第3話 混乱・決意・開始(3)

頭の中をかき乱すような出来事が立て続けに起きたせいか、僕は諦めを通り越して変に冷静な気持ちになっていた。


 目が覚めると見知らぬ場所に独り。自分の状況を十二分に伝える方法は無く、記憶喪失と断定される。そもそもこの身体は見知った自分の物じゃ無い。

 現状を整理するとこんなところだろうか。


「なるほど、お手上げだ……」

 僕はうなだれるように洗面台に手をつく。


 冷静になったからと言って、事態が好転するはずも無い。

 しかし、何もしない限り進展は無いと思うと、理不尽なことだが、自分から行動を起こす必要があるのだろう。


 まずは何をするべきか。

 右も左も解らない中、一人でどうこう出来るはずもない。

 となれば、誰かに協力してもらうことから始めればいいだろう。


「助けてくれるとしたら、誰だ……?」

 まず真っ先に浮かんだのは、医療専用車両とやらで介抱してくれた二人。

 一番知識がありそうな医者はどうだろう。 

 正直なところ、有無を言わせず記憶喪失と断定してきたあの人間性は信用したくない。


「そうすると……あの美人さん?」

 他の人間に最初から事の次第を説明するのは、きっとすごい時間と労力が必要だ。

 ならば事情を知っている彼女に頼るのが得策か。ただ、彼女が素直に応じてくれるとは限らない。


 しばらく洗面台を見つめていた僕は、意を決して姿勢を正す。

 力強く扉の取っ手を握り、少し勢いを付けて開けた


「わぁっ!!」

「は?え?」

 くだんの彼女がいた。扉のすぐ前に。


「……ここ、男子トイレですよ」

「し、知ってますよう!」

 彼女は姿勢を正してコホンと咳払いした。

「顔を洗うにしてはすごく長いし、変な声も聞こえたので、声をかけようとしただけですので!」

「ああ、それで……ん?待てよ……?」

 わざわざ確認しに来てくれたということか。

「それって、心配してくれたってことですか?」

「え?ええ、まあ……」

「見ず知らずの僕に?」

「そうなりますね……だって、ものすごく絶望的な顔してましたし」

 なんと言うことだ。僕の不安は杞憂だったのかもしれない。


「あの!」

 すかさず、僕は一歩踏み出して、胸の前で手を合わせる。

「は、はい?」

「記憶喪失というのはなんとか受け入れることが出来ました。けど、周りのことはさっぱり解らなくて。迷惑で無ければ、いろいろと教えてくれませんか!」

「ま、まずは落ち着いてください……!」

 一歩後ずさった彼女を見て、僕も少し前のめりの姿勢を正した。

「えっと。私、元から助けるつもりでした」

「ほ、ほんとですか?」

「ええ。席が隣だったのも、あなたをベッドまで運んだのも、私が一人でここへ来たのも、何かの縁だと思いませんか?」

「た、確かに……?というより、運んでくれたんですね、なんだか申し訳ない……」

「いえ、当然のことです!」

 腰に手を当て胸を張る姿が、少し勇ましく見えた。


 何にせよ、この申し出は心強い。

「早速なんですが、この場所……というより、この列車がどこに向かってるか、教えてほしいんです」

 自分がどこにいるのか、というのがわかれば、帰る方法も逆算できるはずだ。


「でしたら……説明するよりも、実際に見た方が早いですね」

 そう言うと、彼女は自分の左腕を差し出し、だぶついた袖を少し捲った。

「これに関しては覚えてます?」

 と、指さされたのはブレスレット。カーボンのような黒い下地に、白く縁取りされたシンプルなデザインだ。

 ふと自分の左腕を見やると全く同じ物を着けている。

「いえ、全く」

 そうですよね、とはにかむ彼女。

「記憶喪失ってどれくらい忘れてしまってるんでしょうね。私もこういうの初めてで、どれくらい説明したらいいのか……」

「一から十まで、まんべんなく教えてほしいですね。ブレスレットをどうするんです?」

「この部分をなぞるんです」


 言われたとおり、黒い下地に触れてみる。

「うおっ!?」

 清涼感のあふれる音とともに、突如パネルが出現した。半透明のエメラルドグリーンで、どういう原理か空中にふわふわと浮いている。


「この仮想ボードを指で操作するん……」

「ちょちょちょ待ってください、ちょっと待ってください。これ、どうやって浮いてるんですか!どういう技術ですか!?」

「え、そういうのも忘れちゃうんですか!?」

 忘れるも何も、こんなものが存在していることなど初耳だ。


 いや、待てよ。と、僕はとてつもなく嫌な考えに支配された。

 というより、可能性に気づいてしまった。


「……えっと、今って何年の何月です?」

「日付は、ボードの下の方に表示されています。確かに、どれぐらいの記憶が無いのか知っておくべきですよね!」


 恐る恐る、視線を下におろしていく。


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 曜日と月日よりも早く目に飛び込んできたその数字を、僕はしばらくの間反芻していた。

「大丈夫ですか……?顔色悪いですよ……?」

「決めた」

「へ?」


 もう、いちいち驚くのはやめよう。


 次々と襲いかかる真実に対して、素直に受け入れる決意を固めたのだ。

 きょとんとする彼女をよそに、僕は静かにため息をついた。

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ライトニング・トリップ・クライシス 薄紅立葵 @ictor-m_

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