アキクサインコが飛ぶ日

空色蜻蛉

女性の働き方改革が叫ばれて久しい今日この頃

 薄桃色の小鳥が籠の隅で、水入れにくっつくように身を休めている。

 恭子は人差し指を籠に突っ込んだ。

 

「おいで」

 

 小鳥は、恭子の方に目を向けたが、警戒するように水入れの側から移動せず、頭を上下させて止まり木をかじった。

 恭子は籠の前の値札を確認する。

 

 アキクサインコ。一万四千円。

 

 初めて見る種類のインコだ。

 背中に掛けて淡いピンク色で、翼の一部はレモンイエロー。

 体長は手のひらに包み込めるちょうどの大きさ。

 色合いといい、サイズといい、なんとも恭子の心をくすぐる風情だ。

 

「……でも少し値段が高い」

 

 恭子は溜め息を付いた。

 鳥だけでこの値段なのだ。専用の籠や餌を揃えたらいくら掛かるだろう。それだけではない。毎日の朝夕に鳥の世話をする必要がある。恭子は自分の生活を思い返して、そんな余裕は無いと頭を振った。

 

「バイバイ」

 

 名残惜しく鳥籠の前から去った。

 

 

 

 恭子は、富士デザインという会社に勤めるデザイナー兼事務員だ。

 富士デザインはチラシや広告のデザインをしたり、パンフレットを作ったりしている小さな会社である。

 社員は数十人程度、社長の顔が見えるアットホームな職場だ。

 

「顧客から追加の修正依頼が来てしまって……恭子さん、ごめんね」

「良いんです、気にしないで。お子さんが心配でしょう? 早く行ってあげてください」

 

 自宅でリモートワークをしている先輩の木場から電話が掛かってきた。

 保育園に息子を引き取りに行くという。

 彼女が請け負っている仕事の納期は本日中。

 簡単な仕事なので、デザイナーとしては駆け出しの恭子にも作業できる。

 

「大変だねえ。そう言う私も、もう帰ってしまうんだけど」

「身重だから仕方ないですよ」

 

 大きくなったお腹を撫でて、もう一人の女性の先輩、大川は「よっこらしょ」と腰を上げた。

 荷物を持って退社するようだ。

 木場と大川は子供を産んだため、時短勤務となっていた。

 二人のフォローは、自然と独身の恭子の役目となっている。

 陽気で気楽な物言いが多い大川は、少し苦手だ。

 恭子は苦笑して「お疲れ様でした」と彼女の退社を見送った。

 

「……大川さんはいつからお休みになるんだろう」

 

 二人の先輩が育児休暇に入る前、一波乱あったことを恭子は思い出した。

 木場と大川は、固定顧客も付いているベテランのデザイナーである。

 彼女たちは運命のいたずらか、同時に出産することになった。

 

 困ったのは社長だ。

 ベテランデザイナーが二人同時に抜けるのだ。

 社長は「子供が生まれたら戻ってきてくれ」と二人に懇願し、二人は快くそれを受け入れたらしい。戻り先があるというのは有難いことだし、出産と同時に辞めるしかない女性たちもいるので、富士デザインは良い会社なのだろう。

 

 二人が抜けた穴は、契約社員を雇って埋めることになった。

 しかしここに誤算が生じる。

 余りにも偉大な仕事をしていた木場と大川の代わりとして、臨時の契約社員は力不足だったのだ。顧客と直接やり取りし、時に社長や役職者を説得しながら納得できるデザインを仕上げる。それは第三者が考えているよりずっと難しい仕事だ。

 雇った契約社員は重荷に耐えきれず、次々と辞めていった。

 

「恭子くん、チャレンジしてみてくれないか?」

「私ですか」

 

 とうとうデザインに興味があるだけの恭子にお鉢が回ってきた。

 

「頼むよ」

 

 社長の頼みとあっては断ることはできない。

 恭子の仕事は入ってきたばかりの新人と、事務の先輩社員に引き継がれた。

 

「ええっ、優秀な恭子さんが抜けるのは痛手ですよ」

 

