◇18.揺れて、揺らいで、揺らがされて


ゆうさん休憩どぞー」

「あざーっす、もらいます」


 この時期の海の風は手厳しい。感じる空気の冷たさが二割ほど増すのだ。昼下がり、店長からの指示を受けた優は、身体を両手で擦りながら店内ブースへと駆け込んだ。


 温かい空気に甘やかされた途端に、身体はぶるっと震える。感覚のない手先でポケットから百円玉を取り出して、自動販売機の缶コーヒーのボタンを押した。今日は微糖のホットだ。こんな日には、日々肉体労働で疲労している身体を、中まで甘く温め労ってやるべきだ。


 椅子に腰かけ、プルタブを引いて、ひと口、二口、喉にコーヒーを通してから、優は外を覗いた。客に構っている店長とアルバイトの後輩はこちらに入ってきそうにはない。


 優はACアダプトクロックのメニューを立ち上げ、Callコールから賢成まさなりの顔を選択すると、Cを飛ばした。


 淡々と点滅するCallの文字。繋がりそうにないな、と諦めてCancelをしようとしたその時、プツッと呼び出しが途切れた合図が鳴った。


「も、もしもし!」


 逃すまいと力み、身体も前のめりになる。


「(もしも~し)」


 そんな優に対し、いつも通りの緩い賢成の声が届いた。


「お前今どこにいんだよ」

「(どこ~って言われるとん~、ま、さっきまでバトってたけどね~、ひとりで)」

「ひとりだ?」

「(いえ~す。フォロワーちゃんね。ま、秒殺だったけどね~)」

「あっそ」

「(リーダー、興味ないのね~。分かりやすいな~、新堂しんどうちゃんみたい。で、何を聞きたいの~?)」


 賢成の独特な言い回しは問うてもいいと開示しているくせに、それ以上を問わせないような妙な制圧感がある。今の誠也せいやはこれが怖くて仕方なく、苦しんでいるのだ。


「ふーん、分かってるくせして聞いてくんだな、旅人さんよ」


 つばさの言っていたことは意外にも役立った。賢成に対し疑問を持つのではない、もう初めからほとんどのことを分かっていると思ってかかればよい。


「(へえ~。ちょっと見ない間に賢くなっちゃったんだね~、リーダー)」

「お前、誠也に連絡しろ」


 あんな風に親しき友を思い悩む誠也を、優には放っておけない。だからこの一言に、全てを込めた。


「(リーダー何か誤解してない~? 俺とせい、ケンカとかしてないけど)」

「知ってるわ。誠也、お前のことで悩みだしてんだよ。お前のその無駄に謎な感じとか、匂わせるとか、どうにか出来ねぇの。俺とか他のやつには別に引き続きそのスタンスで構いやしねぇよ。ちゃんとフォロワーぶっ倒してくれてりゃ好きにしてろって話だけど、誠也はそうじゃねぇだろ。分かってて傷つけるのまじでやめろよ」

「(傷つける? リーダー何言っちゃてるわけ?)」


 賢成の声から、分かりやすく緩さが消えた。だが怯まずに、優は次の言葉を待った。


「(傷ついてんのは、俺のほうなんですけど~ん)」


 予測不可能に尽きる。間髪いれずに緩さを取り戻した賢成の声には嫌味がたっぷりだ。


「ざけんな! このことでふざけんのだけはいくらMemberメンバーでも許せねぇ!」

「(だからふざけてないってば~。てか、リーダーは何でそんな誠の肩持ってんの?)」

「はあ!?」

「(それが俺を疑ってるって証拠じゃない~。言ったじゃん~。第一の物語が終わったあとに。俺は奇跡的に出会うことが出来た大切なCrystalクリスタルの仲間達を全力で護りますってさ~。信じてもらえてないんだ~ショック~)」


 ふつふつと怒りは沸き立つのに言い返す言葉が見つけられない。勝てない、堕ちるとこまで堕とされている翼に同情した。こんな風に言い落とされるのでれば、恐らく誰も敵わない。


「(俺、何もしてないよ~。普通にgameゲームを戦い抜いてるだけ。誠が一方的に疑って落ち込んでるだけじゃない~。悲しいな~親友として)」

「じゃあお前、自分に非がゼロだって堂々と言えんのか。言えるなら今すぐ誠にC飛ばして釈明しろよ。それで全て解決する」

「(別に、誠から俺に連絡すればいいだけのことじゃない~)」

「それが出来なくなってっから言ってんだろ! お前のせいで!」

「(ごめん、俺さ~、ぐだぐだ話してるほど暇じゃないんだよね~。とりあえずさ、別に俺、怒ってないし、誠にいつでも連絡くれればい~よって言っといてよ、リーダーとして。じゃね~ん)」


