三章:フラストレーション

◇8.選出者


「ただいまー! ねえ、超寒い。死にそうだわ」


 Barバーの仕事を終え帰宅した真也しんやは、誠也せいやの「おかえり」を待たずしてベッドにダイブし、顔まで毛布にくるまった。


 誠也は日めくりカレンダーの紙を一枚捲る。今日からAdaptアダプトの十二月。ついこの間、雨が降った日を皮切りに気温が大分下がったのを感じていたが、今朝の冷え込み具合はその比ではない。


「軟弱になったね。昔は雪が降れば喜んで、誰よりも先に外に飛びだしていってたのに」

「もう大人だもん」


 毛布を少しずらし、目だけを覗かせふてくされている真也に、誠也は軽く笑いながら暖房をつけた。五分もすればガタガタと鳴りつづけている真也の歯の音は収まるだろうが、何か温かい飲み物を淹れてやろうと、誠也は台所へ向かった。


 第三の物語が始まってしばしが経過したが、特に大きく変わったことは起きていない。しいて言うなら気味の悪い巨大な図体のブラックスパイダーと八本の腕を持つ新種のフォロワーに遭遇したわたるが、リーダーのゆうを経由して注意喚起をしてきたくらいだ。フォロワーも輝紀てるきのところへは幸い現れていないようで、誰かがKのアルファベットに染められた疑いも今のところない。


 だが、何なのだろう。このずっと続いている違和感は。


 輝紀の病室のテレビで見たショッキングな現世への影響が、心にこびりついているせいなのか? いや、そもそもの原因は、今回のgameゲームが今までと違う狂ったかたちでスタートを切っていると言う点にあるのかもしれない。


 立ち昇ってきた甘いはちみつレモンの香を、不穏さでいっぱいの心に充満させる。少しだけリラックス出来た気になった。


 背を向けて横たわったままの真也の肩を突いてやる。誠也が手に握っているマグカップを目にし、真也は嬉しそうな顔をして身体を起こした。はちみつレモンを一口含むと、真也は緩く目を閉じて微笑んだ。人手不足が祟り、週一ギリギリも休めぬほど働いているその身体には、相当滲み渡るようだ。


「ん? なあに? この音」


 真也がキョロキョロと視線を動かす。音を辿ると誠也のショルダーバックへといきついた。騒ぎ立てているのはブック。ショルダーバックから取り出してやった瞬間、パッカーンと待ち詫びていたと言わんばかりの勢いを持って、その表紙は開かれた。


「わっ! フォールンー。お久だっ」

『おはようございます。ちょうどいらっしゃってよかった。伺いたいことがございまして現れた次第にございます。シン様、リー様とは会ってらっしゃいますか?』


 フォールンとの再会を喜んだ真也の顔から笑顔はすぐに消えた。それに嫌な感じを覚え、誠也の表情も険しくなる。


「うん。まあ、結構会ってるかな。他のMemberメンバーと比べたら。それがどうしたの?」

Organaizerオーガナイザー:主催者から謝罪がございました。今game、彼女から目を離さぬようしたほうがよいと』


 フォールンのニュアンスのおかしさに誠也は気がついた。いつもなら、“伝言”なのだ。なのにわざわざ“謝罪”と言う言葉が選定されている。


「え、何? どう言うこと?」


 疲れと眠気の狭間で漂いながら身体を起こしている真也は、普段以上に頭の回転が鈍っているようで、低めの声でフォールンに事実を述べるよう急かした。しかし、フォールンは溜めている。この無音は恐怖だ。


『大幅な、交渉をしようとしたそうなのです』

「大幅な?」

『はい。Darkダーク Mentersメンターズは既に形成されている組織であると言う点が事実と異なっていると、強めに問いかけたそうなのです。これはChanceチャンス gameゲームだ、その意図にあまりにもそぐわない、二度も選ばれし者達の中からDark Mentersに選出する行為はいかがなものかと。gameはステージが進むごとに敵にレベルが上がってきつくなる。それにも関わらずテルキ様を戦闘不能に追い込んだ点についてもやりすぎだと。これらを踏まえ、第三の物語は多くハンデをくれないかと頼んだのですが、Organaizerも様々な思いから少々感情的になり、デッドの機嫌を損ねてしまったようで……そして、苛らついた口調でデッドにはっきり宣言されたと』

