつかのキスを思い出した。


「一人で背負うことはありませんよ」

「え?」


 あれれ? あたし、喋っていたのかしら?


「気持ちは通じるものです。それが好きだってことでしょう?」

「ばっばかっ! こんなところでそんな台詞を言わないでよっ!」


 もうちょっと時と場所を考えてほしい。


 ……でもそんなところがアベルらしいと言えばアベルらしいのだけども。


 あたしは全身を火照らせながら頬を膨らませる。


「本当に仲が良いな」


 クリストファーがあたしたちのやり取りに突っ込みを入れると、カイルとテンは声を立てて笑った。


 もうっ! アベルのばかぁっ!



*****



 そして式典当日の朝がやってきた。初夏を感じさせる日射しが柔らかい。とてもいい天気だ。式典にはふさわしい日和に違いない。


「うわぁ……」


 あたしの部屋に入るなり、アベルは感嘆の声をもらした。あたしのドレス姿が目に入ったのだろう。

 昨日約束した通りに迎えに来たようだ。彼も彼できちんと正装――エーテロイド協会の役員が主に着ているような、型の違う制服に身を包んでいる。


「どう? やっぱり似合わないわよね」


 さすがに卒倒することはなかったが、かなり緊張する。汚したら大変そうだし、引っかけたりしたらどうしようなんてことで頭がいっぱいだ。

 そのせいもあって、式典での文句をきちんと言い切れるかどうか不安になる。一方で、思っていることをありのままに宣言すればいいのだから大丈夫だと自分に言い聞かせる。飾らない言葉で素直に話せばきっと伝わるはずだと。


「何言っているんですかっ! とっても綺麗ですよ!」


 ぐっと拳を握りしめ、これでもかってくらいに感情を込めてアベルが誉める。


 誉めても何も出ないわよ?


「そりゃあドレスが良いもの。肌触りも最高だし」


 くるりとその場で回るとスカートの裾がふわりと揺れた。

 どう考えても、人形パペット屋での収入では決して手に入らない品だ。


 この金額分の働きをするために、あたしは何をしたら良いものかしら。すんなりもらうのだけは、父方の商人の血が許さないのよ。


「いいえ! アンジェだから綺麗なんですっ!」


 頬を赤くして、あたしの言葉に不満げな様子で力説する。


「……謙遜したあたしが悪かったわよ」


 だからこれ以上体温が上がることを言わないでちょうだい。


 昨日の午後は式典の予行練習が行われた。お陰でおおよその流れは掴めたし、本番には出席できないカイルも喜んでいた。

 そのあとはクリサンセマム家の身内のみでカイルを送り出したらしい。

 らしいというのも、家族水入らずのところにあたしがお邪魔するのも変なので――アベルもカイル本人も誘ってくれたのだけども――丁寧に断ったからである。


 だって、ほら。クリサンセマム家の一員を名乗るにはまだ早いでしょ? それに、カイルの件についてはちょっぴり罪悪感があったからね。


「――あ、外してくれたんですね」

「うん。アンジャベル家の人間として、今日は出席したいから」


 アベルは気付いてくれたらしい。

 彼が指摘するように、首を覆う部分は外している。髪も上のほうでまとめてもらったから痣がしっかり見えているのだが、あたしはもう恥ずかしいなんて思わなくなっていた。


 だって、あたしがあたしである証だもの。隠したりしたら、今まで命を繋いできたアンジャベル家の人たちに悪いわ。


「あれ? その指輪……?」


 さらに、あたしの首から下がっているチェーンが目に入ったようだ。ちょうど鎖骨のあたりで、金属の光を放つ指輪がチェーンに通されていた。


「これとお揃いよ」


 呪いのごとく外れない右手の薬指にはめられた指輪を、ネックレスに見立てた指輪の隣に並べる。サイズは違うが、まったく意匠の同じものだ。


「じゃあこれは……」


 目を丸くしてアベルはあたしを見つめて答えを待つ。


「お母さんの指輪よ。朝食後に戻ったら、机の上に手紙が添えて置いてあったの」


 おそらくキースの仕業だろう。自分で届けたのか、誰かに届けさせたのかはわからない。でも手紙は彼本人のものに違いない。


 陣を描くときの几帳面さが文字に出ているからきっとそうよ。


 昨日、今日と協会に伝えられた各地の様子はとても平和なものだった。暴動は今のところ起きていないらしい。キースが伝えてくれたからだろうか。


 会えるなら礼を述べたいところなんだけど……もう無理かな。その分、ここであたしが頑張らないとね。


「どうも常日頃、持ち歩いていたらしいわよ。渡しそびれたからって書いてあったわ」


 用件のみの簡素な文面はいかにも彼っぽく思えた。他の一切の近況報告も名前さえも書かないあたりが特に。今回の手紙には魔法陣の封はなかった。


「そうですか……」


 どこかつらそうな気持ちが表情に出ている。アベルも気にしていたのだろう。


「――お母さんの形見だからって思ったんだけど、外した方がいいかしら?」

「いえ、そのままで良いと思いますよ。むしろつけたままのほうが良いかもしれません」


 やんわりと笑んでアベルが答える。


「そう? よかった。ならつけていくわ」


 お母さん。あたし、必ず解決策を見つけ出してみせるから。エーテル乖離症で死ぬ人を一人でも減らせるように。


「さてと。準備はできましたか?」

「えぇ」


 あたしはとびきりの笑顔を作って頷く。覚悟はできている。


「では参りましょうか」


 あたしの正面にまわると、アベルはすっと手を差し出す。


 この手を取ったらあたしは……。


「はい」


 行くしかないんだ。


 あたしはしっかりとその手に自分の手を重ねる。

 ここからが大事なんだ。あたしは、いや、あたしたちは出発点に立ったばかり。ここから踏み出す一歩が未来の明暗を分かつ新たな幕開けになるのだろう。


 独りではできないかもしれないけど、アベル、あなたがいれば大丈夫だよね? あたしは信じるよ。


 あたしたちは人々が今か今かと待っている会場に向かって歩き出した。


《了》

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人形の国の陣魔術師《エーテリスト》 一花カナウ・ただふみ @tadafumi

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