 一瞬掴んだ反撃の糸口も虚しく、最後には話しの視点をずらされ、賢成のほうからぶつ切りされてしまった。


 両手で髪の毛を掻き毟った刹那、左目の奥に、ガンッと激痛が走った。両手で覆い、顔の筋肉を中心に寄せて堪える。


 左目に白いもやが見え始めたその時、左腕からCall音が響いた。かろうじて開いている右目で浮かび上がっているスクリーンを確認する。噂をすれば、だ。表示されているの文字は“Call from SEI”。


「もしもし」

「(あ、もしもし、優くん。ごめんね忙しい時に、仕事中だよね?)」

「おう。けど、ちょうど今休憩。どうした?」

「(今、先輩のお見舞いにいってきたんだ。そしたらテレビのニュースでさ……)」


 輝紀てるきの様子はどうだ、と聞こうとした言葉を優は飛ばしてしまった。


 都会の若者に人気の街の有名通りの横道にある店のガレージが不審者に壊され、その周囲を歩いていた数名が飛んできた破片で足や腕などに軽傷を負った。不審者は団子状態になって歩く人々を押しやり逃走。押された勢いで倒れこんでしまった数名もケガをしたらしい。


 誠也が嫌な予感がするとし語ったその報道ニュースの内容に煽られたかのように、優の左目が映したのは、それと同じとされる場所でフォロワーとのバトルを繰り広げる仁子と梨紗の姿だった。梨紗が蹴り飛ばしたフォロワーは石像と化した人間を薙ぎ倒し店のガレージを突き破った。映像は、黒い蝶が空に向かって飛んでいくのを見上げる仁子の表情がクローズアップされたところで静かに途切れた。


 蝶と言えば第二の物語の象徴だ。誠也の嫌な予感は的中していた。優や輝紀が犯したミス同様、現世に影響してしまったのだ。


 おかしなことに、映像が終わっても左目の痛みが引かない。


「誠也、わざわざ報告してくれてありがとうな。引き続き、周囲には最大限危害を加えねぇようにっ……」


 じゅくじゅくと、おぞましい音が聞こえた気がした。再び左の視界が塞がっていく。今度は真っ黒だ。


「(優くん、どうしたの。声、ちょっと変じゃない?)」


 誠也の声が耳の中を突き抜けると、黒い霧は一斉に晴れた。浮かんできたのは、遥か昔の過去の情景。


 宮殿の外観は闇に沈んだ様子ではない。事件勃発以前であるようだ。場面は変わり海が望んだ。どこまでも澄んだコバルトブルーの海。浜に現れたのは黒色の燕尾服えんびに身を包んでいるひとりの少年。クローズアップされた胸元のポケットに入っているのは赤色のハンカチだ。


 背を向けたままの少年は、遠くに向かって呼びかけている様子だ。視点が動くと、海の真ん中に浮かんでいる見覚えのあるボートが見えた。第二の物語のDark Rダークアール戦で、仁子ひとこと一緒に乗ったボートだ。だが、そのボートに乗ったことがあるのは優と仁子だけではない。もうひとり、賢成の過去の所有者らしき人物だ。今、この左目にはっきりと見える。砂浜にボートを乗り上げさせ憎たらしいほどに緩い笑顔を見せている少年の顔は、賢成とそっくりだ。


 第一の物語も第二の物語も宮殿外に落とされていたが、賢成は宮殿の人間――と思いかけたのは、彼のドロドロに汚れて、もはや何色の服を着ているのかも分からないほどにみすぼらしくなっている身なりに遮られた。背中を向けたままだった燕尾服の少年の顔もようやく見えた。誠也にそっくりだ。へらへらとし反省する風のない賢成の所有者に、容赦なく怒りをぶつけている。ただ、分かる。伝わってくる。今の二人も過去の二人も同じだ。何だかんだ言い合いながらも、互いが大切で、目には見えないが太い絆で結ばれている。映像が消えてしまう間際に見えた二人の笑顔がそう語っていた。


