第8話 警告と疑惑
控室への帰り道。レイチェルはエイプリルと手を繋いで廊下を歩いていた。チャールズはジョンと話があるからと言ってアリーナに残っていた。
「ママ、すっごくかっこ良かったよ! やっぱりママは強いんだ!」
「ふふ、ええ、そうよ。あなたが応援しててくれるならママは無敵だって言ったでしょ?」
「うん! ……でもあの男の人、すごく痛がってたね。ちょっと可哀想……」
エイプリルが一転してその可愛らしい顔を曇らせる。
「……! そう、ね。でも勝つにはああするしかなかったのよ」
レイチェル自身、決して気持ちのいい感触ではなかった。だがああしなければ勝ちにならない以上、どうしようもなかった。一度降参するチャンスはあったのに、それをフイにしたのはキム自身だ。
「うん……解ってるよ。でも……ママはママのままでいてね……? あの時のママ、ちょっと怖い顔してたから……」
「……!」
娘に指摘されてハッとなる。自分では気づいていなかったが、『表』ではまず許されない徹底した人体の破壊行為を行った事は、少なからずレイチェルの精神を興奮させていた。
総合格闘技のような実際に人体を破壊出来る技術を習得しながらそれを実践出来ないというのは、レイチェルに限らず格闘技者にとっては消化不良な一面もあった。
自分の技術を思う存分人にぶつけてみたい……。そんな欲求は多かれ少なかれ、全ての格闘技者が持っている物であった。
(……私はあくまでエイプリルを守る為にここで戦っているのよ。それを忘れないようにしないと……)
そんな風に自分を戒めるレイチェル。娘にとって誇れる人間でありたい……。そう思って戦ってきたのに、その娘に怖がられるようでは本末転倒だ。
「そうね、あなたの言う通りだわ、エイプリル。でもママこれから気を付けるから、今まで通り応援してくれるわよね……?」
「うん!」
娘を安心させるように優しい笑顔で約束すると、エイプリルも笑顔になってレイチェルの腰に抱き着いてきた。
そうして2人で廊下を歩いていると、行く先に誰かが立ち塞がっているのに気付いた。
「……!」
チャールズではない。もっと体格の良い若い白人男性だ。若いと言っても年の頃はレイチェルより上のようだ。腕を組んでこちらを睥睨している。濃い茶色の短髪に見覚えがあった。
(この男は、確か……キックボクシングの……)
『開会式』で見た顔だ。やはり名前は思い出せなかったが、間違いなく『参加選手』の一人のはずだ。尤も今はレイチェルと違って私服姿であったが。
エイプリルが怖がってレイチェルにしがみつく。レイチェルは娘を後ろに庇いつつ、立ち塞がる男を睨み付ける。
「……何か用? 部屋に戻りたいからどいてもらえるかしら?」
確か国はオーストラリアと言っていたような気がするので、英語は通じるはずだ。
「……あの蹴り、体捌き……。お前、ジュリアン・グレイヴズという男を知っているか?」
「な……ジュ、ジュリアンですって!?」
唐突に出てきた名前にレイチェルの目が見開かれる。知っているも何もジュリアン・グレイヴズはレイチェルのキックボクシング時代のトレーナーであり、そして……エイプリルの『父親』だった男性の名前だ。
エイプリルが生まれて間もなくの頃、事故によって帰らぬ人となってしまった。
「な、何故あなたが彼の名前を……?」
「やはりか。あいつがオーストラリア出身だという事は聞いていたか? 俺はブラッド。ブラッド・ノア・スチュアートだ。俺とあいつは同じジムで競い合った親友同士だった」
「……!」
「アメリカに渡ったあいつと何度か電話でやり取りしたが……筋のいい女子がいて、教えるのが楽しくて仕方がないと言っていた。それはお前の事だったんだな」
「……ッ!」
それを聞いたレイチェルは込み上げてくるものがあり言葉に詰まる。
「そして……『父親』になるのだ、という電話もな。……その娘が?」
ブラッドの視線がエイプリルを見下ろす。エイプリルはちょっとビクッとしたが、母親とのやり取りを聞いていて、とりあえずブラッドに害意がない事を理解したらしく、後ろに隠れる事はしなかった。それを見て取ったブラッドがフッと笑う。
「なるほど……聡い子だ。どちらに似たのかな?」
「きっと父親似よ。……それで、あなたが個別に話しかけてきた用件はそれだけかしら?」
レイチェルの質問にブラッドは肩を竦めた。
