◇19.花ひとつさえもなく
「よっ!
「わ、
夕方十七時、
マスターが買い出しにいっているため、店内には
カウンターに座った梨紗に温かいおしぼりを手渡す。
「明日さ、仕事のあと地元に弾丸帰省するんだ。今日は夜荷造りで忙しいから、その前に一杯飲んでいこって思った」
「そうなんだ。何か用事?」
「友達の結婚式」
「へーっ、おめでたいねっ」
「二次会だけだけどな。地元帰るの久々だから何か緊張するわー」
「そんな梨紗ちゃん、今日の貴重な一杯は何がいいの?」
「真のサイドカー」
「おっ。おっけい。しばしお待ちを」
自信の一杯を気に入ってもらえてることは素直に嬉しい。
真也がサイドカーを目の前に出してやった瞬間に、梨紗はカクテルグラスに口をつけた。
「んー、やっぱうまいよ」
「ありがとーっ」
微笑んで、真也は梨紗の来店により中途半端にしていたグラス拭きを再開した。無駄に静かな店内に心が淀む。
「何か、真、元気なくね?」
人がいれば空気は混ざってくれて、ごまかしが効きやすくなる。だがこうもしんとしていれば、梨紗の視線は真也以外に集中しない。
「えー、そうかな」
「どうしたんだよ」
「ううん。別に何もないよ」
「あたし、
ここでその名が出てくるとは。元から感情表現豊かなほうである真也は、ポーカーフェイスにはなれない。
階段の踊り場にあるBar Taker専用の喫煙所で揉めて以来、真也は航と連絡をとっていなかった。こっちからする気はさらさらなかったが、向こうからもしてくる気配はないため交わることはない。それでいいはずなのにずっと心は淀んでいる。
感情的になりすぎた。今なら反省出来る。でも素直に謝れない。それに謝ったところで航は変わるだろうか。自分は変われるのだろうか。どちらも想像がつかなすぎて、どこにも向かえない。
航の苦しみも梨紗の苦しみも分かりたい。分かってあげた上で同じチームにいる自身が二人のために出来ることを考えたかった。だが、二人は一向に噛み合わず、それどころか現在進行形で二人の間の距離は広がっている。
航も梨紗も、言葉の裏に本当の本音を隠したままでいる。二人は上手いのだ。他の
だからこそ話して欲しかった。上手くいかない、歩み寄りたいのに、どうして。溜まりに溜まった感情が、たまたま航に引き金を引かれて爆発してしまった。
自分と言う存在は、二人にとってどう言う位置にあるのだろうか。そもそもチームに必要ないのでは。このチームに必要でないのならば、
サイドカーを飲まずにこちらを見つめたままでいる梨紗。作業をやめて真也は視線をちゃんと合わせた。
「梨紗ちゃん、最近こみやんと話した?」
「あー、話してない。航、どうかしたの」
「梨紗ちゃんってさ、何だかんだポーカーフェイスだよね」
「はいっ? そうか? そんなこと言われたことねーけど」
「本音とか、本心とか。いつも言葉の裏側にないでしょう」
梨紗が口を噤み、今日初めて真也から視線を逸らした。カクテルグラスを手にし、サイドカーを、ちびちびと口に含む。
「ちょっと寂しいな、なんてね」
「真、ほんと、どうしたんだ」
「たった今どうかしたわけじゃないよ……ちょっと、こみやんとケンカした」
「えっ!? まじ!?」
「連絡取ってない。相当俺のことうざかったと思うよこみやん。冷静になったから思えるけど、完全に俺の八当たり。こみやん悪くないし」
「そんなの分かんないだろ。真がそうなっちゃうくらいに、航が何か意味分かんないことしたとかじゃなくて?」
じっとしていられなくなり、真也は再びふきんとグラスを手にした。
「俺ってさ、何で黄色のチームになったのかな」
「え?」
「バカな質問だね。因果上そうだからそうなのにね。勝手に焦ってんだよね。ほんと俺っていろんな面で役立たずだよね。あんまいる意味もないって言うか、ごめんね」
ガタッと梨紗が椅子から立ち上がった。グラスを拭き切った真也は動き止まった。
「何言ってんの真。そんなこと、一度も思ったことねえよ」
怒りも悲しみも辛みも、その他数え切れない感情を全て混ぜた梨紗の瞳は震えていた。
「そう、かな」
「航にそう言われたのか。それならまじであいつぶっ飛ばすから」
「まさか、こみやんがそんなこと言うわけないじゃない。あんなに優しいんだから。梨紗ちゃんも分かってるでしょ。優しさを取ったら何も残らないくらい、こみやんは優しいでしょ」
平日のこの時間、他の来客はまだこないだろう。フロアに出ると、真也は梨紗の隣の椅子に腰を下ろした。
「俺が勝手に突っ走ってたの。二人の役に立ちたくて。二人が苦しいと思ってることに対して何か手助けしたいなって。けど、別に二人はそんなこと求めてないよね。から回ったんだ。ただのおせっかいの気持ちで」
