第7話 【初戦】vsテコンドー

(その……余裕が、命取りよ……!) 


 揺れる視界とふらつく足を強引に押さえつけて再び前進するレイチェル。キムが浮かび上がるようにして前蹴りを放ってくる。レイチェルがそれに反応して腕を前に出して蹴りを払うと、キムは前蹴りを即座に引っ込めて、反対側の脚でレイチェルの側頭部を狙って飛び蹴りを叩き込む。


 牽制の前蹴りをフェイントにして敵の注意を引き付け、本命の飛び蹴りを当てるトゥーボン・トルリョ・チャギという技だ。本命の蹴りが当たれば絶大な効果をもたらす大技だが……


「……ふっ!」

「……!」


 今度はレイチェルもフェイントを予測していた。一方的に蹴り倒されていたレイチェルだが、総合格闘技の選手として磨き抜かれた感覚が、ダメージを代償に敵の攻撃パターンを学習したのだ。


 テコンドーは派手な技が多いが、その分大振りで実戦では見切られやすく、異種格闘技戦においては長期戦には向かないという弱点があった。


 呼気と共に素早く身を屈めてキムの飛び蹴りを回避したレイチェルは、低い姿勢のままキムの下半身にタックルするような勢いで組み付いた!


 飛び蹴りで不安定な姿勢にあったキムはその組み付きに踏ん張れずに、もつれ合うようにマットに倒れ込んだ。観客席が怒号や歓声に包まれる。



「녀석!  떠나라!!」


 キムが韓国語で喚きながら拳や膝を打ち付けてくるが、密着した体勢では大したダメージにはならない。一度寝技に持ち込んでしまえば、例え男性相手でも余程ウェイト差がない限りは技術と経験が物を言う。そしてやはりキムは寝技は素人同然であった。


(……いける!)


 確信したレイチェルはキムの腕に狙いを定めてポジションを動かしていく。判定勝ちのルールがないので、余計な打撃やマウントポジションは狙わない。


 キムは物凄い力で暴れてくるが、レイチェルとしてもこのチャンスは逃せないので、絶対に振り解かれないよう、そしてキムに身を起こす隙を与えないように巧みに位置取りを調節して背面に潜り込む。


「여자 염색!!」


 業を煮やしたキムが再び韓国語で叫びながら、背面にいるレイチェル目掛けて肘打ちを叩き込もうとしてくる。


(……! 今だっ!)


 やはりキムは寝技の経験が全く無いらしい。この状態で背面にいる敵に肘打ちなど放ったらどうなるか……


 レイチェルは素早く肘打ちを受け止めると、自らの腕を絡めるようにしてほぼ直角に極めた! そのまま自分の体重と両膝で押し込むような形でキムをうつ伏せに押さえつける。


 肘打ちを放った事で身体が開いていたキムは為す術も無く押さえつけられ、レイチェルはその背中に、身体ごと乗るような感じで直角に極めた腕を締め上げる。背面アームロックだ!


 レイチェルの体重ごと押さえつけているので、余程のウェイト差が無いと跳ね除ける事は不可能だ。というより強引にね跳ね返そうとすれば腕が折れる。


 キムが叫びながら暴れるが、レイチェルは死んでも離すまいとばかりに力を込めて腕を締め上げる。


 普通の試合ならタップしてもおかしくない状況だ。だがレイチェルはここで疑問が生じた。



(もし相手がタップしてきたとして……離していい・・・・・ものなの?)



 レフェリーもおらず、先程アナウンスはどちらかが完全にリタイヤするまで終わらないと言っていた。だとするなら……


 その時キムがレイチェルの脚に触れてタップしてきた。まさに今考えていた所だった為、動揺するレイチェルだったが……


「解くなっ! そのまま腕を折るんだっ! それで君の勝ちだ!」

「……!?」


 チャールズであった。レイチェルは彼の正気を疑う。


(お、折るって……チャーリー、本気で言ってるの!?)


