銀河鉄道の夜の後輩

林きつね

銀河鉄道の夜の後輩

「 なんか、銀河鉄道の夜みたいですよね」

「呑気なことを……」


 呆れまじりに目の前の後輩に言った。けれどその言葉は届いていないようで、窓の外を眺めている。

 心地良いリズムで、車体が揺れており思わずあくびが出た。

 広い車内には俺と後輩の二人しかいない。

 それはどちらかと言えば喜ばしいことではあるのだが、いかんせん状況が状況なだけに素直に喜んでばかりもいられないのだ。


「ところで、君はなにか思い出したのか?」

「んー、特にはなにも」

「呑気な……」


 ため息が出た。

 目が覚めた時、俺はこのやたら古風な内装をした列車に揺られていた。前後自分がなにをしていたかはさっぱりと思い出せない。

 軽く発狂しそうになっていた所に、「おはようございます。やっと目が覚めましたか先輩」という馴染みのある呑気な声が聞こえた。

 見ると、前の椅子に後輩が座っていた。寝癖なのか自然のものなのかよくわからない髪の毛の跳ねにだるそうな目、間違いなく後輩だ。

 おかしな状況に放り込まれたのが自分一人ではないという事実に、表情には出さないが心底安心した。


「あっ先輩、私がいてホッとしてますね」

「人の心をよむのはやめたまえよ」

「顔にでてるんですよ」


 俺もまだまだ修行が足りないらしい。

 この様子だと俺がこの後輩に片恋慕しているということももしやバレているのではなかろうか?

 いや、それならもっとこう、なんか色々あるはずだ。


「――先輩、どうしました?」

「い、いやいや。君はどうして落ち着いているなと思ってな。もしやこの状況に心当たりでも?」


 妙に小っ恥ずかしくなって話題を逸らしてしまった。けれど俺の恋事情よりも今は現状把握の方が大事な事柄であろう。


「──さっぱりですね。なんで私達電車になんか乗ってるんでしょう」


 落ち着いて言う後輩だが、俺の目は誤魔化せない。髪が少し濡れている。恐らくは、俺が起きる前に目が覚めて、取り乱して顔でも洗いに行ったのだろう。

 けれど、そこにはなにも気が付かないふりをするのが先輩の優しさというものだ。


「ところで、今は何時ぐらいだ」

「さあ、分かりません。時計はなくしてしまったようなので。先輩こそ、なにかわかりませんか?一番新しい記憶で思い出せることはなんですか?」


 ああ、そうだ。なにも今に至る直前を無理に思い出すことは無い。まずは思い出せるところから思い出していけばいいのだ。

 そう……今朝起きて、俺は真っ先にカレンダーを確認した――


「そうだ!今日は八月十二日ではないか?!」

「十二日……ああ、お祭りの日ですね」

「そう、だから俺は君と一緒に行こうと誘ったのだ。そして君は了承した。その記憶は確かにあるぞ」

「えぇ、その記憶なら私も確かに」

「つまり、俺達は今日共に祭りに行く──もしくは行ったはずだ──!」

「ええ、そうですね。──窓の景色から見るに外は夜です。のでここは祭りに行ったと考えるのが妥当でしょう」

「うむ……それでどうなってこうなっているのだ……」

「…………」


 それっきり、事の進展はない。

 後輩も考えることに飽きたのか、いつの間にか視線は窓の外の景色に注がれていた。そしてポツリと言ったわけだ、「なんか、銀河鉄道の夜みたいですよね」と。


「ふふっ、そうだな。我々は今から機械の身体を手に入れに行くのだ」

「先輩、それは999です。私が言っているのは『銀河鉄道の夜』。宮沢賢治の作品ですよ」


 しまった。上手い返しをしようと知ったかぶりをして大恥をかいてしまった。

 ああ、けれど宮沢賢治は知っている。知っているぞ。よし、汚名返上といこう。


「ああ、それなら知っている。『風の又三郎』だろう?なに、ちょっとした冗談というやつだよ」

「おお、さすが先輩です。ではほかの作品はなにを知ってますか?」


 他……ほか…………。うむ、驚くほど思い浮かばない。ああ、一つあった。たしか注文の多い料理……いやまて、注文が多い料理店だったか……どちらだったろうか。

 "の"でも"が"でもどちらともしっくりくるし、妙

 に違和感がある。考えれば考えるほどツボにハマってわからなくなる。

 ──やめよう。これ以上知ったかぶりをすると汚名返上どころか恥の上塗りになりかねない。


「すまない──俺の負けだ」

「はぁ、やっぱり。先輩って学がありそうな喋りかたなのに学がありませんよね」

「放っておけ!」


 思ったより大きな声が出てしまった。

 全く、この後輩は人が気にしていることをずけずけと。だがまあ、後輩が楽しそうにしているからいいかと思ってしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか──。