梨紗が静かに姿勢を正した。横顔を向けたままでも、梨紗の視線がこちらを向いていると分かる。
「第一の物語でみんなに救ってもらって何も返せてなくて、それでのうのうとMemberとして存在していていいのかなって。俺、本当はお気楽な性格じゃん。全然自覚なかったのに、二人のことをいっぱい考えてて気がついちゃった」
ふいに左肩に感じた重みに、真也はそちらを向いた。視界には、小麦色の手。ビビッドイエローに塗られた爪先にはゴールドストーンが派手に輝いている。そのまま真也の左肩は引っ張られ、梨紗の腕に包み込まれた。オレンジブラウンの髪の毛から漂ってくるシトラス系のナチュラルな香りと、伝わってくる体温に、不覚にもドキッとした。
「バカ真! 勝手にそんなこと考えてんじゃねーよ! そんなん聞いたらお前のブラコン兄貴また悲しむだろ!」
誠也に対する暴言感は否めないが、あながち間違いでもないので真也は否定しなかった。
「あたしだって、航だって、他のやつらだって、真がいなくなったらみんな悲しむに決まってんだろ!」
「り、梨紗ちゃんっ、ちょっと、く、苦しいです」
どんどん梨紗が腕に力を入れるせいで、いつの間にか真也の身体は強烈な締めつけにあっていた。
真也から身体を離した梨紗の瞳は、少し充血していた。
「真のこと、なんとも思ってないならBarにこんなにくるわけないじゃん。確かに時間潰ししてるけど、ファミレスでも漫喫でもいいわけだし。あたしはここに、ちゃんと真に会いにきてるんだぜ!? 真が作ってくれるカクテルに、いつも元気もらってるよ。航だって、きっと同じ」
梨紗のその瞳と言葉に嘘はないと思えた。伏し目になり真也は笑む。
「だけど、そんな風に辛い思いさせちゃったのはごめんな。航とは、あたしも今、ちょっと、上手くいってないとこあるんだけど、ちゃんと自分で解決したいとは思ってる。だから真がもし、まだ何かあたしを手助けしたいって思ってくれてるなら、仲間として見守ってくれたら一番嬉しい。あと、おいしいカクテルをいっぱい作ってくれたら……」
自分も踏み出しきれていなかった。梨紗に歩み寄っているつもりで、結局どこか遠回しだったのだ。たった今本音が聞けたと思った。ほんのわずかに過ぎないかもしれない。けれど、梨紗の口から、解決したい、その言葉が聞けただけで十分だ。
「梨紗ちゃんって、凄く友達思いなんだね」
今度は真也から梨紗を抱き締めた。もちろん恋愛感情ありきの行動ではない。大切な仲間としてのお返しのハグだ。
「んー、まー、そうなのかな」
「こみやんに嫉妬されちゃうねこれ」
「そう思っててこうするあたり、さすが真だな」
「でしょっ。俺、
「あながちそうかもな」
「そっちについて俺はよく分かんないけどさ、解決出来るといいね。杏鈴ちゃんとのことも」
梨紗からは肯定も否定も返ってはこなかった。身体を離し合うと、ちょうど買い出しを終えたマスターが帰ってきた。
「あと、最近、蜘蛛、平気そう?」
「うん。特に大丈夫そう。一応、背後は警戒するようにしてる」
「ならよしっ。本当に気をつけてね」
「おう、ありがと」
◆◇◆
「本当ですか!」
「ええ」
左足のリハビリを始めてから
始めた当初は正直に舐めていたところがあった。どこかで自分ならすぐに元通り歩けるようになるだろうと思っていたのだ。
実際に始めてみると思うようにいかないことばかりだった。両脇に身体を支えてくれる棒もあるのに、何度も転んだ。毎日コントロールの利かない左足との戦いを繰り返して、もどかしい思いをして、ようやく今日、聞きたかった言葉をもらえたのだ。
この調子でいけば来週末には退院できるだろう、嬉しくて仕方がないその言葉を胸に、陽気に病室へと戻った輝紀だったが、扉を開けて喉をひくっと言わせた。
電気が消えたままの中に人がいる。スイッチを押して露わになったその正体に、輝紀は驚きのあまり動けなくなってしまった。
「あっはは~。やっとこさ、お帰りで~。ハ~ロウで~す」
輝紀のベッドに堂々と腰かけたまま、ひらひらと手を振っている
「まさか、君が僕のところにきてくれるとは、正直に思っていなかったよ」
「え~、どうしてですか~?」
賢成のやたらと目尻を下げた笑顔に、輝紀は答えず丸椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「リハビリ戻りですか~?」
「うん」
「調子はどんな感じなんですか~?」
「この感じなら来週末には退院はできそうらしい。ただ完治にはそれよりもう少しかかるみたいで、ボスステージが展開する前にどうにかならないかと祈る気持ちではあるんだけれど……
