第10話 【第一試合】vsダンベ


『おぉーーー!! ブロンディ、再度マットに沈んだァァァ!! 未知の格闘技ダンベの前に翻弄されるブロンディッ! どうするブロンディ!? このまま黒い悪魔に嬲り殺しにされるだけかぁ!?』



 ――ウオォォォォォォッ!!!


 観客席からの歓声や怒号がレイチェルの耳を打つ。同時に……


「ママ、しっかりして! ママぁっ!」

「……っ」


 この世界で一番可愛い天使の叫びがレイチェルに活力を与える。彼女は四つ這いの姿勢から片膝立ちを経て強引に立ち上がる。


「はぁ……はぁ……ふぅ……」

「ほぉ……」


 立ち上がって荒い息を吐きながらファイティングポーズを取る彼女の姿に、クワベナが目を細める。


「ふふふ、いいぞ、女。お陰で俺はもっと楽しめる」

「……!」


 クワベナが再び摺り足で接近してきた。右の拳による拳打。そしてそれを掻い潜っても鎖を巻き付けた足による蹴り技。あれを何発もまともに受けていたら身が持たない。事実ガードしたというのに、腕の痛みはかなりのものだ。昨日の試合のような正攻法では組み付く事すら難しい。


(だったら……!)


 レイチェルは敢えて再び受けに回る。クワベナの右手が恐ろしい勢いで振り抜かれる。


「……っ!」


 まともに躱す事は不可能で、レイチェルに出来るのはただガードする事だけ。しかしそのガード越しにも大きなダメージを与えてくる。辛うじて踏ん張り、クワベナの左手の方向に回り込もうとする。


「ふん!」


 しかしクワベナはそれを読んでいたように、左足で牽制の蹴りを放ってくる。咄嗟にそれを躱したレイチェルの足が止まる。そこに向きを変えたクワベナの再びの拳打。何とかガードするものの、今度はその勢いに抗しきれずに身体ごと吹っ飛ばされた。


「ぐ……!」


 三度マットに倒れ伏すレイチェル。しかしこの試合にTKOは存在しない。観客の興奮は既にマックスで、立ち上がっている者まで出始めていた。


 もう既に両腕は限界だ。これ以上クワベナの攻撃を防ぐ事は出来ないだろう。だからここで絶対に決めなければならない。



 レイチェルは「賭け」に出た。


「く……うぅ……」


 マットに仰向けに倒れたまま、苦し気に身を捩らせる。中々起き上がれない。その様子を見て取ったクワベナの目が光る。


「はははっ、もう終わりか、女! 俺はまだまだ消化不良だぞ!」


 クワベナが哄笑しながら、倒れているレイチェルに向かって追撃しようと拳打を打ち下ろしてくる。だが……それはレイチェルが待ち構えていた瞬間でもあった。


 油断から大振りになった拳を身を捻って躱す。そしてその手を取ると、そのまま腹筋の力によって逆立ちするような勢いで、自分の両足をクワベナの腕に巻き付ける!


「何……!?」


 クワベナが初めて焦ったような声を上げるがもう手遅れだ。レイチェルは死んでも離す気はない。


「うおおぉぉっ!!」

「……!」


 脚の力と重力を利用してクワベナの身体をマットに引き倒す。咄嗟の事で体勢が崩れていたクワベナは、頭からマットに突っ込み、顎と両膝をマットに付けた姿勢になる。そしてその後頭部を、腕を極めているレイチェルの足が押さえつけている。



『お、おぉ! ブロンディ、相手の一瞬の油断を突いた逆十字固めだぁっ!!』



 アナウンスの興奮と共に観客席も沸き立つ。だが自分より遥かに大きい男相手に必死に技を掛けているレイチェルと、憤怒の表情で逃れようとするクワベナは、そんな周囲の雑音は耳に入っていなかった。


「ぬぅががっ! 女ぁぁっ!!」


 クワベナが悪鬼の如き表情となって強引に立ち上がろうとする。徐々に浮き上がるレイチェルの身体。恐らくこのまま強引にレイチェルを持ち上げて、背中からマットに叩き付けるつもりか。だがそうはさせない。


 覚悟なら既に決めている。そして前日に実践もしている。


「……ッ!」

 レイチェルは一瞬目を閉じて、それから思い切り極めている腕を引き絞った。本来の関節の向きとは逆方向に極められている腕は、例えどれだけ鍛えられた物であってもアッサリと折れる。それはクワベナとて例外ではなかった。



「ぎっ! ぎゃああぁぁァァァっ!!!」



 筋が断裂し、捻じれた骨の感触が皮膚越しに脚に伝わってきた。クワベナの口から恐ろしい野獣のような咆哮が漏れ出る。レイチェルが身体を離すと、クワベナは試合も忘れてのたうち回っている。昨日のキムと同じだ。暴れ狂う巨体に巻き込まれたら危ないので、転がるようにして急いで距離を取る。


 精根尽き果てたレイチェルもまたその場に仰向けになって激しく喘いでいた。そんな彼女にスポットライトが浴びせられる。



『お、おおぉぉーーー!! 何と、ブロンディ……フェイタルコンバットの第一戦を勝利で飾ったぁぁぁっ!! 素晴らしい! 実に素晴らしい展開だ! これで二人の敵を倒したブロンディ。だが更なる強豪が後十三人も控えている! 果たして彼女はどこまで勝ち抜く事が出来るのか!? 皆さん、共に彼女の苦闘を見守ろうではありませんか!』



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!