 事務の先輩、牧田は困った顔をした。

 彼は新人社員の相手と増えた仕事に四苦八苦したようだが、いきなりデザイナーの仕事を振られた恭子に彼を気遣う余裕は無かった。

 

 こうして駆け出しデザイナーの恭子は、産休に入った先輩の代わりに顧客対応などで、目まぐるしい日々を送ることになった。

 恭子は器用に仕事を整理し、他の社員の助けも借りながら、何とか先輩二人の穴埋めを手伝ったのである。

 

 デザイナーとして急成長し、仕事に慣れ始めた頃……二人の先輩が産休から帰ってきた。

 

「今まで迷惑を掛けてごめんね。恭子さんの仕事の負担を軽くするように手配するわ」

 

 大川はそう言って、自分の仕事を引き取って元のように業務を始めた。

 とても良いことだ。

 恭子の仕事が楽になる。

 しかし唯一、小骨のように恭子の心に引っ掛かったのは「大丈夫だから」と大川が恭子の助けの手を拒否し、業務に口出しさせないような態度を取ったことだった。

 もともと大川の仕事である。

 恭子は代打だ。

 仕方ない。

 

 もう一人の先輩、木場は少し事情が違う。

 彼女の子供はすぐに体調を崩すため、まだ恭子のフォローが必要だった。

 

「今日も子供が熱を出してしまって」

「私が引き継ぎます」

「ありがとう。恭子さんが同じ部署のデザイナーなら良かったのに」

 

 何の気なしの一言だった。

 恭子はもともと事務職でありデザイナーではない。まだ事務職に名前ばかりの席が残されている。

 大川や木場は自分たちが産休に入る前の、事務職の恭子の印象が強いのかもしれない。

 

「ええ……そうですね」

 

 恭子は曖昧に笑う。

 私はもうデザイナーですよ、と胸を張れたらどんなに良いだろう、と思いながら。

 残念ながら一年程度のデザイナー経験は、ベテランのデザイナーには遠く及ばない。恭子は人当たりが良く、上手に立ち回ることで仕事を回しているだけ。技術や経験は二人の先輩に敵わない。

 

 ボタンの掛け違いのような違和感を持ったまま、時間は流れる。

 やがて大川は二度目の出産を控える身となった。

 

 また自分が彼女の穴埋めをするのだろう、と恭子は漠然と考えていた。

 前のようにドタバタの末、ろくに引き継ぎもないまま任されるのは嫌だな、と思った。

 

 

 

 翌日、恭子は朝礼に思いもしない発表を聞くことになった。

 

「来月から二度目の産休に入る大川くんの仕事だが、中途で入社する林くんにお願いすることになった。林くんは営業だから、顧客との直接対応を林くんに、実際の作業は若手のデザイナーにお願いしようと思う」

「よろしくお願いします」

 

 社長に紹介された林は、壮年の白髪が混じり始めた落ち着いた印象の男性だった。

 

「昔の会社で社長にお世話になった縁で入社することになりました。定年まで長く勤めたいと思っています」 

 

 林は世慣れた口調で自己紹介する。

 恭子は予期せぬ人事に驚愕した。

 朝礼後、大川は恭子にニコニコ笑顔で告げた。

 

「恭子ちゃんに迷惑を掛けないように、私から社長にお願いしたの! 恭子ちゃんは基本、私の仕事をする必要は無いから」

「……そうですか」

 

 何故かショックを受けていた。

 ショックの理由が自分でも分からない。

 心が痛んだ。悲しくてがっかりした気分だ。どうしてだろう……デザイナーの仕事が自分にも出来ると思い上がっていて、大川に仕事を任せてもらえると思い込んでいたせいだろうか。

 

 大川が去った後、社長から説明を受ける。

 

「デザイン部門を二つに分けようと思う。大川と木場の仲が良くないんだ。君は木場とは仲が悪くないので、木場と一緒に仕事してほしい。二つの部門は基本、仕事の範囲を明確に分ける」

「はい……」

「もちろん、困った時はヘルプに入ってくれるよね?」

 

 できる範囲でなら、と恭子は答えた。

 違和感が強くなっていく。

 何が良くないのか曖昧なまま、もつれた糸を放置しているような感覚。

 

