七章: 秘密ト罠ト翻弄ト

◇23.狂いのK


 暗闇が薄くなっていく中で、身体の節々に痛みを感じた。視界に映ったのは、何の特徴もないクリーム色の天井。ここはどこだとはならなかった。確実に見覚えがあったから。


 周囲を警戒しながら、梨紗りさはベッドの上で上半身を起こした。殺風景なこの部屋は宮殿の中だ。第一の物語、第二の物語で落とされたのと同じ場所。強い因果を感じる。


 自分の過去の所有者が、この宮殿で過ごしていたのは間違いなさそうだ。だが、きっと貴族ではない。そう思うのは、床に散らばっているモップとバケツ。傍らで倒れている古びた収納棚から飛び出したものだろう。


 殺風景、モップ、バケツ、童話やおとぎ話に出てくる登場人物で例えるなら、姫や王子の世話役に近い職に就いていたのではないだろうか。


 脳は軽快に思考を巡らせられるのに、それに身体がついていかない。先程のあの気持ちの悪い舌の感触がまだ耳穴に残っている。ぞわぞわと粟立つ感覚に、両手で身体を抱き込んだ。


 あの男はどこにいったのだろう。部屋を見回すがそれらしき姿はない。やけにしんとしているこの空間が急に怖くなる。何か嫌なことの前触れであるように思えてならない。


 いずれにせよ、梨紗をここに連れてきたのは確実にあの男。このままここでじっとしているのは危険だ。気を振り絞り、重たい身体を動かす。両足を床につけACアダプトクロックを操作しようとしたその時、黒い槍が扉を貫通した。


 梨紗は悲鳴を上げたが本能が働いた。男が侵入を遂げた時には、モップを手にし構えていた。ACに触れBバトルクローズを纏いたいが余裕がない。今男から一瞬でも目を離せば、さっきよりひどい仕打ちを受ける。


 男はもうサングラスをかけていない。代わりに装着した銀色の鉄仮面で顔を隠している。梨紗は歯を食いしばり、黒色の槍とモップを交えた。


《お、さすが。たたかうおそうじガールってかんじだね》


 男が初めて声を発した。電子的な音の中には、明らかにこちらを小馬鹿にしている意が混ざっている。黒い槍の矛先を避けると、梨紗は転がっているバケツを掴み、男の腹に向かって投げつけた。生まれたほんの僅かな隙を見逃さない。梨紗は男の脇をすり抜け部屋から逃げ出した。走りながらモップを捨て、ようやくACに触れることが出来た。限界を超えているはずの体力を、纏った黄色のBが補ってくれているように感じる。槍も取り出し、ちらりと背後を振り返ったが、男の姿はない。


 梨紗は螺旋階段を駆け下りる。外に出て、逃走範囲を広げなければならないのに、宮殿内の地理を把握出来ていないのは痛手だ。出入口は中々見つからない。それどころか、同じとこをぐるぐると回ってしまっている気さえする。


《みいつけた》


 焦っていたが故、キュッと心臓が縮まった。廊下の角を曲がった刹那、男と対峙してしまった。梨紗はすかさず槍の先を男の顔に向け突き動かす。だが、男の動きは軽い。攻撃をさらりとかわした男が、ふいに胸元から取り出したあるものを見て、梨紗は凍りついた。


「そ、それ、何だよ」


 梨紗はあとずさる。槍を構えている手先の震えが止まらない。手にしたそれを見せびらかしながら、男は堂々とした態度で一歩ずつ、梨紗との距離を詰めてくる。


《うそつきなこだね。わかるでしょ》

「くんな!」


 梨紗は槍を振り上げた。しかし手元から重量感は瞬く間に消え去った。宙に舞った槍は終わりを告げるメッセージ。遥か向こうのほうに落下したそれに気を取られた梨紗の身体は、男の手に掴まれた。


「離せ! 離せよ!」


 男は梨紗の身体を抱え、ずるずると引きずり始めた。抵抗する力はまだ漲ってくる。もがき続けて無意味だと判断した梨紗は、男の左腕を思い切り噛んだ。梨紗を拘束する力が緩む。だが、喜びかけたのも束の間だった。


《もー、いたいなあ》


 乱雑に床に叩きつけられた梨紗の身体。次に男が取ったある行動に、梨紗は目の玉を痛いほどにひん剥いた。


《ここ、いま、きみがぼくにつけたきずと、おそろいだよね》

「やめろ! やめてっ、何でっ……やだあああ!」


 捲り上げられ露わになったその箇所を、男の舌が蛇のように這い回る。いくら叫ぼうとも、その残酷な仕打ちが辞められることはない。梨紗の全身からは遂に力が抜け落ちた。呼吸が苦しい。目の端が熱い。泣いている。


