第19話 二条と久礼田

あれから俺たちは暫くして合流し、一旦集合場所へ戻ってそれぞれの帰路についた。

別に帰る方向は大体一緒なので、そこでバラバラになったわけではないのだが。

そこではそれまでと一転して、会話が全然なかった。

久礼田と黒田はこんな時に限って黙りこくっていた。

思えば、こいつらがあの時席を外したのは意図的だったのかもしれない。

じゃあ今もこいつらなりに気を使っているのだろうか。

「じゃ、私らここで降りるから」

「おう、じゃあな」

黒田と能登さんは同じ駅が最寄りなのでそこで降りた。

俺たちは次の駅で降りるのだ。

GWのあの日と同じ光景である。

二人がいなくなって、俺は久礼田に疑問をぶつけた。

「…なぁ、もしかして、知ってる?」

「………あぁ、お前よりずっと前からな」

「…そっか」

「ま、能登も悔いはないみたいだし、いいんじゃねぇの? お前が選んだことだし、俺が文句言うようなことじゃねぇよな」

久礼田のそれは、なんだか彼が自分に言い聞かせているような感じがした。

「俺たち、どうなるんだろうな…」

俺は思わず不安を吐露した。

「自分の心配かよ…」

「え? 何て?」

久礼田は驚いたような表情で何かを呟いた気がしたが、すぐに平然に戻った。

「いや、なんでもねぇよ。てかそんなの、俺だってわかんねぇよ。せいぜいしんみりしたのを持ち越さないくらいじゃねぇの?」

「…だよな」

そのようなことを話していると気がつけば俺たちの最寄駅に到着していた。

「んじゃ、帰るか」

「あ、義也。ちょっと寄り道しねぇ?」

「お、おう。いいけど」

彼について行くと、駅の近くの公園に到着した。

いつもは子供達が駆け回ったりしている風景が広がっているが、夕暮れ時の今はもう閑散としていた。

「おい、なんだよ。何があるんだよこんなとこに」

「お前さ、なんであいつの気持ちに応えなかったんだ?」

彼は平然としていたが、いつもと違ってそれは作り物に見えた。

「はぁ?そんなのなんでお前に言わなきゃいけねぇんだよ」

「いいから」

「いや、そんなこと言われても、俺だってつらいよ。申し訳ないけど、これが俺の答えなんだよ」

「…また自分のことかよ」

彼の怒りの篭ったその呟きを耳にして、黒い感情が込み上げて来る気がした。

「…はぁ? お前に何がわかんだよ。当事者でもねぇくせに文句つけてんじゃねぇよ」

俺は誰かに慰めて欲しかったのだろう。

お前のせいじゃない、これは仕方がないことなんだ、と。

わかってはいるんだ。

わかっていても、それでも押しつぶされそうだったから。

だから多分、この怒りは俺に向けられたものでもあったのだ。

ひどく独善的で、こんな感情を抱いている自分に対する嫌悪だった。

「………そうだよな。俺は間違ってる。こんなのは、俺が一番嫌悪したものだったはずだ。けど、おかしくなりそうなんだ。何度も自分に言い聞かせた。けど、気持ち悪い感情が溢れ出そうで、本当に、どうしていいかわかんねぇよ」

「…なんだそれ」

彼はやるせなさそうな表情で続ける。

「だってよ。あいつおかしいんだぜ。自分が一番辛いはずなのに、苦しいはずなのによ、俺にこう言ってきたんだぜ。「ありがとうね」だってよ。あの時のあいつの顔っつったら、もう見れたもんじゃなかった。なんというか、枯れ果てたって感じか? 表情も無理やり作った感じで、生気なんかまるでなかったよ」

「………」

「それ見たらよ、思ったんだよ。なんでこいつがこんな顔しなきゃなんねぇんだって。誰よりも優しくて、本来あいつが一番報われて然るべきだろ。あいつがこんな顔していいはずがねぇ。こんな苦しんでいていいばすがねぇんだ。お前が悪くないなんてことはわかってる。でも、わけわかんねぇんだけど、お前のこと殴りたくてしょうがねぇんだよ。復讐のつもりなのかもしれない。ハハハ…ヤバすぎだろ。今にも自分を見限りそうだ…」

