第20話 スピットファイア

「中佐の帰還に乾杯!」

 甲高い掛け声に合わせ、3つのビールのグラスがカチンと合わされた。

「ゼウス中佐、本当に、よくぞご無事で戻ってくださいました」

「仰々しいなあ。不注意で『ライトニング』をダメにしたのは私だよ」

「何をおっしゃいます。燃える戦闘機から火傷ひとつしないで脱出した偉業を褒めずに何を褒めろと言うんですか」

「あれもマニュアルにあるとおりだ」

「中佐と僕を合わせれば撃墜2機、撃破1機ですから。あの短期間でこれは誇っていいと思います」

 クイーンとユングがそれぞれ持ち上げてくるので、歯がゆい気持ちでゼウスはビールを喉に流し込んだ。

 地下のレストランで3人は夜の会食を楽しんでいた。スコットランドのエジンバラにあるアメリカ陸軍航空軍御用達のホテルの地下1階。先に来て飛行機の用意をしていたクイーンと、一日かけて汽車で移動してきたゼウスとユングが先程合流したばかりだった。

「それより、私はショート大尉から大事な事付をいただいている」

「ショート大尉からですか? 何ですか」

 クイーンがいたずらそうに笑って聞いた。

「なぜ君のようなうら若い女性が、イングランドとはいえ、こんな最前線でエンジニアとして働いているのか、ということだ」

「おかしいですか?」

「おかしいわけではないが…」

「イギリスはATAで女性がパイロットとして軍用機を工場から基地まで運んでいます。そもそも工場の労働者の多くが女性です。ミス・パーカーがここで働いているのも、原理的にはありえない話ではないです」

 ユングがビールをテーブルに置き、神妙な顔で話した。

「原理的には、ですかー」

 グラスから一口すすると、含みがありそうな口調でクイーンが応えた。

「私も、女性のエンジニアに会うのは初めてだが、それが女性にふさわしくない職業だとか言うつもりはない。しかし、さすがにメーカーのエンジニアはブリテン島で唯一の例だ。気にはなっていた」

 ゼウスも神妙な声になっていた。

「私も望んで今の立場でいるわけではありません」

 言葉とは裏腹に、屈託なくクイーンは言った。

「意思に反して連れてこられたのか?」

「いえ、そういうわけでは。ただ、大学とか出てるわけじゃないので、成り行きでこうなったというか…」

「「詳しく!」」

 クイーンの言葉に、ゼウスとユングは声を揃えて話の続きをねだった。


「1941年の12月は高校生だったんですが、真珠湾が奇襲されて、私もなにかできることをしなければいけないと思いました。それで、42年に卒業して、すぐ地元のエンジンの部品メーカーに就職したんです。計算手コンピュータや製図工が不足していましたから、すぐ採用されました」

「なるほど」

「私の仕事は、会社の技術者がよこすメモを解読して、図面に起こす仕事でした。アリソン社やパッカード社、ライト社にプラット&ホイットニー、他によくわからないマイナーな会社もクライアントでした。そこに納める部品の設計を、私が図面にしていました」

「製図工だったのか」

「はい。ですが、たびたび、技術者から渡されるメモに間違いがあって、何がどう間違っているのか、私なりに調べて、メモに書き添えてよく相談しにいってたんです」「え?」

「最初は技術者の人が、『それは悪かった』と言ってメモを直してくれたんですが、いつの間にか、『君が修正して図面にしなさい』てなりました。それで図面を直していたら、『君は明日から設計事務所に来なさい』と言われて、次の日から技術者として、大学出の男の人達と設計の仕事をするようになりました」

「……なるほど、才能を見いだされたと」

「そんないいもんじゃありません。クライアントの出してくる仕様に納得がいかなくて、計算書を添えて問い合わせたりしました」

「は?」

「部署長にちゃんと言わないでクライアントとやり取りしたのがまずかったのかもしれません。ある朝会社に行ったら『もうここに来なくてもいい』と言われました」

「ええ、そんな。君みたいな有能な人をクビにするなんて見る目がない」

 ゼウスが心底同情するように言った。

「パッカード社と話がついたんですよ。口うるさい部品メーカーの人間を、クライアントの側が技術者として雇うって。だけど、パッカードに行ったら、こんどはすぐに『しばらく前線で整備の実際を勉強して来たらいいんじゃないかな』て言われて。去年からイングランドに渡ることになりました。会社としては、面倒な人間は現場に飛ばしておきたいんだと思います。戦時ですし」

「んん? それじゃあ」

「ええ、会社からお払い箱にされて、ここに来ました…フハハ」

 「お払い箱」という言葉に、クイーンは自分で笑った。

「だけど、君のおお父さん。陸軍のパーカー少将だろう? よく前線に出ることにOKしたね」

「あれ? 父のことをご存知ですか」

「まあね」

 陸軍航空軍の中ではよく知られた噂が、事実だったことに若干焦りつつ、平静を装ってゼウスは答えた。

「お父さんは、Uボートにだけは気をつけなさいっていって、これを携行することを条件に、渡英を認めてくれました。乗客が気をつけてもどうにもならないんですがね」

 そう話して、クイーンは腰につけた革のホルスター、そして中のリボルバーを二人に見せた。

「私と父の数少ない意見の一致点です。私も丸腰で前線に出るのは心もとないと思っていました。父は私に大学に行けって言ってたんです。だけど、私は合衆国の勝利に貢献したいって、戦争で父が不在の間に勝手に会社の面接を受けたんです」