 左目の痛みがなくなってから、優は誠也にすぐさま見たばかりの映像について語った。


「(燕尾服って、いわゆる、執事とか、お付きさんが着ているような、あれだよね)」

「お付き……っつーことは、誠也の所有者は白草しらくさの過去の所有者の使用人?」

「(なりくんの過去の所有者さんのとは限らないような気もするけど……でも、やっぱりあったんだね。僕の所有者と成くんの過去の所有者には、関わりが)」


 垣間見えた因果を信じたい。真也しんやの件を抱えて苦しんでいた誠也を支えてきた賢成が、ここにきて誠也を裏切るはずがない。賢成本人もつい先程そんなニュアンスでいたではないか。


 だが何故だろう。あの笑顔が、あの仲のいい光景が遠ざかっていく。太い絆も闇の手には敵わなかったのではなかろうか。真っ黒に呑み込まれて捻り潰されてしまったのではなかろうか。止めたいのに止まらない。ネガティブな想像ばかりが優の脳内を駆け巡る。


 疑るな。信じろ。選ばれし者は仲間だ、信じろ。


「誠也」

「(ん?)」

「信じようぜ」

「(……優くん)」

「俺達、仲間だろ」

「(……うん)」


 結局通信を切るまでに優は誠也に言ってやることが出来なかった。いつもみたいに大丈夫だと、自信を持った言葉をかけてやることが出来なかった。それだけでなく気の利いた言葉が何も浮かばなかった。そんな優の感情を読みとってか、頷いた誠也の声もどことなく弱々しかった。それ故その頷きには、本当の気持ちは籠っていなかった。



 ◇◇◆



 暗闇の中でも透き通った白い肌は埋もれない。性懲りもなく、翼はその身体に独占欲の痕(しるし)を残していく。


 深夜の空気は絡み合う二人の吐息に塗れて冷たさを失う。翼に身体中の全てをめられ、杏鈴あんずは行為が終わるまで、ひっきりなしに甘ったるい声で鳴いた。


 キッチンでコップ一杯の水を飲み翼が寝室へ戻ると、杏鈴は裸のままぐったりとした様子でベッドにくるまっていた。その隣に翼も潜り込む。


 ベッドサイドに置いているランプの灯りをつけると、杏鈴特有の気だるそうな表情が覗いた。抱きしめて頭を撫でてやると、ふわふわの髪の毛の隙間からシャンプーの香が漂う。


 翼と同じ匂いだ。触れ合う柔らかい素肌の感覚もあいまって翼の欲求は満たされる。


「……そう言えば、お前」

「ん?」


 忘れていたことを妙なタイミングで思い出すことがある。腕の力を緩めて杏鈴の顔を窺う。細くなっていた杏鈴の瞼が開き、潤んだ丸い瞳が、じっくりと翼を見返してきた。


「……わたるの前で際どい発言するなよ。さすがに内心焦った」

「いつのお話?」

「……とぼけきれてないぞ」


 以前、航が翼のバイト先に立ち寄ってくれた時のことだ。純粋な航に杏鈴は容赦なく性の現実を突きつけた。一歩杏鈴が言いかたを間違え航が勘の冴える人間であったのなら、この身体を満たし合うだけの下劣な関係を構築していることがあの場でばれ、航を気絶させるに至ったかもしれない。


「だって、翼くんのことじゃないもん」


 杏鈴は一切悪いと思っていない顔をしている。それどころか、予告なく追撃の爆弾をぶん投げてきた。


「……じゃあ一体誰のことを言っていたんだよ。それもそれで何だか……」

「内緒」

「……なるほどな。それが如月きさらぎとの間にある溝に関係しているのか」

「……内緒」


 二度目の内緒の前にはわずかだが間があった。梨紗りさをどうにかしようと奔走する航に、杏鈴なりに渡した助け舟だったのか。


 第二の物語で杏鈴は翼に言った。梨紗は自分と出会ってしまったがために人生の道から幸せの文字を失ってしまったと。そんな梨紗を航なら救い出せるのではないかと、杏鈴なりに思っているのだろうか。


 このことにあまり触れすぎると杏鈴は機嫌を損ねてしまう。翼はベッドのラックスペースに手を伸ばすと、あるものを掴み杏鈴の視界に入るように差し出した。切り出すタイミングは特に間違えていなかったようだが、案の定、杏鈴はぷいとそれから視線を逸らした。


