第24話 機銃掃射

 ゼウスは、作物が芽生えて間もない畑に風に流されるままに着地した。風を孕んだパラシュートに引きずられ、ハーネスからパラシュートを切り離して自由の身になるまでに、かなりの野菜を駄目にしてしまった。

 その後はひざまずいて身体を低くし、救命胴衣の下の拳銃を探りながら、周囲の様子を伺った。

 その頭上をP-51が低空で飛び過ぎた。それからゆっくりと右に旋回した。それがユングの機体だとすぐ分かった。キャノピーが開いていて、ユングはゼウスを見つめたまま左の拳を突き上げた。そうやってゆっくり、低く3週ほど旋回をして、遠くの空に飛んでいった。ゼウスは両手を振って無事を示し、部下を見送った。

「あいつを落としたか…」

 ゼウスはそうつぶやき、改めて周囲を見渡した。特に人影は見えず、立ち上がると畑の脇の道へと歩きはじめた。

 人影を警戒して見回すうちに、低空をまっすぐこちらに向かってくる戦闘機の姿がふと目に入った。

 ——戦闘機の正面…——

 そう認識するや否や、ゼウスは地面に倒れ込み、道路脇の窪みに身体を隠した。

 足の先2mほどのところを、機関銃の銃弾が次々と地面を穿った。続いて、轟音とともに頭上を低空で戦闘機が通り過ぎた。プロペラや翼が翻した風が後に続いた。

 さっきまで自分と空中戦を演じていたMe109。『ジョーカー』の2番機が自分に復讐しに来ている。そう推測するのにさほどの時間は要しなかった。

 Me109は背中を見せて旋回し、ふたたびそのスリムな機首をこちらに向けた。

 ゼウスはホルスターのコルトに手を伸ばしたが、とても勝ち目がないと分かり、敵仁王立ちして敵を見据えた。そして、タイミングを見て敵の方向に全速力で走りだした。道路を渡り、畑に飛び込み、耕された柔らかい土に足をとられ転んだ。

 そのすぐ脇を、銃弾がかすめて過ぎた。

 土の味を口に感じながら、ゼウスは頭をもたげ、敵の行方を追った。

 敵が背中を見せて旋回しているとき、その機体からバラバラと破片が落ち始めた。

 よくよく見ると、液冷エンジンのスマートな戦闘機が2機、Me109に追いすがっていた。その機首から火焔が輝き、Me109はやがて黒煙を上げると、機首を下げて墜落した。

 ゼウスはよろよろと立ち上がり、敵が落ちたあたりから立ち昇る黒い煙を眺めた。

 「味方…、なのか……?」


 Me109を撃墜した戦闘機は、ゼウスが歩くのに合わせるかのように、2機でゆるい編隊を組んで上空をくるくると旋回していた。

 それが敵ではないことは分かっていたが、主翼の形がP-51と明らかに違い、何者かがよく分からなかった。

 道をとぼとぼと歩いているうちに、遠方に車を見つけた。カーキ色の車が2台。後ろがトラックだということはすぐに分かった。

 ゼウスは道端に逃げると、ちょうどあった石積みの陰に身を隠した。コルト1911を抜くと、装填してトリガーガードの脇に指を置き、いつでも撃てるようにした。

 この前は運良くベルギーに降りることができた。今は明らかにドイツにいる。ドイツ人に捕まった場合、よくて捕虜。最悪の場合、いや、パイロットはまず確実に、その場で殺される。そう彼は予測した。

 しかし、ドイツの車両が見えるはずなのに、頭上の戦闘機はそれに気づく様子もなく、のんびりと旋回をしていた。

 車は木立の奥の角を曲がり、車種がはっきりと分かる距離になった。ゼウスはそれを見て、ほっとして拳銃にセーフティーをかけ、石積みから姿を現した。

 トラックを先導する車は、ドイツ軍のキューベルワーゲンではなく、カーキグリーンのジープそのものだった。

 ゼウスは銃を手にしたまま両手を頭の上に上げ、ジープの前に自分の身をさらした。カーキ色の服を着た兵士を乗せたジープは彼の間近に止まり、運転している士官が声を発した。

「アメリカ人か?!」

「そうだ!」

 英語の問いかけにゼウスは応えた。

「ハロルド・ジェイコブソン中佐だ。あなた方はソビエトか?」

「ダー」

 士官はそう答えた。ジープの上に2人、トラックの荷台に4人ほど兵士が乗り、彼らは円盤型の弾倉がついた短機関銃を持っていた。

「あなた方のおかげで命が助かった。感謝する」

 助手席の兵士が荷台に移って席を空けてくれた。その助手席に乗り込むと、ゼウスは士官と、二人の兵士のそれぞれと握手を交わした。


「あなたはもしかしたら、『黒い悪魔』を撃墜した英雄かもしれない」

 運転している士官――アレクセイエフ大尉と名乗った――が道すがら、ロシア訛りのある英語で話を始めた。荷台の2人のロシア兵は、話の内容に興味を示さず、短機関銃を胸に周囲を警戒していた。