 好き勝手な事をのたまうアナウンスに、興奮した観客達の歓声が被さる。しかしアナウンスが言っている事は客観的な事実でもあった。彼女がこの大会に『優勝』する為には、自分以外の全ての参加選手と戦って勝たなくてはならないのだ。


 こんな試合を後十三回も行うなど冗談ではない。遠からず限界が来るのは間違いなく、その前に何としても脱出の手段を見つけなければならない。


 仰向けの姿勢のままライトと歓声を浴びながらレイチェルは、改めて決意を固めるのであった……



****



「見事な試合だったな」


 控室に戻る最中、廊下で再びブラッドが話しかけてきた。チャールズはいない。エイプリルが機転を利かせて、トイレに付き添って欲しいとチャールズを連れ出したのだ。


 ブラッドは相変わらず私服姿で、試合直後なので仕方がないとはいえ、自分だけ露出度の高い試合用のコスチューム姿なのが少し気恥ずかしかった。


 2人は目立たない位置へ移動する。レイチェルは気を取り直して気になっていた事を質問する。ブラッドと接触していられる時間は限られている。余計な事を気にしている場合ではない。


「ブラッド……。チャールズならエイプリルが連れ出してくれてるわ。まず昨日の……彼に気を付けろとはどういう意味なのか教えて貰える? あなたは何を知ってるの?」


「エイプリルが? そうか……賢い子だな」


 ブラッドはその端正な顔を一瞬微笑ませるが、すぐに真顔に戻った。


「俺とジュリアン……ひいてはお前との繋がりは連中も把握していない。だから連中と、あのチャールズという男にとって俺は、お前を甚振る為に集められた闇格闘家の一人に過ぎない」


 ブラッドは肩を竦めた。


「だから俺が近くにいるにも関わらず、あいつはお前の案内人の男と多少声は潜めていたが堂々と話していた。お前達がここに来た日、つまりあの『開会式』の日の夜の事だ」


 案内人とは恐らくジョンの事だろう。チャールズがわざわざ夜に抜け出してジョンと話していた?


「は、話の内容は聞こえたの……?」


「あからさまに聞き耳を立てていては流石に怪しまれるから断片的にだがな。借金だの計画通りだの賞金だのと……色々不穏な単語が聞こえてきた。だが話の内容を全て聞いた訳ではないから断言は出来ん。だから気を付けろという言い方に留めたんだ」


「…………」

 レイチェルは顎に手を当てて考え込んだ。チャールズは確かに向こう見ずな所があったがそれはレイチェルも把握していた為、彼には常に釘を刺していた。大きな借金を抱えているという話は聞いた事が無かった。


(いや……)


 チャールズの性格ならレイチェルの知らない所で借金を抱えて、それを彼女には黙っているという事は充分考えられる。それに計画だの賞金だのという言葉を考え合わせると……


(……まさかエイプリルの誘拐自体も?)


 チャールズの手引きによるものかも知れない。勿論まだ状況証拠のみなので断言は出来ないが、ここは常に悪い想定をしておくべきだろう。


「俺は今、外部との通信手段を探している所だ。恐らく連中の専用回線のような物があるはずだからな。そうすれば国にいるマスコミの友人に連絡が付く」


 全く外部から遮断されているという事はあり得ない。パトリキの集いのみが使える通信手段が必ずあるはずだ。だがそれは部外者が容易に確保できる物ではないだろう。


「ブラッド。やっぱり私にも協力させて。一人よりも二人の方が突破口を見つけられる確率も上がるわ」


「む……? いや、だが……」


 彼の言いたい事は解る。だがレイチェルはかぶりを振った。


「どの道ただここを逃げ出しただけじゃ、私達に安息は無いわ。いつまた連中の魔の手が及ぶか怯えながら暮らさなきゃならない。私だけじゃなくエイプリルだって学校はおろか、迂闊に外出さえさせられなくなるわ」


「……!」


「それならあなたに協力してこの『パトリキの集い』を潰す事こそが、私達にとっても最良の結果だわ。そうでしょう?」


「そう、か。確かにそうだな……」


 ブラッドはしばらく考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。


「俺の考えが足りなかったな。解った。お前にも協力してもらおう。それがお前達にとってもベターな選択のようだ」


「ありがとう、ブラッド。宜しく頼むわ」


 レイチェルは緊張を解いて微笑む。そして手を差し出した。ブラッドもその手をしっかりと握った。ここに二人の正式な『協力関係』が成立した。


「余り長話は出来ないから今日はここまでだな。明日までにお前に頼みたい事を用意しておく。だから……必ず勝ち残れ」


「……! ええ……必ず勝つわ。エイプリルの為にもね」


 そう。明日という事は、つまりまた『フェイタルコンバット』に勝利しなければならないという事でもある。レイチェルにとって過酷な二つの戦いが同時に幕を開けた瞬間であった……


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