 さらに、リモートワークをしている木場から連絡があった。

 

「子供の面倒をお母さんにみてもらえることになったの! 今までありがとう、恭子さん。事務職の仕事をしてもらって大丈夫だからね!」

 

 木場は張り切って仕事をするようになった。

 精力的に外回りに参加し、子供を寝かしつけた後は夜も仕事をしているようだ。彼女のメールを夜中にも見掛けるようになった。

 恭子の仕事は軽減された。

 しかし仕事と一緒に心に穴が空いたような感覚があった。

 木場はリモートワークのため普段は会社にいない。

 恭子がどんな顔をしているかなど、知りようがないのだ。

 

 恭子は、事務職の先輩、牧田に仕事が無いか相談してみた。

 久し振りに向き合った牧田は、疲れが溜まった顔をしていた。

 

「僕は、僕の仕事で精一杯だよ……」

 

 暗に自分で何とかしろ、という答えだった。

 一応、社長にもそれとなく相談したが「事務職の先輩に聞いてみて。指示は出しておいたから」という返事。見事にループしている。

 

 木場に素直に事情を話し、仕事を譲ってもらうか……恭子は自分の引き継いだ仕事を全て、木場に返していた。木場は何の疑問もなく、元の仕事なので元に戻っただけ、という感覚だ。社長は木場と自分が仲良く仕事を分け合うと思っていたのだろう。

 木場と恭子は仲が悪い訳ではないが、リモートで仕事しているが故の決定的な距離の差があり、仕事の意図や都合が伝わりにくく苦労することも多かった。

 

 本当は悩む必要はない。

 開き直って、自分で仕事を見つけて時間をつぶせば良いのだろう。もしくは余裕が出来たと喜んで、暇を謳歌すれば良い。

 しかしその単純な思考の切り替えが、どうしてもできない。

 

「何がいけなかったんだろう……」

 

 デザイナーの仕事からも、事務職の仕事からも追い出された形だ。

 しかも表面上、何の問題もなく。

 ただ収まるところに収まっただけ。

 自分以外は。

 

 

 

  休日、恭子は何となく癒しを求め、近くのペットショップを訪れた。

 以前に見掛けたアキクサインコはまだ売れていないのか、籠の中にいる。餌入れに頭を突っ込んで、あわを食い散らかしているようだ。

 

「こっち」

 

 籠の前には「危ないので指を入れないでください」と貼り紙があったが、恭子は構わずに人差し指を網目に入れ、インコに合図を送った。

 するとインコはちょんちょんと寄ってきて、恭子の指を興味深げにつついた。餌と間違えたのか軽く噛んでくる。しかし痛くはなく、くすぐったい程度だ。

 害意のない剽軽な動作が可愛い。

 恭子はこのインコをもっと触ってみたくなった。

 

「すみません。触らせてもらってもいいですか」

 

 指をインコから離し、恭子は店員に呼び掛ける。

 ペットショップの店員は快く呼び掛けに応じて、恭子に歩み寄った。

 

「アキクサインコですね。この子は大人しくて人懐っこいですよ」

 

 店員は籠を開けてインコをすくうように持ち上げた。

 プロらしい鮮やかな手つきだ。

 

 恭子は胸の前に腕を伸ばし、両手で包むような形を取った。店員がインコを恭子の手のひらにそっと乗せる。

 インコは落ち着かない様子で恭子を見上げた。

 

「可愛い」

 

 手のひらの温もりを感じながら、恭子は考えを巡らせる。

 きっと誰も悪くはないのだろう。

 それぞれが一生懸命で、だからぶつかってしまう。

 だが、ぶつかって傷付いた胸の痛みは、そうそう癒えそうにない。

 

 引っ越しをして気分を変えようか。

 思いきって職場を変えてもいい。

 恭子は独り身で家族のために一生懸命になる必要は無いのだから。

 自分勝手と非難されても構わない。

 

「あ……!」

 

 その時、アキクサインコは恭子の手のひらから翼を広げて飛び立った。

 まだ風切り羽を切られていない幼い鳥は、狭いペットショップの空間を悠々と滑空する。籠の外に自由があると知っているように。

 

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