A Redundancy of "Elliot Easdale"

蛇に足を描いた話

『嘘だ、こんなことが……っ、我ら海軍の精鋭がここまであっけなく』

『どこだ、どこにいる!? 見えないなどということが、あってたまるか!?』

『き、機関部が、撃ち抜かれてっ、墜ち……っ』

『まさか、乗り手は――もう、戦えるような体ではないと、』

 


『そうか。これが……、女王国「最優」の霧航士ミストノート、ということか』

 

 

 

          *     *     *

 

 

 

 エリオット・イーズデイルは、死ぬなら今しかないと思った。

 いつもより、少しだけ明るい霧の日だった。

 

「夜が明けました。ほら、いい天気ですよ、コルネリア」

 

 地獄のような一夜を越えた、朝。

 エリオット・イーズデイルは、今度こそ本当の意味で静かになった幽霊船の上を、足音もなく歩いていく。その腕に、美しく着飾った少女の亡骸を抱いて。化粧の道具もあるにはあったけれど、下手に手を加えるのはやめた。

 柔らかな微笑みのまま時を止めた少女は――そのままでも、十分に、美しかったから。

 やがて、その足は甲板の端で止まる。そこは、少女が流れ着いていたのを見つけた場所でもあった。

 あの日から、色々なことがあった。長らく妄想の中で生きていた彼にとって、現実からの来訪者であった少女とのやり取りは、忘れようとしていた過去と向き合う、苦痛に満ちた日々であり、それでいて、妄想に沈む日々よりもずっと、張り合いのあるものであった。

 いつか必ず終わるとわかっていても、それは確かに、彼にとっても幸福な日々であったといえよう。

 そして、最期の時になって、少女はエリオットに望んだのだ。

『どうか、あなたのお望みのままに、エリオット』

 エリオット・イーズデイルに望むことなどない。道具としてのみ存在を許された彼に、望みなどあってはならなかった。けれど、彼女はそんな彼の思いすらも見透かして、望みという名の命令を、エリオットに告げてみせたのだ。

 身を焦がし続ける未練を果たさずして、息を止めるな、と。

 なるほど、そう言われてしまっては、簡単に終わらせるわけにはいかなかった。

 ――あなたの望みのままに、コルネリア。

 胸の中で囁いて、膝をつき、少女の体をそっと海面へと下ろす。ふわり、と柔らかなドレスの裾が広がって、少女の亡骸が魄霧の海に沈んでいく。

 そして、彼の手には小さな花束が残された。少女によく似合うと思った、霧のように白い花の花束。それは奇しくも、エリオットがいつからかその身に帯びるようになった色でもあった。

 彼は、そんな花束と、ゆっくりと霧の中に隠れてゆく少女とを見比べて、ふと、柔らかく微笑んだ。それから、少女を沈める時とはうって変わって、どこか投げやりな所作で花束を霧の海へと投げ込んだ。

 白い花束は、息絶えた少女の胸の上に乗り、少女と共に沈んでいく。

 それはまるで――、白という色を帯びた哀れな男の魂が、少女と共に霧へと還ってゆくようにも、見えた。

 そして、それはあながち間違いでもないと「彼」は思っている。

「エリオット、彼女と共に逝くのは君の役目だ」

 そう、女王の鴉たるエリオット・イーズデイルは、今この瞬間に死んだ。愛を確かめ合った少女と共に、時を止めることを選んだのだ。この、穏やかに凪いだ、死ぬのによい霧の日に。

「そして、ここからは、ボク・・の役目だ」

 唇から漏れる声は、酷く軋んで聞こえた。事実、一言一言を放つたびに、喉も肺腑も悲鳴を上げているのがわかる。どれだけ痛覚を捻じ伏せていても、内側からぐずぐずと崩れていく感覚だけは、どうしても誤魔化せない。

 それでも、もはやエリオットであることをやめた彼は、唇を閉ざさない。

「おやすみ、エリオット。ボクもそう遠くないうちに後を追うだろうけど」

 幸福なまま時を止めた少女と、彼女と共にあることを選んだ白い花は、やがては霧に沈んで見えなくなるが。

「息を止めるには、まだ早い」

 かつてエリオット・イーズデイルであった男は、鋭い目を細めて獰猛な笑みを浮かべ、すぐ背後で翅を休めていた、己の半身――白の翅翼艇エリトラを振り仰いで。

「さあ行こうか、『ロビン・グッドフェロー』! ここまで来たら、最後の最後まで踊り明かそうじゃないか!」

 かくして、女王国最優の霧航士ミストノートは、幽霊船を捨てて、はるかな高みへと飛び立つ。

 

 ――己の望みを、叶えるために。

 

 

 

 

The Legend of the Romancer on the Ocean: EOF / Vector to the Azure: OPEN

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彷徨舞弄のファンタズム 青波零也 @aonami

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