《かわいいなあ。たまらないかおをしているよ。だいじょうぶ。きみのきずは、いくらでもぼくがなめとってあげるからね》


 男はパチンと指を鳴らした。仰向けで真っ直ぐ上を見つめたまま、空気が澱み出したのを感じる。


「ひっ……」


 視界の隅を過った黒色に、ぶるりと身体が震えた。アルファベットの“K”の文字。浮遊するその数は続々と増え、空間を埋め尽くしていく。


「やっ……」


 視界に銀色の仮面が入り込んできた。梨紗の身体に馬乗りになっている。


《さあ、ショータイムのはじまりだ》


 男が先程胸元から取り出したもの、それは小さなコルク瓶。その中を蠢く漆黒の砂は死の精神から造り上げられた麻薬だ。第一の物語では真也しんやが、第二の物語では輝紀てるきがその犠牲になった。


《さらさらしていてすごくおいしいよ。それに、とってもきもちよくなれるんだ。いま、のませてあげるからね》


 Kのアルファベット達が踊り出す。コルクを抜いた男の左手が、梨紗の唇に触れる。口元に近づいてきた小瓶の先が傾けられた。口内に味わったことのない感触が一気に広がる。


《どう? ほら、のみこんで、はやく》


 男は口を閉じ切った梨紗の顎を持ち上げ、漆黒の砂を喉の奥に転がそうとしてくる。こんなもの、おいしいはずがない。気持ちよくなれるはずがない。これを飲んだ先に待っているのは、仲間に与える苦しみと辛みだけだ。


 その思いが梨紗の身体に鞭を打った。目を見開き、男の首元を殴った。男がぐらついたのを見て、梨紗は両足を身体のほうに寄せ、起き上がった。このままここに砂をぶちまけようと口を開きかけたが無情。男が梨紗の頭を掴み上げる手は早かった。


 梨紗を立ち上がらせた男は、再び梨紗の顎を掴んできた。顔を上向きにされたため、喉の奥には急激に漆黒の砂が押し寄せる。絶対に飲むものか。だが、頬を膨らませていた梨紗は、とうとう息絶えた。


 下に向かって落下していく黒色の液体を見て理解した。砂に対する攻防には勝利したが、結果敗北したのだ。目の前に広がっているコバルトブルーの海に吐き気を我慢することは出来ない。黒色の液体を追いかけるように、梨紗の口内から吐瀉物が溢れ出した。


《うっわー。きたな。でも、さいこうにこうふんするよ》


 耳元に纏わりつく男の声は吐き気の増幅剤だ。男は何度も梨紗の頭を押し、開いた窓枠から身を乗り出させる。その震動がくる度、梨紗は吐いた。


 吐き戻すものが透明な胃液と唾液だけになって、男はようやく梨紗の身体を室内へと引き戻した。ガクンと骨が抜き取られたように梨紗はその場に座り込む。もう何も考えられない。逃げる気力なんて到底湧かなかった。


 同じ目線にしゃがんだ男は、そっと梨紗の身体を包んできた。妙に優しいこの感覚を知っている。何もでないほど吐ききったはずなのに再び梨紗の胃はせり上がった。蘇る哀しい過去の光景。海・男――そして絶望だ。


《あーあ、もったいない。あのこびん、ひとつしかなかったのに》


 男の冷たい指先が、梨紗の両頬に触れた。Kのアルファベット達が弾けた。


《たべものをそまつにするこには、おしおきがひつようだね》





 ◆◆◆





 闇の鏡を潜り抜けたゆうは目を覚ました。見覚えのある高貴な丸い絨毯と扉。落とされた場所は第二の物語と同じ、宮殿内の出入口の広間だった。周囲には一緒に鏡を潜ってきたわたる仁子ひとこ誠也せいや・真也に加え、つばさ杏鈴あんずの姿。


「今回は、全員宮殿に落ちたのか」

「待って、ナリがいないわ。それに……テルキさんも」


 仁子の言葉に、誠也の顔が分かりやすく暗くなった。真也の口から語られた先刻に勃発したと言うフォロワー戦の話は、誠也の不安をさらに煽る。


『なるほど。ただ、ナリ様はともかく、テルキ様が心配ですね』

「おい天使、贔屓すんじゃねぇよ!」


 誠也の手元で空気を読まないフォールンに、優はがなった。


『贔屓などではございません。お分かりでしょう。ナリ様はこのMemberメンバーの中でトップの戦闘能力をお持ちです。ちょっとやそっとのことじゃ殺られません。テルキ様は足をご負傷でおいでです。このフィールドに巻き込まれていなければ幸いですが……』

