第4話 セシリアさんの日本語授業

 良く晴れた日の中休み、銀狐族の女の子、セシリア=フォルクさんは交流級である5年3組の仲間と追いかけっこをして遊んでいる。男女仲が良いクラスで、男の子も女の子も結構な数が一緒に遊んでいる。

 校庭の隅で低学年の子達の鉄棒遊びを見守りつつ、僕はセシリアさんの様子も観察している。

 ピンと立った狐耳、ふさふさの尻尾はとても目立つ。そして、なんといっても地球人の子供とは比べものにならないくらい足が速い。

 銀の長い髪と尻尾の毛を靡かせて、サッカー少年の追撃を余裕で交わしている。

「楽しそうに見えるんだけどなぁ」

 僕が交流級に行き見学してる分には、皆に馴染んでとても楽しそうに見えるのだが、多文化教室に帰る度に「交流級はつまらない、この教室にいたい」と愚痴をこぼすのだ。

 見ている限り、交流級で虐めや差別は無さそうだし、クラスメイトに自分から積極的に話しかけたりして、むしろ順調過ぎる程に日本の学校に馴染んでいるのに。

「アスせんせー、まえまわりみて!」

 人兎族のフィリンさんが、僕の手を揺らして注意を引こうとする。

「すごいね。じゃあ、見せて」

 真剣な表情になったフィリンさんは、勢いよくクルンと回り、得意気な顔で着地する。

「おれも!」

 先日からフィリンさんと仲のいい男の子が、二連続前回りをしてみせる。

「凄い! さすがだね」

 彼や他のクラスメイトのお陰で、フィリンさんは大きな鳥へのトラウマを克服出来ている。

 さて、こうなると僕の周りはフィリンさんの交流級の子で一杯になる。

 新任や転入の、いわゆる「新しい先生」は何処へ行ってもモテモテなものらしい。

 1年生の鉄棒を見ているうちに予鈴がなり、フィリンさんと数人の1年生と一緒に校舎に戻る。

 セシリアさんはというと、交流級のクラスメイトの後ろをどこか疲れたような顔で歩いている。

 なんか、気を使いすぎているのかな。



 3時間目、僕は多文化教室でセシリアさんの日本語の授業を行う。

 フィリンさんが「来て〜」と手を放してくれなかったので、少し遅れてしまった。

 交流級の授業に言語的についていけなさそうな科目は、多文化教室で日本語の勉強と合わせて授業を進める。低学年の内は国語・算数を始め、必要に応じて生活の授業も多文化教室で行う。高学年になると、優秀な子は全ての授業を交流級で行い、多文化教室は困ったことや悩みが出来たときの駆け込み寺代わりになるんだそうだ。

 因みに、国語のテスト結果を見る限りでは、セシリアさんは交流級で国語を受けて問題がないレベルだ。しかし、本人のたっての希望で多文化教室に来ているそうだ。

「お待たせ」

 僕が声をかけると、多文化教室の自分の机に突っ伏していたセシリアさんが顔を上げる。

「寝不足? 疲れ?」

「んー、どっちも」

 セシリアさんは枕代わりにしていた異世界語と日本語の辞典を、机の脇に置き直す。

 異世界語といっても、地球同様異世界にも沢山の言語があり、フィリンさんの場合はアロン王国のアロン語が母語なので、ア日辞典を使うことになる。これは、アロン語を研究している大学教授の好意で寄付してもらったものだ。

「最近は、ほとんど辞書使ってないよね」

「うん。逆にアロン語が下手になってきてる」

「そうなの?」

「お父さんはアロン語も忘れず、日本語をマスターして、神聖古語も覚えろっていうんだけど、そんなのアタマがこんがらがっちゃう」

「そっかぁ。お父さん、外交補佐官だもんね」

 娘にも同じような仕事をさせたいのかな?

 因みに、神聖古語というのは、ヨーロッパのラテン語や東アジアの漢文のような物で、口語として使っている国はもうないけれど、教養人同士では筆談するとき役に立つ古い言葉らしい。異世界の国同士の条約等はこの神聖古語を使って締結するらしい。

「じゃあ、取りあえず国語の教科書開こうか」

 交流級の担任の先生と打ち合わせして、いつ頃までにここまで終わらせるという取り決めをしてある。実は、セシリアさんは優秀なため、たまにア日辞典を使うだけで交流級より早いペースで学習を進めている。

「セシリアさんは、将来の夢とかある?」

「うーん。せっかく日本語を覚えたから、それは活かしたいかな」

「外交官?」

「それはイヤかも。観光ガイドとか」

「それ、先見の明かもよ」

「異世界人に難しい熟語使わないで」

「意味分かってるでしょ」

「わかってるけど!」

 なんとなく二人で笑う。

 今でこそ政府関係者や、特殊な訓練を受けた商社マン、NGO職員くらいしか異世界に行くことは出来ないが、そのうちに異世界観光も解禁されるだろう。

 通訳として活躍するセシリアさんの姿が簡単に想像できる。

「ところで、セシリアさんって、時々独りになりたいタイプ?」

「そうだね。日本の友達はみんないい子だけど、ずっと一緒にいなきゃいけないみたいなのは疲れるかも」

「だから、ここに息抜きに来るんだ?」

「そうかも」

 セシリアさんは賢いから、そのことをなんとなく自分でわかっていたのかも知れないけど、こうして改めて自分の気持ちを言葉にすることはとても意義があると思う。

 表情も、なんだか柔らかくなった。

「息抜きに、いつでもおいでよ」

「そーする」


 結局、その日は世間話だけで1時間が終わった。

 特に仲がいい友達とか、気になってる男の子の話とか、お父さんへの愚痴とか。

 それでも、セシリアさんの国語の進捗は、皆よりずっと早く進んでいる。

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