「『黒い悪魔』?」

「東部戦線で同志の飛行機を何百機も撃墜した、超人的エースだ。こうしてドイツの本国まで追い詰められても、まだ我々に犠牲を強いている。あなた方の仲間にも犠牲者が出ているはずだ」

「そういえば、今日は部下の2機が犠牲になった…」

「我が空軍が到着してみれば、アメリカ軍のパイロットがMe109を撃墜し、自分も墜落したという。撃墜されたのが本当にあのエースなのかどうか。それを確認しに来た」

 やがて車は、上空で赤い星のついた双発爆撃機が旋回している地点に到達した。畑の上のかなり広い範囲に戦闘機の破片が散乱していて、車を止めた道端から200mほどの先に、胴体の前半分が横倒しになって転がっていた。

 この現場にも、そして、走ってきた途中にも、ドイツ人は一人もいなかった。ソビエトがこう近くまで来ていては、おそらく皆が難民となって西へ逃げ出したのだろう。そうゼウスは考えた。

 胴体は操縦席のまわりの、比較的丈夫な区画だけがそこにあり、エンジンはひしゃげたプロペラとともに、さらに100m先に落ちていた。左右の主翼や、胴体の後ろ半分は、はるか後方に、どれがどれかも分からない、クシャクシャの金属の断片となってころがっていた。

「私が見にゆく」

 ゼウスはロシア兵たちを車にとどめ、念のため拳銃を手に残骸に近づいていった。墜落したパイロットの姿を慣れない人間に見せるのははばかられた。遺体の収容はパイロットが率先して行うべき責務だと彼は考えていた。

 操縦席は比較的形をとどめており、パイロットは座席に座った姿勢のまま、胴体が横倒しになったなりに、地面に対し横倒しになっていた。ただし、頭の上半分は形を留めておらず、人相はまったく分からなかった。

「50口径が命中したのか…」

 遺体の損壊の理由は、イチかバチかで放った自分の銃弾だとゼウスは理解した。


 遺体は操縦席から引き出され、畑の上に横たえられた。呼ぶより早くジープとトラックのロシア兵が来て、ゼウスの手をわずらわせずに遺体を機体から引き出した。そして、アレクセイエフ大尉が遺体の所持品の検査を始めた。

 遺体の衣服のポケットからは手帳と地図と財布が取り出された。首からは認識票が外された。身につけたホルスターから自動拳銃が引き出された。

「がっかりしないでくれ。『黒い悪魔』とは別人だ」

 認識票に土をつけてゴシゴシとこすり、判読できるようにしてから、その名前を確認した大尉が言った。

「いや、最初から分かっていた。むしろ、そのお尋ね者でないことが分かってはっきりした。このパイロットは私が狙っていた、『ワイルドカード』というパイロットだ」

 ゼウスはそう答えた。

「何か記念品でも持ってゆくかい?」

「記念品か…。ああ、ドイツ製のオートマチックがほしいというのが一人いる。ワルサーのP-38なら飛び上がって喜ぶだろう」

 大尉の問いに、ひざまずいて拳銃に手を伸ばしながらゼウスは答えた。

「手帳も一応気になるかな」

 黒い革の表紙の、小ぶりな手帳を彼は手にとった。開いてみると、写真を2枚ほど挟んだページだった。しばらく眺めてから、パタンと閉じた。

「――人の心を持たない殺人鬼だと今まで思ってきたが…」

 写真にあった幼い女の子の笑顔が、ゼウスの脳裏に焼き付いてしまった。忘れようとしてももう手遅れだった。

「どうしようもないさ。これが戦争だ。彼は国家に尽くしただけだ」

 言葉を失ったゼウスの肩を、アレクセイエフ大尉が抱いた。

 ゼウスはひざまずいて手帳を遺体の胸ポケットにしまった。

 それから、足元に手帳から落ちたスミレの花があることに気がついた。

 まだ緑と紫の色があざやかで、茎はいくらもしおれていなかった。


「この遺体を収容するわけにはいかない」

 アレクセイエフ大尉は冷ややかに言った。

「いくらかでも、時間はあるかい?」

「あるさ」

「なら、君の部下にお願いがあるんだが」

「分かっているよ。野犬に食われでもしたら寝覚めが悪い」

 大尉の指示で兵士たちがスコップを手に穴を掘り始めた。

 人数がいたため、遺体の埋葬は短時間で終わった。畑の端にできた新しい土くれに、ロシア兵が次々と手を合わせて、車の方に去っていった。

 ゼウスは、さっき拾ったスミレの花を土くれに供え、手を合わせた。

「アメリカ人、宿営地に案内する」

「分かった。しばらく世話になる」

 ゼウスとアレクセイエフ大尉は、ジープに向けて歩いた。

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