「ずっと一緒に行きましょうね。先輩」


 そう呟く後輩に、俺は静かに頷いた。


 そのまま、この異常事態の解明もされないまま俺達は列車に揺られていた。

 なんだかんだ、この空間はとても心地良い。後輩もそうであれば良いと思う。

 後輩はずっと窓の外の景色を眺めている。飽きないものなのだろうか。


「なにが見える?」

「先輩も見ればいいじゃないですか。おもしろいですよ」


 窓は後輩が開けていたので、景色を見るには顔を横に向けるだけで済んだ。


「あれは……発掘作業?」

「ええ、そうですね。化石を掘っているんですよ」

「よくわかるな」

「私は学がありますから」

「そういう言い方をして腹が立たないのが君の凄いところだよ」


 それともやはり惚れた弱みか。

 そこからは、変わる景色を眺めながら後輩とポツポツと言葉を交わしていた。

 河原で鳥を捕まえている漁師がいた。巨大な氷山はとても美しかった。サソリ……だろうか?そんな感じのものが燃えている景色も見た。


「いやいやいやいや、後輩よ。これはおかしいだろう」

「どうしました?」

「呑気すぎる!景色に一過性が無さすぎる。なんだこれは。一体この列車はどこを走っているというのだ?!」


 後輩の前で格好をつけるのも忘れて、荒ぶってしまった。俺という人間は現実を見ている人間なのだ。だからあまりにも現実から離れた目の前の光景には心底弱い。

 というかこの後輩はなぜこんなにも落ち着いているのだろう。

 俺はこの後輩との付き合いは年単位になる。ともすれば、この後輩がどういう人物かぐらいは把握している。

 後輩は俺のことをわかりやすいと言うが、後輩とてわかりやすい人間ではある。


「後輩よ、キミはなにを知って、なにを隠しているんだ……?」

「全部ですよ」


 あっけらかんと、後輩は答える。


「先輩と違って、私は最初から記憶の混雑は一切ありません」

「ではなぜずっと黙っていたのだ……」

「カムパネルラ……」

「は?」


 後輩は、真っ直ぐ俺の瞳を見つめている。

 可憐だ。許されるならこのまま唇を奪ってしまいたい。その唇が動く。


「先輩と私はお祭りに行きました。私は新しく買った浴衣を着て、先輩はそれを褒めてくれて、屋台を回って、楽しかったです」


 後輩に言われて、頭の中の蓋が開いて記憶が蘇ってくる。そう、楽しかった。とても楽しい時間だった。後輩は知る由もないだろうが、俺はこの祭りで告白しようと思っていたのだ。けれど──


「君は足を滑らせて川から落ちて……」

「先輩は私を助けようと川に飛び込んで、死んじゃいました」


 死んじゃいました──。その言葉が頭の中で無限に反すうされる。

 どっちが──?どっちもか──?


