第28話 【第五試合】卑劣な策略
一対一が三組。一人減った事によって、ようやく少し休む余裕が出来たかと安心した。だがその時レイチェルの視界の端に白い影が迫ってくるのが映った。
「……!?」
空手のオギワラだ。真っ直ぐにレイチェルを目指してくる。奴はバシマコフと戦っていたはずではなかったかと、慌てて視線を巡らせると、離れた場所に離脱したバシマコフがニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「……!」
(あいつ……ワザと!?)
恐らく戦いながら巧みにオギワラを誘導して、レイチェルに近い位置まで来た所で素早く離脱。オギワラのターゲットがレイチェルに向くように嗾けたのだろう。
状況を推察したレイチェルだが、それで事態が好転する訳でもない。どうにか立ち上がる事が出来た彼女は、必死にファイティングポーズを取ってオギワラを迎え撃つ。
先制攻撃でストレートを放つが、ダメージの蓄積した身体では万全の時のようなキレは無い。容易く受けられいなされてしまった。反撃にオギワラの正拳が撃ち出される。力強い一撃はガードの上からでも容赦なくレイチェルに苦痛を与え体力を削る。
怯んだ所に真横から回し蹴り。それも何とかガードするが、衝撃に大きくよろめいてしまう。そこへすかさず反対側から後ろ回し蹴りが迫る。流れるような連続攻撃だ。
「あぁっ!!」
側頭部にハイキックを受けたレイチェルは悲鳴を上げて再び倒れ込む。辛うじて頭を横に逸らせる事で直撃は避けたが、それでも尚かなりの威力であった。
倒れ込んだレイチェル目掛けて勇んで追撃してくるオギワラ。屈み込むような姿勢で拳を打ち下ろそうとしてくる。しかしそこに再び横から疾風の如き速さで膝蹴りが叩き込まれた。
ブラッドだ!
ヤンの時と同じくレイチェルへの止めに集中していたオギワラはその膝蹴りに反応できなかった。こめかみにまともに膝蹴りを撃ち込まれたオギワラは物も言わずに吹っ飛んで、そのまま起き上がってこなかった。
『おおぉーー!! ヤン選手に続いて二人目! カラテのオギワラ選手が脱落だぁぁっ!! ブラッド選手、凄まじい執念でブロンディを狙うライバルを蹴落としていく! だがブロンディばかりに気を取られていると危険だぞ!』
「ふぅぅ……! ふぅぅぅ……!」
肩で大きく息をするブラッド。その鬼気迫る様子にレイチェルは息を呑んだ。だがそこに再びガルシアが背後から攻撃。顔面に肘をまともにくらったブラッドが鼻血を噴いてよろめく。よく見ると身体中痣だらけであった。だがそれでも何とか踏ん張って耐え抜くと、再びガルシアを引き付けるべく挑みかかっていく。
(ブラッド……! わ、私は何て無力なの……)
レイチェルを助ける度に傷付いていくブラッド。これ以上彼に迷惑を掛けたくないのに、ダメージを受け消耗した身体が言う事を聞いてくれない。
無力感に呻吟するレイチェルだが、状況はその余裕すら与えてくれない。新たに彼女に迫る影が…
「……っ!」
浅黒い肌。ムエタイのファーラングだ。マクギニスと戦っていたはずだが、見やるとバシマコフがマクギニスに襲い掛かった事で『フリー』となったようだ。
バシマコフがチラッとレイチェルの方に視線を向けて嘲笑った気がした。それで悟った。奴はワザとマクギニスに襲い掛かってファーラングを『フリー』にしたのだ。そして『フリー』になった選手は必ずレイチェルを狙ってくる。
バシマコフの策略通りに事が運んでいた。
「く……そぉ……」
レイチェルは震える脚を叱咤して必死の思いで立ち上がる。バシマコフの策略に嵌らない為に、そしてこれ以上ブラッドに負担を掛けない為にも、何としてもファーラングはレイチェルが倒さねばならない。
見ればファーラングも、マクギニスやガルシアとの戦いである程度は消耗しているようだ。そこを上手く突けば勝機はあるはずだ。
「ชัยชนะเป็นของฉัน!」
ファーラングがタイ語で何か叫びながらローキックを放ってきた。レイチェルは敢えて避けずに前に出る。当然ローキックが脚にヒットする。
「……ッ!」
激痛に顔をしかめるが、痛みを押して強引に前に出る。やはり敵も消耗している。万全の状態から放たれた蹴りだったなら、とても耐えられずに屈み込んでしまっていただろう。
無理やりという感じで軸足にタックルを仕掛ける。全体重を乗せた体当たりにファーラングは体勢を保てずに、もつれ合うように転倒する。これも相手が体力を消耗していたお陰だ。
ムエタイで怖いのは首相撲状態での膝蹴りと言われている。転倒させて寝技に持ち込んだ時点で、それは無力化出来た。後は……
「ผู้หญิง! ลง!」
ファーラングはやはりタイ語で喚きながら、拳や肘を打ち付けてくる。こんな体勢では大した力が出るはずもないが、それでも女のレイチェルにとっては充分痛打になり得る。
「……っ」
打撃の苦痛に耐えながら、打ち出された相手の腕を掴んで素早く背中に捻じり上げて、アームロックを極める!
