第19話 【第四試合】起死回生

『うおぉぉぉぉっ!! す、素晴らしい試合展開! 柔道の投げ技の前に為す術がないブロンディ! ダメージは甚大だ! これは厳しいぞ、ブロンディ! しかもこれはまだ一戦目だ! まだ次の相手が控えている状態だというのに、一人目の相手に大苦戦! 余りにも絶望的な状況だぁぁっ!!』



 アナウンスの煽りに増々ボルテージを高める観客達。方々から歓声、野次、怒号が飛び交う。


 レイチェルは何としても勝ち抜かねばならないというのにアナウンスの言う通り、一人目のヴェルナー相手に苦戦してダメージを蓄積させている状況は非常にマズい。


「くぅ……」


 何とか立ち上がろうとするが、衝撃による痺れから中々立ち直る事が出来ない。そんなレイチェルの苦闘をヴェルナーが嘲笑う。



「クク……いい眺メだ。さて、充分弱らせタ所で『お楽しみ』ノ時間だ」


 ヴェルナーは動きの鈍いレイチェルの頭を易々と脇で抱え込むようにして、袈裟固めを仕掛けてきた。


「う、ぐぅぅぅっ!!」


 物凄い力で腕と頭を同時に締めあげられる苦痛にレイチェルが悲鳴を上げる。脚を必死でばたつかせてヴェルナーの背中に膝蹴りを入れる。


 するとそれを煩わしく感じたのかヴェルナーが体勢を入れ替えてきた。脚を振り上げるようにして素早くレイチェルの腰に跨りマウントポジションを取る。しかし殴りかかってくるのではなくレイチェルの片腕を極めたまま、まるで抱き着くかのような感じで上半身を押し付けてきた。


 そして足はレイチェルの両足に引っ掛けるようにして動きを封じる。レイチェルは仰向けで両足を大きく広げた姿勢のまま固定された。


 縦四方固めと呼ばれる技だ。一見するとただマウントポジションで相手に覆い被さっているだけのように見えるが、片腕を極められた不自然な体勢で、ヴェルナーの上体が上から押し付けられている形なので見た目に反してかなりの苦痛だ。


 男に覆い被さられ足を大きく広げたあられもない体勢に、観客席が沸き立つ。


「ぐ……ああぁぁぁっ!!」

「ふふふ、苦しいカ? いい声だ。この大会ニ参加した甲斐があったぞ」


 レイチェルの苦鳴にヴェルナーは興奮した様子となる。


「そら! 仕上げダっ!」

「……!」


 ヴェルナーは一旦技を解くと、レイチェルの身体をうつ伏せにし、その上から圧し掛かってくる。そして彼女の首に太い腕を回し、そのまま強引に仰向けに反転させつつ裸締めを仕掛けてくる!

 

「あぐうぅぅぅ……!!」


 レイチェルは必死に身体をもがかせるが、ヴェルナーは両足で彼女の胴体をしっかりとフックしており、全く抜け出す事が出来ない。


 先の縦四方固めと違い、上になったレイチェルが苦しむ様子を存分に鑑賞できるアングルだ。観客席のボルテージは完全にマックスとなっていた。


 以前の試合で雷道山に仕掛けたバックチョークを、今度は自分が仕掛けられた形だ。しかもあの時とは違い完全に仰向けの姿勢にされている上に、筋力差、体重差がありすぎて、立ち上がって背中から叩きつける事など絶対に不可能だ。


 完全に極まった裸締めから逃れる術はない。爪を立てたりなどの手段も事前に反則負け認定されてしまっているので使えない。


 勿論必死でヴェルナーの腕を掴んで外そうと試みるが、僅かに緩ませる事さえ出来なかった。


(ぐぅ……く、苦しい……! も、もう駄目……)


 暴れる力が弱くなり次第に動作が緩慢になっていく。同時に意識が遠のき始める。


 と、そこでふいに首を締め上げる力が緩んだ。


「げほっ! げほっ! かはっ! ……はぁ! はぁ! はぁ!」


 何が起きたのか解らないまま、咳き込んでから本能的に酸素を目一杯取り入れる。すると……



「ククク……おいおい。そんな簡単に落ちテもらっちゃ俺が楽しめナいだろが。まだまだこんな物ジャ終わらないぜ?」



「……っ!」

 後ろ(この場合は下だが)からヴェルナーの悪意に満ちた声が聞こえ、レイチェルは戦慄する。この男はレイチェルが落ちる寸前にわざと力を緩めたのだ。彼女をもっと長く苦しめて甚振る為に……!


「ほうら!」

「がは……!」


 ヴェルナーが再び裸締めを仕掛けてくる。しかし今度は最初ほどの締め上げではなく、レイチェルを長く苦しませる為にワザと力を調節しているのが解った。


 しかしそれでも苦しい事に変わりはない。再び逃れようと暴れるが相変わらず胴体を足でしっかり挟み込まれており、抜け出す事が出来ない。出来るのは無様に脚をバタつかせる事だけ。


「ぐ……あぁ……」


 再び身体から力が抜けていく感触。意識が遠のいてくる。だが……


「おっと! 危なイ危なイ」


「……かはっ。けほっ……。はぁ……はぁ……はぁ……」


 また落ちる寸前で力を緩められ強制的に意識を引き戻される。苦し気に喘ぐレイチェル。


「ククク、まだまだ……お楽しみハこれからだ」

「……! か……は……」


 三度の裸締め。もうレイチェルには暴れる体力すら残されていない。だがヴェルナーは落ちるか落ちないかのギリギリのラインを二度の裸締めで見切ったらしく、絶妙な力加減で締め上げてくる。