「勿論それだけではないが、まずは確認をしなければ始まらなかったからな。そしてお前が……お前達がジュリアンの『家族』であるならば、警告をしておかねばと思ってな」
「警告……? 言われるまでもなくこの大会が非合法だという事なら、既に身を以って体験したわ」
だがブラッドはかぶりを振った。
「……六年前、ジュリアンもこの『パトリキの集い』が主催する格闘大会へ出場していたらしい事を突き止めた」
「…………え?」
一瞬レイチェルは耳を疑った。勿論初耳であった。
「そこで何があったのかは解らんが、その直後にあいつは『事故死』した。偶然にしてはタイミングが妙だとは思わないか?」
「……ま、待って。あなたまさかジュリアンの死が事故ではなく、ここの連中が関わっていると……?」
「勿論確証はない。だが確信ならある。余りにも不自然だ」
「……!」
「俺はそれを調べる目的もあって連中のスカウトに乗ったのさ。『パトリキの集い』はお前が思っているよりも更に危険な連中だ。奴等は強引な手段で『招待』したお前を最終的には口封じするつもりの可能性もある。それを警告しておきたかった」
「…………」
ジュリアンの死が事故死では無かったかも知れない……。更にはこの連中が犯人かも知れない。そんな話を聞かされては平静でいられないレイチェルであった。
「それが本当なら……私も手を貸すわ」
「いや、駄目だ。お前だけでなくその娘もいるんだ。お前は試合を生き延びて、無事にこの島を脱出する手段を探すんだ」
確かにエイプリルの事を考えれば、まずは無事に帰る事を優先しなければならない。レイチェルは歯噛みした。
「それとその試合に関しても警告がある。俺は今言った目的での潜入のような物だが、他の連中は違う。俺達が呼び集められた本当の理由はトーナメントではなく……お前を観客達の前で痛めつける事だ」
「な……」
「会員共はただの格闘試合だけでは物足りなくなっているらしいな。そこで白羽の矢が立ったのがお前という訳だ。奴等のスカウトマンに、事前に女を痛めつける事が好きか、抵抗はないかと聞かれたよ。俺は演技で肯定したが……他の連中はそれを楽しみに参加しているような奴ばかりだろうな」
「……!!」
レイチェルは先程の試合で自分を舐めるように眺めまわして、彼女を痛めつけて笑っていたキムの姿を思い出した。
「お前は一回戦を無事に勝ち抜いた。それを受けて連中がどんな趣向を凝らしてくるか……正直想像が付かん。何が起きてもいいように心構えだけはしておけ」
「…………」
試合が過酷な物になる事は覚悟していた。だがどうやら想像以上にマズい状況らしい。これがただの非合法のトーナメントですらなく、最初からレイチェルを甚振る事を目的としたより下劣な趣旨なのだとしたら……
「余り廊下で長話していると怪しまれそうだな。もう行くが……最後に、チャールズと言ったか? あの男には気を付けろ」
「え……それってどういう……」
「レイチェルッ!」
レイチェルが思わず聞き返そうとした時、後ろからまさにそのチャールズの声が響いた。ジョンとの話とやらが終わって戻って来たらしい。入れ替わるようにブラッドが立ち去っていった。
「レイチェル、どうしたんだい、こんな所に立ち止まって? 今の男は確か、キックのブラッド・スチュアートだね? 何か因縁でも付けられたのか?」
「え、ええ、まあ……そんな所ね。でも今更そんな脅しに屈する私じゃないわ」
レイチェルは僅かに逡巡した後、チャールズにブラッドとの話を打ち明けるのを思い留まった。ブラッドの最後の言葉が気になっていた。
「そうか……流石はレイチェルだ。よし、それじゃあ次の試合に備えて今日は早めに休むとしようか」
「え、ええ、そうね。行きましょう、エイプリル」
「う、うん……」
エイプリルもまた微妙な顔をしながら頷いた。かなり早熟な子だ。もしかしたら今のブラッドとの会話も、大部分を理解していた可能性がある。つまりは彼の最後の警告も……
何となくギクシャクとした雰囲気を纏いながらも、次の試合に備えなければならないのも確かである為、レイチェルはとりあえず疑念は胸の内にしまってチャールズと共に与えられた部屋へと戻るのであった……
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