「何て?」

『第三の物語のターゲット選出者は、リー様だと』


 述べられたのは無言以上の恐怖だった。もっとも恐れていた違和感はこれだったのかもしれない。


「ちょっと待ってよ! それってもう完全に梨紗りさちゃんがKになるってことじゃん!」


 一瞬で目を覚ました真也はフォールンに向かって叫び上げた。第一の物語でも第二の物語でも伏せていたDark Mentersへの選出者を開示すると言う宣戦布告に、デッドの巨悪さを感じる。


「Organaizerがデッド様怒らせなかったら、梨紗ちゃんじゃなかったかもしれないのに何してくれてんのさ!」

『シン様の、おっしゃる通りにございます。申し訳、ございません』


 真撃に頭を下げるフォールン。その姿は代わりと言うよりOrganaizerそのものを背負いこんでいるかのようだ。


しん、気持ちは分かるよ。けど、フォールンのせいじゃない」

「分かってるよ! 分かってるけど……あーもー! ほんっと最近イライラすることばっか!」


 真也の苛立ちに繋がっている大半の理由が同じチームの航と梨紗にあることは先日Barを訪れたときに聞いた話で理解しているが、フォールンに八当たるのは間違っている。誰しもがこんな事態は防ぎたいと思っていた。


「ねえ、もしかしてだけど、そのせいなの? 第二の物語の失態が現世へ影響したのは」

『その可能性は大いにあります』

「やっぱり、この物語は、デッドの感情に大きく左右されるんだね」

『ええ……この度のOrganaizerの失態は許されることではございません。本人も深く反省しておりますが、わたくしからもこれ以上しくじらぬよう厳しく申し伝えておきますので』

「分かった。ありがとう」

『朝早くに大変失礼致しました。それでは、また』


 シュルンと煙に巻かれるように、フォールンはブックの中に姿を消した。先程以上にふてくされ、またもこちらに背を向けベッドに横たわってしまった真也。気が抜けて眠りに落ちたのだろうか。確認しようと誠也がベッドに腰かけ顔を覗き込むと、パッチリと開いた両目と視線があった。


「……デッド様、やっぱり悪い人なのかな」

「まだそれ言ってるの」

「だって! 俺のこと殺さないでいてくれたもん! 輝紀さんだってケガはしちゃったけど死んでないし、ガチで歩けなくなったわけじゃないじゃん! ちゃんと話したら分かってくれる人だよ。俺からしたら、今回のことはOrganaizerが悪いって思っちゃうよ」

「真、落ち着いて。何回も言ってるけどデッドがいい人なわけがない。その考えいい加減捨てないと、みんなから敵視されるようになってもさすがにフォローしてあげ切れないよ。もう一杯、入れてあげるから」


 誠也はテーブルに放置されている空のマグカップを手に取り、再び台所へ向かう。


せいー」

「んー?」


 真也は頭に敷いていた枕を抱き、むくれっ面のままだが、ゆっくり起き上がった。


「そういや俺しそびれてた。誠に梨紗ちゃんの絵の話」

「絵?」


 真也は第二の物語で目にしたと言う梨紗の過去の所有者と、見知らぬ男性が一緒に描かれている絵画について語った。その話しが終わるころに、ちょうど、よくやかんのお湯は沸いてくれた。


「梨紗ちゃんは知らないって言っててもさ、今までの流れ上、全く関係のない人だとは思えないね。その一緒に描かれてた男の人」

「そうなの。しかもさっき、フォールンの口から名前が出て、俺もちょっとそう思った」


 二杯目のはちみつレモンは真也のストレスの中枢に効いたようだ。眉間から皺が消えたことがそれを物語っている。


「クリアーとスナグル、ね。真は、その人に見覚えなかったの?」

「うん。ない。あーあ、最後、もうちょっとちゃんと見てればよかったー」

「仕方ないよ。第二の物語のラストはかなりごたついたし、あ!」


 もしかして、と誠也はブックの第二の物語が描かれているゾーンを開いたが、真也が示しているその絵画は残念ながらピックアップ対象に含まれていなかった。だが、ベッドの上に横たわり苦しそうな表情をしている梨紗と、それを見守っている真也が描かれている部屋の絵を見ているうちに、誠也ははっとし、ページを捲り戻し始めた。


