◇11.罪な無防備


「ちょっと待ててめぇ! 俺たちどうすんだよ!」

「……もうないだろう、終電。ここに泊まってくれて構わん。では」


 つばさは、さくっと玄関扉を開く。


「ちょ、ちょっと! 新堂しんどうくん!」

「あんのやろまじで許さねぇ!」

五十嵐いがらしくん!?」

「さっむ! お前出てくんな風邪引く、おとなしくしてろ!」


 仁子ひとこにそう言いつけ、ゆうは翼を追い外へ飛び出した。空気は冷たく張りつめていて、吐く息の白さが濃い。寒さを堪え四階から一階まで全力で駆け下りたおかげで、ヘルメットを装着し、青色のバイクのエンジンをかけた翼の腕を捕らえることに成功した。


「てめぇっ、ふざんけんじゃねぇぞ!」

「……俺が何をふざけたと言うんだ」

「全てだよ全て! っつーか、お前は最悪どうでもいい、けど、杏鈴あんずはここに呼べよ! さっきの話しまだ終わってねぇし、流れ的に杏鈴をこっちにこさせる、それが正しいだろ!」

「……終わってないもなにも、貴様がどうでもいい賞状に余所見したからタイムロスが生まれたんだろう。それに、杏鈴も俺に込み入った話があるようでな」

「ぜってぇ嘘!」

「……貴様が思っている以上に仲はいいぞ。因果にちなんで、身体の相性だけはいいみたいだからな」


 翼はさりげなくとんでもないパンチを飛ばしたつもりのようだが、優は怯まなかった。


「てめぇの開き直り具合ある意味尊敬するわ! あの第二の物語の杏鈴の首の痕、お前の仕業だろ!」

「……ああ何だ、分かっていたのか」

「お前と白草しらくさの様子見て察さねぇやつ相当鈍感なんだよ! 残念なことにCrystalクリスタル Memberメンバーにはその該当者がくっそ多いんだよ! 特に折笠おりかさとか! あっ、お前、まさかわたるにもこのこと言ったのか!?」

「……まさか。航、いや、特に折笠には杏鈴の首の痕の事実は告げんほうがいいかもしれんな。今日の航と如月きさらぎのやり取りであんなに不快感を示しているのに、身内で不純異性交遊が盛んに行われていると知ればあの女、卒倒しかねんぞ」

「言うわけねぇだろ! 誰にも勧んで言えねぇわこんなこと! 何よりお前、白草に対してやってること一緒になってんじゃねぇか! やられたらやり返してキリがねぇんだよ! 一旦どっかで落ち着いて白草とちゃんと話ししろよ。何より今お前自身が発言した通り付き合ってねぇんだろ杏鈴と。妊娠でもしたらどうするつもりなんだよ!」


 何がツボに入ったのだろうか、優から顔を背けて、翼は鼻から息を吹いて笑い始めた。


「何が、おかしいんだよ」

「……いや、俺も狂い過ぎているなと」

「は?」

「……むしろ、孕んでくれたほうが好都合だ」


 優は、翼の胸倉を掴んだ。


「お前ふざけんのも大概にしろ。その発言、呆れたとかそんな次元ですまねぇぞ」

「……因果は色濃い」


 重たい一言を言い放ち、翼は口を噤む。生まれた妙な静けさの中で、優は少しずつ、翼の胸倉を掴む力を緩めていく。


「……リーダー、因果は色濃いんだ。そう簡単には逃れられないと、第二の物語で俺は思い知らされた。白草賢成まさなりと言う人間から、身を持ってそう叩き込まれたんだ。だから俺は、逆らうことにした。終わりが決まるその瞬間まで足掻き続けると」


 優の脳裏にはある光景が過る。第二の物語で見た、翼、杏鈴、そして賢成に纏わる過去の所有者達の姿。


 途中まで、翼と杏鈴の過去の所有者は幸せそうだった。しかし、海の中に浮かぶ小さな白い砂浜の上にいる杏鈴の過去の所有者の元へ、ボートを漕いでやってきた賢成の過去の所有者らしき姿は、二人の関係に亀裂を走らせた。