「………」

「だからさ、義也、頼む。殴らせてくれ」

「…やだよ」

「お願いします」

久礼田は深く頭を下げた。

「…じゃあ手のひらね」

「いや、申し訳ないんだけど、顔で頼む」

「えぇ………いいよ、殴れよ、はい」

俺は罪を償いたいのかもしれない。

二人して本当に気持ちが悪いのだが、奇妙なことに利害は一致していた。

「じゃ、殴るな」

「…おう」

久礼田が強く振りかぶった拳は、気持ちがいいくらい見事に俺の頬を捉えた。

衝撃は全身に響き、俺はたまらず後ろへ倒れこんだ。

「いったぁ〜」

「………」

「………いや、加減」

「…ごめん」




俺たちは公園のベンチに二人して座った。

先ほど殴られた関係とは思えない構図だが、不思議と違和感はなかった。

俺はこの機会に、前々から思っていた疑問をぶつけた。

「…なぁ、お前はさ、なんで俺に絡んできたんだ?」

「…迷惑だったか?」

「いや、別にそうじゃねぇけど。俺たちって全然接点なかったろ。だから単純に疑問に思っただけだよ」

「あぁ、そういうことか。正直、俺もよくわかんねぇんだよなぁ」

彼は空を仰ぎながら答えた。

「はぁ? なんだそれ」

「…ちょっとさ、俺の話していいか?」

「やだよ、腹減ったし」

「いや、そこは聞けよ…」

「冗談だよ。悪かったよ」

「どんなタイミングだよ。下手すぎだろ。じゃ話すけど、俺って空気読めないじゃん?」

「そうだな」

「即答かよ…。俺って昔からそうでさ、まだちっちゃい時はそんな苦労もなかったんだけど、小学校高学年にもなると少しずつ周りとズレだしてさ、よく空気読めって怒られたよ」

「…へぇ」

「でも当時の俺にとっては、それがすごく怖かったんだ。空気を読むって本当にわけわかんなくてさ、学校で教えてもらうような問題とかと違って、明確な正解がない感じがすごく怖かっんたんだよな。そんなものは存在しないと思ってた。友達や先生に聞いても、なんとなくわかるでしょ、とか言って、答えをもらえなくてさ、そんなの初めてだった」

「そこまでか…」

「あぁ、なんか俺だけ世界からはぶられてる感じがして、得体の知れない不安を感じたよ。だから、諦めちゃったんだよな。もういいかぁってなってさ、人と関わるのを避けるようになっちまった。そうしてずっと見ているうちに、空気を読むってのはなんとなくわかってきた気はするんだが、それでも生き方は変えれなかったよ。ぼっち完成の瞬間だ。どうせ自分の居場所なんてどこにもないと思っちまって、何より今の方が楽だしな」

「…わかるわ」

「だろ? 俺マクドでお前を見つけた時さ、こいつも居場所なさそうだなぁ、って思ったんだよな、多分。シンパシーってやつ? だから話しかけたんだよ。そーいう感じ」

「そんな失礼な動機だったのかよ…」

「ハハハ、けど今考えると、お前らに憧れてたのかも知れないな。俺が敬遠するようなところに平気で踏み込んでいく感じが、なんか悔しいけど爽快でさ」

「ふーん、でも俺は、お前はもっと認められていいと思うけどな」

「はぁ? そんなわけあるかよ。俺なんかただの社会不適合者だぞ?」

「でも俺、自己紹介の時お前が助けてくれて、結構嬉しかったよ」

「あぁ、あれか。なんかさ、別に助けたかったっつーのとはちょっと違うんだよな。ちょっと恥ずかしいんだけど、前々から思ってたんだ。もしこんな俺に友達とかができたらさ、そん時はどうあっても味方になってやろうって。なんか耳が熱くなってきたな、アナルがあったら入れたいよ」

「穴があったら入りたい、な。それじゃただの性衝動じゃねーか。思わずアナル締めちゃったよ」

「そうだったな、すまん」

「いや、今ここで訂正できてよかったよ。犯罪になる前に」

すると彼は、少しもどかしそうに俺に質問を投げかけた。

「そういえば、能登からちょっと聞いたんだけどさ、お前の昔の話とか、聞いていいか?」

「え? どれだよ。心当たり多すぎてわかんねぇよ」

「なんか気になる情報出てきちゃったよ。けど今聞いてんのは、中学でお前が能登と関わらなくなったきっかけのことだよ」

「あぁ、あん時か。俺さ、妹いたんだけど、死んだんだよな。しかも自殺」

「…そうだったんか」

「俺の親父がさ、俺がちっさい頃に死んでるんだけど、正義正義ってうるさいようなやつでさ、正子はその影響を俺より強く受けていた。なんというか、あいつはすごく不器用だったんだ。お前と近い感じかも知れない。多分空気なんか微塵も読めてなかったんだと思う。自分の正しいと思うことを貫くことしかできない機械みたいだったよ。俺だってよく怒られたもんだ」

