第12話 失われたものと繋げるものと。

「すまない」

「なんで謝るの?」


 言いにくそうに彼は視線を外す。


「彼女の寿命を縮めたのは俺だ。彼女の命を使って生き長らえたのも俺なんだ」


 声が震えている。あたしは彼の手を握り直した。


「状況がよくわからないわ。何があったの?」


 二年前にいったい何が?


 責めているみたいに聞こえないように、努めて優しく訊ねる。追い詰めるようなことがあってはいけない。


「……研究は半年ほどかかった。その間もちろん俺も研究を手伝っていた。興味があったからな。次第にエーテルと霊魂アストラルとの関係やそれらがいかに結び付いているのかといった仕組みが明らかになったが、俺の症状はどんどん悪化していった。特に魔術を使用していたわけじゃない。ベスが口を酸っぱくして忠告していたしな。それと同時に、ベスにもその症状が現れるようになった。研究に区切りがついたのは、いよいよあとがなくなったと俺が覚悟を決めた頃だった」

「研究、完成したの……?」


 完成したにしては変な言い方だ。


 区切りがついたって言ったわよね?


「いーや。彼女が完成させたのはな……」


 男はそこで言いよどむ。


「何?」

「――肉体の時間を遅らせる魔術だ」

「なっ!」


 干渉系の魔術は様々だが、中でも生きている状態のものに対して行うものは難しいとされる。傷を治す魔術もこれにあたるのだが、それは結構大変なことなのだ。


 ちょっと考えてみてほしい。誰もが魔法で怪我や病気を治せるのだとしたら、病院はいらないし、外科医も薬剤師もいらないでしょ? 瞬時に治せるなら包帯を巻く必要もないじゃない。あたしの身体に刻まれている陣はかなり珍しいものなのよ――って、これが一番人体に負担をかけているんじゃ……。


「こともあろうに、ベスはそれを自分にではなく俺に対して使った。つーか、そうなるように彼女は始めから仕込んでいたんだ。術が発動するまで説明すらしなかったんだからな」


 男は不満げな顔をする。


「術は成功した。しかしその反動で彼女は命を落とした」


 あれ? 成功したならどうしてこんな状態に? やっぱり魔術を使用したから?


 あたしが引っかかりを感じて悩んでいる間も彼は続ける。


「君にこのことを伝えるべきだと思ったんだ。だがベスの遺言で、知らせるわけにはいかなかった。死んだことを知らせたら、必然的にエーテル乖離症の存在を知らせることになる。だが証拠がなくてはその現象を信じてもらえないだろう。それにベスは君に教えるのではなく、自分から気付いて欲しかったみたいなんだ。――エーテル乖離症という存在を認識し立ち向かっていくには、押し付けたものでは耐えられない、そう判断したのだと俺は思う」


 確かにあたしはエーテル乖離症という現象を知った直後は半信半疑だった。納得できるようになったのはテンが持ってきた資料に因るところが大きい。

 だから自分で納得し、だからこそ逃げないことを誓った。


「しばらくはベスを失った悲しみと、この魔術に対する驚きと恐れで家に引き込もっていた。しかしそのうちに怒りが込み上げてきたんだ。

 今の政策は何かおかしい。

 この事実が公表されていればもっと研究は進んで、解決策を生み出していたかもしれないのに。……始めはそんな思いからだった。その気持ちはやがて恨みに変わった。エーテル乖離症で家族を失うことの悲しみを、協会の人間も味わうべきだってね」


 声の雰囲気ががらりと変わった。深い悲しみと怒りに満ちた声。今でこそ魔術を使えない状態だから怖くないが、怒りや恨みはまだ消えていないことが伝わってくる。復讐の念は消えていない。


「それでまずは、国を放浪していると聞いていたカイル=クリサンセマムを狙うことにした。いきなり現当主クリストファー=クリサンセマムは難しいだろうし、成功したとしても国の混乱は免れないからな。カイルに会って話を聞き、様子を窺ってみようと考えたんだ」


