第24話 キックの魔獣
「お、お前は、確かオーストラリアの……?」
クワベナが僅かに声を震わせる。ブラッドがずいっと前に進み出る。
「その子をどうするつもりだと聞いている」
「……! ど、どうするって……へへ、解るだろ? あの女にやられっぱなしじゃ腹の虫が治まらねぇんだよ。お前だってどうなるか解んねぇぜ? 下手に恥かく前にお前も俺達に協力しろよ。あの女もこの大会も台無しにしてやろうぜ」
クワベナの言葉に、しかしブラッドはかぶりを振った。
「それが狙いか。逆恨みとは見下げ果てたクズ共だな。お前達が彼女に敗れたのは、お前達自身が彼女を見くびって自分の愉しみを優先したからだろうが。自業自得だ」
「何だと!?」
クワベナとフアン、そして言葉は解らないながらキムと雷道山も、ブラッドが敵対的な態度を取ったらしい事は察せられたのか、一様に色めき立った。
「てめぇ……スカしやがって。こんな大会に参加してる時点で、てめぇも俺達と同類だろうが!」
「お前らと一緒にするな。とにかくその子は返してもらうぞ。出番も無い内に大会を台無しにされては適わんからな」
どこから情報が洩れるか解らないので、エイプリル達と繋がっている事は伏せておく。別にエイプリルを助ける動機としては言葉の通りでも不自然はないはずだ。
「てめぇ、上等だ。おい! 誰かに気付かれる前にやっちまうぞ!」
その言葉にまずは骨折などの重傷を負っていない雷道山が進み出てきた。また同様に五体満足のフアンも、エイプリルをクワベナに預けて前に出てくる。
雷道山が突進してきた。ブラッドは下手に後ろに下がらずに冷静に迎え撃つ。
「ふっ!」
そして目にも留まらぬ速度で鋭いローを放つ。同じローキックでもレイチェルのそれとは、速度も重さも桁違いだ。
「……!」
ローを受けた雷道山が一瞬硬直する。そこはレイチェルとの試合で散々痛めた足首の部分だった。ブラッドはその部分に狙いを定めたのだ。
突進が止まった雷道山の顔面にストレート一閃。グローブも嵌めていないベアナックルが顔面にめり込み、盛大に鼻血を噴きながら怯む雷道山。
それでも流石は相撲レスラー。それだけでは倒れる事無く、張り手で薙ぎ払ってきた。だがブラッドは優れた反射神経と動体視力でそれを掻い潜ると、最初と同じ足首を狙って再びローキック。
「……っ!」
雷道山の体勢が完全に崩れる。そこにブラッドのアッパーカットが顎先にクリーンヒットした。意識が飛んだ雷道山の巨体が沈む。この間僅か十秒未満。
「貴様ァッ!」
今度はフアンが襲い掛かってきた。低い姿勢でのタックル。ブラッドの下半身に取りつく気だ。だがブラッドはやはり慌てずに冷静に狙いを定めると、フアンの顔面目掛けて渾身の膝蹴りを叩き込んだ!
「…………」
フアンの動きが止まった。そしてそのまま滑り落ちるように床に崩れた。フアンとしては打撃を喰らう覚悟で、強引にブラッドに組み付く気だったようだ。だが……ブラッドの一撃は、彼の予想を遥かに上回る威力だったのだ。凄まじい衝撃に脳を揺さぶられたレスラーは白目を剥いていた。
と、崩れ落ちたフアンの一瞬目をやった隙に、ブラッドの頭上を影が覆った。
「……!」
ブラッドは考えるよりも前に、反射的に上体ごと頭を引いた。頭上から打ち下ろされた踵落としが、ブラッドの鼻先を落下していった。キムだ。
腕を負傷しているがその足技は健在だ。間髪を入れずにブラッドの喉元目掛けて足刀を蹴り入れてくる。だがブラッドは半歩身を引く事でその蹴りを躱した。
「……!」
蹴りを躱されたキムの体勢が崩れる。足技中心の格闘技だからと言って腕の役割が無い訳ではない。体捌きや攻撃時のバランスなどに重要な役割を果たしている。片腕を負傷しているキムはそのバランスを欠いている状態だった。そしてその隙を見逃すブラッドではない。
「むんっ!」
気合と共に恐ろしい勢いで振り抜かれたミドルキックがキムの脇腹にめり込んだ。
「……ッ!」
キムは表情を歪めたかと思うと口をパクパクさせて、そのまま崩れ落ちた。かつてレイチェルが大いに苦戦した格闘家達をいとも容易く沈めてしまった。勿論彼等が既にレイチェルとの試合で負傷していたのも影響しているが、それを差し引いても圧倒的な強さであった。
「さて……まだやるか?」
キムが倒れたのを確認して、ブラッドがクワベナに向き直った。クワベナはその黒い顔を青ざめさせている。どの道最大の武器である右腕を脱臼している状態では、まともに戦っても絶対に勝ち目はない。
「ば、馬鹿な……くそ、寄るな! こいつの首をへし折るぞ!」
「……!」
そして慌ててエイプリルを盾に取る。乱暴に首を掴まれたエイプリルが小さく呻く。
「……それをやったら貴様はこの世から消えると思え」
「っ!?」
ブラッドの身体から怒りと共に、殺気にも似た何かが立ち昇る。クワベナは増々色を無くす。だがさりとて『生命線』であるエイプリルを離す訳にもいかない。奇妙な膠着状態が生まれた。
と、その時……
「……そこまでだ」
「いぎゃっ!?」
突然クワベナが素っ頓狂な悲鳴を上げて仰け反る。同時にエイプリルを拘束していた腕が緩んだ。
「……!」
エイプリルは必死にその腕から抜け出すと、ブラッドの元まで走り寄った。ブラッドが身を屈めて受け入れてくれたので、その胸に飛び込むようにして抱き着く。
クワベナの方に視線を向けると、そこには目を疑うような光景が展開していた。
「俺の主催する大会で、随分と無粋な真似をしてくれたものだな。こんな小賢しい企みが露見せんと思ったか?」
「あががが……」
二メートル以上あるはずのクワベナの巨体が、『宙に浮かんでいた』。どうやら何者かが後ろからクワベナの首根っこを掴んで吊り上げているらしい。
その何者かがクワベナを吊り上げたまま腕を横に動かす。それによって全容が見えた。
スーツ姿にはち切れんばかりの筋肉を内包した堂々たる体躯。短く刈り込まれた金髪と太い眉が特徴的な剛毅な印象の男。
パンクラチオンのギリシャ人、ルーカノス・クネリスであった!