ファーラングは悲鳴を上げながら物凄い力で暴れる。消耗したレイチェルでは長く抑えておけるものではない。覚悟なら既に決まっている。
「……!」
全体重を掛けてアームロックを押し込む。ゴキッ、またはブチッ、と嫌な音と感触。ファーラングが絶叫した。
レイチェルが技を解いて転がるようにして距離を取ると、肩を押さえたファーラングがのたうち回っている。先頭続行不能……リタイヤだ!
(やった……!)
ブラッドに迷惑を掛けずに、自らの力で一人倒した。達成感に包まれるレイチェルだが、その時ファーラングとは別の絶叫が彼女の耳を打った。
「……ッ!?」
慌てて視線を巡らせると、足を押さえてマクギニスが同じようにのたうち回っていた。よく見ると足の部分が変な方向に曲がっている。その側には既に立ち上がってレイチェルを見つめながら不気味な笑いを浮かべるバシマコフの姿が……
『うおぉぉーーー!! 戦局が一気に動いたァっ!! ファーラング選手はブロンディ自身に、そしてマクギニス選手はバシマコフ選手に、それぞれ得意の関節技の前にリタイヤだぁぁぁぁっ!!』
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!
観客は興奮のあまり総立ちになっている。
「く、く……邪魔者も大分減ってきたな。次こそはお前の骨の鳴る音を聴かせてもらうぞ?」
マクギニスを倒したバシマコフだが流石に無傷とはいかなかったようで、鼻血を噴いて口の端からも血が垂れていたが、全く気にした様子もなく炯々と目を輝かせながらレイチェルに迫ってくる。
「この…………っ!?」
立ち上がろうとしたレイチェルだが、鋭い脚の痛みが走り膝を着いてしまう。ファーラングに貰ったローが今になって効いてきたのだ。それを見たバシマコフが増々笑みを深くする。ファーラングを嗾けた彼の思惑通りだ。
(ブ、ブラッド…………えっ!?)
レイチェルは無意識の内にブラッドに助けを求めて視線を巡らせるが、そこで目を疑う光景を見た。
何とガルシアがクローズドガードのポジションから、ブラッドに腕ひしぎ十字固めを極めていたのだ。左腕を極められたブラッドが呻く。
本来ならむざむざ関節技を喰らうようなブラッドではないはずだ。やはりレイチェルの救援の為に、度々ガルシアに背を向けてその攻撃を一方的に受ける羽目になっていた事が影響している。
(そんな……ブラッド!?)
思わず彼の元に向かい掛けたレイチェルだが、ブラッドが一瞬だけ彼女に視線を向けた。そして小さく首を横に振った。
「……ッ!」
それでレイチェルの動きが止まった。そうだ。彼女とブラッドの関係がバレる訳には行かない以上、ここで彼を助けるような行動を取る事は出来ない。
レイチェルは歯を食いしばり断腸の思いでブラッドから視線を逸らし、迫ってきているバシマコフに向き直る。
「くくく、お前のナイトがピンチだぞ? 放っておいていいのか?」
「……!」
どうやらバシマコフは完全にレイチェル達の関係を見抜いたようだ。だがここで揺さぶりに動じては相手の思う壺だ。レイチェルは無言でファイティングポーズを取る。
「ふふふ、随分と冷たい女だ。あの男も助け損だな。その身体を餌に抱かせる約束でもしていたか?」
「……っ! うるさい!」
相手のペースには乗せられないと誓ったばかりなのに、下世話な憶測に反射的にカッとなってしまう。相手の顔面目掛けてストレートを打ち込む。バシマコフはそれをガードして受け止めるとその手を掴んだ。
「くそっ!」
レイチェルは毒づきながら相手の腹に膝蹴りを叩き込むが、バシマコフはニィっと口を歪ませると、そのまま彼女の腕を引いて寝技に持ち込もうとする。
「く……!」
サンボの引く力に関しては既に体験済みだ。無理に抗っても強引に寝技に持ち込まれる。ならば……
「……!」
自分から敢えてバシマコフに寝技を仕掛ける為に飛び込んだ。バシマコフは一瞬驚いた様子になったものの、すぐに唇を歪める。忽ちの内に寝技合戦になった。
どうやら相手はレイチェルの脚を狙っているようだ。絶対に脚を取られまいと抵抗しながら必死に相手の隙を探る。何とかバックを取ろうとするが、相手も寝技のプロだけあってこちらの狙いを察して巧みに妨害してくる。
それでいて隙を見せると即座に恐ろしい関節技の餌食になりかねない。一瞬も気の抜けないマウントの取り合い合戦にレイチェルは体力と神経をすり減らす。
しかしやはりというか、膂力と技術に勝るバシマコフが徐々に押し始めた。そして更に追い打ちを掛けるように……
『あぁーーーっと! ここに来て五人目の脱落者だぁっ! これで残りは三人! 今まで暴風の如き強さで暴れ回っていたキックの魔獣も、グラップラーに捕まってしまっては分が悪かった! ブラッド選手、リタイヤだぁぁぁぁっ!!』
「……っ!?」
(な、何ですって……!? ブラッドが!?)
歓声を上げる観客達とは対照的に血の気が引いたレイチェルは、思わず彼の安否を確認しようと視線を向けた。そこには左腕を押さえてマットに倒れ伏し、大量の脂汗を掻いて唸るブラッドの姿が……!
(な、何て事……私のせいで……!)
彼が元々レイチェルに差し出すつもりだった左腕を壊されたのは、皮肉な偶然というべきか。
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