 アベルのときは有無を言わさずに強襲したくせに、やたら平和的な台詞ね。


「で、カイルさんを襲ったわけ?」

「それが……」


 男は言いかけたが、途中でぴたりと止めて視線を遠くに移した。屋敷のほうだ。


「キース、その話は僕がするよ」


 闇の中をすっと通って現れたのは鳥の姿をした演芸用人形エーテロイド・パペット――カイルだった。


「その名を知っているってことはまさか……いや、そんなことができるとは……」


 戸惑う男にカイルは続ける。


「そういう術が傀儡師アストラリストの魔術にはあるんだよ。世話になったな、キース=スノーフレークよ」


 ひょいっとあたしの肩に下りてカイルは言った。


 この襲撃犯さんはキースって名前なんだ!


「な、なんで出てきたんだ、カイル! 俺たちの繋がりがばれたらあんたは……」

「知り合いなんですか?」


 あたしはカイルとキースを交互に見ながら訊ねる。キースはかなり動揺しているようなのだが、一体どうしたというのだろうか。


「殺すように依頼したのさ」

「……は?」


 カイルの答えはとても簡潔なものだったが――殺すように依頼したってどういうこと?


 あたしはキースの表情を窺う。彼はすぐに視線を外した。


「正確には、僕が事故死できるように協力してもらったんだ」

「それって、自殺行為じゃないですかっ!」


 もう何がなんだかわからない。


「そうだよ。僕は死ぬつもりで事故を起こしたのさ。だから死因は事故死じゃなくって自殺」


 さらりとカイルは答えたがあたしは腑に落ちない。どうしてカイルが自殺しなくっちゃいけないのかも全く不明である。


「なんで自殺なんか……」

「カイル、あんたは黙っていろ。話がややこしくなる」


 しばらく黙っていたキースが割り込んだ。


「なんだい? 僕には語る資格がないとでも?」


 翼を大きく上下させる。肩を竦めたつもりだろう。


「――アンジェリカ、俺がカイルに会ったときにはすでに彼はエーテル乖離症を発症させていたんだ」

「!」


 カイルの言葉を無視してキースが告げた言葉はなかなかに衝撃的だった。


 カイルはエーテル乖離症を発症させていた?


「しかもそれがなんで起きているのかも、カイルは知っていた」

「ちょっ……どういうことなの? きちんと説明してよ!」


 キースは言いにくそうに視線を彷徨さまよわせる。


「次期当主の権利を持つということは、『エーテラーナ』『アストララーナ』の秘密を知るということと同義なんだ」


 答えたのはカイル。


「知った上でどうするかは、当主になってから決める。お父様の場合は法を整備して図書館の改革を行なったわけだけど。――で、僕は僕で現状がどうなのか知っておく必要があるだろうと、各地を視察していたんだ。

 しかしそれが仇になった。補修を怠っていたからかな。気付いた頃にはあの飛行用人形エーテロイド・マシンの操作による負担が大きくなっていた。そう経たないうちにエーテル乖離症を発症させた」


 アベルに無理を言って強引に人形マシンを直したとき、あちらこちらが消耗していてあたしはその全てを修理した。まさか、術者に対してそんなに負担をかけていたとは。

 だとしたらあたしの店を破壊したあの日、アベルが眠りこけてしまったのにも合点が行く。


「両親に申し訳なくって言えなかったし、協会がこの事実を隠している以上他の誰にも相談できなかった。そんなときにキースが現れた。しかもいきなり刃物をつきつけて、聞きたいことがあるときた。あれには結構びっくりしたね」


 あ、やっぱりキースってそういう血の気の多い人なんだ。


「俺はカイルにエーテル乖離症についてを訊ねた。俺の症状を説明した上でな。そしたらカイルはにこにこしながらこう答えた」

「僕と同じだねって言ったよな?」

「――本当にカイル本人なんだな」


 キースは目を丸くする。


「そうだと言っているだろう?」

「不気味な術を編み出したものだ」

「僕に話すことは全て術者に筒抜けだよ」


 言ってカイルはキースの肩に飛び移る。


 そういえば、あたしたちの会話は全てアベルに聞こえているんだったわよね。いいのかなぁ、こんな話をしていて。


「――ってことは、もうばれているということか」

「まさかこの世に呼び戻されるとは思っていなかったからね。せっかく君と計画したのに意味がなくなってしまった。ごめんな」

「俺に話した計画は無駄になっただろうが――あんたの目的は達成できたろう?」


 鋭い目でキースはカイルを睨み付けた。


「なんの話だい」


 カイルは不思議そうな声を出す。


「とぼけるな。――俺はアベル君がアンジェリカのところに向かったのは、彼が図書館の改革の秘密を知っていたからだとばかり思っていた。しかし実際は違った。何故ならアベル君は協会が隠してきた事実を知らなかったからだ」


