◇15.ざわつく心


 灰色に凝り固まってしまった砂の上には、いくら足踏みしようとも跡は残らない。仕事終わり、帰宅途中のゆうを巻き込むかたちでAdaptアダプトのフィールドは海辺で展開した。


 応援にかけつけてくれたのは誠也せいや。互いに赤の剣の柄を握り、迫る猛威に向かって何度も振り斬る。間が悪いのか、他のMemberメンバー達はNoの返事か応答しない、そればかりだ。


 二人でやり切るには数が多い。身体から噴き出した汗は、赤のBバトルクローズにべっとりと滲みついている。フォロワー達は薄気味悪い空気を纏って槍を操ってくる。


「おい、セイ!」


 体力が削れてしまうにも関わらず、誠也は覚醒付随能力を発動させることを選んだようだ。誠也が剣を大きく振ると、二人は半球形のバリアに包み込まれた。


「こうしてるうちに誰か応答してくれるかもしれないし。動き続けているよりは、少しまし」


 未応答者はわたる梨紗りさ、そして優がTo ALLトゥーオールS応援要請を飛ばしたがために含まれてしまった輝紀てるき。今gameゲームにおき、何かしらの反応がないと不安を覚える三人だ。


「なあ、最近テルキさんと連絡とったか?」


 バリアをぶち破ろうと、槍を突き立ててくるフォロワーをぐるりと眺めながら、優は誠也に問うた。


「連絡、と言うか、まあまあ会いにいってるよ」

「状態って、よくなってるか?」

「今リハビリしてるみたい。比較的順調だって本人は言ってたけどね。上手くいけば、今月末にはって。そこまでに第三の物語がどう動くか分からないけど……」

「そっか。まあ、その通りだな」


 ACアダプトクロックが、航と梨紗が共にNoだと告げてきた。この不利な状況で、喜べる回答ではないが、とりあえず反応があったことに息をついた。


「そう言えば、ナリくん元気にしてる? ユウくん共有で連絡とってくれてるよね?」


 能力に対する集中を切らさぬためか、真っ直ぐ前を見つめたまま、静かなトーンで誠也は親しきはずの友の名を口にした。賢成まさなりのことは優より遥かに誠也が詳しいはずなのに。


「どうかしたのか」

「第三の物語に入ってから、一度も話してないし、会ってない」


 ビクッと左肩が上がった。左目の奥にあの痛みの感覚がしたからだ。気のせいだと言い聞かせながら見やった誠也の背中は縮こまっており、やけに小さく感じられた。


「連絡しずれぇのか?」

「……そう思いたくなかったんだけど、少し、そうなっちゃってるのかもしれない」

「ナリからは?」

「こないよ。ナリくんから連絡くることって滅多にないんだ。昔から今と変わらなくて、突然どこからともなく現れるの。ほんとストーカーだよね。会いたいときに会う、それが彼のさすらいの旅人スタイルだから」


 誠也の心中を優は察する。親しき友などそう簡単に出来るものではない。大人になってからの友人ももちろん大切だ。だが、幼い頃や思春期を共に過ごし、辛いことを乗り越えた絆は正直にそれとは比べものにならないくらいに太くて深い。折角真也しんやを取り戻すことが出来たのに、物語が進むにつれ、揺るがないと信じていたその絆が揺ぎつつある、それも自分の弱さと認めたくない疑心暗鬼のせいで。その誠也の辛さは、賢成を航に置き換えれば容易く分かる。


「ナリくん、何か隠してる。そんなの昔からそうだったのに、互いに越えてはならない部分は理解し合っていたはずなのに。僕が今、その掟を破りたい気持ちになっちゃってるんだ。僕だけなんだ。知りたいと思っているのは、僕だけ」


 優が歩み寄ろうとした瞬間、誠也の身体が震え始めた。能力を発動させる前の体力消耗がやはり激しすぎたようだ。ようやく振り返った誠也の目は限界を訴えていた。


 バリアがビリビリと揺れ始める。誰かが応戦してくれるかもしれないと言うリスキーな賭けは外れた。二人を護るものが全て消え去れば、体力の有りあまっている大量のフォロワー達に袋叩きにされ、討ちのめされてしまう。


