六章:無声ノ恐怖ト有声ノ脅威

◇20.仲間だから、誰よりも


 ローテーブルに置いたマグカップの中に、コーンクリームスープの粉末を入れ、ケトルで沸かしたお湯を注いでかき混ぜる。


 深い眠りについている真也しんやの掛け布団の乱れを直してやってから、マグカップから立ち昇っている湯気に息を吹きかける。猫舌にならないように細心の注意を払うのだ。ちびりと啜ると、甘いコーンの味。優し過ぎて、痛む心によく沁みる。


 誠也せいやは、ほんの少しだけベランダの窓を開いた。網戸を通って入り込んできた空気の冷たさに身震いしたが、弱くなっている心を奮い立たせてくれるようで悪くない。温かいスープと冷たい空気は自ら作り出してみたアメとムチだ。


 元々強い人間ではない。人を頼って人に甘えて生きてきた。そう自覚しているのに結果願ってしまうのだ。心の不安が空気のように定期的なサイクルで回って、何ひとつ苦しくないままなくなってくれたらいいのにと。はたまたこの湯気のように、ふわふわといつの間にか消えてくれればいいのにと。


 近頃は、ずっとあるし、ずっといる、この不安が。


 ゆうに言われた大丈夫を大丈夫と受け入れ切れていない。優が嫌なのではなく、そんな自分が嫌なのだ。とろりとした甘い黄色の液体を口に含むたび、賢成まさなりの優しい顔は浮かび上がって、冷たい風にあたれば切な気な顔に変わる。どちらが本当の賢成? どちらもきっと本当だ。どれほど一緒の時間を共有してきたことか。分かっているはずなのに、拭えないこの違和感は何なのだろうか。


 連絡しよう、そう思って何度左袖を捲ったか。Callコールの画面を立ち上げて、賢成の顔を映す前にCancelキャンセルしてしまう。賢成がわたるのように鈍感であれば違ったかもしれない。けれど彼は頭が切れる。勉強的な部分だけでなく、昔から誠也の感情など全てお見通しなのだから。今もきっと見抜かれている。大切な親友に疑念を抱いていると言うことを。本人にコンタクトを取ることで、その点を追及されてしまうかもしれない可能性が、途轍もなく怖い。


 そうは言っても逃げ続けるわけにもいかない。第三の物語に入ってから一度も会っていないとは言え、いずれ会う瞬間はやってくる。背いても仕方ない。しかしどうしても左腕を捲くったところで、右の指先は動いてくれない。


 ACアダプトクロックから電子音が鳴った。浮かび上がっているスクリーンに映っている名を見て、ほっとした。


「もしもし」

「(もしもし、おはよう誠也くん)」


 穏やかな声で挨拶をしてきた仁子ひとこ。誠也も挨拶を返そうとしたその時。


「うわっ!」

「(えっ?)」


 ショルダーバッグから光が漏れ出した。慌てて近寄り、中を漁ってブックを取り出す。表紙を開いた途端、フォールンが得意気な表情で、ぴょんっと跳ねた。


『セイ様! おはようございます!』


 咄嗟にしーっと誠也は自身の唇に人差し指を当てる。大人しく眠っている真也に気がつくと、フォールンは同じポーズをし返してきた。


「(その声、フォールン!? 久しぶりね! よかった、フォロワーが現れたのかと)」

『その声はニン様ですね。お久しぶりでございます』

「急にどうしたの?」

『はい、実は、新しい情報がOrganaizerオーガナイザーより入手出来まして。その前に、リー様は特にお変わりはなさそうですか』

「(ええ、今のところは。本人も背後に気をつけてるとは言っていたわ)」

『左様でございましたか。出来るだけ彼女とは小まめに連絡を取って下さいませ。申し上げるのは大変心苦しいですが、最大限Kのアルファベットから彼女を護る努力を』

「(分かってる)」


 仁子の声は頼もしい。誠也も力強くフォールンに頷いた。


『さて、新たな情報と言うのは、残念ながらKのアルファベットについてのことではないのですが、大変重要な情報かと思われます』

「重要って?」

「(そもそも、このgameゲームにおいて重要じゃないってことは基本的にない気がするけど)」

『ニン様のおっしゃる通りなところはありますが……現在を生きるクリアーとスナグルのことについて、Organaizerから、確実に生きていると言えるほどの気を感じるようになったと連絡がありました』