「どうしたの?」

「同じだ」

「え?」

「梨紗ちゃんが第一の物語で落とされた部屋と、第二の物語で真と過ごした部屋。それに、真が絵画で見た、梨紗ちゃんの過去の所有者の特徴……」


 白いシャツに黄色のエプロン、頭にはキャスケット風の薄黄色の帽子。

 モップとバケツの仕舞われていた掃除用具庫。

 絵画で隣に描かれている小太りのスーツのような正装を纏った男性。


「梨紗ちゃんの所有者は、きっと宮殿の人だ。けど、貴族じゃないんだ」

「ど、どゆこと?」

「誰かの付き人? もしくは、宮殿内の掃除をする仕事を与えられていた人? フォールンが言ってたんだ。選ばれし者達はクリオスに重宝されて、職での高い位や、宮殿への勤務異動等、感謝の賜物が与えられたって」

「じゃあ、梨紗ちゃんと一緒に描かれてた太っちょさんって」

「宮殿内での職種が近い人だったんじゃないかって推測出来る。第三のボス戦、宮殿ステージにAdaptしたら、もっと核心に迫れるものを探す必要があるね。その男性が、クリアーかスナグルであるのか、もしくは、まだ見ぬ選ばれし者であるのか」

「そっか。俺とか、クリアー・スナグルみたいに、Adapt 時期がずれる人がまだいる可能性ゼロじゃないもんね。それに、あの絵画を第三の物語で誰か他のMemberが見れたら、この人知ってるっ! って人が出てくるかもしんないもんねっ」

「そう。いろんな可能性、それをひとつひとつ潰して、Crystalクリスタルの真実を手に入れる」


 ブックを閉じ、おぞましい腐敗した手の描かれている表紙に視線を落とした誠也の耳に入ってきたのは、だだをこねる子どものような真也の声色だった。


「でもやだなーっ、ボスステージ。梨紗ちゃんと戦わなきゃいけなくなるんでしょ。今俺でさえもこんなに嫌なのに、こみやんまじメンタル持たなそー」


 同じチームのMemberとしての自覚がどんどん高まっているのだろう。何だかんだ言いながらも、航の心配ばかりをしている真也は可愛気がある。しかしそれを指摘すれば、彼はまたぷんすこ腹を立て、機嫌を損ねてしまうだろう。


「大丈夫だよ、だって同じでしょ?」


 誠也が末尾の語調に込めた意味を、真也は悟ったようだ。


「そう、そうだった。みんなが俺を助けてくれたように、俺もみんなを助ける。忘れてたわけじゃないよ。ちょっと動揺しただけだかんねっ、って、あ!」


 再びマグカップを空にした真也は、急に何かを思い出したらしい。不機嫌は一気に吹き飛んだようで、満面の笑みを浮かべている。


「そーいや今日あの二人、ムフフな日だったっ!」

「ムフフな日?」

「そ! デェトデェト、おデェトなんですわお兄さんっ」

「デート、って、普通の?」

「もちろん! 健全おデートだよっ!」


 真っ先に浮かんだのは「大丈夫かな」と言う懸念だったが、ようやくテンションが戻った真也に水をさすわけにはいかない。しかしどうしても、以前梨紗にACアダプトクロックで連絡を取った際の激しみは思い出される。通話の向こうでも平然と交際していない男と戯れ始める彼女と、果たして航は“普通”を成立させられるだろうか。


「んっ? 誰にかけるの?」

「とり急ぎ航くんに。メンタルの部分は否めないけど、梨紗ちゃんがターゲットになってしまった事実を伝えないわけにはいかない。あとで残りのMember達にも共有する。彼女が漆黒の砂に染められてしまうのを防ぐためにね」


 誠也はACのメニュースクリーンを立ち上げると、Cコールを選択し航の顔をタッチした。呼び出し音が鳴る中、緊張の糸がパタリと切れた真也は、ようやく夢の中へと潜り込んでいった。




 ◇◇◇




 午前十時過ぎ。待ち合わせ場所の改札を出たすぐのところに、そわそわしながら航は立っていた。叩けばパリンと音が出そうなほど冷たい空気の中で、身体は汗をかいている。


 半ば勢いで真也と組んでしまった期間限定ユニット。真也にも今日きてもらえるよう頼むべきだったと今更ながらに後悔する。ただ人を待っているだけで、精神とはこんなにも圧迫されるものなのだろうか。そもそも梨紗は今日、ちゃんとここにくるだろうか。