「……逆らうのが正解なのか従うのが正解なのかは分からない。各々にとって因果に対する正解は違うように思う。だからリーダー」


 憂いを帯びた表情をした翼の右手が、優の左肩をポンッと乗った。


「……ベッド、自由に使ってくれて構わないぞ、にやり」


 一瞬でも、翼のことを気の毒だと思いかけたのがバカだった。


「にやり言うな! きっしょくわりぃんだよてめぇ!」


 優渾身の鉄拳は、にやにやしている翼にひょろりと避けられてしまった。


「……シーツも洗ったばかりなので、お気になさらず、思い切り」

「生々しいわ! 何よりそう言う問題じゃねぇんだよタコ!」

「……タコよりイカのほうが好きなんで。ああ、こんな寒い日には牡蠣もいいな。鍋にしたい」

「あっ!」


 隙を突かれてしまった。青色のバイクはスピードを上げて逃げていく。悪足掻き、翼にCコールを飛ばすが、応答するはずもなく。


「くっそー! いつかぜってぇぶっ飛ばしてやらぁ!」


 澄んだ空気に優の怒りは響いて溶け込んだ。はっとしアパートを振り返るが、近隣住民の姿は見当たらない。不動産屋に今日の騒音の苦情が入ったら何が何でも翼ひとりのせいにしてやると誓いながら、優は渋々階段を上がり、翼の家の玄関扉を再び潜った。


「だい、じょうぶ?」


 下でのやり取りは四階の室内までは幸い届いていなかったようだ。普通の様子の仁子が、両腕で身体を包んだポーズで出迎えてくれた。


「いや、大丈夫ではねぇ。さみぃのか? あいつ暖房入れてなかったのかよ。余計腹立つわ」

「そうだったみたい。紅茶で温まったせいか全然気がついてなかったわ。勝手につけたらダメよね」

「ダメもクソもあるかよ。もういいんだよ今日は。勝手に使ってこの家」

「え?」


 仁子の躊躇いを余所に、優は荒々しくリモコンの暖房ボタンを押すと、ソファに踏ん反り返った。


「あいつ、もう今日ここには帰ってこねぇ。多分朝戻り」

「え!? 冗談でしょ!?」

「冗談で俺がこんなこと言うかよ!」

「鍵は!?」

「あいつしかもってねぇよ」

「さ、笹原ささはらさんに連絡」

「こっちに連れてこいってさっき言ったよ。けど、二人でしたい込み入った話しがあんだってよ」

「そんなっ……でも、だって、そんなことって……」


 分かりやすく動揺する仁子。ACアダプトクロックの時計針は、深夜一時前を差している。


「お前、明日大学は」

「あるわよ」

「何時から?」

「十三時」

「ふーん。ま、でも、寝たほうがいいな。俺ソファで寝るから、お前ベッドで寝ろよ」

「はっ? い、嫌よ」

「何でだよ」

「だって、新堂くんのベッドじゃない。無理よ! 男の人の、しかも好きでもなんでもない人のなんてっ」


 どんどん顔を赤らめていくこの仁子の純粋さを、杏鈴と梨紗りさに見せつけてやりたい。あの二人なら戸惑うことなど一切せずベッドを選択し、男と一緒に潜り込むだろう。本来女性には仁子のようであって欲しいと普通の男なら願うはずだ。自分だって仁子のような感じであってくれたほうがいい、いや寧ろ――。


「ちょっと」

「じゃあいい。俺、もう寝るわ。明日も仕事なんだよ」


 身体的にも精神的も今日は限界だ。優はソファから立ち上がり仁子に背を向け隣の部屋に入ると、そのままベッドへ潜り込んだ。翼の言っていた通り、確かに洗い立ての柔軟剤の香がする。このまま気を抜けばすぐに眠れてしまいそうだ。