「銀河鉄道の夜、ですよ。先輩がカムパネルラで、私がジョバンニ──ザネリかもしれませんが」

「後輩よ、俺はその話を知らないんだよ」

「死んじゃったんですよ。先輩が──」


 列車が揺れる。

 そうか、俺は死んだのか。

 死んだ──ただそれだけでこの摩訶不思議に納得できてしまう。

 窓の外を見ると、遠くに明かりが見えた。

 後輩も同じ方を見ていた。


「私は生きてますよ。先輩が助けてくれたおかげで。あの灯台のある駅で私は降りて、現世に戻ります」


 ああ、なんというか、ホッとした。なんだ、助けられたんじゃないか。


「先輩、ホッとしてますね」

「当たり前だ。君が助かったのなら不幸中の幸いというものだ。気にするなとは言わないが、そこまで重く受け止めず今後の人生を歩むのだ後輩よ」

「呑気ですね……」


 呆れた顔をされてしまった。


「呑気ではないさ。俺だって死にたくはなかった。けれど、好きな女の子が助かったのだからそれでいいさ」

「それは、告白ですか?」

「告白だとも」


 もう何もかもがわかったら、妙な勇気が湧いてきた。自棄になっているとも言えるが。

 そう、俺は死んだのだ。だからあの駅に着く僅かな時間で人生の悔いは消さねばならない。

 胸につっかえていたものは全て吐き出さねばならん。


「正直、一目惚れだとも。君が入学してまもない頃、教室を間違えて入ってきたあの時からずっと好きだったよ」

「私は──先輩のことは好きでしたが、それが恋愛感情だと言われると、少し違いました。でも、それが恋愛感情になった瞬間がありました──」


 ボッと顔が熱くなった。死んではいるが、肉体はしっかりとあるのだ。胸の動機が収まらない。

 意を決して俺は聞く。


「し、して……それはいつのことだ……」

「足を滑らせて川に落ちた私を助けるために、躊躇なく川に飛び込んでくれた時です」

「色々と遅すぎるではないか!」


 また大きな声を出してしまった。けれどあまりにもなあまりにもではないか。

 二人で出かけたことは何度もある。後輩が私にそういう感情を抱く機会は無数にあった。なのに本当に最後の最後なんて……。

 けれど、俺の抗議に後輩は毅然とした態度で応じる。


「先輩が悪いんですよ」

「なんだと」

「私は好きな人からは告白されたい側なんですよ!だからずっと待ってたのに。いよいよ私から告白したいってなるぐらい好きになった瞬間がアレだなんて……そんな……そんなの……酷いじゃないですか……!」


 声をうわずらせて泣く後輩に、俺は何も言えなかった。

 なにを言うにも遅すぎる。遅すぎたのだ。

 そのまま、車内アナウンスもないまま列車は止まる。いよいよ、お別れだ──。


「……」

「……」

「……」

「…………なぜ、降りない?」


 ムスッとした顔をしたまま、後輩は席から立ち上がろうとしない。

 俺とは話す気がないというように顔をそむけて、ただじっと椅子に座っている。


「まさかとは思うが、『ずっと一緒に行く』気ではなかろうな?」

「………………悪いですか?」

「馬鹿者!!」


 大きな声──というより怒鳴った。いや、これに関しては俺に怒鳴る資格などないことはわかっている。けれどこのまま俺と一緒に行くということは現世に帰らないということだ。それはいけない。それでは──俺があまりにも報われない。


「馬鹿に馬鹿と言われてもなにも思いませんよ」

「では阿呆だ。君は阿呆だ」

「なんとでも言ってください」

「……君が俺と一緒にいけば、俺はただの無駄死になるのだが。君は俺を無意味に殺したいのか?」

「…………」


 最低だとはわかっているとも。けれどそれで構わない。後輩は生きているのだ。生きているのだから、生きねばならない。生きていて欲しい。


「『銀河鉄道の夜』に出てくるカムパネルラも、ジョバンニが強く生きていくことを望んだのではないか?」


 その言葉に、後輩の目が少し大きくなる。


「なんで読んでないのにわかるんですか?」

「君の愛読書だろ?君の好みがどういうものかぐらい俺は把握している」


 胸を張って言うことでは無いかもしれないが、俺は胸を張った。

 俺は知っている。俺の好きな後輩はとても強いのだ。ここで生きることを諦めなければ、絶対に幸せに向かって突き進んでいける。


「俺は死んで、君は生きた。ならば君は生きるべきなんだ。俺のことを頭の奥底において、年に一回ぐらいは思い出しながら幸福に生きて行かなければならいんだよ」

「いい事いっているように見えて、凄く勝手なこと言ってませんか?」

「勝手だとも。勝手に君に惚れて勝手にいなくなって勝手に君の幸せを願うような男だ」


 今後輩は、しっかりと俺の目を見てくれている。あともう一押しだ。


「大丈夫だ。君にどんな困難が立ちふさがろうとも、最後には白い犬が助けてくれるさ」

「それは、別のやつですね」


 だめだ。視界が滲んできた。

 涙の別れというのは俺は嫌いなのだ。だから涙は見せない。


「さあ、早く行ってくれ……。このままでは俺は泣いてしまう……」


 最後は懇願のようになってしまった。ああ、ほんと、俺という人間はことごとく格好がつかないなあ。


「仕方ないですね。そこまで言うのならお別れです、先輩」


 後輩が椅子から立ち上がる。ああ、さて、なにを言えばいいのだろうか。


「先輩、好きでしたよ」

「ああ、嬉しいよ」


 後輩は背伸びをして、もう一度窓の外を見てから歩きだす。


「それでは私は帰って牛乳屋によって病気のお母さんのお世話をしないと。お達者で、先輩」

「──?わざわざそんな所に行かなくてもコンビニで買えばよかろう。それに君のお母さんはずっと元気で──」

「学がないですね、先輩は」


 後輩が電車から降りる。

 最後の最後にまたやってしまった。けれどそれの挽回の機会もなく、扉は閉まっていく。

 その瞬間、見えていたはずの駅も灯台も光と共に消えてなくなった。そして、列車はまた走り出す。

 ──悔いはない。言いたいことは全部言った。言われたいことも言ってもらえた。

 残されたものには悪いが、いい人生を送った。

 ああ、そういえば一つだけ、わからないことがあった──。


「結局、注文"の"多いなのか、注文"が"多いなのか……」


『呑気な』

 そんな幻聴がどこからか聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀河鉄道の夜の後輩 林きつね @kitanaimtona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