 抵抗らしい抵抗も出来ずに、ただ一方的に技を掛けられ続けるレイチェル。最早試合は完全なるドミネーションに移行しようとしていた。


(あぁ……もういやぁ……。早く、終わって……)


 レイチェルは生き地獄の最中にいた。反撃はおろか抜け出す術すらなく、一方的に苦しまされ弄ばれている。もうこれは試合とは言えなかった。


 耳障りな観客達の歓声も殆ど聞こえなくなっている。リング外でチャールズが何か喚いている。それも朧げにしか聞こえない。何と言っているのか聞き取る努力を放棄した。もうただこの苦しい地獄から逃れたい……。その一心のみが頭を支配した。


 その時……!



「ママ! しっかりしてぇ! ママぁっ!!」

「……ッ!」



 何も聞こえなくなったはずの世界でその声だけが明瞭にレイチェルの耳を打った。その瞬間レイチェルはカッと目を見開いた。


(そうだ……エイプリル! あの子を……あの子を守らなきゃっ!!)


 エイプリルの事を忘れているなんて、自分は完全にどうかしていた。そうだ。ここで彼女が敗れたらエイプリルも殺されてしまうのだ。


(それだけは……それだけは、絶対にさせないっ!)


 朦朧としていた意識が覚醒する。同時にレイチェルは頭の中をフル回転させる。闇雲に暴れても裸締めは絶対に解けない。ではどうするか。


 これが通常の試合とは違う点は、ヴェルナーが勝ちを拾いに行くよりもこちらを甚振る事を優先している点だ。勝機を見出すとしたら『そこ』しかない。彼女の頭の中で作戦が組み上がっていく。


 そして彼女は残された体力を振り絞って闇雲に抜け出そうと暴れる。だが当然それで脱出できるはずもない。ヴェルナーはレイチェルの抵抗を嘲笑うように締め上げの力を強める。


 やがて再びレイチェルの身体から力が抜けてくる。また落ちそうになっている事に気付いたヴェルナーが力を緩める。


「おっト、そう簡単にハ終わらせンぞ?」 

「……!」


(今っ……!!)


 レイチェルはヴェルナーに気付かれないように密かに溜めていた力を一気に解放する。両腕を自分の頭の後ろに回し、尖らせた両の拳でヴェルナーのこめかみの部分を全力殴りつける!


 普通の人間なら届かないか、下手をすると両肩を痛めてしまう無理な体勢での打撃。しかし総合格闘家として鍛えられたレイチェルの柔軟な身体はそれを可能にした。また全力で締め上げられていたら到底こんな全力の打撃を繰り出す余裕は無かったはずだが、ヴェルナーが油断して力を緩めた事が幸いした。いや、レイチェルはその瞬間こそを狙っていたのだ。


「いぎっ!!」


 まさかほぼ死に体のレイチェルが反撃してくるとは思わなかったヴェルナーは、想定外の痛みに明らかに怯んだ。首に回された腕の力が完全に解かれる。その隙を逃さずレイチェルは素早く上体を起こして、身体を捻りつつヴェルナーの顔面にストレートの一撃。


「……!」

 グローブ越しに鼻の潰れる感触。鼻血を噴きながら後方へ仰け反るヴェルナー。その隙にレイチェルは向きを変えて相手の片脚に飛びつく。そして素早く膝十字固めを極めた!


「ぬがっ!」


 膝の可動範囲とは反対側に加えられる力にヴェルナーが呻く。膝十字は柔道でも禁じ手とされる場合もある危険な技だ。まして極めている方の脚は、試合の序盤でのレイチェルがローキックの連発によって痛めている脚であった。 


「Diese frau! Freigabe!」


 ヴェルナーが母国語(恐らくドイツ語)で喚きながら上体を起こし、レイチェルの脚を強引に外そうとしてくる。男の柔道家の握力なら強引に外してしまう事も不可能ではないだろうが、そうはさせない。


「ぬ、あああァァァッ!!」


 身体ごと全力でヴェルナーの脚を引く。膝関節は伸展方向にはゼロ度以上には伸びない。それ以上伸展方向に力が加えられると容易く靭帯が伸びきって損傷する。


 ブチッ! と何かが切れる感触が伝わった。



「ギャアアァァァァァァァッ!!!!」



 レイチェルが技を解いて転がるようにして離れると、物凄い悲鳴と共にヴェルナーが脚を押さえてのたうち回った。


 勝負ありだ。これまではここで試合終了であったが……



『おおぉぉぉぉっ!! ブロンディ、絶体絶命の危機を見事乗り越え、奇跡の逆転勝利だぁぁっ!! す、素晴らしい! 色々な意味で見応えたっぷりの試合だったぁっ! だがっ!! 今日はまだ終わりではありません! 彼女はまだ『前哨戦』を勝ち抜いたに過ぎないのです! 次なる対戦相手が既に準備万端で控えています! 過酷なる二連戦を戦い抜く事が出来るのか、ブロンディィィィッ!!!』



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!


 観客席からは大歓声が上がる。


 そう。今回は休む間もなく次の試合が始まるのだ。だというのにレイチェルは既に消耗しきっていて、仰向けに横たわったまま起き上がる事も出来ずに激しく喘いでいた。三度の強烈な投げ、そして度重なる絞め技によるダメージの蓄積は大きい。

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