第21話 グスタフ

「改めて見ると小さいな」

 格納庫からエプロンに引き出されたメッサーシュミットMe109。それを遠巻きに一周りしながら、ゼウスは第一印象を口にした。

「寸法ではP-51のおよそ90%です。P-51より5年前の飛行機ですから、小さいですよ。ドイツで最初の、引込脚の現代的な戦闘機です」

 そばに付き添って歩くクイーンが説明した。

「イギリスに鹵獲した109がいると聞いてとにかく上に相談したけど、本当に乗れる日がくるとは…」

 ゆっくり歩きながら、感慨深そうにゼウスはつぶやいた。 

「私も敵の戦闘機をじっくり見ることができて勉強になります」

「脚が斜めに突き出しているのが不思議ですね」

 クイーンと並んで歩いていたユングも気がついたことを口にした。

「脚は胴体の防火壁から直接伸びています。飛行機で一番丈夫な場所ですから、脚のために他を補強しなくていい分、軽いです」

「ああ、それで外側に引き込むのか」

 ゼウスは長らく疑問に思っていたことを理解した。

「主翼は揚力だけを分担するので、びっくりするほど軽いですよ」

「燃料タンクも、機関銃もないんだったな」

「強いて言えば、主翼の他の役割はラジエーターの場所だけです」

「割り切ったものだ」

「エンジンに翼と機関銃がついていると思ってください」

 クイーンがこの機体の性格を大胆に言い切った。

「そういうことか」

「何もかもがギリギリの飛行機です」


「メッサーシュミットは、もっと角張った飛行機だと思ったのに、意外に丸いんだな」

 ゼウスは機首の横に立ち、プロペラを点検しながら話した。塗装はドイツ軍の薄いグレーと上面の濃い緑と茶色がそのままで、国籍マークをイギリス空軍のラウンデルに変えてあった。垂直尾翼の鉤十字も消されていた。

「バトル・オブ・ブリテンのE型がどうしても印象的ですからね。F型で大幅な設計の見直しがありました。機首と翼端は丸くなっています。水平尾翼の支柱もなくなりました。念願のモーターカノンも装備しました」

「そんなに変わっているのか」

「さらにG型から、エンジンがDB605Aになりました。機首の武装が7.7mmのG型が1つの完成形です」

「でも、機首のふくらみは目立ちますね」

 説明を続けるクイーンに、ユングが操縦席の前の2つのコブを指差して言った。

「13mm機関銃に変えたためですね。爆撃機が相手では7.7mmでは火力が不足しました。胴体に余裕がなさすぎてああなりました」

「だけど、これはいいんじゃないかな。どんなにスリムなバレリーナだって、胸に適度なふくらみがあった方が魅力的だ。コブがないより、ある方がなんだか好ましいデザインな気がする」

「バレリーナですか」

「あるいは乙女ユングフラウと言ってもいい」

 ゼウスはいたって真面目な顔で話した。

「戦闘機は若い女性と同じだよ。身体に何一つ無駄がない。男のように骨や筋肉ががっしりしてるわけでもない。109は特にそうだ。厳しい練習を積んだバレリーナそのものだ」

「なんとなく、中佐のおっしゃることが分かるような気がします」

「あいつはもしかしたら、109に惚れ込んでいるのかもしれないな」


「計器の単位の違いには気をつけてくださいね。重要な数字は換算してた値を計器盤に貼っていますが、分からなくなったら計器ではなく直観を信じてください」

 クイーンにそう忠告されたのを思い出しながら、滑走路の風下側の端で機体を止め、ゼウスはエンジンを一度フル回転させた。そして、管制から離陸の許可が出ると、ブレーキを放し、スロットルを前に進めた。

 離昇出力1450馬力のエンジンは何のためらいもなく機体を加速させた。小さく軽いMe109はほどなく地面を離れた。P-51とは全く違う加速感に気をよくしたゼウスは、機体の高度を低く押さえたまま脚を収納し、飛行場のフェンスのすぐ上を超えてまっすぐ加速を続けた。

 計器盤の速度計は増加を続け、計器の外の300mphの数字をまたぎ、計器盤本体の「500」の数字を超えた。

 ゼウスはそこで操縦桿を引いた。Me109はすぐ真上を向き、鋭い上昇に転じた。エンジンは全開にしていたものの、重力が機体を徐々に減速させた。ゼウスは操縦桿をまだ引き続け、機体は背面へと移っていった。完全に背面飛行になったときは操縦桿の手応えが弱くなった。そして、今が頃合いとゼウスはプロペラの回転と反対の左側に操縦桿を倒した。機体はくるりと横転して通常の水平飛行に移行した。

 一連のインメルマンターンの後、Me109は離陸したときとは逆方向で飛行場の上空を飛んだ。高度は1000mほどになっていた。滑走路では、ユングのスピットファイアが離陸を開始するところだった。

 飛行場の上空を過ぎてから、こんどはスロットルを絞った。機体の高度が落ちようとするため、操縦桿を引いて高度を保った。速度がだいぶ落ちたという頃合いで脚とフラップも降ろした。速度計を見ながらさらに速度を落とし、速度計はやがて「200」の数字を下回った。

 両方の主翼から「バンバン」と衝撃が伝わってきた。見ると左右の主翼のスラットが飛び出していた。失速が近い状態では翼端失速を防止するためにスラットが飛び出す、クイーンの説明通りだと分かった。程なく、主翼全体が失速し、機首ががくっと下を向いた。