 いっそのこと、約束なんて忘れていてくれたほうが好都合かもしれない。だが、誠也から朝一に衝撃の共有を受けたが故、こなかったらこなかったで、闇の手に襲われてやしないかと不安は募るばかりになるだろう。


 ACの秒針は刻々と回転する。改札を出てきた人々の顔を背伸びして覗くが、梨紗らしき姿はない。一度連絡をしてみようと、左のポケットからスマートフォンを取り出そうとしたその時だった。


「わっ!」

「ぎゃっ!」


 背後から両肩を掴まれ航は奇声を上げた。振り返って溜息をつく。案の定、いたずらの成功に愉快そうに笑う梨紗の姿。普段と特に変わらないスキニーデニムに、温かそうなファーコートを羽織ったスタイルだ。


「もう、梨紗ちゃん、おどかさないでよ!」

「そんなプリプリすんなよ。ちょっとサプライズしただけじゃん」

「いつ改札から出てきたの?」

「ついさっきだけど」

「えっ。ずっと見てたけど、見かけなかったよ」

「間違って向こうの改札から出ちゃった。ついでにトイレ寄ってきたから遅れた」


 謝罪の言葉を口にしなかった点は多少引っかかるにせよ、ここまでは至って普通だ。普通の男女が待ち合わせをして、普通に落ち合って、普通の会話を交わす。不安ばかりに駆られて忘れていたが、今日はデートと言う名目だ。自分が楽しむ気持ちをもたねば、相手だって楽しんではくれない。


「で、今日、何するんだ」

「何をするって言うよりは、いろんなところをぶらっと見て回る感じにしようかなあ、と思ってたんだけど」

「誘ったのに無計画かよ。ま、いーけど」

「よぉし。じゃあ、行こう」


 気持ちを整え歩き始めた航だったが、すぐに立ち止まった。梨紗の姿が視界から消えている。


「え、な、どうしたの?」


 その場に立ち止ったまま、梨紗は少し俯き加減でこちらを見ている。適当に見て回ろうプランは不満だと感じ始めたのだろうか。


 実を言えば、完全な無計画ではない。だが、それを梨紗に伝えてしまうと無計画以上につまらないデートになってしまう。今しがた彼女にある種のサプライズをされた手前、サプライズ返しをしてやりたいと言う気持ちも芽生えてしまったのだが、そんな小さな意地は、“普通”のために、捨ててしまうべきなのかもしれない。これから彼女の希望を聞いて、いく場所を変えてもいい。何なら焼鳥屋でハイボールでも構わない。


「ご、ごめん。あのさ」

「今日ってさ、デート、なんだよな」


 上目遣いで唐突にそう尋ねてきた梨紗に、航はたじろいだ。元々顔のパーツは整っている彼女だが、その表情はいつもより数倍綺麗に見える。途端に恥ずかしさが込み上げてき、なかなか頷き返せない。


 そうしているうちに梨紗は身を寄せてきた。左の手に重なってきた熱を感じると同時、梨紗の指が、航の指の間を潜り抜けてきた。


「こっちのが、ぽくね?」


 変わらず上目遣いで首を傾げてきた梨紗から、航は視線を逸らしてしまった。頷き返さなかったことは肯定だと認識されたようだ。デートはデートだが、決して俺達は付き合っていない。お決まりのセリフを強めな口調で言い放ちたいはずなのに、口は上手く動いてくれない。今日握らなければならなかった主導権は、もう奪い取られてしまった。これだから童貞は、と世間の厳しいヘイトが聞こえてくるかのようだ。


「どうしたんだよ」

「へっ? ど、どうもしないけど」

「そ。じゃあ今日は一日手繋いどこうぜー。決まりなっ。いこっ!」


 梨紗にぐいぐい手を引かれるまま、航は早歩きし始めた。





 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:七章Ⅳ

 ・EP1:◆28 

 ・EP1:◇29


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882320715

 ・EP2:◇2

 ・EP2:◆A◆?◆?◆

 ・EP2:※◇31

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