「ちょっと待ちなさいよ! あんたこの状況でよくっ……!」

「ソファあけたぞ」

「ソ……もう、寝ない、私」

「はあ? 何が不満なんだよ」

「何がって全部不満よ!」

「それは俺だって同じだわ。あー、もうめんどくせぇな」


 ベッドの脇に突っ立ち、こちらを見下ろしてくる仁子に、優は身体を起こして、掛け布団を半分上げてやった。


「な、何よ」

「入れよ」


 もう言葉が出ないようだ。仁子の口はあんぐりと開いたままになっている。優はそんな仁子の目をちゃんと見据えた。


「心配しなくてもなんもしねぇよ。ソファも不満で、どうせ床も嫌なんだろ。女は身体冷えやすいし風邪引かれんのが一番困るんだよ。他人の男のベッドだけど、とりあえずは知ってる男と一緒に入れば少なくともひとりで潜るってことにはなんねぇし、それに何もされねぇってんなら、これが最良の選択じゃねぇか。ただのぬいぐるみだとでも思ってもらえれば。それによくよく考えりゃあ、俺ら第一の物語のボス戦で同じベッドに包まってただろ、とだけ言って俺はまじでもう寝るぞ。おやすみ」


 一方的にしゃべり倒してベッドにゴロリと横たわった。潜った瞬間は、あんなに眠気が漂っていたのに、閉じた瞼の裏側はどうしてか冴えてくる。


 少しすると仁子が遠ざかっていく足音がした。隣の部屋で、ピッと鳴った電子音に続き、パチンと消されたこの部屋の電気に、鼓動の音が耳元で鳴り始める。


 優の背中のほうでベッドが沈む。


「……ねえ、狭い?」

「いや、そうでもねぇ」


 注がれている視線を背中で感じる。二人で包まると、ふとんの中はこんなに温かさで満ちるのか。たまに弟のあゆむが自分を起こしに飛びついてくることはあっても、もう何年もひとり部屋でひとりで寝ているから忘れていた。


 次第に意識は朦朧としてくる。あと少しで眠りの入口に吸い込まれると言うところで、再び優の心臓は叩かれた。


「うおっ。びっくりした。何だよ、どうした」


 背中に感じた強い温もり。ベッドのとは違う、甘くて優しい香が鼻をつく。胴に絡んできた細くて長い綺麗な左腕。首を回して後ろをチラリと見やると、暗がりの中で潤む仁子の両目と視線があった。ポニーテールを解いたその容姿は、いつもより大人びて見える。


「……なんでも、ない」

「なんでもないわけねぇだろ」


 緊張からであるのか、蚊の鳴くようにか細い仁子の声に、優は顔の向きを元に戻してぶっきら棒に言い返した。


 仁子は優から離れようとしない。それどころか、じっとりと、さらに身体を密着させてきた。


「幸せなのかな、如月さん」

「あ?」

「好きでもない人と、こう言う風にして」

「何だよ。それ実践してみてるだけかよ。びびったわ」

「……うん」

「んで、どうだよ、感想は」


 いかにも余裕がある風を装って、優は振り向かぬまま、笑い混じりに仁子へ問いかけた。


「言わない」

「何だそれ」

「嘘だって、思いたいわよ」

「は?」

「ねえ、五十嵐くん……もう少し……このままでもいい? 何か、幸せかも……少しだけ……」


 吐息混じりの誘うような声色で、耳元で囁くのは反則だ。早くなりすぎている心音が伝わってしまいやしないかと、纏わりついている仁子の左手の位置から視線が離せなくなる。


「如月さんと……笹原さんにも……幸せになってほし……な」


 もう耐えられない、そう思い、仁子の左腕を跳ねのけて優は上半身を起こした。暗闇に慣れた視界に真っ先に入ってきたのは、両目を閉じて、すやすやと寝息を立て始めた仁子の顔。


「寝てんのかよ……」


 全身から力が抜けていくと同時に両手で顔を覆い、優は深い溜息をついてしまった。普段あんなにツンッとしている仁子が、眠気と言う魔術にかかるとここまで素直な雰囲気になるだなんて。手を出すのではなく、ある意味で出される側に回るだなんて、初で真面目な仁子相手に想定出来たはずがない。


「……寝れるかよ」


 無防備すぎる美女の寝顔に、優は再び背を向けて横たわる。朝の陽が昇り、翼が玄関扉を引く音がするまで、痛くなるほどギュッと両目を瞑ったままでいた。











 ◇Next Start◇四章:分カリ合イタイ、分カリ合エナイ


 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:※◇24


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◇32

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