驚くべきことにルーカノスは左腕だけでクワベナの巨体を軽々と吊り上げていた。しかも大して力を込めている様子もない。恐るべき膂力と握力である。
「た、助け……」
「駄目だな。死ね」
ルーカノスがそこで初めて力を込めるような仕草を取る。そして手を捻るような動作をすると、クワベナの首がおかしな方向に曲がった。ゴキッという異音が鳴る。
「……っ!」
ブラッドは咄嗟にエイプリルの視界を手で覆った。クワベナはビクンッビクンッと身体を痙攣させて口から泡を吹いている。ルーカノスはそれをゴミでも捨てるように無造作に投げ捨てた。
今、目の前で実に容易く殺人が行われた。それを為したルーカノスの恐るべき身体能力もさる事ながら、一切の躊躇なく自らの手で人を殺して平然としている彼の精神にこそブラッドは戦慄した。恐らく、いや、間違いなくルーカノスが直接人を殺すのはこれが初めてではない。
ルーカノスの視線がブラッドを射抜いた。
「ブラッド・ノア・スチュアート……。見事な強さだ。もしこの大会が通常のトーナメント形式であったなら、決勝で俺と戦うのはお前だったやも知れぬな」
「……!」
次いで彼は周囲で倒れている3人にも目をやった。
「その馬鹿どもはこちらの不始末ゆえ、こちらで処理する。お前は助けたのならその娘をあの女の元へ帰せ。これ以上つまらぬ妨害も無いとは思うがな」
「…………」
ルーカノスの後を追うように、黒いスーツ姿の男達が続々と駆けつけてきた。『パトリキの集い』の構成員達だろう。
ブラッドはエイプリルを抱いたまま黙って立ち上がると、ルーカノスに会釈だけして足早にその場を立ち去った。余りこの場所にエイプリルを長く留めたくないという判断であった。
同時に、絶対にこの男とレイチェルを戦わせてはならないと決意していた。もしルーカノスと戦えば……彼女は確実に死ぬ事になる。そうなる前に『計画』を実行し、彼女達にこの島を脱出してもらわなければならなかった。
****
「エ、エイプリル!? ああ! 一体どうしたの、その頬は!? 何があったの
「マ、ママ、ごめんなさい……」
レイチェルは部屋に戻ってきたエイプリルの姿を見て激しく取り乱した。その可憐な頬は赤く腫れ上がっていたのだ。
彼女は何故かブラッドと一緒に戻ってきた。チャールズがブラッドの姿を見て目を吊り上げる。
「おい! お前がエイプリルに何かしたのか!?」
彼がブラッドに詰め寄ろうとすると、当のエイプリルが両手を広げてブラッドを庇った。
「おじさんは何もしてないわ! それどころか私を助けてくれたのよ! おじさんを悪く言うのはやめてっ!」
「……!」
チャールズがその剣幕に気圧されたように身を引く。反対にレイチェルは少し落ち着きを取り戻し、静かに訪ねた。
「エイプリル……何があったか話してくれる?」
エイプリルは頷いて事情を話してくれた。『お菓子の入荷時間を聞くために』出掛けて、その帰り道で今までレイチェルが破った対戦相手達に拉致されそうになった事。その時に殴られた事。そしてブラッドが現れて、彼等を倒して自分を助けてくれた事などだ。
「そ、そんな……そういう事だったの……。なんてお礼を言っていいか……」
レイチェルは恐ろしい体験をした娘が無事だった事に心底安堵し、彼女を抱き寄せながらブラッドに礼を言った。
恐らく彼はエイプリルが単独行動する事を知って、密かに見張ってくれていたのだろう。チャールズの目があるので初対面のように振る舞うしか無いが、本当は全身で感謝の気持ちを表現したいくらいであった
ブラッドが肩を竦めた。勿論彼も心得ているので赤の他人の振りをする。
「俺の試合の前に大会を台無しにされる訳には行かなかったからな。今後は精々気をつける事だ」
そっけなくそう言って踵を返す。その背中にエイプリルが声を掛ける。
「お、おじさん……本当にありがとう!」
ブラッドは一瞬足を止めたが振り返る事はなく、ただ手を上げて気にするなという風にひらひらと動かすと、そのまま部屋を後にしていった。
それを見届けてレイチェルは改めて娘をしっかりと抱きしめた。
「ああ、私の可愛い天使。もう危ないことはしちゃ駄目よ? 約束して」
「う、うん。ママ、ごめんなさい。約束するわ」
エイプリルもしっかりと頷いて抱き着いてきた。レイチェルはもう絶対に離すものかと娘の体温と鼓動を感じながら、心の中で固く誓うのであった……
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