 誠也は息を呑んだ。すっかり第三の物語に大きく揺さぶられている梨紗や航のことばかり気がいっていた。


 クリアーとスナグルの血を引くまだ見ぬ現在の選ばれし者達へのOrganaizer及びフォールンの見解は、ずっと曖昧だった。感じられる生命の気は薄く、生きていない可能性さえ示唆していたのに。ここへきてそれが断定的になったとは。


『生きていると分かった今、二人を探し出せる大きなヒントがあるかもしれないと申されたのです』

「ヒント?」

『二人はあなた達より、即ちシン様がDark Aダークエーに染め上げられた六年前よりも前に、Crystalクリスタルを覚醒させるgameに参加していました。二人が覚醒させた二つのCrystalはこのブックに収められています。つまり二人も今のように、デッドおよびフォロワーと対峙していた可能性は十分に考えられます』

「(まさか、そうよ、そうよね!?)」


 興奮している様子の仁子に、数十秒遅れで誠也もはっとした。


「AC……」

『ニン様、セイ様、お見事です』

「(今も二人の左腕にはACがついてる可能性があるのね!)」

『左様でございます。死している且つCrystalが覚醒していないのなら見解は別でしたが、あなた達と似たようないばらの道を潜ってきたはずです。それにACは何度捨てようが主人の左腕に戻ります。結果、彼らにとってもgameはまだ終わっていないのですから』

「確かに、それなら目印にはなるけれど、どの辺に住んでいるかとかまでは分からないんだよね?」


 すれ違う人の左腕を注意して見ることはそこまで難しいことではないが、どこにいるかも分からない人間を探し出すとなれば困難を極める。しかし誠也と違って仁子は前向きだった。


「(けど、生きてるって分かっただけでも大進歩よ。その二人に会えればフォールンやOrganaizerが取得困難な情報だって得られるかもしれないわ)」

『その通りなのです。Organaizerも今回のリー様のミスでかなり気負われております。デッドとの交渉に、より一層慎重になられておりますが故』

「せめて、呼びかけとかチラシ配りでも出来たらよかったのに」

「(普通の人にACは見えないものね)」

Chanceチャンス gameと言っても甘くはありませんからね』

「(試練はつきものってことね)」


 仁子に、フォールンは深く頷いた。


『あともうひとつ、Organaizerからの伝達事項がございます』

「(なあに?)」

『今回の第三の物語、ボス戦である宮殿フィールドが展開したら宝石室を探せと』


 宝石室とは、皇帝クリオスがCrystalを保管していたとされている貴重室だ。第一の物語では梨紗りさが奇跡的にクリオスの部屋に辿り着いたのだが、宮殿内が広すぎるためにその部屋の位置がどこであるか記憶出来ていなかった。だが、彼女は過去の真新しいブックを入手し、アイスクォーツの存在をその瞳に留めた。


 第二の物語では、誠也と航は迷った末、宝石室ではなく、第一の物語で優と仁子が落とされた真っ赤に彩られた高貴な部屋を目指すことを選択し、想定していなかったスナグルの部屋を発見した。


 ここへきてのOrganaizerのこの指示は、宝石室に過去を知る大きな秘密が隠されていることを示唆していると取れる。


『gameは予測不能ですから、今回も同じように宮殿フィールドが展開するとは限らないかもしれませんが、展開したその際は、見つけましょう、宝石室を』

「分かった。みんなにも共有しておくよ」


 引き続き、梨紗の様子に気を配るようにと告げ、フォールンはブックの中へと姿を消した。


「(よくよく思えば、もう折り返し地点なのよね)」


 大きく何かが展開しそうな予感、そのChanceは決して落とせない。仁子との通信を切ってから誠也は三角座りをして顔を埋めた。真っ暗な視界の中で賢成を思った。その顔は、笑っているのか悲しんでいるのか分からなかった。






 ◇◆◆






「あー、こたつってほんと最高だねぇ」

「こんなおんぼろでも神だよな」


 時計の針はあと十五分で深夜〇時を差そうとしている。遅番勤務を終えた優は、航が実家へ戻ってきていると聞き、自宅へ招いた。


 優の部屋にはもう何十年も使い続けている年季の入ったこたつが一台。白い息を吐きながらやってきた航は、優の部屋に駆けこむなり、それに潜り込んでぬくぬくと温まり始めた。


