第23話 対決
「中佐、『ジョーカー』です!」
ショーティの声が無線機のヘッドフォンに響いた。ゼウスは反射的にキャノピーの中から周囲を見回した。
「部下2人が消えました。このやり口はあいつです」
護衛してきた爆撃機が無事に爆撃を終え、ドイツの奥地で緩く旋回してUターンを開始した。護衛の戦闘機隊はそれとは別方向に降下を開始し、地上の基地や鉄道などの攻撃目標を探した。また、敵の戦闘機も目を皿のようにして探した。戦闘機のパイロットになった以上、敵機を空中戦で撃墜することが彼らの第一の願いだった。
ベルリンの南方に降下しながら飛び、すでに先をゆく部隊が荒らし尽くした地上の様子をゼウスと彼の部下たちは眺めた。戦闘機はなかなか見つけられず、基地らしきもの、鉄道施設らしきもの、工場らしきもの、そういったものはことごとく煙を上げていた。
そこにショーティの通信が入った。彼は『ジョーカー』の言葉に戦慄して全身に電撃が走る思いだった。ショーティの機体は南東の方向にちらりと見えた。銀色の機体が太陽を反射してそれと分かった。より近い距離に新しく立ち昇った煙も確認した。そこで味方の戦闘機が燃えているかもしれない。
「こちらゼウス、君の北西3マイルの位置にいる。109の4機編隊が下から狙っているぞ!」
味方の損害について言う暇はなかった。低空に、草木の緑の上に、グレーの小さい戦闘機が4機、不揃いな編隊を組みながら、上空のP-51を狙っていることを知らせる方が優先された。
彼は機体を緩く降下させ、速度を上げながらMe109 めがけて突進した。そして、まだかなり距離があったが、気をそらすために機関銃を一連射した。
ショーティと彼の僚機は上昇反転で小さく回り、Me109の第2ロッテを追いかけた。
敵の第1ロッテはショーティを諦め、反転して降下に移った。その背後に、抜かりなくゼウスは追いすがった。
「ユング、後ろの見張りを頼む。先頭を今から仕留める!」
敵の後ろ上方を取ると、彼は突進しながら機関銃を発射した。
敵のリーダーは、まるで後ろに目があるかのように、射撃をギリギリでかわして左に急旋回した。さっきまで敵がいた場所を通過すると、ゼウスも機体を左にひねって敵を追った。
Me109は上昇に転じ、ほとんど真上かと思うほどの急角度で高度をとりつつあった。
「そう来るか。こっちはいつもの『ムスタング』じゃないぞ!」
ゼウスはそうつぶやくと、Me109を追って上昇を開始した。
全備重量でP-51はMe109Gより1トン以上重く、ドイツ本土では帰りの燃料と弾薬を積んでいるため、本国でどこにでも降りられる敵よりさらに重量のハンデがあった。水平飛行こそ空気抵抗が少なく速いものの、109の上昇にはとてもついていけなかった。
「クイーンがスペシャルチューンした私の
低空にも関わらずゼウスは、過給器のブーストを上げ、Me109を追いかけた。彼とユングの機体は低空でもノッキングを気にせずスロットルを開けることができた。通常の機体は25psiのところ、短時間であれば30psi、約2気圧のブーストが可能だった。燃料を実用性を無視して150オクタン専用にしていた。整備工場からの輸送にも150グレードの燃料を使い、他の機が輸送に使う100オクタンを禁止した。
ピストンを交換し、燃料のオクタン価を考慮して圧縮比は6.2に引き上げていた。その上、クイーンが自ら回転バランスをとり、毎分3200回転で回すことができた。さらに、開発中の水メタノール噴射装置を取り寄せて追加していた。計器盤のボタンで3分間吸気管に水とメタノールの混合液が噴射され、V1650は2500馬力を発揮した。
照準器の中で見る間にMe109が大きくなり、彼は慎重に照準を合わせてM2重機関銃を発射した。
ダダダダ!
