第9話 【第一試合】フェイタルコンバット

「試合形式の変更……?」


 翌日、部屋に訪れたジョンに開口一番に告げられたのがそれであった。ジョンは相変わらずあの酷薄な笑みを浮かべて首肯する。


「ええ、その通りです。昨日の試合は会員の皆様に大好評でしてねぇ。もしあなたが一回戦で無様に敗北して再起不能になるようなら、そのまま通常のトーナメント形式で大会を継続する予定でしたが、あなたは見事勝ち抜かれた。そこで我々運営側は会員の皆様の希望を考慮致しまして、急遽あなたを主軸とした『勝ち抜き戦』に変更する事を決定しました」


「か、勝ち抜き戦……?」


 嫌な予感にレイチェルの頬を汗が伝う。ジョンの笑みが深くなる。


「そうです。要はあなたに残り十四人の選手全員と一人ずつ戦ってもらう訳ですね。一人を倒したら次の相手。その相手も倒したらまた次の相手、という風に順番待ちで列を成している全員とです。つまりあなたが『優勝』するには、あの開会式にいた全員の選手に勝たなくてはならないという事ですねぇ」


「なっ……!!」


 余りと言えば余りな条件にレイチェルは一瞬言葉を失ってしまう。そして次の瞬間には猛然と食って掛かった。


「ふ、ふざけないで! そんな馬鹿げた条件……許されるはずが無いわ!」


「ククク……誰が許さないと言うんですか? この島では外の世界の法律も常識も通用しません。我々と会員の皆様の意思が全てです。解っていると思いますが、勿論あなたに拒否権はありませんよ? 試合を拒否した場合、そして試合に負けた場合は、あなたとあなたの可愛い天使がどうなるかは……言うまでもありませんね?」


「ぐ……!」

 レイチェルは唇を噛み締める。エイプリルの命を盾に取られている以上、彼女には受ける以外に選択肢はない。しかしそんな形式では『優勝』など絶望的だ。


 自分の苦しむ姿を鑑賞する事がこの大会の目的であり、その為に趣向を凝らしてくる、というブラッドの言葉が肯定された形だ。となると彼が言っていた、優勝してもどの道消されるという話も真実味を帯びてくる。またジュリアンが彼等に殺されたという話も……



 この時点でレイチェルには二つの目標が出来た。


 即ち襲い来る格闘家達との試合に何としてでも勝利し生き延びる事と、限界が来て試合に敗れて殺されるよりも先にエイプリルと共にこの島から脱出する事の二つだ。


 ブラッドの言う事が正しいとすれば、正直チャールズには相談しづらい。彼はもしかして『パトリキの集い』と通じているのだろうか? そんな疑念も出てくる。


 ブラッドともう一度接触しなくてはならない。だが一日に何度も同じ相手と話していてはジョン達に怪しまれる。ブラッドと話せる機会は、昨日と同じく試合に勝った直後くらいのものだろう。


 つまりブラッドと接触したければ、その都度試合に勝たなくてはならないという事だ。レイチェルは覚悟を決めた。エイプリルの為にも絶対に生き延びて脱出してみせるという覚悟だ。


「ククク……それでは三十分後にまた呼びに来ますので準備をしておいて下さい。もし勝ち上がって行けば色々な・・・試合形式を体験できると思いますので楽しみにしていて下さい」


「…………」

 ジョンが含み笑いを残して部屋を後にした。レイチェルに出来る事はただ唇を噛み締めてその背中を睨み据える事だけだった。




 きっかり三十分後に、コスチュームに着替え終わったレイチェルを迎えに来たジョンに連れられて再びアリーナへと踏み込んだ。チャールズとエイプリルもセコンドとして付き添っている。昨日と変わらず観客席は満員で、大歓声が出迎える。


「レイチェル、昨日と同じように相手が打撃系だったら、とにかく組み付いていけ。逆にレスリングや柔道が相手なら距離を取って脚を狙っていけ」


 リングの前でチャールズが熱心に諭してくる。その様子を見ていると、とてもそんな裏があるようには思えないが……。


「ええ、解ってるわ、チャーリー。ありがとう」


 レイチェルは視線を娘に移す。エイプリルは相変わらず不安そうな瞳で見上げてくるが、母親が自分を助ける為に戦っているのだという事を理解しているらしく、ギュッと口元を引き結んで不安を訴えまいとしている。


「エイプリル……行ってくるわね」

「うん……ママ、頑張って」


 屈み込んで娘としっかりとハグを交わす。そして気持ちを切り替えて、後は振り返らずにリングに入る。もう戦う覚悟なら出来ていた。ブルーコーナーに立ってじっと対戦相手を待つ。果たして反対側の通用口から姿を現したのは……



「……!」


 全身真っ黒い肌の黒人の男であった。アメリカに住んでいる黒人よりももっと肌が黒い。……本家本元のアフリカ人だ。上半身裸に膝下までのズボンに腰帯。そして右手に荒い縄のような物を何重にも巻き付けていた。


 リングに入ってきた男と正対する。身長はかなりデカい。下手すると七フィート近く(ニメートル以上)あるかも知れない。レイチェルは五フィート九インチ(百七十センチ)程度なので、『表』の試合ではあり得ない身長差である。