 もうまもなくバリアは全て消える。現世への影響は怖い。だが邪悪に翻弄してくるデッドに、そして因果に打ち勝たなければ未来は手に入らない。ここでくたばるわけにはいかない。仲間を、誠也を護る方法はひとつしか残っていない。優は迷いを押し殺し、ACに刻まれている覚醒Crystalクリスタル名“HOTホット”に触れ、剣で空気を斬り裂いた。


 巻き起こった高温の突風をじかに受け、喉の奥が火傷したように痛んだ。思った通りだ。放った炎は相変わらず言うことを聞いてはくれない。大量のフォロワーを囲うだけでなく、こちらまで焼いてやろうと激しくうねり上げるのだ。


 優は誠也の二の腕を引っ掴むと、炎と炎の狭き間を何とか掻い潜り脱出に成功した。黒の兵を焼き尽くしていく赤の包囲網を見て、変に気を緩めたのがいけなかった。


「ユウくん!」


 誠也の二の腕から手を離し、優は左目を抑えて灰色の地面に膝をついた。痛い。炎からは逃れたはずなのに、まるで目の奥が焼かれているかのようだ。


 浮かび上がってきたのは、黄色の正装に身を包み、槍を背負っている航の過去の所有者の姿だった。気を失っているらしい梨紗の過去の所有者を肩に担ぎ、血相を変えて宮殿を駆けている。場面は変わり航の過去の所有者が辿り着いたのは、第二の物語で梨紗が身体を横たえていた殺風景な部屋。航の過去の所有者がベッドの上に、擦り傷だらけになっている梨紗の過去の所有者をそっと置こうとした瞬間、静かに閉じていた彼女の瞳がパチリと開いた。


 そこから二人は口論に発展した。映像しか見えぬためにその会話の内容は分からない。だが、二人の表情から尋常ではなく追い詰められていると推測出来る。航の過去の所有者が何かを強く言い放ち、再びどこかへ向かおうとしたが、その背中に後ろから梨紗の過去の所有者が抱きついた。しゃくりあげて涙をとめどなく流している。航の過去の所有者が、梨紗の過去の所有者の右手に、自身の右手を重ねようとしたその時、場面は全て黒色に塗りつぶされた。


 嫌な笑い声が聞こえ始める。性別の判断がつかないあの邪悪な笑いだ。そこに混ざり込んできたのはカサカサと騒がしい音。ズンッと一際大きな激痛が映しだしたのは、銀色の仮面に漆黒のスーツを纏った姿と、信じがたいほど大きな図体をした蜘蛛だった。忙しなく映像は変わる。見慣れた肌色の手が伸びてきた。


 ――助けて!


 そう叫んで、その手は腐敗した。


 ――殺してやる!


 そしてまた、別の場所から肌色の手が現れた。


 ――助けて!助けて!


 しかし、闇の力は手強い。


 ――殺してやる!殺してやる!


 エンドレスループだ。今までみた映像の中で、一番おぞましく心がえぐれる。追い詰められる。思考が追いつかなくなる。


「いい加減にしろ!」


 遂に優はそう叫んだ。両目を開いて辺りを見て困惑した。誠也がいない。そして、煙の臭いもしない。周囲が正常な色を完全に取り戻している。優が映像を見ている間に炎がバトルを無事に収束してくれたのか。現世への影響がなかったことに息もつかず、優はACのCallコール画面を立ち上げ、誠也の無事を確認しようとしたが、銀色の仮面と蜘蛛を思い返し、咄嗟に指をスライドさせ続けた。数コールしたのち通信は繋がった。


「(おっ、もしもし、ごめん! S無理だった!)」


 先程Sに対し、Noを示してきたハスキーボイスに、優は溜息をついた。


「(なんだよ。溜息あからさまじゃね? 謝ってんのに)」

「そりゃ溜息もつくわ!」


 真也のDark Aダークエー化にせよ、輝紀のDark Rダークアール化にせよ、あのような映像にて、嫌なかたちで告げられた経緯がある。何も分からぬ梨紗が不服そうにするのは当たり前であるのだが、優は胸を撫で下ろさずにはいられなかった。


