第16話 ショーティ
「補充の『ライトニング』の手配ができたそうですよ」
ショーティは整備格納庫でゼウスを見つけると、P-38の鼻先まで歩み寄って話しかけた。
格納庫の天井にある明かり取りの窓からグレーの雲が見え、その雲の下を粉雪がちらついていた。
「補充と言っても2機だけだ。これでやっと1個小隊だよ」
ゼウスは『シルキー・エリス』の左のプロペラをさすりながら答えた。その視線は機首の左側で作業をする整備兵の手元に向いていた。整備兵は反射防止のつや消し塗装の下にペンキで9個目の鍵十字を描いていた。
「本当に『ライトニング』が増えるんですか? 『ムスタング』の3倍は手間がかかるんですよ」
キルマークを描き上げた整備兵は、そうこぼしながら鉤十字の最後の線を描き上げた。
「手間のかかる機体を増やしてすまないな」
「戦果が上がるならお安い御用ですよ。雪がやんだら、また鉤十字を描かせてくれるんでしょう?」
整備兵は機首から後ずさって、顎に手をやり、その出来栄えをしげしげと眺めた。赤と白と黒のペンキでナチスドイツの国旗を丁寧に描いてあった。それが上下に2段。上段に5個のキルマークが並び、下段に4個目が仕上がったところだった。
「まあ、運がよければ、だがな」
プロペラから手を離すと、ゼウスは首に手を当て、しばらく考え込んだ。
先日の出撃から帰還した2機の『ライトニング』は、すぐさまガンカメラのフィルムが降ろされ、現像に続いて戦果判定にかけられた。その結果、ゼウスは9機目の単独撃墜、ユングは単独と共同合わせて3.5機目の撃墜が認められた。ユングの単独撃墜はこれが2機目だ。
「それにしても、中佐の射撃はさすがですね」
整備兵と入れ替わりに機首の横に進むと、新しい鉤十字を眺めながらショーティは話した。
「『ワイルドカード』も、4機が全部エキスパートじゃないってことさ」
ゼウスはふたたびプロペラを掴んで答えた。
「だからって半マイルも先の109に命中なんかするもんですか」
謙遜が嫌味にしか聞こえず、ゼウスの方に向き直ると、あからさまに不機嫌な顔でショーティが返した。
「相手の動きが手に取るように分かったんだ。ちょっと見越し角をとるだけで弾丸が命中した。私ならああは飛ばない」
ゼウスはいたって真面目に、射撃の状況を説明した。並のパイロットではあり得ない射撃に違いない。実力も年齢も、階級さえも傘に着ない、その態度がショーティにはむしろ気に障ってしかたなかった。彼とは価値観が違いすぎる。
そんな態度だから部下がついてこない。彼は指揮官としてのゼウスをそう見ていた。彼のウイングマンは糞真面目で何も面白みもないユングがお似合いだ。
「じゃあ、あいつは素人を第2ロッテにしてあれだけの戦果を挙げたんですか?」
彼は『ジョーカー』の実力について率直な意見を聞くことにした。
「推測だが、小隊長はスペイン内戦から実戦経験を積んでいる手練だろう。階級も佐官クラスかもしれない。しかし、それだけの経験のあるパイロットはおそらく隊長一人だ。上級者を選んで小隊を編成しているはずだが、自分のウイングマンはまだしも、第2ロッテはそれほどの経験者はいないはずだ」
よどみなくゼウスの口から推論が述べられた。
「そうでしょうか」
「ドイツの人材は、穴の空いたバケツで水を汲むのと同じだよ。一個小隊を『エクスペルテ』で揃えるような贅沢はどうしたって無理だ。実際、君もこの前戦ったフォッケウルフで実力は見えただろう?」
ゼウスは、ショーティの戦果について言及した。お互い撃墜戦果があるどうし、仲良くしようということだろうか。
「まあ確かに、撃たれてから回避するようなひよっ子でしたね」
ショーティは空戦の様子を思い出し、逆にむかついてくる気持ちを覚えなが答えた。
「しかもフォッケウルフは無駄に頑丈ときてる。パイロットの頭を砕いてやっと落ちる始末ですよ」
素人の操縦にもかかわらず、P-51の3機が四方から攻撃してようやく撃墜した。手間がかかってしかも自分のスコアは1/3機。彼の撃墜数としては8機から8と1/3機にわずかに増えただけだった。
あの日までショーティとゼウスは撃墜数8機で並んでいた。ショーティが着任した7月は6機と2機だった。それを追い上げてようやく並んだところだった。ペースで言えばショーティの方が速い。しかも、ゼウスは撃墜困難な『ジョーカー』の小隊を選んで戦っている。
苦労はしたものの、そのFw190でゼウスに1/3機の差をつけた。これでいくらかでも気が晴れると思いながら基地に戻った。しかし、エプロンまで機体を転がしてきた彼の目に映ったのは、ゼウスとユングが整備兵から胴上げされている光景だった。
「新しい『ライトニング』は、君が乗るかい?」
ゼウスはショーティの機嫌をまったく気にかけず尋ねた。
「私ですか? 狭すぎて嫌ですよ」
彼は頭を垂れて後頭部を手のひらで叩き、ライトニングの窮屈さを表現した。
「機関銃の弾道がばらけないからいいぞ」