今度は逆に賢成が答えない。口角を上げているのに、全くその眼差しが優しい色をしていないことに輝紀は気がついていた。
「すまないね。迷惑をかけてしまって」
「そうですね~」
「足手まとい、だよね」
「そうですね~」
一瞬、停電が起こったのかと思った。輝紀はまばたきを数回して、視界に映る色を確認する。黒だ。黒一色。それが賢成の着ているトップスの色だと分かった時には顎を掴まれ、ぐいっと上向きにされていた。
「本当に、あなたって、鈍臭い人ですよね」
射るような賢成の視線が降り注いでくる。顎を摘まみ上げられたまま、輝紀は歯を食いしばる。
「今回のこの件だけでなく、第二の物語であなたがぶっ倒してしまった電柱。あれ、現世に影響してますよね。もし仮に、リーダーと
「なるほどね。それが言いたくてここにきたのか」
「いえ。違いますけど」
「じゃあ何をしに?」
「そんなに俺がここにきたことが気にくわないんですね~」
「白草くんだろう。僕のことを気にくわないのは」
「あ~あ。謝罪も兼ねて本当にお見舞いにきたって言うのに、そんな風に言われちゃたまんないや~」
飽きたように輝紀の顎から指を離すと、再び賢成はベッドの上に座った。だが、その表情は変わらず黒い。負けじと輝紀は目を見張って賢成を見上げた。
「謝る必要なんてないさ。白草くんは正しいことをしたんだ。救ってもらった。君が僕の、刻印を討ってくれたから」
「それ、本心で言ってます?」
「やっぱり君は僕のことが嫌いだね」
「そりゃね~、助けようとして、海の中に倒されてずぶ濡れになったらね~」
「本当に……すまなかった」
「ねえ、西条さん」
一度俯いた輝紀だったが、すぐに顔を上げた。こちらへ差し出されている賢成の右手。手のひらを天井に向け、親指を覗く四本の指を二度曲げた仕草は、輝紀への要求をあらわしていた。
「貸して頂けませんか? 斧」
窓ガラスの向こうで、カラスがバサバサと一斉に飛び上がり不気味に鳴いた。重なり合い止まらないその鳴き声は、第一の物語を彷彿させる。
「言いかたが悪いかもしれないけれど、どういう吹き回しだい? 第一の物語の時、君は僕の
「……じょ~だんですよ。それがなければフォロワーが襲撃してきた時、あなたは死にますからね」
冗談だとは思えなかった。限りなく黒い賢成の表情から吐かれた言葉をユーモラスだと思える強者がいるなら拝んでみたいものだ。遠回しにお前なんて死んでしまえと、それほどに賢成は自身を嫌っているのだと輝紀は捉えたが、あえて言葉は返さず口を閉じ込んだ。
「じゃ~、俺はこれで」
にこっと賢成は頬を緩めてわざとらしく笑むと、ベッドから立ち上がった。
「あ、待って」
賢成の服の裾を掴んでしまった輝紀は、慌てて手を引っ込めた。賢成は表情を変えずに輝紀を見下ろしてきた。
「結局、如月さんは今のところ、大丈夫なのかい?」
「はい。今のところは大丈夫みたいですね~。ただ、逃れられません。梨紗ちゃんがKに引きずられていくことからは。それがこの、第三の
「君はど」
「企業秘密で~す♪」
あっけなく輝紀の言葉は魔法の言葉で遮られてしまった。
「もう一度繰り返しますけど、逃れさせることは出来ません。なので諦めるしかありません~。けど」
賢成の瞳の色の変化を輝紀は見逃さなかった。真っ黒の奥で確実に揺らめいたのだ。燃えたぎる闘志が。
「俺は、如月梨紗ちゃんを救うことを絶対に諦めません~。彼女は大切な選ばれし仲間であり、俺が愛する人の友達ですから」
輝紀が何を言い返そうかと口をパクパクと空回りさせているうちに、賢成は一礼し去っていった。さすらいの旅人と賢成自ら名乗っている通りだ。言いたいことだけ全て言い尽くして颯爽と消えていく。
「……お見舞い、かあ」
花ひとつさえもなく、延々言葉攻めとは斬新すぎないか。急に笑いが止まらない。一頻り笑い切ってから、ベッドに横になった輝紀は静かに目を閉じた。
◇Next Start◇六章:無声ノ恐怖ト有声ノ脅威
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
◇Link◇
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051
・EP1:※◇22
・EP1:◇29
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715
・EP2:◇8
・EP2:◇9
・EP2:◆A◆?◆?◆
・EP2:◇33
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます