◇9.反則と矛盾と言いわけ
ショッピングタウンに到着すると、早速
一階の商店街風のコーナー、二階のレディースファッションがメインのフロアをのんびり見て回り、三階のフードコートで昼食を取ってから四階へ辿り着くと、梨紗のテンションはより高くなった。
「えっ」
しかし、航は訝しい声を上げてしまった。梨紗が入りたいと強く希望したのが、隣接している水族館だったから。
「嫌いか? 水族館」
「いや、それ、俺が梨紗ちゃんに聞きたいくらいなんだけど」
梨紗は大の海嫌いだ。水族館はそれに等しいではないかと航が指摘すると、梨紗は軽く笑い、本当の海でないなら平気なのだと返してきた。
「むしろ水族館に感謝なんだけど。海に潜らないと見られないものがたくさんじゃん。ここってペンギンいるかな」
「確か、いたと思うよ」
「わー、早くいこうぜっ。超楽しみー」
水族館へと続く上りのエスカレーターに乗る。
今の梨紗の発言から、海嫌いになる前は、恐らくとても好きだったのではないかととれる。とても好きがとても嫌いになってしまうほどのトラウマとは何だろう。
溺れて死にかけた? それならトラウマになり吐いてしまうのも分からなくはない。
何だか、しっくりこない。
杏鈴の発言、
梨紗の発言、
そして行動。
「航?」
集中しているうちにエスカレータを上り切り、そこから少し歩いたところで立ち止ってしまっていたようだ。梨紗に近距離で見つめれ、はっと俯いた。
怖い、考えたくない。でも、でも、まさか、そこまで。
――因果って、想像より遥かに色濃いと思うんだ~
さすらいの旅人の嫌な声と言葉は、航の脳内で繋がったあることとリンクした。
「気分悪いのか?」
「梨紗ちゃん、ってさ……」
こめかみを伝い流れてきた冷や汗を拭いながら、航は梨紗の全身に視線を這わす。そんな航を怪しんだ梨紗は、一歩後退りした。
「いきなり何? 普通にキモいんだけど、航の目、エロいおっさんみたい」
「ちょっと! もうちょっとましなたとえなかった!?」
「ねーけど。つか、どっか、ベンチ探す?」
罵りつつも、梨紗は心配してくれているようだ。冷や汗を拭えるだけ拭い、離れてしまっていた梨紗の手を、航は自ら握った。
「ううん、ありがとう平気。立ちくらみみたいな感じだからすぐ治るし。梨紗ちゃんペンギンみたいんでしょ。いこう。水族館一通りみたら、いきたいところがあるんだ」
「いきたいとこ? 何だよ、全くの無計画じゃなかったのか」
「あ、言っちゃった」
「まじボンクラ」
「ねえ失礼!」
口から滑り出しそうになった気づきを飲み込んで正解だったと航は感じた。もし航の気づきが確かなことであるのなら、梨紗に追及せずとも第三の物語は最後までにその答えを必ずくれるはずだ。そもそも梨紗は詮索してほしくないと思っている。気は軽くはならないが、焦るべからずだと、航は自身に言い聞かせた。
水族館の受付で、航は大人二枚と伝えると、そのうちの一枚を梨紗へ渡した。
館内のそこら中が海色だ。梨紗は凄く嬉しそうで、本人が平気と言っていたから当然なのだが、吐き気をもよおしそうな雰囲気もない。
自然水景ゾーンからアクアギャラリーへ。クラゲのコーナーはクリスマスシーズンが近づいていると言うこともあり、水槽の照明がイルミネーションのように、様々なカラーに変化する演出が施されている。その中を優雅に浮遊するクラゲ達に癒された。
続いては大水槽。泳いでいるこのこはどれだろうと、傍に展示してある魚の解説と見比べをしたり、指で水槽のガラスをちょんちょんと突いて魚を誘導してみたり。
梨紗がもっとも見たがっていたペンギンコーナーの水槽は、ちょうど着いたタイミングがよく、一日に数回しかやらないプロジェクションマッピングの上映が始まったところだった。空いていたソファ席に肩を並べて腰かけ、流れる壮大且つ洗礼された音楽と共に、その美しい演出に浸る。
ふいに、航は梨紗の横顔に視線を移した。水槽の光を映し、オーロラ色に濡れている瞳。胸が苦しくなって、梨紗の右手を握る左手に力が籠る。この時間だけ、嫌なことの全てを忘れてしまっても誰からも叱られない気がした。
満足いくまで水族館を堪能してから四階に戻り、航は唯一計画していた目的地へと向かうためのエントランスフロアに梨紗を誘導した。現時点で世界一の高さを誇る新建設された電波塔は、すっかり多くの人が訪れる有名観光地と化した。
梨紗は水族館を見つけた瞬間と同等に嬉しそうな顔をしてくれた。いつでもいける場所にあると、いつかいこうとばかり思って、足を運ぶのがずっと後回しになるものだ。航もそうだが梨紗も同じだったらしい。
インターネットを活用した事前リサーチでは、チケットを買うのにも一時間ほど行列をつくると書かれており、それなりの覚悟をしていたのだが、平日のおかげか、すんなりと大人二枚を手に入れられた。
展望デッキへ上がるエレベーターに乗り込むと、梨紗は感嘆の声を上げた。エレベーターは四種類存在しており、春夏秋冬の四季を表現した内装になっている。残念ながらどの季節か自分達で選ぶことは出来ないため、案内されたものに乗ることになるのだが、“夏”の煌びやかな内装は、梨紗の好みであったようだ。暗くなった内部をライトアップしてくれる花火を象ったモチーフは、よく見るとひとつひとつ模様が違っていて、他の乗客たちも楽しそうに鑑賞している。
乗っている時間は短く、たったの五十秒で地上三百五十メートルの展望フロアに到着した。
梨紗は興奮気味で、解放感溢れる景色へと小走りで向かっていく。
「うわっ。すっげー。夕日がこんな近くに見えるの初めてだ」
眩しさに瞼に少し力が入る。丸いオレンジは、いつも見上げているのとは一味違った色合いに見える。
「綺麗だなー」
「そうだね」
「夕焼けも、結構いーじゃん」
「ん?」
「こう言うとこくるならさ、大概夜景のときじゃね」
航は分かりやすく目を見開いてしまった。水族館を出たらここだとばかり思っていたがために、肝心な“デートらしい時間”の調整を失念していた。
「ご、ごめん! そうだよね。もっと暗くなってからくるべきだったね」
「何焦ってんの? 別に怒ってねーよ。むしろちょっとおもしろい。今までこう言う系のとこ、夜景のときしか連れてこられたことないからさ。新鮮だわ」
梨紗がフロアを回ろうと歩き始めたのに航も続く。
気持ちが定まらない。ぶれぶれだ。梨紗のちょっとした発言が、いちいち気になってしまう。こうしようと決めた心は何の耐性もなく崩される。再び襲う気分の悪さ。気づきは連鎖し、鎖のようにひたすら繋がっていくだけ。
トイレに駆け込もうか迷った航を救ったのは、景色の中に見えた赤く焼け焦げた旧電波塔だった。そこに意識を向けられたことで、口の中に溜まりつつあった生唾は徐々に消えていってくれた。
「燃えちまったよな、ニュースで見た」
空いていた四角いソファに腰かけた梨紗の隣に、航も静かに腰を下ろした。
「
「うん。聞ーた」
「え」
「
「うん。やっぱりチームカラー同士は、繋がりがちゃんとありそうな感じだよね」
「どうやらあたしの過去の所有者、航の過去の所有者に抱き締められてたらしーじゃん。残念だなー航。過去の所有者の大胆な血引けなかったから童貞なんだなーきっと」
「そのわざとらしい憐れみ! ちっとも残念だなんて思ってません!」
「へっへーん」
おもしろがりながら二の腕を小突いてくる梨紗の人差し指に、ピシャリと航は説教した。
「まーまー、それはさておきさ」
梨紗の引き上がっていた口角が平行化していくのを、航は見逃さなかった。
「Kになるんだろ? あたし」
それにも関わらず、その言葉を急な角度から鋭いスピードで突き落されたように感じた。
「蜘蛛見たよこの前。超でけえの。あん時は、さすがにやべーって思ったよね」
途端に梨紗から失せた無邪気さや輝き。航に向けられている瞳の奥は力ない。
「俺も、見たよ」
「まじかよ。何か出現のタイミングがよく分かんねーな。航、気をつけろよ」
「梨紗ちゃんこそ気をつけてよ」
「そう返してくるか。けどさ、実際気をつけてどーにかなる問題じゃなくね? もう決まってんだし。そうだ、先に言っとこ」
視線を落とし、両足をぶらぶらとさせながら、梨紗は続きを吐き捨てた。
「あたしがKになって、もし五十嵐がアルファベットを探せなくて、殺さないと止められないってなったそのときは、迷わず殺してくれていーよ」
光なんてない。希望なんて見いだせない。
「うっかりそうなって、後悔されてもやだからさ」
全ての手を尽くしてたとしても、彼女の心の傷を取り除くことは不可能なのだろうか。
「それでなくても後悔だらけなんだろ? 過去の所有者達は」
違う、そうじゃないだろ。自分が弱くて無力なだけ。一歩踏み込む勇気を出せないただの愚か者だから、今日のこの一日さえ、全て嘘に染まらせてしまうのだ。
「そんなこと言わないでよ」
膝の上で拳を握って、航がようやく絞り出せた言葉はそれだった。梨紗の眉間に、見る見るうちにしわが寄っていく。航の声色から苛立ちを察知したのだろう。
「やっぱ、普通じゃ足りないんだね。梨紗ちゃんは」
「……え?」
「今日たくさん笑ってくれたのも、全部嘘なんでしょ」
「は? そんなこと一言も言ってないだろ」
「うん言ってないよ。でも退屈なんでしょ結局。あの日のあー言う男の人と夜を過ごしてるほうが断然楽しくて満たされるんでしょ」
「何怒ってんの? 今日のこれとそれとは全く別物だろ。普通のデートなんだから、身体は満たされなくて当たり前じゃん。それにあたしのその素行、今に始まったことじゃなくね?」
「嫌だったんだよ」
「何が?」
膨張した苛立ちは航の心の中に溜まり込んでいた梨紗に対する思いをよくないタイミングで押し出してきた。自分の意思で伝えようとしなければ意味がないのに。昂った感情に甘えて言うのはお門違いだ。だが止められない。
「あの日、あの男の人と、梨紗ちゃんが一緒に
梨紗の顔を直視出来ない。彼女が眉を思い切り顰めている表情は想像がつく。
「はあ? まじで何。あたしたち付き合ってないし、それに航、あたしのこと好きじゃないんだろ? あの日のあたしを止める権利は航にないし、そもそも航の中にその感情が湧き上がった経緯が意味不明」
「俺だって梨紗ちゃんの感情さっぱり分かんないよ! 梨紗ちゃんだって俺のこと好きじゃないじゃん! なのに何で今日手ぇ繋いでくるの!? そっちのほうがよっぽど意味不明だよ!」
「そんなん言うんだったら改札でいつもみたいに説教してくればよかっただろ!? 付き合ってないからこういうのはいけませんって!」
「へぇ。そう言うのさえ、梨紗ちゃんの中で特別な意味ないんだ」
「ああ、もちろんないね。“デート”だからそれらしく過ごしただけ。悪い?」
「悪いに決まってんじゃん! もうっ……全部Crystalの因果のせいだよ!」
反則と矛盾と言いわけが同時に充満した心は乱れるばかりだ。梨紗のことも分からないが、自分のことだって分からない。だから八当たるしか落としどころがない。
「因果は色濃い、だから逃れたくても逃れられないんだよ! 出来たら梨紗ちゃんになんて関わりたくなんてないし気にしたくなんてないよ! だってしんどいもん! 探ってもいいことないなんて分かってるよ! でも気になるんだから仕方ないじゃない! 本当の梨紗ちゃんがなんなのか、気にしたくないけど気になるんだよ! 知りたくないけど知りたいんだよ!」
周囲なんて気にしていられなかった。呼吸を挟まず叫んだ航は、苦しくなった胸をさすりながら梨紗のほうを向いて、ガサッと大きな嫌な音を聞き目を見張った。
梨紗の右肩にいる闇の塊。梨紗は悲鳴なのか奇声なのか判断のつかない大声を上げた。彼女が叩き落とした巨大な黒い蜘蛛は、地に着地しガサガサと八本の足を動かしている。
「わたっ」
「逃げよう!」
航は梨紗の腕を掴んで駆け出した。咄嗟に取った行動にまだ脳みそが追いついていない。
「やべえ! 超早い! 追いつかれる!」
梨紗の焦りに恐怖を煽られるが、航は顔を後ろに向けない。エレベーターフロアが見えてきた。ちょうど一台が到着したところで、これから展望フロアを楽しもうとしている人が流れ出てきている。
「すみませんごめんなさい通して!」
身体がぶつかって嫌そうな顔をした人に謝る余裕はなかった。成り振り構っていられない。捕らえられたら終わる。デッドの手の中に梨紗は堕ちる。
「乗ります! 乗ります!」
エレベーターガールがとても驚いた顔をした。何をそんなに慌てているのかと、先に乗り込んでいた他の人々からも不審混じりの視線を向けられる。
エレベーターの扉までわずか数メートルに蜘蛛は迫っている。
「なあ、回りグレーになんねえぞ。おかしくね!?」
梨紗の言う通りだ。しかし、現世に影響が及ぶようになり、未来を護る選ばれし者達のはずなのに、誰からも責められない猟奇的な殺人鬼になりうるようになってしまった今、ここで灰色の波に飲み込まれるのは困る。だが、バトルフィールドに
エレベーターガールが丁寧に、「扉が閉まります」と案内をしている。扉と蜘蛛の距離はもう三十センチもあいていない。早く閉めてくれ、と怒鳴りつけたいが、戦う術を全て封じられている以上、その言葉は飲み込むしかない。
エレベーターガールの指先が閉まるボタンに触れたとき、蜘蛛の前足はエレベーター内へと侵入していた。
ガンッ!
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
◇Link◇
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715
・EP2:◇12
・EP2:◇28
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