「そうなのか…」

「1回しか人に向けたことはないんですが、1回やってから、みんな優しいです」

「!」

 ゼウスは飲みかけのビールをグラスに吹き戻してしまった。しばらく呼吸が苦しかった。

「で、そ、そのリボルバーなんだけど」

「スミス&ウェッソンです」

 しばらくの間呼吸を整えてからゼウスが聞くと、クイーンは即答した。

「私の手に合うのを探したら38口径の『ミリタリー・ポリス』になりました」

「なるほど」

「今はドイツ製のオートマチックが欲しくて、前線で鹵獲するか、給料で買うか、いろいろ相談しながら考えているところです」

「前線で…」

 彼女がイングランドの職場に完全に納得しているわけではないことが分かった。ここでの仕事には完全に適応している。しかし彼女はきっと、大陸で仕事がしたい。ゼウスはそんな気がした。


 高度10,000m。

「『ムスタング』の上昇限度に10分ほどで到達した。何なんだこの上昇力は…」

 ゼウスは酸素マスクの下でつぶやいた。

「マーリン66型はP-51と基本的には同じエンジンですよ。スピットファイアは1tほど軽いんです。全備重量で3/4しかありません。そういうことです」

 地上で待機しているクイーンの声がヘッドフォンに響いた。

 ゼウスは、この凍てついた真空に近い世界で、まばゆい太陽に照らされた景色を眺めた。冷たい空気と、ギラギラと照りつける太陽。P-51ではギリギリで飛べるこの高度を、スピットファイアはいささかの余裕を残して飛んでいた。

「この性能なら間違いなくあいつに勝てる…」

 この日は雪雲はなく、眼下を見るとブリテン島の北半分が色付きの地図のようにありのままの形で横たわっていた。地上はまだおおむね雪に覆われていた。

 何度か機体を翻すと、ユングが1000mほど下を上昇してくるのが確認できた。ゼウスはゆっくりと旋回し、太陽を背にした位置になるように移動した。自分の影が、同じスピットファイアの、細い胴体の両側に広げた楕円翼の方向に伸びることを確認し、操縦桿の頂部のフープを回した。

 空気の薄い高空で、傾いて揚力を失ったスピットファイアは放り投げた石のように降下を始めた。十数秒の加速の後、照準器にユングの機体をとらえた。距離はもうわずか150mほど。

 その時、ひらりとスピットファイアは翼を翻し、照準器の左横に飛んで姿を消した。目標を失ったゼウスのスピットファイアは、700km/hを超える速さでそのまま降下を続けた。

「よく見つけたな!」

「『太陽の中のドイツ軍に気をつけろ!』です。上空にいるはずの機体がいなければ太陽の中で間違いありません」

 ゼウスは風防の枠から突出しているバックミラーを見た。わずかに点のように見えるのがユングの機体だと分かった。自分を追尾してくる気だ。

 機体は既に850km/hを超え、揚力が増していくらか機首を上げつつあった。ゼウスはスロットルを戻しながら、ゆっくりと操縦桿を引いた。速度を維持したまま引き起こそうとすると、ずっしりと遠心力が彼を座席に押し付けた。

「P-51では出ない速度が簡単に出るな!」

「翼の厚さが違います。スピットファイアは主翼の付け根で翼弦の13.5%の厚さしかありません」

 クイーンの声が機体の仕様を説明した。P-51はこの高度で急降下しても800km/hがせいぜいだった。直線飛行で700km/h出ても急降下でそれをいくらも大きくできない。スピットファイアは急降下すればやすやすと加速でき、速度を上げても容易に横転できる。

「舵が十分効くのはありがたいが、ブラックアウトには要注意だな」

 遠心力で脳から血液が身体に落ち、視界の隅が黒く消えてゆくのが分かった。意識を失わない間にどうにか水平飛行にすることができた。高度は6,000mほど。速度は500km/hになっていた。

 ゼウスは機体が水平になるとすぐ右のラダーを蹴って横滑りし、そのまま右に急反転した。その機体の左横をユングのスピットファイアが通過した。2機はその後、くるくると回りながら、互いの背後をとろうと急旋回を続けた。どちらが優勢になるともなく、それぞれが思い思いに操縦し、空中戦をスポーツとして楽しんだ。この時間が永遠に続けばいいとゼウスは願った。

「そこまでです! 残り燃料を確認してください!」

 クイーンの声に2人ははっとした。ゼウスは言われた通り燃料を確認し、もう基地に戻って着陸する分しかないことを悟った。

「スピットファイアMk.IXなら絶対あいつに勝てる」

「僕もそう思います。絶対勝てます」

「問題は、ドイツの奥地まで飛べないことだ」

 片隅に雪が残る、早春の飛行場に2機は無事着陸した。




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