 キムがタップをしたのは観客からも見えたはずだ。そんな事をしなくてもレイチェルの勝ちは明らかだ。彼女は力を緩めてアームロックを解いた。


「馬鹿っ!」

「ッ!」


 チャールズが怒鳴る。同時にキムが身を捻らせてレイチェルの下から這い出た。そのままレイチェルに蹴りを入れながら強引に立ち上がる。その目は憎悪に滾っていた。


「な……待って! 勝負は着いたでしょう!?」


 レイチェルの驚愕に構わずキムが踵落としを仕掛けてくる。レイチェルは慌てて転がるようにしてそれを避けると身を起こした。



『おぉーー!! ブロンディ、折角の勝利のチャンスを自らフイにしたぁぁっ!! 甘い! 甘すぎるぞ、ブロンディ!』



「……ッ!」

 観客もアナウンスも……キムがタップをしていた所を見ていたはずなのに、誰もその事に言及しない。レイチェルは目の前が真っ暗になった。チャールズは正しかった。


 そもそも娘を誘拐して出場を強要し、負けたら娘を殺すと言ってるような連中が主催する大会なのだ。まともなルールが適用される試合のはずがない。その自覚が足りていなかった。


 アナウンスの言う通り、折角のチャンスを自らフイにしてしまったのだ。また仕切り直しとなってしまった。レイチェルは絶望に折れそうになる心を必死で支えながらファイティングポーズを取る。



「죽일ッ!!」


 怒り狂ったキムが韓国語で何かを喚く。しかし先程の攻防を警戒してか派手な技は仕掛けてこない。レイチェルの足を狙うようにローキックを放つ。男の脚から放たれるローは牽制でもかなりの威力だ。何発も喰らっていたら脚を痛めてしまう。


 レイチェルは多少強引に前に出て、自らもミドルキックで応戦する。女性は男性に比べて上半身の筋力は70%程度しかないが、下半身に関しては85%くらいあるそうだ。


 なので仮に男性相手に戦う場合は蹴り技主体の方がいいと、エイプリルの父親だった男性から教わっていた。 


 しばらくは牽制のパンチやキックの応酬が続いた。その中でレイチェルは、キムの蹴りが最初の時ほど切れが無いのに気付いた。あの寝技で組み付いて暴れている時に脚も痛めていたのかも知れない。


(……だったら!)


 レイチェルはキムの蹴りを誘うようにわざと距離を取って後ろに下がる。案の定距離が離れた事でキムがやや大振りな蹴りを放ってきた。もしかしたらフェイントかも知れないが構うものか。


 レイチェルはむしろわざと自分からその蹴りに当たりに行った。ガードした腕越しに蹴りの衝撃を感じるが、睨んだ通り最初程の威力は無い。辛うじて踏み止まる事が出来た。


 そして……そのままキムの脚を掴み取った!


「……!?」

 キムがギョッとした様子になる。


「う……おおぉぉぉっ!!」


 気合の掛け声と共にキムの足を掴んだまま、その身体ごと押し込むような勢いで前進する。キムは片脚跳びのような状態でバランスが取れずに女性のレイチェルに押し込まれる。そしてそのまま堪え切れずに倒れ込んだ。


 再び寝技に持ち込んだ。レイチェルは暴れまわるキムを巧みに抑え込んで腕を取り、アームバー(十字固め)を極める事に成功した!


 キムが叫びながら再びレイチェルの脚をタップしてくるが、レイチェルとてそこまで馬鹿でも甘くもない。覚悟を決めて、キムの腕を全力で引き伸ばす。


「……!」

 何か、ブチッ! という音を聞いた気がした。同時にキムの腕に感じていた抵抗が急に軽くなった。肘の靭帯が断裂したのだ、と感覚で解った。初めての感触であった。


「――!! ――ッ!!」


 レイチェルが技を解いた後も、キムは凄まじい絶叫を上げながら腕を押さえてのたうち回る。とても試合が続行できるような状態ではない。……リタイヤだ! 


 同時に試合終了のゴングが鳴った。



『お、おおぉぉぉっーーー!! な、何と……勝者、レイチェル・"ブロンディ"・クロフォード!! 男性の格闘家相手に勝利を収めたぞぉ!! す、素晴らしい! 我々は期待以上の逸材を手に入れた! 美しき総合格闘家は、この先に待ち受ける更なる強敵達に勝利する事が出来るのか!? 皆様、期待してご観覧下さいっ!!』



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!



 アリーナ中を覆い尽くすような大歓声。観客達は総立ちになって熱狂していた。ケージの扉が開いて即座に飛び込んできたエイプリルを抱き留めながら、レイチェルは半分夢でも見ているような心持ちでその歓声を浴び続けていた……

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