◇14.終わりの見えない三角形


「お先に失礼します」

杏鈴あんずちゃん、お疲れ様。明日お休みだよね。また明後日よろしくね」

「こちらこそ、お疲れ様です。また明後日に」


 杏鈴はキャメル色のコートを羽織り、チェック柄のマフラーを巻いて、アルバイト先のカフェをあとにした。十七時半だと言うのに、夕日は既に沈みきり、頬に当たる空気の冷たさは昼より大分増している。普段はそんな冷たさもどこか心地よいと感じるのに、何だか今日は不気味だ。後ろをこまめに振り返りながら、砂を蹴る足の回転を故意的に速くする。


「ハ~ロウッ♪」

「キャッ!」


 背後を気にするあまり前方不注意になっていた。腰を抜かして砂の上に尻餅をついた杏鈴を見下ろしているのは、緩く楽しそうに笑っている賢成まさなり


「ごめんごめん~。そんなに驚くとは思わなくてさ~。立てる?」


 手を差し伸べてきた賢成にそっぽを向き杏鈴は立ち上がると、コートの中まで入りこんだ砂を丁寧に掃い落した。


「えっと、どいて?」


 両目を山型にして前に立ちはだかり続ける賢成に、至ってシンプルに杏鈴は言い放った。


「え、何で~?」

「何でって、帰るから」

新堂しんどうちゃん家に?」


 出されたその苗字に反射的に胸が痛む。今日は特に会う約束はしていないが、探るような賢成の視線には、何となく反発したい。


「だったら、通してもらえるかな」

「ん~、まあ、通さないよね~」


 杏鈴が右へ動けば、賢成は左へ動く。杏鈴が左へ動けば、賢成は右へ動く。数回それを繰り返し、堤防を超えることを諦めた杏鈴は、賢成と肩を並べて海辺のほうへと歩き始めた。


「久しぶりだよね~」


 そう言われればそうだ。第三の物語が始まってから一度も顔を合わせていなかったことに、ここで気がつかされた。あまり久しい感じがしない。慣れ慣れしい賢成の態度がそう錯覚させるのかもしれない。


 シロツメクサの花冠を渡されたいつかの日と同じように、砂の上に並んで腰を下ろした。雲に覆われて月は隠れてしまっているが、道路に沿い規則的に立ち並んでいる街灯の明かりが思ったより強く、互いの顔をはっきりと照らし出す。


 賢成に見つめられ、杏鈴は喉を鳴らした。夜風に靡かされたアッシュベージュ色の髪の毛が顔を隠してくれたことに救われる。拒絶したい感情とは裏腹に、いつも頬は熱くなって仕方がない。風が吹き終わってからも、杏鈴は出来るだけ頬まで髪の毛を被せるようにし、真っ直ぐ海を臨んだ。


「こみやんと如月梨紗きさらぎりさちゃん、平気かね~」

「え?」

「あれ? 聞いてない? 何かいろいろ揉めてるみたい~」

「……そう、なんだ」

「あ、別に興味ない感じ~?」

「そう言うわけじゃないけど……」

「あの二人、ほぼ百パーセントの確率で好き同士だもんね~、俺達と一緒でさ~」

「……んっ? ちょっと、違うよ!」

「え? どこが違うの~?」

「どこもかしこもだよっ。両想いじゃないよっ、わたしたち」


 否定を述べる勢いで賢成を見てしまって後悔した。彼はずっと、目を逸らすことなくこちらを見続けていたのだ。その眼差しはどこまでも柔らかくて、甘くて、一方的に杏鈴を包み込もうとする。それが苦しくて、何かを思いきり引っかきたくなる。


「と、ところで、今日は、何しにきたの?」

あんちゃんに会いにきただけだよ~ん」

「それだけ?」

「いつもそうじゃない~」

「そ、そう言うの、困るの。くるなら、用件があるときだけにしてもらえるかな」

「ん~、じゃ~、用件できた」

「え?」

「今日も寝るの? 新堂ちゃんと」


 賢成にごまかしは一切効かない。一度寝てから絶ち切れていないつばさと杏鈴のよくない関係をあっさりと見抜いていた。そもそも初めから彼はそうなる匂いを嗅ぎつけていたに違いない。


「ねえ、何回寝たの?」


 怖いと言う感覚を超えて、悔しさが込み上げてくる。


「ふ~ん、なるほど。分からないんだね」


 賢成のそれは責める語気だ。何度寝たのかなんて正直もう分からない。

 往生際が悪いのは分かっている。だが頷けないし、頷きたくないと首が拒否をしている。


「そう言うのさ~、嫉妬するんだよね。杏ちゃんさ、新堂ちゃんに対して警戒心なさすぎじゃない?」


 賢成から見えていない左手で、杏鈴は砂を握る。


「俺だけを見てよ」


 波が打ち寄せればいいのにと思った。


「俺だけの、ものでいてよ」


 こう言う日に限って、どうしてこうも穏やかなのか。


「……なりくんの嘘つき」


 内心、杏鈴は自分に驚いていた。飛び出したのが、さらさらと流れるような力のないソプラノトーンの声ではなく、首から下げているペンダントが服の中から飛び出てくるほど、感情を露わにした声色だったから。


「用事がないなんて嘘じゃん。初めから、そうやって責めたくてきたんでしょ?」


 賢成は答えない。


「成くんはずるい! 臆病なだけじゃん! そんなにわたしに思い出して欲しいなら、いつどこで出会ったのかはっきり言えばいいじゃない! そうやってはぐらかしてからかい続けるなんてひどいしずるいよ!」


 言い切って、はっとした。賢成の顔から笑みは消え、悲し気な瞳が、ただじっと杏鈴を見つめてくる。


「もう嫌だよっ……」


 目頭が熱くなってくる。堪えるために、何度も杏鈴は首を横に振った。


「だってこんなの苦しいっ……もう嫌いになってよ。こんな汚らわしくてどうしようもないわたしなんて、とっとと嫌いになって!」

「なれるもんなら俺だってなりたいよ!」


 杏鈴の叫ぶ声に、賢成の怒鳴り声が重なった。ぶつかり合った二つは静寂を生む。


「だけどなれないよ! 好きなんだよ! 俺だって……苦しいよ」


 堪らない。杏鈴はスクッと立ち上がり、賢成に背を向けた。


「逃げるんだねそうやって、新堂ちゃんのほうに」


 身体のどこにも触れられていないのに縛られている感覚に陥る。変わらず背を向けたまま星の見えない空を仰いで、杏鈴は気持ちを抑えつけるように深く息をついた。


「俺は確かに、。だけど、やっぱり、君は俺のものだ。その事実だけは揺らがない」

「……勝手に決めつけないでよ」

「いくら君が新堂ちゃんのほうへ逃げようとも、甘えようとも、どれほど身を捧げようとも、俺から目を背けたいと思うその願いは叶わない。俺が、叶えさせてあげない」


 賢成を振り返ることは出来なかった。風がまた強くなり、海がうるさく鳴いてくれるようになってほっとした。そこに残した賢成の姿を掻き消してくれる気がしたから。






 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◇5

 ・EP2:※◆23

 ・EP2:※◆24



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