「とりあえず無事でよかったぜ」

「(うん、とりあえずはな。てか、そんなにさ、あたしのこと気にかけてくれなくていーよ)」

「は?」

「(航にも言ったけど、Kになるのからは逃れらんないでしょ。五十嵐いがらし始め、みんながそれで神経すり減らすのも違うしさ)」


 梨紗なりに気を遣っているのだろう。だが、その無気力そうな話しかたには、どうしてか神経を逆撫でされる。こんな調子の梨紗を構い続ければ、航があんな風に感情を剥き出しにして気を病むのは仕方ない。


「あのさ、そんな風に言えば言うほど、航はもっとお前に構いたくなるだけだぜ」


 通信越しの梨紗の顔は見えないが、彼女が口を噤んだ様子は想像出来る。


「梨紗さ、分かってんだろ」

「(何が?)」

「へぇ。そうやってとぼけんだ。意味ねぇのに」

「(あれ? 五十嵐ってそんな遠回しなめんどくせえタイプだっけ)」

「航はあんなに優しくていいやつなのに、梨紗みたいに手のかかる女がタイプの残念な童貞なんだよ」


 梨紗の大きな笑い声とが聞こえてきた。それが何よりの証拠だ。分かっていなければ、今の優の言葉をおもしろいとは微塵も思わぬはずだ。


「そんな航のことが、梨紗は好きだろ」


 たったさっきに見た過去の因果と航の姿を強く浮かべながら、優は梨紗の笑いの間に割り込んだ。梨紗は肯定しない代わりに軽いジャブを打ってきた。


「(そう言う五十嵐はさ、仁子ひとこのことが好きでしょ)」

「さあな」

「(ふ~ん。とぼけ返してくるってわけ。さすがだねえ。同じベッドで一晩過ごしても手え出さなかった硬派なにーちゃんは)」

「それ聞いたのかよ……つか、普通ださねぇし。お前の感覚が狂ってるわ。結局何が言いたいかって、航に構ってほしくないってもし梨紗が本気で思ってんなら、航を心配させるような行動とか言動はすんなってこと。特にその夢なさ気な態度とか、生きる気力ない系の口調とか、航のおせっかいスイッチを連打するだけだから警告しとく。それと梨紗がKから逃れられないとしても、ぜってぇ死なせてやんねぇから。わりぃけど俺リーダーだから。何があっても救わせていただきますんで」


 優の言い草は、再び梨紗に笑いの神を降臨させた。


「(最後の敬語何なの、無駄に丁寧すぎてウケんだけど。はいはーい。ご自由にどうぞ。じゃあ仕事戻るから切るな)」


 笑いに噛ませて逃げられた気がしたが止むを得ない。優は海に背を向け、すっかり暗くなってしまった帰路を急いで辿り出す。小走りしながら誠也にCを飛ばすと無事を確認することが出来た。その流れで航にもCをするか迷ったが、最終的にせぬことを選択した。航を心配する気持ちは山々だ。だが泣きついてこない航の覚悟を悟ってやるのも親友の役目だ。


 家が見えてきた。玄関の前に立ち、小さな身体をめっぱい大きく伸ばして、幼き弟が両手を振って迎えてくれている。その身体を抱き上げて優は精一杯の笑みを浮かべた。







 ◇◇◆






 海の側に聳える四階建てのアパート。その階段を最上階まで杏鈴あんずは一気に駆け上がった。


 通路で一旦立ち止り呼吸を正す。元から汗をあまりかかない自身の体質に初めてここで感謝した。ゆっくりと忍ぶように一番奥の部屋の前まで進む。チャイムを鳴らすと、中からガタンと音が聞こえた。