「自分は敵の顔が見えてから撃てと教わりました。『敵のパイロットの白目が見えたらトリガーを引け』、です。今までそうやって撃墜を重ねてきました。そのキャノピーの中に収まりそうな奴をあとで選んでおきます」
P-38の鼻先まで進んだショーティは、12.7mm機関銃の銃身に手をかけながら答えた。
「そうだ、パッカード社の『女王様』を誘ったらどうです?」
「まあ乗るだろうけど、民間人だからねえ」
ゼウスは肩をすぼめて答えた。
「操縦できるんですか?」
「確認はしてない」
冗談に真顔で返されて、ショーティは軽く舌打ちした。
「そもそもなんでパッカード社の社員が、整備中隊の隊長みたいな顔してるんですか?」
「それはこっちのほうが知りたい話だ。女子の工員ならイングランドにもアメリカ本土にも沢山いる。しかし、前線でエンジンの世話を焼く技術者に若い女性が選ばれたなんていう話は他に聞かない」
「なら直接聞いてみたらどうですか?」
「直接か」
「ええ。おとなしく工場でリベットを打ってないで、なぜ∪ボートがうようよいる大西洋を渡ってきたのか。聞けば話してくれるんじゃないですか?」
「その発想はなかったな」
「なんでですか? おかしいじゃないですか。パッカードの社員がロッキードの戦闘機の手配をするなんて。エンジンは『アリソン』ですよ」
「『ライトニング』に『マーリン』を載せる話でもあるんじゃないかな」
「まさか。中佐は考えすぎるんですよ。分からないことは聞けばいい。話をしながら、部下の考えをつかむんです。言うことを聞かない相手は問い詰めて打ち負かせばいい。人間はユングみたいないい子ちゃんばかりじゃないんです。クイーンだって、聞けば会社の愚痴ぐらい話してくれますよ」
「彼女の口から愚痴か。考えたこともなかった。今度聞いてみるよ」
無言で頷くと、ショーティはゼウスに背を向けて格納庫の出口に向かった。
自分が言葉に乗せた皮肉が何一つ、ゼウスには届かなかった。
「ユング、『女王様』からクリスマスプレゼントが決まったぞ」
「それは年内に来ますか?」
「そこまではなんとも。アルデンヌの攻勢で上はゴタゴタだからな」
「そうですか」
新しい機体が「来る」という情報しか得られないと分かると、ユングは読みかけのページに視線を戻した。
彼の背後ではガラス窓の向こうに、飛行場の草地を埋め尽くす白い雪の景色があった。また悪天候で飛行任務が中止になり、パイロットは皆が暇そうだった。
「フランスにいたとき、スコルツェニーの噂は聞いたか?」
テーブルの反対の席に斜めに座ると、ショーティはユングに尋ねた。
「あのときは、ドイツ軍が攻勢に出るなんて思いもしなかったので、そんな噂は影も形もなかったですね」
「そうだな。スコルツェニーが偽の米兵を連れて忍び込んだのは、今月の話だな」
「アイゼンハワー将軍の首を狙っていると言いますから、フランスに潜入できたらもっと早く暗殺を実行していたでしょう」
「それもそうか」
「大陸ではみんな疑心暗鬼になってるって聞いてます」
本を閉じて、真面目な顔でユングが話した。痩せた青白い頬に雪の白が反射していた。
「不時着したら憲兵のところに連れて行かれて尋問されるかもしれません」
「お前は特に心配だな。間違っても『ユング』です、なんて言うなよ」
「ドイツ語はその単語しか知りませんから大丈夫ですよ」
「じゃあ心配なのは俺の方か」
「ドイツじゃ食糧事情があまりよくないと聞いています。大尉ほど血色がよければ、ひと目で『GI』と分かるでしょう」
「言ってくれるじゃないか」
ショーティは胸ポケットから煙草とライターを出し、1本咥えてその先でライターを弾いた。
「お前もやるか?」
「いえ、おかまいなく」
「つまらない奴だな」
そうつぶやくと、ショーティは深々と煙を吸った。
「中佐の忠告を守ってるのか?」
「そういうわけじゃありません。うちはタバコ農家なんです。農場の雇われ人がみんなニコチンでひどい目にあっています。祖父はヘビースモーカーでしたが、60で肺ガンで死にました。農場を継いだ父と自分は、一本も吸わないことにしています」
「なるほどな」
「実家に言えば何箱か届くと思いますよ」
「いいよ。気にするな」
「はあ」
『つまらない奴』と言われても平然としているユングに、ゼウスのウイングマンは彼しかいないと改めてショーティは思った。
「それにしても、うちの飛行隊が爆撃機の護衛任務から外れていいというのは驚きですね」
「アルデンヌの攻勢でそれどころじゃないからだろう。戦闘爆撃機が実際に4機も落とされてる。俺たちには全力で『ジョーカー』を落とせっていうことだ」
「ですね。とすると、大尉も『ライトニング』に乗りますか?」
「乗 ら な い よ !」
ショーティは上体をかがめ、操縦席の狭さを表現した。
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