主翼を震わせて、4本の火線が主翼から伸びた。そう、機体を軽くするために機関銃を4挺に減らしてあった。P-51に減量が必要なことは彼も痛いほど知っていが、前線で出来る確実な軽量化はこれしかなかった。
「馬鹿な!」
ゼウスは思わず叫んだ。彼の目の前からMe109が一瞬で姿を消した。109はスロットルを全閉にし、上昇の姿勢を利用して機体を失速反転させた。
勢いのまま上昇したゼウスは、失速ギリギリの速度で斜め宙返りを行い、下方に消えた敵を探した。
失速で速度が落ちた敵はそれほど遠くなかった。どうにか追いつけそうな距離に、胴体に黄色い帯を巻いたMe109の姿があった。
「黄色?」
今までそんな塗装を見たことがなかったため、ゼウスは少し戸惑った。しかし操縦の手は緩めず、機体を降下に入れてほぼ真下を向いた状態で敵を追った。
速度をつけて敵に再び追いつくと、Me109の2機のロッテは見事なチームワークを発揮してゼウスの目を惑わせた。照準をつけたかと思うと2番機が割り込み、2番機の方を向けばその隙にリーダー機が逃げようとした。
「他の敵は大丈夫だな」
彼はユングの機をバックミラーの端にちらりと確認し、それから、敵のリーダー機を補足するため、再びその背後につこうとした。
――ガンガンガン!――
尻の方から強烈な衝撃があり、ゼウスは驚愕した。
彼は全身に鳥肌が立つ感覚とともに周囲を見渡した。足元に熱気が吹きつけ、後ろに白い煙がたなびいていることが分かった。
「ラジエーターか!」
損傷箇所を理解したと同時に、彼の右横に、上昇反転しつつあるMe109が姿を見せた。黄色い帯はなかった。
「『ジョーカー』だ! 死角を突かれた! こいつが本物のジョーカーだ!」
彼はすかさず機体を右に傾け、敵が反転降下していった方向を探した。
さっきまで追っていた黄帯のMe109はそれっきり見失なった。
敵が下方で旋回しているのを見つけると、ゼウスはスロットルをいくらか緩め、計器を確認した。冷却液が漏れているためか、水温が上昇しつつあった。
「くそ、エンジンがいつまで持つか」
そう一人言を漏らし、片手で尻の下を確認した。特に怪我はなかった。防弾板とラジエーター本体が彼を守ってくれたようだった。2挺の機関銃といっしょに防弾板を外そうとして、直前で思いとどまったことを思い出した。
「わが
そう機体に感謝の言葉を捧げ、彼は再びスロットルを押した。また、レバーを操作してガソリンの濃度を濃くした。エンジンの熱をガソリンの気化熱がいくらかでも奪い取ってくれるはずだ。最後の仕上げに、水メタノール噴射のボタンを再度押した。
「隊長、生きてますか?! 僕は主翼に軽く被弾しただけです!」
「心配かけたな、この通り生きてる。あいつを追うぞ!」
「すみません、僕の不注意で…」
「気にすんな!」
ユングを一喝すると、彼は機体をゆるい降下に入れ、『ジョーカー』のMe109がかすかに見える方向を目指した。
エンジンの出力は目に見えて落ちていた。それでもノーマルのV1650程度の出力はあるような気がした。排気管からは、ススが混じった真っ黒な煙が吹き出していた。多すぎるガソリンが不完全燃焼を起こしていた。
「これは正攻法では無理だな」
特に返事は期待していなかったが、攻撃開始の意図を知ってもらうため、彼は無線のマイクを入れて告げた。
「一発勝負だ!」
敵のMe109は、彼が攻撃しにくいよう、彼の真正面に向かって突進してきていた。P-51とMe109が入り乱れて戦っていたはずなのに、彼と彼の僚機は整然と2機編隊を組んでいた。
「その技量の高さこそ『エクスペルテ』だ」
ゼウスの目の前で、エンジンの排気管から炎が輝いた。燃えきれないガソリンはついに排気管の外で燃えるようになった。
「もう少し、カミさん、もう少し待ってくれよ…』
彼は操縦桿を押し、機体を弾道飛行に入れた。最も短時間に速度を上げられる飛行方法だ。彼の身体は無重量状態になり、椅子からふわりと浮きそうになった。その下に向いていく機首の先に、『ジョーカー』のMe109の機影が導かれた。
ダダダダダダ!
気持ち、いつもより長く彼は機関銃を発射した。
そのすぐ後に、エンジンが焼き付いてプロペラが止まった。
それまで操縦席を満たしていたエンジンの音が消え、機体が風を切る音だけが響いた。
「ここまでか…」
彼は観念し、脱出するためにキャノピーを投棄した。
「一発勝負だ!」
ユングはリーダーの言葉がにわかに信じられなかった。
敵とは出せる限りの速さで正対して飛んでいた。確かに上下に飛行経路が重なるように飛んだ。それでも、とても射撃を行うタイミングには見えなかった。
しかし、ゼウスのP-51は白と黒の煙を吹いたまま増速を続け、黒い煙はやがて炎になり、それにもかかわらず彼は射撃を行った。
敵のリーダー機からぱっと破片が飛ぶのがユングには見えた。
――まさか、命中するとは――
『ジョーカー』のMe109はエンジンから白い煙を吹き、速度と高度を徐々に失い始めた。彼の僚機はその減速についていけず、いくらか追い越すような位置に移った。
ユングは『ジョーカー』目指して反転降下し、後ろ上方の絶好の射撃位置についた。敵の機影が照準器いっぱいになった瞬間、迷わず機関銃を発射した。
ゼウスと同じく、4挺に減らした12.7mm機関銃から放たれた銃弾は照準器の中心で交わり、Me109は次々と破片を振りまきながら穴を穿たれた。
そして、がくっと機首を落とし、そのすぐ下の畑に墜落した。
「こちらユング、『ジョーカー』を撃墜しました!」
地面の上で転がりながらバラバラになってゆく敵機を確認し、彼は無線にそう報告した。
「ゼウス中佐との共同撃墜です!」
隊長の名前を口にして、ようやく彼は、ゼウスを見失なっていることに気がついた。
周囲を探すと、さっきまでいたと思しき位置に1つのパラシュートが開いているのを見つけ、彼はいくらか安堵した。
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