◇10.その槍の矛先は


 歯の奥が痛むような音にわたるの心臓は跳ねた。閉まりかけていたはずのエレベータの扉が全開になっている。


 浮き上がったままの梨紗りさの左足の先からは、まるで煙が昇っているかのようだ。彼女のキックボクシングで鍛えた蹴りは、黒の脅威に猛威を振るった。


「早く閉めてよお姉さん!」


 蜘蛛の姿が見えていないエレベーターガールが困惑するのは当然だ。しかし梨紗は容赦なく彼女を押しやり、閉まるボタンを連打し始めた。


 滑るように下がり始めたエレベーターに安堵したのも束の間だ。周囲の航と梨紗へ対する嫌悪感を吸い上げた空気は、遂に灰色に染まり始めた。パリ、パリとエレベーター内が浸食されていく。灰色に朽ちた花火に、今更ながらいきしに乗ったものと同じエレベータだと気がついた。


 こればかりは、急ぎたくても急げない。


 頼む、早く下に着いてくれ。


 そう祈りながら四階へと到着した航と梨紗を迎えたのは、フォロワーの大群と言う現実だった。


「げっ! まじかよ!」

「ここじゃダメだ」


 石像と化している人の数を見て、航は首を横に振る。ここはまだショッピングタウンの中だ。こんな狭い場所で槍は振るえない。


「ダメって、分かるけど、どうすんだよ!」

「とにかく地上に出よう!」


 一度逃げたら逃げ続けなければならないのだと、心を責め立てられているようだ。納得がいっていない様子の梨紗の背を叩き、Bバトルクローズを纏って再び走り出した。停止しているエスカレーターを駆け下りながら、To ALLトゥーオールS応援要請を飛ばす。


「もう無理! 限界!」


 一階へと辿り着き、灰色に染まった自動扉を手動でこじ開ける航の背後で、肉の裂ける音がした。追いつかれてしまうと判断した梨紗が黒の兵を槍で突いたのだ。


 床に飛び散った黒色の血液。先日賢成まさなりと共に対峙したのとは違い、フォロワーは一体につき槍一本の通常フォルムではあるが、こんなにも数がいれば手が八つ生えているのと変わらない。


「リー! 早くこっち!」


 梨紗を外に出るよう航は促す。梨紗が二枚扉の隙間を抜けた瞬間、波のように押し寄せてきたフォロワー達はそのガラスをぶち壊した。やつらの勢いに顔がこわばったが、出た先のコンコース広場に姿を現してくれたゆう仁子ひとこに、航はすぐに安堵の息を漏らした。


「わりぃな、遅くなって」


 謝ってきた優に対し、航は目で答えながら、槍でフォロワーを突き上げた。戦場と化したコンコース広場の状況を把握すべく、仁子が小刻みに視線を動かしている。


「人の石像が……あたってもし砕けたら」

「ああ、現世に響いたらやべぇな。石像っつっても見た目だけで、かつげそうな感じ。女にはきついから俺がやる。とにかくフォロワーの気ぃ引いてくれ」

「分かったわ」


 優の指示を受け、赤の剣を取り出した仁子は、戦場に華麗な火花を散らした。彼女の戦闘能力は高く、物語が進むにつれ着実にレベルが上がっている。呼吸もそこまで乱さず、敵の数をどんどん減らしていく。


 向かってくる敵を斬り裂きながら、優は石像と化している人々を、戦場の視野から逸れた場所へ素早く避難させた。そこまで数が多くなかったのが幸いだった。死者を出すかもしれない不安が減り、仁子と航の身振りに幅が増えたことにより、フォロワーの数を一気に減少させることに成功した。


「よし、思ったより早く終わらせられそうだな!」


 戦場の中心に駆けこんできた優は、両手で剣の柄を握って振り回し始めた。跳ね上がった血飛沫を浴びぬよう身体を反らした反動を生かして、航も一体のフォロワーの腹に槍の矛先をめり込ませた。


「リー?」


 仁子が訝しげに梨紗の背中に向かって呼びかけた。槍でぶっ刺して地に叩つけた一体のフォロワーを、右足で踏みつけたまま、梨紗はぶるぶると肩を震わせている。


 どこかに傷でも負い、痛みに耐えているのだろうか。顔を見ようと航が前に一歩踏み出した、その瞬間だった。


「あー! まじでイラつく!」


 ハスキーボイスを天に轟かせ、梨紗は航を振り返ってきた。屍と化したフォロワーを蹴り飛ばした梨紗が槍の先端を次に向けた先は――こちらだ。


「そうだよ、その通りだよ! あたしはな、普通のみみっちい健全デートなんかじゃ満たされねーんだよバーカ!」


 ふざけているのかと思いきや梨紗は大真面目だ。蜘蛛に脅かされ中断していた言い合いの続きを思い出したらしい。燻り返った苛立ちは放出せねば収まらない。その気持ちは分かる。


 だが、


「それ、今!?」


 そうツッコまずにはいられなかった航。


 梨紗の発言に驚きフォロワーに足を取られかけたようで、軽くよろめいた仁子だったが、軌道修正し真っ二つに黒い胴体を斬り裂いた。遠巻きでフォロワー達と剣を交えている優の視線も、ちらちらとこちらに向けられている。


「ごちゃごちゃうっせーんだよ! あたしはな!」


 梨紗は止まらない。向かってきた槍の矛先に、航は槍の矛先をぶつけ返した。


「とりあえず、あたしはヤってねーと干からびんだよ! 退屈な人生少しでも潤すために優しくしてくれる男に頼ってヤりまくってんだよ! 何か文句あるか!」


 梨紗の気絶しそうなほど強烈な反論に目の前を白くしかけた航だったが、何とか意識を留めた。


「ビッチにはな、ビッチなりのプライドってもんがあんだよ! ワタルがだっせー童貞にプライド持ってんのと一緒だから!」

「はっ!? ありえないし! 一緒にしないでよ! ぜんっぜん違うんですけど!」


 黄色の槍同士がぶつかる音は止むどころか、どんどんその激しさを増していく。


「おい! お前らいい加減にしろよ! 敵に向かえ!」


 色んな意味で顔を青くし精一杯になっている仁子を見かねたのだろう。優が怒号を飛ばしてきたが、どうにもこうにも高まった苛立ちを航は鎮めることが出来なかった。


 結果、残り数体のフォロワーを全て処理してくれたのは優だった。Adaptアダプトから解放された航と梨紗が戻されたのは、煌びやかな色を取り戻した平和なエレベーターの中だった。


 扉が開くと互いに目も合わさず一言も会話を交わさないまま、帰路を辿ったのであった。








 ◇◇◇






「……あの、どんより感が、凄いのですが」


 バトルを終えた優が仁子を呼び出し一直線に向かった先はつばさの家だった。断じて訪れたかったわけじゃない。航と梨紗のとんでもないあの様子を見て、そして仁子の顔色の悪さを案じて、訪れるならここだと思ったのだ。アポイントも取らずに、とぶつくさ言いつつも、スウェット姿の翼は部屋へ通してくれた。


「お邪魔します……」


 必要なものしか置かれていないシンプルな部屋は男のひとり暮らしを象徴している。


 翼の指示に従い、優と仁子は羽織物を脱いで畳むと、並んでソファに腰かけた。


「……適当に、紅茶でいいか。ちょうどバイト先のオーナーからもらったカモミールティーがある」

「無駄に洒落てんのな」

「ありがとう新堂しんどうくん」


 テレビをつけてもいいかと、台所に入ってケトルで湯を沸かす翼の背中に問うと、コクンと頷きが返ってきた。チャンネルを次々に変え、ニュース番組を漁っていく。


「あら、影響は出てないみたいね」


 先程のバトルでフォロワーにより壊されてしまったショッピングタウンの正面入口のガラス扉。大きな観光地のひとつであるためニュースになっていてもおかしくないが、どこにも取り上げられている風はない。仁子が念のため、スマートフォンで検索したが結果は同じだった。


「第二の物語と同じで、次の物語で影響するかもしんねぇし、気は抜けねぇよ」

「そうね」


 温かい紅茶をたっぷり注ぎ入れたティーカップを三つ、翼がトレーに乗せて運んできた。零れないようにしながら、ローテーブルにひとつずつ静かに置いていく。


「……そう言えば貴様、こんな夜に平気なのか?」

「は? 何の心配だよ」


 翼の問いに、仁子だけでなく問われた当の本人である優も少し眉を潜めた。


「……貴様は、そんなイメージだ。俺の思い違いならすまないが」


 仁子の視線が優に向けられた。それは怪訝そうではなく、どこか不安気な空気を醸し出している。翼が放った“呪縛”の意に違和感を得たのだろうか。


「なんつー表現すんだよ。確かに、普段はあんま夜外出ねぇけど……ただ、そこまでしてお前に会いたかったわけじゃねぇかんな勘違いすんなよ。その気持ち悪い顔まじでやめろ。子犬になりきってるつもりかもしんねーけど全く可愛かねぇんだよ!」