 そうなのよね。アベルはあたしをここに連れて来るまで、協会がエーテル乖離症を隠していることを知らななかったのだ。


「――ならばどうしてアベル君がアンジェリカの元に向かったのか」


 キースの声に凄みが増した。


「俺が人形マシンに陣を描いたからだ。あんたはアベル君をけしかけるために陣を描かせたのさ。彼がどうとらえるかはわからないが、見慣れない陣が人形マシンに描かれていれば違和感を覚えるはずだ。誰かにその効果を聞きに行くだろう。あんたはそれを狙って俺を利用したんだ」

「面白い推理だが、それは偶然だよ。僕はそんなことこれっぽっちも考えてない」

「でなけりゃ、あんたには自殺する理由がないだろうが!」


 そのときぶわっと風が起こり、あたしは思わずキースの手を放した。


「!」


 あたしは見てしまった。キースの右手が風の中に溶けて行くのを。


「――それは……本当なんですか、兄さん?」


 屋敷側から震える声がする。アベルだ。


「ちっ……間が悪い」


 キースはあたしから一歩分ほど離れてアベルと対峙する。


「間が悪いも何も、アベルは今までの会話、全部聞いていたのよ?」


 ポケットに隠し持っていた通信機能付き人形パペットのベルを取り出す。万が一あたしが強引に連れ去られた場合に備え、その通信用に持っていたのである。


「なるほどな。どおりで近くに気配がなかったわけだ」

「兄さん、答えて下さい!」


 キースが納得する間も、アベルは問いかけていた。カイルはキースの肩に載ったままだ。


「…………」


 カイルは黙っている。

 テンの人形パペットだから言いにくいのだろうか。


「兄さん……どうして……」

「――エーテル乖離症で命を落とすことは目に見えていた。生きている以上、いつかは必ず死ぬ。ある程度の覚悟はしていたつもりだ。

 しかしそのまま受け入れるには惜しいと思った。そこにキースがやってきたのさ。同じ症状を抱えている彼なら、このつらさを共有し理解してくれるだろうと思ったんだ。実際、その期待通りの働きをしてくれたよ」


 言ってカイルはキースの肩から離れる。


「僕はアベルに次期当主の権利を譲渡したい。それは名だけではなく、エーテル乖離症の解決に努める者として受け取ってほしいんだ。そのためにはアンジャベルの血を引く者が必要だった。『エーテラーナ』『アストララーナ』を読み解くことができるのは血をひく者に限定されていたからね。それらをきちんと理解して欲しかったんだ。許せ、アベル」

「私はあなたを許せない。――なんで教えてくれなかったんですか? 発症したのは私と旅を続けるのを拒んだ頃でしょう? アンジャベル家の人間が必要だとわかっていたなら、ともに訪ねればよかったじゃありませんか。あなたは一人で背負いこんで卑怯だ!」


 涙の混じる声でアベルは怒鳴る。


「許してもらえないならそれで構わないさ。結果的にお前は自分でその道を選らんだのだからな。好きなようにするといい。――では、失礼するよ。私の役目は果たされた」

「待て、カイル!」


 飛び去ろうとするカイルをキースは慌てて引き留める。


「あんた、なんで呼び戻されたんだ? 望んで戻ってきたわけじゃないんだろう?」

「そうだよ。少なくとも頼んではいない。――ローズ氏は死因がはっきりしない人間を呼び戻しては、エーテル乖離症との関連を洗っていたんだ。こんなことをいつまでも続けていたら、彼の身も持たない。対応は急務だ。――じゃあな、キース。先に向こうで待っているよ」