「……わざとおいていっただろう」

「違うよ。いらないから捨てていったの」


 あの日、杏鈴は賢成のことで感情をぐしゃぐしゃにしたままここを訪れた。行為に及ぶ前に彼女が自らの意思で首元から外し、床に叩きつけたネックレスは、ここにおいてきぼりにされていた。忘れていったはずがないとは思っていたが分かりやすい。賢成のことになると、杏鈴は途端にボロボロと普段は見せない感情を露呈してくるのだ。


「……俺の家をゴミ箱にされるのは困るのだが、ほら」


 留め具を外し、翼がネックレスのチェーンを首元に回そうとすると、杏鈴は首をぐりぐり動かし拒絶の意を示してきた。


「……俺かてお前にこのネックレスをつけていて欲しいわけではない。捨てていいなら本当にゴミ箱に葬りたいくらいだ」

「なら」

「……だが、これはお前にとって必要なものだ。お前がこの先のgameを戦い抜くのに、お前がお前だけでなく、仲間のことを護るためにも絶対になくてはならないものだ」


 精一杯、正論をつきつけることで翼は大人ぶった。じっと、杏鈴は疎ましそうにネックレスに視線を送っている。少しして、杏鈴はネックレスを握る翼の手に、真っ白な手を重ねてきた。


「じゃあ、もっかいシよ」


 さすがすぎる魔性だ。だが、今日はそこにやけくその四文字が滲んでいる。


「……そうしたら、このネックレス、ちゃんとつけ直すか?」


 無言になる杏鈴に、翼は鼻から息を漏らした。


「……お前、今更こんなことを聞くのもどうかと思うが、いいのかこれで。何故かは不明だが、ばれてるだろう白草に。俺とのこの関係が」


 出したくはないその名を翼は敢えて口にした。杏鈴の瞳は潤みを増す。


「……お前は俺に好意はない。白草のことを考えたくないがために、俺とセックスしてる。ただそれだけだ」


 杏鈴にはこの名が一番効く。翼の欲求を満たすに必要な要素を、杏鈴のその瞳はどんどん蓄えていく。翼は再度杏鈴の首に手を回した。抵抗はない。ネックレスはようやく持ち主の元へと帰ることが出来た。


「翼くんは、満たされない?」


 杏鈴の白い胸元で、青色の花びらを浮かべたハートのトップが揺れた。


「わたしの身体じゃ満たされない?」


 本当は心も欲しい。心を手に入れてそれ以上に満たされたい。だがそれは言えない。因果に逆らい勝つまでは。


「追い出して、成くんのこと」

「……この前もそう言っていたな」


 杏鈴が落ち着きなくなってきている。それは無意識にハートのトップを握ってしまう彼女の行動でよく分かる。


「……残念だが追い出せるものならとうに追い出している。ただ、お前の憂さが晴れるのならば俺は構わない。気が済むまで抱いてやるよ」

「わたしのためにシてくれてるの」

「それもある」

「それも?」

「……単純に、俺がお前とシたい。それだけだ」

「わたしも翼くんとシたいよ。それだけじゃ、ダメ?」


 飽き足らず欲求は刺激された。もはや麻痺を起している。そう分かっていても身体は本能のままに起き上がった。杏鈴を組み敷き、翼は顔を至近距離に寄せた。


「……いや、申し分ない」


 深く口づける。角度を変えて、舌を滑り込ませて。そのまま胸を優しく揉んで弄んでやると、杏鈴の呼吸は熱を帯びて乱れ始めた。


 唇を解放してやって気がついた。泣いている。どれほどに目を潤ませても杏鈴は涙を普通には流さない。流す条件は決まっている。必ず賢成のことが噛んでいる時だ。


「……優しく、しないでっ……」


 苦しい、その言葉に含ませ、杏鈴はそう訴えてきた。


「最低でっ、汚くてっ……ずるい人間なのわたしは」


 そして自分のことを心底よく分かっている。


「……知っている。だが、どうしてか俺は、お前のそう言うところが堪らない」


 杏鈴の目から一際大きな涙の粒が、ボロリと流れ落ちた。


「……俺も、同罪だからな」


 ああ、この瞳。杏鈴が賢成を想う時だけにするこの色。この瞳じゃないと、そそられない。この瞳を見たいがためにネックレスを返したのだ。


 そのあとの行為は普段以上に激しくなった。杏鈴は何度も追い出して、と呟いた。その耐えきれない苦しみを耳にする度、翼はただ煽られた。


 杏鈴が求めてくるままに、翼が求めるままに身体を重ねて夜を明かした。


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