第2話【スクリーム師匠】
「私はこう見えて、誇り高きバンシーの血を受け継ぐ貴族、ベン シー ニーア スクリーミング ロード リッチ 公爵である!巷ではスクリーム貴族とか、リッチ公爵などと呼ばれている」
聞く度に名前が長くなる気がした。
「わかりました!スクリームの親方!」
「親方ではないぞ」
「スクリーム様」
「よかろう」
「どうか私めにかけた、この縛めをお解き下さい」
「うむ、もう解けておるぞ」
言われてみれば、少年の手足は自由に動かすことが出来た。
「恐ろしいお方だ」
少年は、目に見えない縄をいきなり解かれたように、しきりに首や手足を動かしてみた。先ほどまでの不自由さがまるで嘘のように、体を自由に動かすことが出来た。
「少年よ、名はなんと言う?」
「トリゴ…トリゴです」
少年は自分の名は口にした。この国に、自分の名前を知る者はいない。もはや生きて故郷に帰る術もない。帰ったところで、自分を奴隷商人に売る親と、道端でゴミを漁るような生活が待っているだけだ。
そう考えると、自分の名前はいかにも嘘くさく、中身のない蝉の抜殻のような気がした。
「お前はまだ未熟な子供に過ぎない」
そんな事は、この紳士面をした男に言われるまでもない。自分は運命に抗うことも出来ない、未熟な子供だと少年は思った。
「だが魔法使いになる」
紳士は少年に言った。
「この国の言葉だとWehort・・いやそれでは響きがよろしくない。貴族の私の弟子となるには、相応しい名が必要だ」
「弟子!?奴隷ではなく、貴方は私を弟子にするつもりですか!?」
「私は弟子になる者を求めて此処に来たのだよ」
そう言って紳士は、人足が船から積み荷を降ろして、運びだすのを眺めていた。
いかに当時の港の労働者が、苛酷で長時間の労働を強いられていたとしても、深夜のこの時間に港で働く者などいない。
おそらく自分と同じ、不正に持ち込まれた密輸品だろう。(同じ密輸品でも、随分扱いが違うものだ)と少年は思った。
ちらりと、人足が担ぐ麻袋に書かれた文字を見て、紳士の顔が輝いた。
「Moltか…うむ、悪くない!お前は今日からモートと名乗るがいい!」
モルトではなくモート…少年にも袋の文字くらい読むことが出来た。この国ではそう読むらしい。
「いずれ酒もたくさん飲むであろう」
「モート…」
彼を弟子入りさせた男がくれた名前。初めてその言葉を呟いてみた。すると急に体の中から怖気が消え、何やら力さえ湧いて来る気さえした。
「師匠様」
「何だねモート」
「こんな俺でも頑張って、師匠の元で毎日修業したら、師匠のように立派なお金持ちに成れますか?」
「なんだ、お前は金持ちになりたいのか?」
「俺も金持ちになれますか?」
「なぜ金持ちになりたい?」
モートは少し離れた場所で品定めされ売られて行く少年少女たちに目をやる。
「なるほど」
彼の師匠となった男は髭をひと撫でして言った。
「残念ながら、私が弟子に欲しいのは、お前一人だけなのだ」
「はい」
「自分一人だけかと…気おくれするなら」
少年のまえで踵を返し停めてある馬車のある方に歩き始めた。
「そちらに戻るか、私と馬車に乗るか、自分で決め給え」
そうして、彼はモートという名前で呼ばれる魔法使いの弟子となった。
「僕を引き取るのに高いお金を出して、その上弟子にまでしてくれるなんて」
些か都合がよすぎる。夢みたいな話だとモートは馬車の中で思った。
「もしかしたら自分はまだ、船底の中で本当に夢を見ているのかも知れない」
「高い金?この野蛮な国でも、奴隷を雇う行為は禁止になったのだ…私は不正行為に金を払う気など一切ない」
振り返ると、紳士が渡した札束を数えていた奴隷商人たちが、金を地面に投げつけ、何ごとかわめいている。
投げられた紙幣は、そのまま風に浚われて暗い海へ消えた。
男たちが叫びながら、猛烈な勢いで追って来る。遠くで銃の乾いた音がした。