「……お」


 今日はついている、夜にさしかかるこの時間帯にバイト漬けのつばさが家にいることは珍しいのだ。事前連絡もせず、さらには約束さえもしていなかったのに、ついている。


「こんばんは。きちゃった」


 首を傾げて笑顔をつくり、杏鈴は左手に握っているコンビニ袋を、自身の目元のあたりで小刻みに振ってアピールした。


「……何か買ってきてくれたのか」

「うんっ。アイス」

「……なるほど」


 特に驚きもせず、季節外れ過ぎる手土産に深くツッコむこともせず、翼は優しい顔で部屋の中へと通してくれた。


 杏鈴のコートとマフラーをハンガーにかけ、冷蔵庫の冷凍室にアイスを仕舞ってソファに座り、テレビのニュース番組を見始めた翼。


「ねえねえ、何か飲んでもいいかな?」

「……ああ」


 どの場所に何があるかは大体把握できている。訪れ過ぎてもはや我が家のようだ。


 戸棚から取り出したマグカップの中にティーバックを落とす。ケトルに水道水を入れて電源を入れた。


 いつもなら平気な沈黙。しかし落ち着かない。自分の心はどうしてしまったのだろう。どうかしている。こんなにざわざわするなんて、らしくない。


「今日、バイトなかったんだね」

「……いや、あったがランチだけだったんだ。大学の授業の振り替えが午後からあって」

「そうだったんだ。わたしも今日忙しかったな。テラスだとビニールの隙間から入る風が冷たいから、店内のほうに入りたがるお客様が多かったの。あんなにごった返したの久しぶり」


 ぶくぶくとケトルの中の水がようやく温まろうとしている。遅い、そう感じたのは、熱い紅茶を身体に通して一刻も早く落ち着く必要があると思ったからだ。


「あとね、店長が新作のデザート考案してるの。今度翼くんきてくれるときさ」

「……杏鈴」


 名を呼ばれて気がついた。ついていたはずのテレビの音が消えている。翼がソファから立ち上がったのを感じたが、杏鈴はそちらを見ないようにして冷蔵庫の前へと移動した。


「やっぱさ、アイス食べよ。おいしいやつ買ったんだ」


 しゃがみ込んで、杏鈴は入れられたばかりのアイスを取り出そうと、冷凍庫の扉を引いた。


「……杏鈴」


 しかし、二度目に呼ばれて、その扉は翼の手により静かに閉じられた。


「……どうした」


 杏鈴の横に、同じようにしゃがんできた翼は、俯いたままでも分かるほど強く、じっとこちらを見つめている。胸元から飛び出たままになっているネックレスに気がついていなかった自身の詰めの甘さに杏鈴は呆れ返って唇を震わせた。


 今日ここに突然きた理由ほど、知られたくないことはなかったのに。


「ねえ、わたしって、そんなに分かりやすい?」


 声が上ずる。パチンッとケトルの湯が湧いた音がした。


「……そうだな。珍しく分かりやすいな、今日だけは」


 翼の言葉は明らかに杏鈴の胸元のネックレスをなじっていると分かる。堪えていたものは弾けた。ボロボロと目から零れ出した涙は止まらない。杏鈴は自らネックレスを外して床に叩きつけると翼の胸に飛び込んだ。


「翼くっ……怖いっ……怖いよ……」


 怖かった。ポイ捨てしたはずの感情が賢成の手によって甦らされることが。ただひたすらに怖くて苦しかった。どうしたらいいのか分からなかった。


 翼は黙って抱きしめて頭を撫でてくれた。紅茶なんてもういらない。こんなにも苦しさのない温もりは捨てられない。ずるくったっていい。甘えたい。くたくたになるまで甘やかされたい。こんな自分は砕けてなくなるくらい、めちゃくちゃにして欲しい。


「追い出してよ……」


 杏鈴は無意識に声を絞り出していた。なれるのなら、叶うのなら――翼でいっぱいになりたい。


なりくんのこと……追い出してっ……」


 それが本当の望みなのだと、杏鈴は翼と唇を触れ合わせながら自身を洗脳するように心の中で繰り返す。翼の唇が首筋を這い左手で胸元をまさぐり始めると、杏鈴は次第に快楽の渦に巻き込まれた。



 それでも堕ちたネックレスは消えてくれなかった。賢成の姿は、いつまでもそこにいるままだった。













 ◇Next Start◇五章:ディストラクションヘノ導線




 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:七章全体

 ・EP1:◇29


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◇31

 ・EP2:◆A◆?◆?◆

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