 だが身長の割に横の厚みはそれ程なく、かなりヒョロッとした体型だ。しかし厚みがないだけで、その筋肉は相当に引き絞られているのが見て取れた。


 頭は地肌が見えるくらいの坊主頭で、剃っているのか眉毛も無かった。その為非常に凶悪な人相に見えた。



『紳士淑女の皆様! お待たせ致しました! 通達のあったように本日より皆様のご希望を考慮致しまして、美貌の総合格闘家"ブロンディ"が、襲い来る凶悪な男性格闘家達相手にどこまで戦い抜く事が出来るのか、地獄の勝ち抜き戦『フェイタルコンバット』の開催を宣言致しますっ!!』



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!



 アナウンスに反応するように、アリーナ中を揺るがす大歓声。

 


『それでは地獄の第一戦目です! ブルーコーナーはこのフェイタルコンバットの『挑戦者』! 昨日は実際に男性の格闘家相手に勝利を収めた、美貌と実力を兼ね備えた奇跡の女性ファイター! レイチェル"ブロンディ"・クロフォーーーーーーード!!』



 卑猥な野次混じりの歓声。無遠慮な無数の視線が自分に突き刺さるのをレイチェルは確かに感じた。



『続きまして一人目の対戦相手だ! レッドコーナーはアフリカのナイジェリアから来た黒い野獣! 伝統の民族格闘技『ダンベ』の王者! クワベナ・カラナだぁぁぁっ!!!』



 禿頭の黒人……クワベナがその長い片手を掲げて歓声に応える。そしてレイチェルの方を見てきた。昨日のキムと同じくその目に嗜虐的な色が浮かぶ。ただ一点キムと違うのは……


「アメリカの……白人の女か。散々に痛めつけて嬲ってやる。この『フェイタルコンバット』とやらは最初の一戦で終わりだ」


「……!」

 ナイジェリア人のクワベナは英語が喋れるという点だ。それだけにその悪意がより明確にレイチェルに叩きつけられる。女を痛めつける事を楽しみにしている連中ばかり、と言っていたブラッドの言葉が思い出された。



『それではフェイタルコンバット第一戦目……始めぇぇぇぇっ!!』



 歓声と共にゴングが鳴り響く。


 レイチェルがファイティングポーズを取るのと同時にクワベナが動いた。ボクシングやキックのフットワークとは異なる、まるで摺り足のような動きで距離を詰めてくる。身長も相まってかなりの速度だ。


 荒縄を巻き付けた右手を構えている。どうやらあの縄がグローブ替わりのようだ。ダンベという格闘技は聞いた事が無かった、打撃系ではあるようだ。ならば方針も決まっている。


 奴が攻撃に神経を集中させ、躱した瞬間に組み付く……



 ……その瞬間、クワベナの右手が『消えた』。



「え……きゃああぁぁっ!!」


 目を疑った直後に本能的に上げていたガード越しに物凄い衝撃を感じて、レイチェルはガードした体勢のまま身体ごと大きく吹き飛ばされていた。


 開始早々マットに這うレイチェル。彼女の無様な姿に興奮した観客達が一斉に囃し立てる。


「あ……ぐ……」


 苦し気に呻きながら上体を起こす。ガードした両腕が焼けつくような痛み。見上げると右の拳を突き出した姿勢のクワベナが、無様に寝ているレイチェルを嘲笑うように唇を歪めながらゆっくりと拳を戻す所だった。


 それでレイチェルは理解した。目にも留まらぬ速さで振り抜かれたクワベナの拳の一撃で、自分は躱すのも間に合わずにガードごと吹き飛ばされたのだと……!


「はら、どうした? まさかこれで終わりじゃないだろ?」


「く……そ……!」


 クワベナは追撃してこずに、倒れているレイチェルの肢体に好色な目線を這わせてくる。怖気と屈辱を力に変えて何とか立ち上がる。腕の痛みを堪えてファイティングポーズを取ると、クワベナが口の端を吊り上げながら再び迫ってくる。


 カウンターを狙うのは危険だ。今度は敵の攻撃を待つつもりはない。こちらから仕掛けるのだ。


 レイチェルはクワベナの下半身に取り付くべく、やや腰を屈めた姿勢となる。幸い相手は長身なので、取り付く的はデカい。


 上段から振り下ろされる拳を今度は掻い潜る事が出来た。そのままの勢いを駆ってクワベナの腰にタックルを仕掛けようとして……


「……がっ!?」


 『下』から衝撃。腹に激痛を感じ、相手に組み付く事も出来ずにレイチェルは再びマットに沈んだ。うつ伏せに蹲るような姿勢でマットに倒れ込む。


(な、何が……)


 うつ伏せの姿勢のまま顔だけを上げると、霞む視界の中で左足を振り上げたクワベナの姿が目に入った。その脛には細い鎖のような物が巻き付けてある。あれでレイチェルを下から蹴り飛ばしたのだ。


 油断した。最初のクワベナの動きから、ダンベとはボクシングのような拳打による格闘技と思っていたが、足技もあったらしい。


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