しかし、走り出した馬車に銃弾は当たることもなく、追いすがる男たちを、たちまち後方へと置き去りにした。
男たちがこちらに向かって来る間に、その場にいた子供たちは、散り散りになってその場から逃げ出し、夜の闇の中に消えた。
「左様!自分の運命は、自分自身で舵を切らねば、何も変わらないものだ」
そう言って紳士はモートに、紙幣を一枚渡した。その紙幣には国王でも女王陛下でもなく、目の前にいる男の横顔があった。
「君は私が見つけたダイヤの原石だ。石はどんなものでも磨けば光る。ダイヤともなればなおのこと…」
上機嫌でモートの師となった男は言った。
「輝くためには、自らを磨くことを忘れてはならない、でなければ石ころは石のままだ。私の話が分かるかね?」
モートは師の言葉に黙って頷いた。力もなく、幼い子供を金で奴隷として買う金持ちや貴族の中には、子供を労働者ではく、ただ性の捌け口として扱う変態もいるという。
船底で奴隷商人に、そんな話を散々聞かされた。しかしこの紳士は違っていた。
どこの馬の骨ともわからない自分を救いだし、弟子にするという。
自分でさえ、生きる価値などないと思っていた。そんな彼を一目見ただけで「お前はダイヤの原石だと」言ってくれた。
こんな立派な御方にお仕え出来る自分は、誰より幸運に恵まれた子供だと思わなくてはならない。
頑張って、誠心誠意師の元で、魔法使いとやらの修業に励むことを心に誓った。
「ここから先、人の道には戻れんぞ」
師匠の言葉にモートは頷いた。
「魔法使いにも人にも成れない…もしそうであれば、その時は死ぬことになるが」
こともなげに紳士は言った。
「お前はこれから、師である私の秘密を垣間見るだろう。弟子の資格がないとわかれば、お前を生かしてはおけない。私の名を聞き弟子となることに同意した時点で、契約は成立した。これからは、よく励めよモート」
「魔法使いがその名を名乗る者は、心から敬意を払う者か、その場ですぐに殺す者だ」
それが最初にモートが魔法使いの師である、スクリーミンク ロード リッチ 公爵に教わったことだった。
「ここが私の所有するマナーハウスの1つだ」
そう言って案内されたのは、120エーカーの広大な敷地と庭園に囲まれた、ウェスト バークシャー州にある邸宅だった。
モートはそこでしばらく、師匠と暮らすことになった。バーストール村にある、エリザベス朝の古い屋敷は、グリッド ストーンと呼ばれる黒色の石が、ふんだんに使われた建築様式の建物だった。
扉を開けて中に入ると、メインエントラスも家具も、階段も何年も使われていないように埃を被って、まるでそこだけが時間が止まっているように見えた。
魔法使いの生活と修業の日々はモートが想像したものとは全然違っていた。
【半年後】
イーアーイアイアイーーイーアー!!!
イーアーイアイアイーーイーアー!!!
訪れた見知らぬ古い屋敷の中で、師匠にもらった兎の耳当てをつけたモートは、必死の形相で駆け回っていた。
彼の師匠であるスクリーミング ロードリッチ公爵は屋敷の踊り場で叫ぶ。
その姿は威風堂々と舞台に立つ、オペラ歌手のように見えた。自らの歌声に感極まり、陶酔した表情で首を振る師匠の顔。
その瞳から滂沱たる滝のように流れ落ちる涙が、床の絨毯を濡らしている。
モートの手にしているのは、2つのフライパンだった。そこに貼りつけられていたのは、師匠の顔の肖像画だった。
その瞳が、窓を閉めきられた暗がりの中で、妖しく赤い光を放っている。
イーアーイアイアイーーイーアー!!!
イーアーイアイアイーーイーアー!!!
フライパンの肖像が絶叫する。
魔法使いの修業も生活も、想像したのとは全然違っていた。
そしてモートの師匠である、スクーリミング ロードリッチ公爵。
魔法使いの貴族は、モートの想像をはるかに越えた変態であった。
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