「……相変わらず、かわいいね」


 元々小さめにしていた声をさらに小さくして、航は目配せしてきた。優の腕の中に包まれてぐっすり眠っている幼き弟、あゆむ。一度寝かしつけたのだが、航が到着するちょうど五分ほど前に、歩は目を覚まし起きてきてしまった。もう一度部屋で寝るよう促したが、何がそんなに嫌だったのか、びーびーと泣き喚いたために、今のこの状況に至る。


「わりぃな。気ぃ遣わせるはめになって」

「何をおっしゃってるの」


 航のこの幼い頃から変わらぬ優しい笑顔が好きだ。深い安らぎをくれる。だからこそ分かるのだ。優しい笑顔の中に歪んだ顔が隠れていると。


「あれから梨紗と、どうだ」


 肩を竦めて航は苦笑した。


「ぜぇーんぜん。連絡も取ってないや……嘘、取ることに俺が怯えてるだけの間違いだね」

「航」

「実はこれ絡みで、しんさんとも微妙になっちゃっててさ」

「はっ? まじかよ」

「真さんとも、そうなってからは」


 湯呑を両手で持ち、優が淹れてやった温かいほうじ茶を航は啜った。


「俺さ、ふと、思ったんだよね」

「ん?」

「俺が、ここによく戻ってくるのってさ、自らを戒めるためだよねって。あのことを、忘れちゃいけないから。優くんはずっとここにいるのに、都会に出た俺だけが、のうのうと過ごすなんて、許されてはいけないこと」

「おい、航」

「変わらないどころかさ、どんどん思い出すばっかりなんだよ。梨紗ちゃん見てると」


 震える航の声に、優はツバを呑んだ。歯を食いしばる。


「優くん、俺ね、ひとつ梨紗ちゃんのことで、もしかしてって思うことがあって」


 刹那、優の左目の奥は、金づちで殴られたみたいに激しく痛んだ。


「優、くんっ!?」


 痛みは継続しなかったが、航の反応から、左目の色の狂いを理解する。航が言いかけたことを問おうとしたが、ぐらぐらと見え始めた映像に口を閉じた。


 いつも見える過去の宮殿ではない。映像は現代だ。都会の街。煌びやかなネオン。黒のパンプスを履き歩く女性の足元。フォーマルな明るい薄ベージュのスーツパンツに身を包んでいる梨紗の姿。優の肩は、ひくっと動いた。その梨紗の姿が突如溶け、黒色のどろりとした液体と化したのだ。そこからごぽっと音を立てて伸び上がってきた小麦色の腕。


 ――助けて!

 ――殺してやる!


 ほぼ同時だった。梨紗の声に性別の判断出来ぬあの奇妙な声が重なったのは。鳥肌が立った。絶対に間違えることはない。この感覚はもう二度も経験した。


 いつの間にか瞑っていた両方の瞳を開いた途端、歩が再び泣きだした。今日はとびきり機嫌が悪い。まるで赤子のように喚き散らす。


「ごめんっ。俺が優くんを呼んだ声がおっきかったみたいで」

「航、すぐ梨紗にC飛ばせ」

「えっ?」

「いいから早く飛ばせ!」


 眉を下げておろおろしていた航に優は怒号を飛ばした。優の形相に、鈍感な航もさすがに緊急性を悟ったらしく、怯える手先でACを操作し始めた。


 優は歩を抱いたまま立ち上がり身体を揺らし始めたが効果はない。いつもなら平気な歩のキンキンとした声に対し気持ちに余裕がない。苛立ちと焦りの波が押し寄せる。


「繋がらない」


 航が左腕を優のほうへ突き出した。立ち上がっているスクリーンに映っているのは嘘なく梨紗の顔だ。十秒、二十秒、三十秒、鳴らし続けたが応答はない。


 優の瞳の中では、どろりと溶けた梨紗の姿が繰り返される。


「はっ……」


 息を詰めかけたような航の声。見開いているその瞳は一度消したのに、再び立ち上がったスクリーンに向けられている。


「梨紗か!?」


 うんともすんとも言わず、航はスクリーンをタッチした。


「(もっしも~し、こみや~ん)」


 最悪だ。いや、最高と言わねばならぬのかもしれない。賢成が動きをみせるタイミングは何かと絶妙だからだ。賢成が航に連絡をしてくる必要性など想定出来るものは限られている。


