第4話 胴体着陸

 チャールズ・R・ヤング中尉は、東に向かって飛びながら、爆撃機を襲う敵が来ないか周囲の警戒を続けていた。

 同時に、自分が援護すべきレッド小隊の小隊長機への注意も怠らなかった。

 何度となく周囲を見張り、そして右上を飛ぶ隊長機に視線を移したとき、隊長機のキャノピーガラスが砕けて飛び散るのを目撃した。

 直後に自身が乗るP-51を激しい衝撃が襲った。

 「自分も隊長のように殺される!」一瞬目を閉じてそう観念した。しかし、すぐに衝撃は止み、自分がまだ生きて操縦桿を握っていることを悟った。

 そのすぐ左横を敵の戦闘機が降下していった。敵に対し自分はどうふるまうべきか。一瞬の出来事で判断ができなかった。

 隊長機は操縦席がなくなった状態で徐々に右に傾きながら高度を下げていった。とても人が操縦しているようには見えなかった。

 ヤング中尉は隊長機を追って高度を下げつつ、恐る恐る自分の機体の状態を調べ始めた。

 自分自身と、機体の胴体と、左の翼は無事なようだった。

 右の翼を見ると、主翼の付け根付近に穴があき、漏れたガソリンが白い霧となって後方にたなびいていた。

 主翼の前の方では大きい穴があき外板がめくれ上がっていた。翼の中央のあたりも、比較的大きい穴があいていた。

 戦闘機に襲われ、被弾し、損傷した。敵の銃弾があと何フィートか左にずれていれば、自分も小隊長と同じ運命だったのだと彼は理解した。

 その彼の機体の周囲を、いくつもの落下タンクが落ちていった。

 彼はようやく、飛行帽のイヤホンの声から、味方の戦闘機隊が大混乱に陥っている状況を理解した。


「こちらレッド小隊の『ユング』、被弾した。小隊長は死亡したと思われる」

 無線電話の送信ボタンを押して彼はそう伝え、降下を続けながら戦線からの離脱を図った。眼下の雲が徐々にせり上がってきていた。

 右の方向を見ると、こちらに腹を見せて横転した小隊長機は深い降下に入り、ほどなく雲の向こうに消えた。

「右のタンクはもう駄目だ」

 ヤング中尉はそうつぶやきながら計器を確認した。計器と機体の音や振動の状況から、エンジンは無事なようだった。

 半年前にイングランドの基地に配属されたとき、彼はさっそく、名字をドイツ語訳した「ユング」とニックネームをつけられた。酒を飲むとすぐ、仲間が「ユング先生」と呼びながらふざけた心理学の質問をしてくるようになった。適当に返事をすると、どこかから「そういうときはこう答えるんだ」と下品な模範解答が飛んでくるのが常だった。

「落下タンクがもう少しあるが、これがなくなったら左の翼と『サドルタンク』だけか」

 彼は他の機体のように燃料タンクを落としてはいなかった。

「『お嬢さん』、無事帰れるように頑張ってくれよ」

 彼は自分の機体にそう語りかけると、慎重に操縦してゆるい左旋回を開始した。

 彼は配属されてからずっと、先輩パイロットの「お下がり」の機体をあてがわれてきた。中尉に進級して、小隊長の護衛も任せられるようになってから、新造の機体がついに彼に渡された。整備格納庫で彼に紹介されたそのP-51Dは、機首に『ユングフラウ』(Jungfrau:「乙女」のドイツ語)と書き込まれていた。文字は白いペンキで、赤く縁が彩られていた。

 旋回中の機体が北を向く頃に、頭上を爆撃機の梯団が東へと進んでいった。護衛のP-51の姿もいくつか見えた。

 機体が帰路の西へ向く頃に、背後から戦闘機が1機近づいてくることに彼は気づいた。細い胴体はMe109かもしれない。しかし、その戦闘機は正面を見せて射撃の体制に入るようなことなく、むしろ、彼が気づいたそのタイミングで、翼を振って合図した。