 屋敷の方へとカイルは飛び去る。残されたのはあたしとアベルとキース。


「ったく、良い身分だな、カイルは」


 キースは視線をアベルに合わせる。


「――さてアベル君。君は復讐するつもりはあるのか? 生憎、俺はあんたらをいまだに恨んでいる。理由がどうであれ、協会がこの症状を公表しないなら、死をもって償うくらいの覚悟を求める」

「復讐するつもりも、隠し通すつもりもありませんよ」


 アベルはつかつかとキースに歩み寄り、消えた右腕の先を見つめた。


「なんだって?」

「明後日、私はクリサンセマム家の次期当主の権利を譲り受けるために式典に出ます。そこでエーテル乖離症の事実を、その資料とともに公表するつもりです。これで各地で行われている陣魔術復権の運動には変化が生じることでしょう。その場にはアンジェも同席してもらうつもりです」


 キースが驚いた表情であたしを見る。


「なるほどな。部屋にあったドレスはそのためのものか」


 あたしはキースに頷いて見せる。しっかりと彼の目を見つめた上で。


「……ついに動き出すか。そりゃ嬉しい話だな。立ち会えないのが残念だ」


 言って彼は表情を苦痛で歪ませた。


「何を言っているのよ」


 心音が大きくなる。キースの額には汗が浮かび、頬には流れたあとが残っていた。


「もう持ちそうにない」


 息がわずかだが上がっている。キースは無理をして平気なふりをしているのだ。


「……ごめんなさい」


 きっと大丈夫だよ、なんていう励ましの言葉なんて言う資格があたしにはない。

 でも、だからこそ知りたいのだ。彼にかけられていたはずの魔法が解けている理由を。


「君は悪くない」


 キースはゆっくりと首を横に振る。おそらく、あたしが謝った理由に彼は思い当たりがあるのだろう。


 ああ、やっぱり、あたしのせいなんだ。


「ごめんなさい。お母さんがかけた魔法が解けたのは、あたしが解除魔法を使ったからなんでしょう?」


 あんなに泣いたのに、また視界が歪んでしまう。


「……違う」


 彼はそう答えたが、それが嘘だとあたしには思えた。


 解除魔法を使用した直後に感じた疲労は今まで経験したものよりもはるかに激しかった。確かにあの部屋には複数の陣が展開されていたけれど、見える範囲に展開されていたものだけではそれだけ消耗するようには思えなかった。

 あたし自身の身体に刻まれた陣を一時的に無効にしてしまうほど解除魔法は強力だったが、それにしては計算が合わないのだ。

 だからお母さんが施した肉体の時間を遅らせる魔術を誤って解除してしまったのなら、あたしが寝込んでしまったことにも納得がいく。


「ごめんなさい。あたしは……あなたを救えない」

「気にするな。これから俺みたいに命を落とす可能性のある人間を一人でも多く救うべきだろう? こんなところで泣いている場合じゃない」


 あたしの頬を伝う涙をキースは左手で拭う。


「お母さんが命をかけて救おうとした命を……あたしは奪ってしまったんだわ。あたし、そんなことに気付かなくって……」

「――人間は生きている以上、必ず死ぬ。カイルも言っていたな。あの魔術を解くことができない限り、俺は死ぬことができなかった。もはやその時点で生きているとは言えなかったんだよ。気にするな。あの魔術を解いた君は、すでにベス以上の才能を持っているってことじゃないか。期待しているぞ」