 そのときの速度計の数字を一瞥すると同時に、操縦桿を押しながらスロットルも大きく開けた。ゆるい降下で加速に移ると、スラットはすぐに収納された。脚とフラップを収納し、速度がつくとMe109は揚力を取り戻した。そして、十分安全な高度で上昇に転じた。


 またも10分ほどで、高度10,000mに達した。P-51でもスピットファイアでも、途中の高度で出力が落ちる傾向があった。しばらく上昇の勢いが落ち、おもむろに過給器が2速に切り替わって、出力が回復するのが常だった。

「過給器がフルカン継手の無段階変速だって分かりましたか?」

 無線からクイーンの声が聞こえた。

「なんとなく、『ギヤを切り替える』という感じはなかった」

「そのあたりの高度は109が若干有利です」

「覚えておこう」

 午前中はスピットファイアで、午後はMe109でこの高度に達した。どちらも、P-51とは比べ物にならない身軽さで、上昇力は申し分なかった。

 ゼウスはゆっくり舵を動かしながら、自分を追いかけて昇ってくるユングの機体に対し、太陽の方向になるよう移動した。

「同じことをやっても、またかわされるか…」

 そう一人つぶやくと、午前と同じように機体を傾けて降下に入った。

 風防ガラスと照準器の向こうに見えていた楕円翼は、攻撃するのに十分な距離に至る前にひらりと旋回し、ゼウスの機はまた虚しく空を切って降下を続けた。

 速度計の文字は700をかなり超え、操縦桿は半端な力では動かなくなった。

 これ以上の増速は危険と判断し、力いっぱい操縦桿を引いて降下をやめるよう操縦した。昇降舵は重く、まどろっこしく感じられた。トリムを上げ舵に調整したところ、徐々に遠心力がかかり、降下角が緩くなり始めた。

 一方、補助翼の舵はそれほど重くはなかった。操縦桿を左右に倒すことはできた。しかし、機体の方がほとんど反応しなかった。

「降下しているが、補助翼がほとんど効かない」

「スピットファイアとは主翼の剛性が違います。無理しないで減速してください」

「分かった。しかしトリムはよく効くな」

「水平尾翼の角度を直接変えていますから、ドイツのトリムは確実ですよ」

「なるほど」


 速度が落ちてくると、不意に舵の聞きが戻ってきた。

 同時に、ゼウスは身体を可能な限りひねって、後ろ方向を探った。操縦席はスピットファイアに比べて狭く、ほとんど身体を動かせなかった。しかも、バックミラーがなかった。

「中佐、もう3回は撃墜しましたよ!」

 機体の真後ろから不意にスピットファイアが姿を現し、ユングの声が聞こえた。

「降下中に舵が効かない所を狙われたか」

「中佐が横滑りもしないとは驚きました」

「109の操縦性の確認に集中しすぎた」

 高度5,000mで水平飛行に移ると、ユングのスピットファイアはMe109を追い越して、続いて左に旋回を始めた。

「それでは、こんどは109が追撃する」

「負けませんよ」

「それはどうかな」

 ゼウスはMe109の機首をやや上に向けると、斜め宙返りで鋭く旋回し、スピットファイアの背後を狙って速度を上げた。

「どうだ、振り切れそうか?」

 スピットファイアが運動性を頼りに旋回を繰り返すのに対し、ゼウスは旋回するときは高度を上げ、向きが変わると降下に移り、できるだけ直線と小さいカーブの連続でユングを追った。そして、何度か、背中を向けて旋回するユングの機を照準器に捉えた。

「ダメだと思ったら急降下で逃げればいいぞ」

「まだです!」

 ユングは横滑り状態からトリッキーな横転を行い、ゼウスの機を引き離そうと試みた。ゼウスはスピットファイアを追い越し、機首を上げて速度を殺し、小さく旋回した。旋回の外側の主翼で、一瞬だけスラットが開いた。

「中佐、ユング中尉、もう時間です。燃料を確認してください!」

 模擬空中戦が熱くなっているとき、クイーンから試合終了が告げられた。

 燃料は着陸できるギリギリの量しかなかった。


「お疲れさまです。メッサーシュミットの乗り心地はどうでした?」

 クイーンが操縦席の左横に上がりこみ、ゼウスが降りるのを手伝いながら聞いた。

「往復7時間の任務じゃなければ、これはこれでいいと思うよ」

 酸素マスクを外すと、ゼウスは答えた。

「離陸してすぐ、目についた敵を攻撃するんだ。燃料がなくなれば手近な基地に着陸する。それを一日に何度も繰り返す。そんなふうに戦えば、敵の戦力を大幅に削ぐことができるんじゃないかな」

 身体の拘束を解かれると、横に開いたキャノピーをくぐってゼウスは外に出た。

「中佐、『ジョーカー』になってみた気分はいかがですか?」

 Me109から地面に降り立つと、装具一式をぶらさげながら、ユングが近づいてきて聞いた。

「『ジョーカー』になった、か。『ジョーカー』…、そうだ、私が『ジョーカー』だ! あいつは言わば、ドイツに生まれたもうひとりの自分だ。なぜそれに気がつかなかったんだ!」

 その言葉で、ゼウスは『ジョーカー』が意外なほど自分に似ている、いや自分そのものであることを悟った。

「109に乗る機会を用意してくれてありがとう。大いに助かった」

 ゼウスはクイーンの方を向き、肩を叩いた。そして笑った。

「第8空軍の『ジョーカー』として、君に大事なお願いがある」

「次に乗る機体が決まりましたか?」

「ああ!」

 ゼウスは頭に浮かんだ考えを話し始めた。

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