「こちらブルー小隊の4番機、スプリング少尉です。援護するよう命じられました」

「こちらユング。スプリング、助かった。まずは僕の機体を見てくれ」

「了解です!」

 傷ついた機体を英国まで飛ばす自信は正直なところ彼にはなかった。1機とはいえ、味方がそばについてくれたことに、彼大きく安堵した。


「機体の損傷ですが、やはり右の主翼のみです」

 スプリング少尉が、『ユングフラウ』の上や下を飛んで見て回り、点検した結果を報告してきた。

「主翼の燃料タンクは13mmが何発か貫通したようですね」

「だろうな。もうそのタンクは空だよ」

「よく火がつきませんでしたね」

「満タンだったから、ガソリンがほとんど気化していなかったんだろう」

「それは幸運でしたね」

「まったくだ」

 彼は改めて右の主翼の損傷状態を自分でも確認した。

「下から見ましたが、右の主脚が外れて落下しています」

「そうか」

「右の機関銃も被弾してますね。どちらも20mmだと思います」

 13mm機関銃の銃弾は単なる金属の塊だが、20mmはある割合で炸裂弾がある。機体に命中すると炸裂し、それが主要構造部材なら機体は即座に破壊されて墜落する。

「ものすごい衝撃だったよ。そうか、脚か」

「桁じゃなくてよかったですね」

「ああ。それに機関銃弾も誘爆を免れた」

「『お嬢さん』は強運の星のものとに生まれてらっしゃる」

「マウザー砲がドイツ人と間違えて手加減したのかな」

 『マウザー』とはMe109の機関銃を製造しているメーカーだ。連合軍からもその性能は一目置かれていた。

「落下タンクの燃料がほぼないようだ。落とすぞ」

「はい」

 彼は燃料コックを左の主翼のタンクに切り替え、続いて操縦桿のボタンを押して落下タンクを投棄した。軽くなったタンクはあっというまに後方に飛んで見えなくなった。護衛のスプリング少尉も同時にタンクを棄てた。


 西に向けて飛ぶと、雲の谷間がちょうど行く手にあり、かなりの距離を雲に入らずに飛べることが分かった。ユングとスプリングは連れ立って飛び、雲の谷間が続く限りギリギリまで谷底を飛んだ。

 それから、浅い降下を続けながら2機は雲に入った。視界は真っ白に奪われたが、かろうじて互いの機体を見ることができた。

 計器を見ながら慎重に降り、あまり時間がかからずに雲の下に出た。

 眼下の景色は、ドイツ西部の畑や森が広がる場所だった。オランダとの国境は空中からはよく分からなかった。

「ライン川が見えます」

 スプリング少尉がバブルキャノピーの中から前方を指差した。ユング中尉の目にも白く輝く水面が長く続いているのが見えた。

「ライン川の河口まで行けば、左の南岸がベルギーです。『お嬢さん』は持ちそうですか?」

「今のところ問題ない」

 やがてライン川の川幅が広くなり、いくつにも分岐して北海に注ぐのが見えてきた。

「いや、英国までは持たないかな」

 エンジンが一瞬息をついたため、慌てて彼は燃料コックを胴体の『サドルタンク』に切り替えた。低空を飛んでいたので燃料を余計に消費したようだ。

 『サドルタンク』と呼ばれる燃料タンクは操縦席の後ろにあり、約300リットルの容量がある。しかし重心から距離が遠く、満タンにすると機体の重心がずれて安定性を悪化させた。

 主翼に落下タンクを装備した状態では燃料を多めに入れても重心への影響が小さいが、それでも、真っ先に『サドルタンク』の燃料を使うように指示されていた。

 しかし、『サドルタンク』は空にしてはいけないとも言われていた。他のタンクが空になったときの予備として、念のために燃料が残されていた。


「滑走路が見えます。味方の基地ですね」

 ライン川の南に飛び、ベルギーに入ってからスプリング少尉が滑走路を見つけた。

「ああ。あれはタイフーンかな。英軍なら親切にしてくれそうだ」

 彼は滑走路の脇に置かれた飛行機を見ながら答えた。それから、無線の周波数を非常時の値に変え、緊急着陸を要請した。

 基地に近づくと対空砲火が一箇所撃ってきたが、2機のP-51がそろって機体を左右に振り、何度か腹を見せて攻撃の意図がないことを示した後におとなしくなった。

「脚が片方しかないから、出さずに滑り込む」

「それがいいですね」

 スプリング少尉は機体を『ユングフラウ』の右上に寄せ、これから胴体着陸する機体を見守る位置についた。

「くそ、フラップが降りない!」

 滑走路に向けアプローチしながら、ユング中尉は叫んだ。

「油圧が死んでやがった」

「『お嬢さん』をいじめないでやってください」

 彼はキャノピーを開け、縛帯がしっかりと身体を座席に縛りつけていることを確認し、フラップを下げない状態で、高速で迫ってくる滑走路を見つめ、機体がそこに降りる瞬間に備えた。

 普段の着陸とかなり違う速さで飛行場の端が眼下を過ぎ、程なく機体下面が滑走路に触れた。

 泥の上に鉄板を敷いた滑走路。その上に高速で滑り込んだ『ユングフラウ』は、ゴーッというけたたましい音とともに滑り、滑りながら水平に回転し、完全に真横を向いた状態でようやく停止した。

 ユング中尉は慌てて縛帯を外すと、すぐさま外に飛び出した。

 左の翼の上に降りると、それはそのまま地面の上にあった。

 発火するかもしれない機体から慌てて走って逃げ、ほどなく鋼板の上で滑って転倒した。頭を守ろうとして肘が鉄板に激しく当たり、それでもなお頭の飛行帽が鉄板を叩いて、目の中で火花が散った。苦痛に激しく叫び、しばらく鉄板の上に横たわって身動きがとれなくなった。

 恐る恐る目を向けると、『ユングフラウ』は滑走路にへたり込み、左の翼を地面に押し当てて斜めになっていた。発火する気配はなかったが、胴体の下が完全に潰れ、プロペラは曲がり、彼女は二度と飛ぶことはできないようだった。

 英軍の消防車がサイレンをならして駆けつける音が聞こえた。

 スプリング少尉は上空を2回旋回し、彼の無事を確認すると、翼を振って西の空に去っていった。

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