 キースはそう言うと、あたしの頬に口付けをして一気に飛び退いた。


「アベル君。君にも期待しているよ。カイルが命をかけて選んだ人間だ。必ず解決させてくれ」

「あなたはどこに行くつもりですか? そんな身体で」


 アベルはあたしを支えると、去ろうとしているキースに声を掛ける。


「過激派の連中に報告をな。式典まで休戦しろと伝えておくよ。だから――くれぐれもしくじるな」


 そう言い残し、キースは去った。彼の後姿はどこかほっとしているかのように見えた。


「――今日は泣いてばかりですね」


 アベルはあたしを引き寄せて抱きしめる。


「だってキースさんにとどめをさしたのはあたしなのよ?」


 あたしはアベルの胸に顔を埋めて呟く。


「ですが、あれは仕方がなかったことではありませんか。もしあなたがあのとき解除魔法を使わなかったら、おそらくここに私はいませんよ」

「でも……あたしが彼に会っていなければ、もっと別の形で出会っていたら、こんなことにはならなかったのに」

「仮定して話すのはお互いやめませんか? そんな話は不毛です」


 あたしは顔を上げる。視界が歪んでしまって、アベルの顔はよく見えない。


「あなたがすべきことはなんですか? 目的を見失ってはいけません。失われた命たちに失礼です」

「だけどあたし、耐えられないよぉっ」

「だから私があなたのそばにいるのではないですか」


 言って、アベルはあたしの唇に自分の唇を重ねた。


「私を信用できませんか? 私じゃ力不足でしょうか?」

「アベル……」


 胸が高鳴る。


「――キースさんが言っていたことはほぼ事実ですよ。

 私はあなたを殺すつもりで人形パペット屋を狙いました。ですが失敗してしまった上に、あなたは私を助けてくれた。そのときはっとしましたね。私は何を考えていたのかと。考え直し、出直すべきだと思いました。

 なのにあなた、私を解放してくれなかった。かなり焦りましたよ。私の胸のうちを知られてしまったのではないかと。その上で何かを企んでいるんではないかと」


 アベルは小さく思い出し笑いをした。


「でもそうではなかった。あなたがクリサンセマム家との付き合い方に悩んでいることを知りました。あなたが苦しんでいることを知りました。あなたが憎むべき相手ではないとわかりました。

 それだけではありません。あなたは私を一人の人間として対等に扱ってくれました。私のことを友達だと言ってくれました。命を懸けて守ってくれました。だから惹かれたのです。

 私はあなたのパートナーにはなれないのでしょうか?」


 そっか。そうだったんだ。


 キースに襲撃されたあと、急にアベルの態度が変わったからどうせあたしを利用するためなんだろうと思っていた。なんとしても式典を成功させる必要があったから。

 それにあたしは彼について行こうとして、その気もないのに言い寄っていたから余計にそう感じた。


 だけどそうじゃなかったのだ。アベルは本当に、パートナーとしてそばにいてほしいと思っていたのだ。


 なのにあたし……信じることができなかった。ごめんね。もう、大丈夫だから。


 あたしは一生懸命に首を横に振る。


「あなた以外にパートナーは考えられないわ」


 アベル以外にふさわしいパートナーなんていないじゃない。どうしてそんなことがわからないのよ。


「ならばそろそろ笑顔を取り戻して下さい」

「これは嬉し涙よ」


 拭っても拭っても次から次にあふれてくる。


「あなたが泣かせたんだからね。責任取りなさいよ」

「そんなことを言うなら、私の部屋まで連れて帰っちゃいますよ?」

「つまらない冗談だわ」

「本気だってところ、見せてあげましょうか?」


 アベルはくすっと小さく笑うと、いきなり軽々とあたしを抱き上げた。


「わっ」

「知りませんよ、私」


 抱き上げたままアベルは屋敷に向かって歩き出す。


「あなたのことだから、おとなしく部屋に送ってくれるはずだわ」

「さて、どうしましょう」


 あたしが強がって言うと、アベルは意地悪そうに笑んだ。


 な、なに? 本当に部屋まで連れていくつもりなの?


 まずい気がする。あたしは焦り始めた。


「あ、あたし歩くっ! 自分で歩けるもん!」

「おとなしく抱き上げられたままでいて下さいよ。何を照れているんです?」

「お姫様だっこなんて恥ずかしいわよ! 下ろしてってばっ!」

「下ろす前に、その泣き顔をどうにかして下さい。まるで私が泣かせたみたいじゃないですか」


 ばたばたするあたしを制してアベルは諭す。

 あたしは言われておとなしく横抱きにされたままでいることにした。


「ごめん……」

「わかってくださったならそれでいいんです」


 あたしたちはその状態のまま屋敷に戻った。


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