「…それで?」

「もちろんあいつは学校でもそんな感じだったらしくてさ、それがあんまり良く思われていなかったらしい。だからいじめを受けていたんだと。あいつは正しいが、精神はかなり不安定だったよ。それを受け売りの正義で無理やり立たせていた感じだと思う。いじめで自殺とかやり過ぎな感じはするが、不器用なあいつは一人で溜め込んで、前が見えなくなってしまったんだろう。そんな気がする」

「…お前は気づかなかったのか?」

「ちょくちょく誰かと喧嘩したり、孤立気味って話は聞いていたが、本人は何も言わないし、いじめだなんて思わなかったよ。俺だって孤立してたし、別にそれを大したことだとは思ってなかった。けど母さんがそのことでひどく参ってさ、あの時は大変だったよ。今でも俺にめちゃくちゃ過保護なんだよな」

「まぁそうなっても仕方ないわな」

「けど俺もあの時は相当きたよ。妹の部屋に手紙が置いてあってさ、遺書ってやつ。その最後に書いてたんだよ。「生まれ変わったら、悪い子になりたいです」だってさ。背筋が凍る感じがしたよ。俺もいつかこうなるんじゃないかって、マジで思ったんだよな。俺だって自分なりの正義を持ち合わせてはいたつもりだったけど、それに向き合うのが途端に怖くなっちまった。それから俺は必死で逃げたよ。過去の俺はなかったことにしようとした。黒田が高校にいたのは予想外だったけど、あいつは俺のこと覚えてなかった、というか多分知らなかったから大丈夫だった。そんな自分が嫌いになりそうになったことは何度もあるけど、その方がまだ楽だったからな。…俺さ、実は能登さんと中学から知り合いだったんだよな」

「あぁ、能登から聞いたぞ」

「あ、そうですか…。今考えるとさ、能登さんを忘れてたのも、多分その方が都合が良かったからなんだ。彼女との記憶は、それほどに過去の俺をよく表していたからさ。ほんと、都合のいい脳みそだよな…」

「…そういうことか」

「当時は勉強なんか手につかなくてさ、元は北山高校受けるつもりだったんだけど、今の豊田高校に急遽変えたんだよ。お前別室受験とかしたことあるか? 」

「あるわけねぇだろ。俺のはそこまでじゃねぇよ。てか、北山っつったら県有数の進学校じゃねーか。お前って勉強できたんだな」

「まぁ勉強しかやることなかったからな」

「ハハハ、お前のぼっち気質は昔からだったんだな」

「…まぁ否定はしない」

「にしても、そんなことがあったんだな。ありがとな」

「おう。これでお互い様だな」

「だな。あ、そういえばお前、どうすんの?」

「何がよ」

「何がって、能登をフッてそれで終わりってわけじゃねーだろ?」

「…あぁ、そうだな。そうだ。俺だってやらなきゃ。彼女みたいに」

「すごいよお前らはほんと。頑張れよ」

「あぁ、サンキュー」

気がつけば日もすっかり暮れ、辺りは暗くなってしまっていた。

「じゃ、帰るか。今度は本当に」

「だな」

久礼田と別れて、一人街頭に照らされる夜道を歩きながら考えた。

彼女はけじめをつけたのだ。

ならば俺だってそうしなければならない。

そんなことは全然ないはずなのだが、そんな使命感に駆られてならなかった。

俺だっていつか、彼女たちに追いつけるように。




「あ、もしもし? 久礼田くん? 今時間大丈夫?」

「あぁ、どうした?」

「いや、大した用はないんだけど、改めて礼を言っとかなきゃと思って。ほんと、色々ありがとうね」

「全然いいよ。俺はロクなことしてない気がするしな」

「アハハ、言い過ぎだよ。結果は散々だったしね。ごめんね、せっかく手伝ってくれたのに」

「………俺は、いいと思うけどな」

「えっ、何が?」

「いや、なんでもないよ。じゃあ、また明日な」

「えっ………わかった、また明日」


俺もいつかあいつらみたいになれるだろうか。

今はまだだめだ。

この気持ちは不純だから。

俺もお前たちみたいに、いつかは、真正面から、正々堂々と、馬鹿みたいに…。

そんな、絵空事のような憧れを抱いた。

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