「賢成くん……」

「(よかったよ~繋がって~)」

「どうしたの。こんな時間に」

「(何かさ~、さっき見かけたんだ~梨紗ちゃんみたいな人~。状況も状況だし念のために報告しとくか~的な)」

「おいどこで見た!」


 優が会話に割って入った拍子に、航があちゃーと顔を濁した。折角収まりかかっていたのに、再び室内には幼き弟の甲高い泣き声が充満する。


「(その声~、リーダーじゃない~。そんなわーわー泣かないでよ~子供じゃないんだからさ~)」

「こんな時にざけんな! どう考えても俺じゃねぇの声で明白だろうが!」

「(あっはは~)」

「賢成くん、とりあえず話しを戻してほしい」


 ACの向こうにいる賢成に対し航は身を乗り出した。賢成が梨紗を見かけた場所は北関東のある地域。楽しそうに騒ぎながら洒落たカフェダイニングに入っていく派手な集団の中に似ているなと思う人を見たと言う。それに重ねてそもそもどうして賢成がそんな場所にいたのかと優が問い詰めようとしたタイミングで、通信は一方的に切られてしまった。


「くそ旅人め! いつも以上にくそだぜ!」


 瞬時に飛ばし返したCはもう届かない。証拠はないが、賢成が見たのは恐らく梨紗だ。そうでなきゃ、この嫌な感覚が何故今このタイミングで強く込み上げたのか辻褄が合わなくなる。優の腕の中でぐったりとし歩が泣きやむと、それに変わって航の上ずった声が部屋に響いた。


「もしもし! つばさくん!」


 優が賢成に対する苛立ちをACにぶつけている間に、航は翼にCを飛ばしていたらしい。ACに向かって声を叩きつけたその姿に優の顔は強張った。


 こんなに剣幕のきつい航の顔は、もう見たくないと思っていたのに。


「(……どうした? 何かあったのか)」

「今出せない!? バイク!」

「(……すまない。今日は、飲んでしまっていて)」

「もしかして杏鈴あんずちゃん今一緒!?」

「(……ああ、いるが……と言うか、どうしたんだ航)」

「今すぐ代わって! お願い!」


 質問さえも聞き入れない航のいつもと違う様子に、何かよくないことが起こり始めていると翼は感じ取ったようだ。少しの沈黙ののち、航のACからソプラノの声が聞こえてきた。


「(航くん?)」

「杏鈴ちゃん! 教えてお願い!」

「(何を?)」

「梨紗ちゃんが地元でいきそうな場所! 何でもいい! どんな小さなことでもいいから!」


 梨紗との微妙な関係性が取り沙汰されている杏鈴。あからさまに渋るような間が空いた。


「(……何で、いきなりそんなこと)」

「いいから教えて!」

「(分かんない)」

「嘘つかないで!」

「(ついてない。最近のことは本当に分からないよ)」

「じゃあ昔のことは分かるんだよね!? 本当に小さなことでいいからお願い!」


 遂に杏鈴は無言になった。航の肩が震えている。通信を切られたか。しかし次の瞬間、優はその予想が外れていたことを知った。


「梨紗ちゃん今やばいかもしんないんだよ! 連絡取れなくて! デッドに変なことされてるかもしんない! 杏鈴ちゃんはそれでも放っておくの!?」


 今度こそ通信は切られてしまった。ただならぬ空気感に、またもや目を覚ましてしまった歩の泣き声を背に、航は部屋を出ていこうとする。


「航!」


 これから航が取ろうとしている行動はよく分かったが、優はその背を呼び止めた。振り返った航の表情に、いつものような気弱さはなかった。


「本当に、わりぃ。俺、出れなくて」


 親しき友だからこそ、仲間の誰よりも今の航に手を差し伸べたい。だが、腕の中で震える小さな男の子は決して放置できない。優の思いを悟ったのか、航は少し頬を緩ませ笑んだ。


「ありがとう優くん。でも平気。きっと……


 祈りを込め航の目を見返した。


 ここで大丈夫、とつけ加えると、航は階段を駆け下りていった。駄目押しで梨紗にCを飛ばしてみたが、結果は航と同じだった。不憫すぎる。だがこれがgameだ。


 頬に涙の跡をいくつも残したまま今度こそ深い眠りについてくれた歩。そっと指で触れてやり、その跡を擦り取ってやった。ふにふにとしばらく頬に触れたままでいると、蓋をしていたはずの箱から記憶が色濃く溢れ出す。優は堪らず両目を瞑った。







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 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:※◇24


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◇2

 ・EP2:◇29

 ・EP2:◇30

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