「あっ、待って」


 暗くなっていた誠也の瞳がハッと光った。胡座をかいた太ももの上にブックを置きACを操作し始めたその手元に、Member達の視線は集まる。


「大丈夫。テルキさんはこのフィールドには巻き込まれてない」

「今ので分かったのか?」

「うん。第一の物語で、僕とテルキさんは現実に残ったでしょう? その時、テルキさんがみんなにCコールを飛ばそうとしたら出来なかったんだ。今、それを思い出してやってみた。テルキさんには飛ばせないけど、ナリくんには……繋がる」

「まじか。っつーことは、ナリももう、このフィールドにはきてんのか」

「……分からんが、きているのだとしたら恐らく宮殿外にいるように思う。この前もそうだったからな。案ずるな。やつのことだ。時期にふらっと現れる」


 翼の淡々とした言い回しには妙な説得力があった。優は誠也の肩をぽんと叩いてやってから立ち上がった。


Dark Rダークアール戦のときと違って、変に静かなんだよな」

「ユウ、どう動く?」


 仁子の問いかけに、優はずっと黙り込んでいる航を見やった。槍を握り締めているその様子は怯えているようには見えない。強い意思を固めて、この場所に立っている。


「おい天使、何か感じるか?」

『はい。邪気は感じます。ここにくる前よりは遥かに強いです。宮殿内にリー様がいる可能性は高いかと』


 このフィールドにこれる回数は、ラスボスであるデッドとの戦いを除けばあと一回だ。優の赤い目で見える光景は限りなく過去の因果のヒントを与えてはくるが、未だそれらが自信を持って何かの確証に繋がったことはない。梨紗を助けるのは無論第一だが、宮殿の中を探ってもっと何かを掴む必要がある。


「今回は全員で宮殿の中を回ろうぜ。梨紗を探すのも過去を探るのも同時で進行するべきだ。もし最悪、リーが宮殿外にいたら、あの何でもご存じな変態旅人が報せてくれる気がすんだ」


 誰も異論はないようだ。


『この前はわたくしのせいで、宝石室に辿りつくことが出来ませんでしたからね』

「フォールンのせいじゃないよ。それに、そのおかげでスナグルの人となりが少し見えたわけだし……」


 誠也に航も頷き同意した。翼と杏鈴が青色のBを纏いW武器をホルスターに収めたところで、優はMember達を二つのチームに分配した。


「何かあったらすぐにCだ、いいな」


 優はブックを手にしている誠也、仁子、真也を率いる。


「分かった」


 航がようやく発した声は、いつもと違う重たみのあるものだった。翼と杏鈴を率いて、目の前の螺旋階段を上がっていった。


「ねえ、この配分でよかったの? あっちにもうひとりいたほうが」

「あっちにナリが合流しそうってことを想定した。つか、ぜってーあっちにするだろ」


 仁子の不安は明らかに杏鈴の戦闘力を示唆していたが、優の考えに納得したらしく、少し表情は柔らかくなった。


「ここ、今まで歩いたことない廊下かもーっ」


 根が能天気な真也は、遠足にでもきた小学生のように目を輝かせている。まだ宮殿の半分も知れていないように思う。誠也はスナグルの部屋の経験があるせいか、閉じられている部屋の扉にヒントはないかと、慎重に目を凝らしている。


「フォールン、平気?」


 誠也の隣を歩いていた仁子が、フォールンを窺った。顔色が少しよくない。


『さっきより、黒いオーラが重たいような気が……』


 フォールンの言葉は遮られた。誠也がブックを閉じACに仕舞い込んだからだ。


「まじか!」


 眼前に湧きだすようにフォロワーが出現した。黒色の槍を手にし、薄気味悪く笑んでいる。第一の物語と第二の物語で油断していた。ボス戦もグレーのフィールドと法則は同じなのだし、何よりデッドの手下だ。フォロワーが現れるのはおかしい話ではない。


 剣を振るおうとした優の前に踊り出たのは真也だった。


「みんな先に進んで!」

「ちょっとシン! 無茶は……」


 にっと笑った弟を、兄がすかさず気遣う。


「この量ならこの場は平気! いざとなったら覚醒付随でくらますよ! 早くいって!」


 先を促す真也の判断は正しいような気がした。全員で戦っていれば、また宮殿を思うように回ることが出来ずに終わってしまうかもしれない。Kに呪われた梨紗が現れてしまうのならば尚更だ。時間は限られている。


「いくぞ!」


 剣を交えながらフォロワー達の間をSwordsソーズは突破した。背中で黄色の槍が黒色の槍と討ち合いを繰り広げる音を聞きながら、廊下の角を曲がった。



 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:※◇23

 ・EP1:七章Ⅳ


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◆A◆?◆?◆

 ・EP2:※◇31

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る