 仁子の視線を振り払うように、優はあえて素知らぬ顔で、わざとらしく眉を下げて悲しそうにしている翼にボロカスの野次を飛ばした。


「……で、ご用件は?」


 案の定、翼はすぐにいつもの無機質な表情を取り戻した。さらに責め立ててやりたい気持ちは山々だったが、優は先程のバトルの状況を軽く説明した上で、本題を切り出した。


「航と梨紗、どうなってんだあれ。いろいろと狂い過ぎだろ」


 鬱っぽい溜息を漏らした優と仁子に対し、翼は呆れ混じりの溜息をついた。


「……貴様ら、何を今更。あの女が狂っているなど今に始まったことではないだろう。そして、あの女に航が狂わされているのも今に始まったことではない。全て平常運転だ」


「平常運転!? ありえないわ! 異常運転よ! ハレンチだとか、そう言う次元を超えてるのよ!?」

「……だからそれが平常だと言っているんだ。とりあえず紅茶を啜れ」


 感情を昂らせた仁子を、翼は冷静に紅茶へと促した。促されていないのに、仁子につられて優も紅茶のカップを手に取った。


「……そもそも何故俺に問う。貴様のほうが航のことはどう考えても詳しいだろう」

「そうじゃねぇかもしんねぇって思ったからきたんだろーが。お前のほうがCrystalクリスタルについては俺より航と話してたりすんだろ」

「……呆れたものだ。この前会ったんじゃないのか航と。そのときに何か話したり、聞いてやったりしなかったのか」

「互いの家族も一緒にいて、gameゲームだフォロワーだ、特に梨紗の不純異性交遊についてなんて話せるわけねーだろ!」


 優の一喝に、翼は少し納得したようだ。上品に紅茶をんひと口飲んでから、仁子が口を開いた。


「新堂くん、本当に、微塵も驚かないのね」

「……ああ、今日のやつらの言い合いなんてぬるめだろ」

「おいおいまじで言ってんのかよ。ざけんなすぎなんだけど」

「……航から、いろいろ如月きさらぎに対しての悩みを聞いてはいる。だが、何があって、よからぬほうにこじれ気味になっているのかはそこまで詳しく存じていない。ただ、如月の更生の余地はゼロではないと俺は航にそう言った」

「どうして、そう思うの?」

「……何やかんや言いつつも、如月は航に会っているだろう。本当に嫌なら誘いなんて断ればいいだけのことだ。仮に如月が本音を開示したいと思っていても、簡単にそう出来るタイプだとは思えない。会話の内容がたとえ下劣でも、航に会う、それが如月にとっての今の精一杯なのではないかと俺は思う」

「何でお前がそう思うんだよ、そんな梨紗と関わりね……」

五十嵐いがらしくん?」


 優はふと、翼の部屋のあるものに目を奪われた。冷蔵庫の側面にマグネットで貼りつけてある、一枚の賞状。金色の縁枠の中には“調理師免許証”と墨文字で書かれている。


「……どうした」

「お前、調理師持ってんのか」

「……よくあんなところに目がいったな。杏鈴あんずなんてもう何回もきているのに見向きもしないぞ」

笹原ささはらさん、よくくるの?」

「……ああ、それなりに」

「いつ取ったんだよ」

「……大学一年のときにオーナーに勧められてな。言われるままに取得した」

「ふうん。難しい? よな」

「……まあ。実務経験がないと無理だから、貴様が取りたいと思っていても、今すぐは無理だろう」

「別に取りてぇなんて言ってねぇし。っつかさっきの、そう、杏鈴。お前、あいつから何か梨紗のこととか、航の助けになりそうな情報とか聞いてねぇのか?」

「……聞いていたら当の昔に航に伝えている。俺かて知りたい。ただ杏鈴はそう口を割らない。第二物語から知れていることは平行線のままだ。あの二人は、ただの友達ではない。それだけ」


 いがいがしいやり取りに、仁子が口を挟もうと身を乗り出した途端、翼はいきなり立ち上がると、ふらりと玄関のほうへ向かった。


「お前まじいきなり、便所か?」

「……いや、時間なんで」

「何のだよ」

「……杏鈴の家、いく時間なんで」


 優と仁子の「はあっ!?」と言う大声は重なった。




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